第5話 目的設定

「城ケ崎さん、先にシャワーどうぞ。食器洗いくらいは僕がしますよ」


「気にしなくていいのに。私の恩返しなんだから」


「これ以上借りを作りたくないんです! 何を要求されるかわからないから」


「それじゃあお言葉に甘えて。覗いてもいいわよ?」


「覗きませんよ! 通報されたら僕が絶対に負けるじゃないですか」


 男の部屋に上がり込んでシャワーを浴びているのに、覗かれたなんて通報してもそれは女性側に問題があるはず。でも、お金を持ってる京東大生と浪人生では第一印象にあまりにも差がある。


 駆けつける警察官もたぶん男だろうから、城ケ崎さんがか弱い女子を演じれば籠絡されるに違いない。そういう意味で僕は常に頭に銃を突き付けられているみたいなものだ。一瞬も油断できない。


「私がシャワーを浴びてる間に、生徒の勇気くんに課題を出します」


「か、課題?」


「問題集を解いておけとかじゃないわ。目的よ。京東大に入って何がしたいか。それを考えておいて」


「そんなこと言われても……」


「別に大きな目的じゃなくてもいいわ。目的もないのに難関大学に行けって言われても困らない?」


「それは……まあ。参考までに城ケ崎さんの目的を教えてくださいよ」


「私? 一番難しい大学に合格したらカッコいいからよ」


 長い髪をばさっとかき上げてキメ顔で放ったのは小学生みたいな理由だった。そんなバカみたいな目的でもさまになるのが本当にズルい。何より、有言実行できているのがカッコいいと思ってしまった。


「京東大を目指す目的。親に言われたから以外でちゃんと考えておいてね。もし何も考えてなかったら」


「なかったら?」


「この人に誘拐されましたって大声で叫ぶわ」


「ちゃんと考えておきます!!」


 冗談っぽく言ってたけど実行に移しそうというのがまだ出会って数時間の城ケ崎さんに対する印象だ。死ぬために線路に飛び込める人間は、なんだってできる。文字通り死ぬ気だったんだから。


「とりあえず考えるか」


 ほとんど使ったことのない食器用洗剤をスポンジに染み込ませて、二人分の食器を洗いにかかる。肉汁がたっぷり出ただけあって油汚れがしつこい。フライパンは先に水に漬けておいてくれていたとは言え、さっきまで新品だったゆえに汚れが目立つ。


 自分では二度と使わないものを新品同然にまで綺麗にすることは無意味だと思いつつ、あとで城ケ崎さんにチェックされて洗い直しになったら面倒なので力を込めてこすり続けた。


 たぶん水道の蛇口は一度締めた方がいい。漬け洗いして、最後に泡を流す方が水道代の節約になる。でも、それをしたらもっと気になる水音が耳に入ってそっちに意識を持っていかれる。


 ためらうことなく服を脱いだ城ケ崎さんは初めて上がった部屋ということも全く気にせず秒でシャワーを浴び始めた。

 自分以外の人間がこの部屋で身を清める。引っ越して友達もいない僕にとっては想定していなかったシチュエーションだ。


「京東大に入ったら彼女ができるのかな」


 難関大学ともなれば浪人は当たり前。同級生でも年齢が一つ二つ違うことはよくある。ちょっとお姉さんだったり、妹的だったり、同学年の中での出会いの幅が広がると言える。


 すでに一浪だから、一個上の先輩の中には同い年の人もいる。普段は先輩だけど二人きりになったら同級生。なんだか二人だけの特別感が出てすごく良い。


「いや、さすがに不純すぎる。なんでもいいって言っても」


 カッコいいからに比べると俗物的な発想で、それで城ケ崎さんに許されるとはとても思えなかった。

 フライパンは焦げや油が落ちていって着実に綺麗になっていくのに、僕の考えは慣れない洗い物をしながらというのも相まってなかなかまとまらない。


「本当に何がしたいんだろ」


 小さい頃はヒーローになるとはしゃいでいた。その夢も小学校に上がる頃にはフィクションだと気付いて早々に諦めている。スポーツ選手になれるような才能もなければ努力もしていない。学校の成績はそこそこ良かったけど、そこから将来に繋がる姿を想像できず、今では浪人生だ。


 自分が合格することで誰かが不合格になる。僕よりも本気で京東大を目指している人が落ちたのだとしたら申し訳ない。こんな精神だから勉強にも身が入らず、本番でも実力を発揮できない。というのは自分が落ちた言い訳だ。


 ほとんど使っていないので水垢汚れが一切ない水切りカゴにフライパンと食器を入れて水道を止めると、シャワーの音だけではなく城ケ崎さんの吐息まで聞こえるようになってしまった。


 今の城ケ崎さんは完全に無防備だ。初対面の僕にこんなにも心を許しているなんて、本当は自殺を止めたことを感謝して好意を抱いているのかもしれない。そんな勘違いをしてしまいそうになる。


