第14話 仲良く

 頭にタオルを巻いた城ケ崎さんはそのイメージを崩さないライトピンクのパジャマに身を包んでいた。

 胸元のボタンは閉じられておらず谷間ががっつり見えている。普段よりも胸が横に広がっている印象を受けるのはノーブラだからかもしれない。


 布一枚隔てたところに生乳がある。タオルかパジャマかの違いだけでほぼ裸同然だ。


「勇気がシャワーを浴びてる間にキャミも着るわよ。暑いからこの恰好なだけ」


「え?」


「あまりにも視線がいやらしいから先に宣言したの。このまま寝るわけじゃないから。さすがに」


「そ、そうなんですか。いや~、女子と一緒に寝たことがないから何も知らなくて」


 乾いた笑みを浮かべながらそそくさと浴室へ入る。トイレと浴室は聖域。一度入ればそう簡単には外部の侵入を許さない。本来ならこの部屋自体が聖域のはずだったんだけど、今はそれを言うまい。


「今日は荷ほどきで疲れたから先に寝るわよ。家庭教師は生活が落ち着いてからでいいわよね?」


「待って! まだ寝ないで! 大事な話が」


 扉越しに話せばいいのにそれだと城ケ崎さんを止められる気がしなくてつい飛び出してしまった。上半身から脱ぐ派なので下半身はしっかり隠されている。こういう時に男は便利だ。なぜか上半身は丸出しでも許される。


「勇気」


「はい」


「私を家庭教師にしておいて、さらに体で対価を求めるつもり?」


「違います! いや、違くないか。あ、この言い方だと誤解を生む。さっき考えたんですけど、城ケ崎さんは僕以外の男と結婚する方がいいですよ。


 上半身裸のままで他の男を勧めるなんて後にも先にも今この時しかない。美人で頭が良くてお金持ち。数多の男がフラれたのに、僕だけは謎に気に入られて結婚するとまで言われているのにそのチャンスを自ら棒に振ろうとしている。


 我ながらお人好しというか自信がないとうか、とにかく僕みたいなやつが城ケ崎さんと対等になれるとは思えない。京東大に合格するだけでも無謀な挑戦なのにマナーや体力作りまで同時進行なんて不可能だ。


「勇気、私はあの男と結婚するなら死んだ方がマシだと思ったから線路に飛び込んだの。知ってるし、見てるわよね?」


「はい。でも、昨日出会ったばかりの男と結婚を即決できるなら、これからお互いに歩みよって仲良くなれると思います。城ケ崎さんが朝から走ったり、料理を練習したり、京東大に合格したみたいに」


「言ってくれるじゃない。さすが私が見込んだ男だわ」


 頭に巻いていたタオルを外すと長い髪が解放される。湿っぽいのがとても色っぽくて、漂うシャンプーの香りはこのボロアパートと似つかわしくない。

 城ケ崎さんの魅力的な部分を知る度に、自分とは絶対に釣り合わないことを痛感させられる。


「命を救われただけで買いかぶりすぎなんですよ。偶然の一回だけで、この先の人生で考えればその許嫁みたいな人の方が絶対良いですって」


「あの男だけはあり得ないわ。パパが決めたからじゃない。本人の人間性を見て私が判断したの」


 パジャマのボタンを外しながら城ケ崎さんが近付いてくる。ギリギリのところで隠されてはいるもののもう少し激しく動いたらモザイク処理が必要になる絵面になってしまう。


 恋人でも許嫁でもない僕が見るのは気が引けて、本当は見たくてたまらない欲望をグッと抑えて視線を逸らす。


 だけどそれが間違いだった。近付いてくる彼女から目を逸らしてしまったことで、どれくらいの距離まで詰められているのか気付くことができなかった。いや、気付いた時にはもう遅かった。


「あの、何を」


「私が勇気の子を妊娠しても、それでも他の男と結婚した方が良いって言える?」


「…………っ!」


 絶句とはこういうことを言うのだろう。驚きのあまり声が出なくなってしまった。僕の子を妊娠するということは、つまりそういうことだ。上半身裸の僕と、今すぐにでも全裸になれそうな城ケ崎さん。


 そんな二人の体が今、密着している。一方的に城ケ崎さんが僕の体に抱き着いているだけで何も手出しはしていない。だけど、もしこのまま彼女の体をそっと抱きしめたら、あの小さなベッドで僕らは結ばれる。


 逃げ場はない。賢者になる前なのも相まって臨戦態勢に突入していて、仮に城ケ崎さんの体を思いきり突飛ばしても下半身の様子を見られたら強がりだとバレてしまう。


 だからと言って彼女の提案を受け入れるつもりは全くない。浪人生が父親になるなんて聞いたことがない。そう簡単には妊娠しないだろうけど、もし今夜一発で決めたら入学する頃にはパパだ。


 そもそも出会って二日目の人を妊娠させて京東大に合格できるだろうか。どうせ一度ヤったのだから二度も三度も何度も変わらないと性に溺れる自分が安易に想像できる。


「城ケ崎さんだってまだ学生なんだしそういうのはよくないって!!」


 女性を突き飛ばすのは気が引けてというのは建前で、わずかでも彼女の肌に触れたら理性で欲望を抑えられなくなりそうだった。お互いに理性ある人間なら言葉で分かり合える。そう信じて僕は声を荒げた。


「……さすが私の見込んだ男ね。猿みたいに欲望に流されない。強い心の持ち主だわ」


「へ……?」


「私だって今は妊娠なんて想像できないわ。きちんと大学を卒業して、株以外にもちゃんと稼げる手段を確保して生活が落ち着いてからじゃないと」


「それじゃあ!」


「期待させてしまったのは謝るわ。でも、私は安心して勇気の家庭教師をやれる」


 布一枚を隔てて触れていた生乳の感触が離れた途端、後悔の念がどっと押し寄せた。言い寄ってきたのは向こうなんだから、何をしても許されたはず。

 僕から手を出したら城ケ崎さんの提案を全て受け入れて責任を取ると認めるようなものだ。あのまま勢いでベッドに流れ込むのではなく、一呼吸置いてコンビニに行って準備を整えるのが正解だった気がしてきた。


「いつまでも裸のままだと風邪を引くわよ。早くシャワーを浴びてきなさい」


「あ、はい」


 行き場を失ったヤル気は一人で発散しよう。幸いなことに発射準備は万端だ。時間は掛からない。

 賢者になればこの人生の難問についても答えが出る。そして自分に言い聞かせるんだ。僕の選択は間違えではなかったと。


 さっき味わった未知の柔らかい感触はシャワーでは洗い流せず、脳にしっかり焼き付いた。勉強したこともこれくらい鮮明に残れば受験も少しは楽になるのに。人間というのは不便な生き物だ。

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