第4話 恩返し

「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした」


 一人暮らしの浪人生活にまともな家具なんてあるわけもなく、一応客人である城ケ崎さんには勉強机で食事をしてもらった。僕はいつも通り床に腰を下ろし、小さなテーブルで手料理をいただいた。


 二度と使わないであろうフライパンや包丁を手際よく使いこなし、あっという間に焼き上がったハンバーグはまるで高級店みたいなジューシーさで噛む度に幸福が訪れた。これまでの人生で、いや、きっとこの先もこれを超えるハンバーグを口にすることはない。


 僕と心中するのは無理と城ケ崎さんは言っていたけど、もし一服盛られて最期の晩餐になったとしても人生に悔いはないと断言できる。それくらいおいしくて幸せなひと時だった。


「初めて来た家の台所ですごいですね。久し振りに本気でおいしいって思いました」


「普段何を食べてるのよ。本当はサラダだって自分で作りたかったけど、材料が余っても亀田くんにはどうにもできないだろうからやめたのよ」


「その判断は正しいです。はい」


 一人暮らしを始めてから冷蔵庫に入れているのはペットボトルと冷凍食品だけ。生ものを入れたことは一度もない。自炊は逆にコスパが悪いとか勉強時間を確保するためにコンビニで済ませているという最もらしい理由も挙げられるが、一番の理由は気力がわからないからだった。


 ほんの数時間前は自殺しようとした人間が料理を作れるのに僕ときたら……城ケ崎さんのスペックの高さと自分を比べると惨めな気持ちになる。


「なんで死ぬのを邪魔された相手に手料理を振る舞ってるのかしらね」


「それはこっちが聞きたいですよ。死ぬにしても僕と無関係のところでお願いします」


「死ぬのはもう諦めたわ。良いこと思い付いたから」


「そうですか。良かったです。まあ、今晩は行くところがないでしょうから、狭い部屋ですけどゆっくりしていってください」


 最期の晩餐に巻き込まれたらどうしようと頭の片隅で心配していたけどその心配はなさそうだった。美人でお金があっても人生イージーモードにならないという気付きを与えてくれたし、ちゃんとした食事も作ってもらえたんだから十分に恩返ししてくれたと言える。


 元からお礼目当てじゃないし、なんなら仇で返された気分だったけど最終的には丸く収まったと思う。助けるんじゃなかったという気持ちから一転、助けて良かったと心から実感できた。