 それはきっと好意ではなく恩だ。何もかもにおいて僕は城ケ崎さんに負けている。今日はたまたま、人生の中で一度あるかないかの恩を与えられただけで、今後はもう二度とこんなチャンスは訪れない。


「一発ヤレたらそれでいいかもな」


 城ケ崎さんくらいの美人を街で目撃することはあっても、こんな風に部屋で二人きりになるチャンスはこれが最後だ。浪人生を続けて京東大に合格するとは限らない。人生を棒に振る覚悟で、それこそ死ぬくらいの覚悟を持って強引に……。


「いかんいかん。さすがに親に迷惑がかかる」


 自殺ならなんとなく事故死とかで誤魔化して終わるけど、逮捕されたらニュースにもなるし記録に残る。ここまで育ててくれた恩自体は感じているので、さすがに犯罪はマズい。


「どう? 目的は決まった?」


「ひゃあ!?」


 城ケ崎さんとの熱い夜を妄想して、犯罪行為を思い止まっている間に当の本人はシャワーを浴び終えたようだ。

 メイクは落ちたはずなのに前後で全然変わっていない。高校の時に何度かクラスメイトのすっぴんを目撃したことがあるけど、ずいぶん印象が変わったのを覚えている。


 元が良いからほとんどメイクをしていないのかも。世の女性は城ケ崎さんに嫉妬しそうだ。


「あの、服は?」


「ないわよ。明日届くまで。さすがに寝汗を吸った服で大学に行くわけにも……って、そういえば退学手続きはしてなかったわね。おかげでまた入試を受ける必要はなくなったけど」


「答えになってないですって! さっき下着は買ったって言ったじゃないですか」


「ええ、買ったわよ。下着は。さすがに寝る時に着れそうなものはスーパーになかったから、今夜はタオルを巻いて寝るわ」


「いやいやいや! 嫌かもしれないけど僕のジャージでも着てください」


「貸してくれるの? 五月とはいえ朝はまだ冷えるから助かるわ」


 体に張り付いたバスタオルは城ケ崎さんのスタイルの良さを隠しきれていない。タオルを巻いた状態で寝たら、絶対に翌朝には見えてないけないものが御開帳される。


「たぶんサイズは大丈夫なはずです。背もそんなに変わらないですから」


「ありがと。なんだか高校時代を思い出すわ」


「城ケ崎さんもジャージを着てた時代があるんですね」


「それはあるわよ。体育の成績だって良かったんだから」


 体育の成績が良かったということ跳んだり走ったりするのも全力だったんだろう。同じ学校に通う生徒はさぞかし眼福だったに違いない。

 そんな彼女の裸同然の姿を目の当たりにしている僕も相当に運が良い。一人の命を救った見返りにしては神様の大盤振る舞いだ。


「それで、京東大を目指す目的は決まった?」


 紺色のジャージを両手で抱きしめたまま城ケ崎さんは僕の前に立ちはだかる。

 着替えのわずかな時間も稼ぐこともできず、僕は何も言えなかったし、視線をどこに向けていいかもわからなかった。


 せめて生の上乳くらいは拝みたいところだけど、目的も決まってない上にいやらしい目になっていたら本当に通報されかねない。


「はぁ……決まってないのね。そんなことだろうと思ったわ。でも安心して。私は最高の家庭教師よ。勇気が京東大を目指す理由をちゃんと考えたわ」

 

「え? 城ケ崎さんが……ですか?」

「勇気、私と釣り合う男になりなさい。その第一歩として私と同じ京東大生になるの。退学手続きを忘れてて良かったわ」


「あの、イマイチ話が見えないんですけど」


「私と結婚するからには京東大くらい卒業してもらわないと困るわ。大丈夫。一浪くらい全然気にしないから。私だって何度も失敗して、今の私になってるんだもの」


 唐突な自分語りまで始まってしまっていよいよ話が掴めない。なんで城ケ崎さんと結婚するために京東大を目指すんだ。

 外見だけならそりゃ結婚したいし、奥手な僕にとってはぐいぐい引っ張ってくれる年上というのは魅力的だ。


 でも、命の恩人にいきなり罵声を浴びせたり、勝手に人の家に住み込もうとする非常識な面もある。プラスマイナスゼロ。なんならマイナス寄りだ。


「私って結構モテるの。そんな私と結婚できるなんて嬉しいでしょ?」


「城ケ崎さん落ち着いてください。自分が自殺しようとした理由を覚えてますか?」


「好きでもない男と無理矢理結婚させられそうになったからよ。あんな男と結婚するくらいなら死んだ方がマシ」


「じゃあ、僕が城ケ崎さんと同じ気持ちになる可能性があることに気付いてます?」


「勇気はきっと私を好きになるわ。好かれる理由はあっても嫌われる理由がないもの」


 濡れた髪をばさっとなびかせて彼女は何の迷いもなく言い放った。ジャージを脇に抱えたことで胸が強調されている。まるで『これが私を好きになる理由よ』と谷間が喋っているみたいだ。


残念なことに、城ケ崎さんに対する評価がほんの少しプラスに傾いてしまった。

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