「この過去問や問題集の山を見るに、亀田くんは京東大を目指してるのね?」


「まあ……目指すだけなら誰でもできますし」


「ちゃんと目標があるじゃない。京東大に入って何がしたいの?」


「え? いや、京東大に入れば一浪くらいチャラになるって父親に言われて、それで予備校の近くで一人暮らしさせてもらってって感じで、大学に入って何がしたいとかは別に」


「はぁ!? そんな志で京東大に受かると思ってるの!?」


「やっぱり無理ですよね。目的もなく勉強をしてるだけじゃ。本気の人達には勝てないですよね」


「当たり前じゃない。私だってさすがに睡眠時間を削って勉強したんだから。学校のテストや行事も疎かにできないし」


 受験期の苦労を思い出したのか城ケ崎さんの表情が少し曇る。線路に飛び込む前に比べれば全然明るいけど、彼女の人生の苦労の一端を見た気がした。


「あの……その口ぶりから察するに城ケ崎さんって京東大生なんですか?」


「ええ、そうよ。今は二年生。亀田くんは一浪ってことは今年十九?」


「はい。成人年齢が十八になったせいで、成人してるのに学生でも社会人でもないっていう変な身分にさせられましたよ」


「それは法律が変わったんだから仕方ないわね。どんなに努力しても変えられないことはある。でもね、成績は絶対に変えられる!」


 イスから立ち上がった城ケ崎さんは拳を握り、熱血教師のように目にメラメラと炎を宿していた。


「現役京東大生の私が家庭教師をしてあげる。日中は予備校で、夜は自宅で家庭教師。これで合格間違いないなしね!」


「待ってください。毎日うちに来るってことですか?」


「来るっていうか泊まり込み? 日中は私も大学だし、ちなみに生活費は株で稼いでるから問題ないわ。家賃も光熱費も私が負担する。夕食も作っていいわ」


「いやいやいや! お金の問題じゃないですって。出会ったばかりの浪人生と同居なんて正気ですか!?」


「正気だし本気よ。好きでもない男と結婚させれるのに比べれば、自分の意志で決めたことだもの」


「まずは城ケ崎さんの親御さんに許可を……って、許可を取ったらダメか。僕の生活費を負担できるくらい稼いでるなら新しい部屋を借りればいいじゃないですか」


 京東大に通いながらすでに株でそれなりに設けている。美人で料理もできて、おまけに結婚相手までいる。好きでもない相手というのが城ケ崎さん的にはネックなんだろうけど、彼女いない歴=年齢の僕からすれば羨ましい限りだ。


 形だけ結婚して、それぞれの人生を謳歌するのだってアリだと思う。経済的にも自立できてるならそう難しい話ではないはずだ。


「一人暮らしをするのは全然構わないわ。でもね、それじゃあ問題の解決にならない。また私、自殺するわよ?」


「ぐっ……夕飯をご馳走になったとは言っても他人は他人。僕と関係のないところで勝手に死ぬ分にはノーダメージ……です」


 言いながら胸がちくちくと痛くなった。お互いの名前も知って、同じ部屋で食事をした仲だ。もし訃報を知ればかなりショックだと思う。


「亀田くん……いえ、勇気は私にハンバーグをご馳走になった恩があると思う」


「え……」


 それを言ったら僕は命の恩人だからこれでお互いに貸し借りなし。なんなら僕の恩の方が大きい気がする。でも、そんな反論はすぐに言いくるめられるんだろうな。だから僕はそのまま城ケ崎さんの言葉に耳を傾けた。


「お金を持ってるだけじゃ部屋は借りられない。学生という身分はとても脆く弱いものなのよ。それは京東大でもそう」


「まあ、そうでしょうね」


「だから私が親元を離れて暮らすには誰かとルームシェアをするしかない。本来なら折半する家賃を全額負担してもらえるなんて最高の条件じゃないかしら?」


「ここだけ聞くと確かにすごくありがたいですけど、それでもさすがに付き合ってもない男女がひとつ屋根の下というのは……」


「問題ないわ。だって勇気は私と結婚するんだもの」


「…………は? なんで?」


 初めて彼女の姿を見た時はそんな妄想もした。まさか京東大生とは思わなかったけど、そうではなくても僕は浪人生。とてもじゃないけど城ケ崎さんと釣り合いが取れてない。


「好きでもない男と結婚させられるのが自殺の理由だったのに、僕と結婚するのはいいんですか? 命を救われたことも喜んでなかったのに」


「最初は最悪だったわ。でも、多少の下心があったとは言え自らの危険を顧みず他人を助けられる勇気には感動してる。あ、この勇気は感情的な意味の方ね」


「だからって結婚は飛躍し過ぎじゃないですか? 浪人生ですよ? 将来性も不透明な」


「その不透明さを私が明るくするんじゃない。私が勉強を教えるんだから成績アップ間違いなし! そうね……じゃあ、命を救われた恩返しということで家庭教師を引き受けるわ。そして勇気は、私のハンバーグを食べた恩を返すためにこの提案を受け入れる。これで対等ね。うんうん」


「対等の基準がよくわからないです」


 理論の筋は通っているような気がするし、めちゃくちゃな理論な気もする。ただ、城ケ崎さんがあまりにも自信たっぷりに語るものだから妙な説得力がある。その力を発揮すれば強引な結婚も避けられそうなものだけど、何か理由があるんだろう。


「とりあえず話は平行線だからシャワー浴びて寝ま……着替えとかどうするんですか? うちには何もないですよ」


「スーパーで買っておいたわ。今日のところはこれで我慢するしかないわね。ちなみに明日、通販でいろいろ届くからよろしく」


「準備がいいですね。って、なに勝手に住み込む気が話を進めてるんですか!」


 さっきから何度かスマホをいじっていたのは誰かに連絡を取ってるんじゃなくて通販だったのか。しかも届け先をこの部屋に指定して。精度がよくなったGPSを恨んだのは初めてだ。


「さすがにベッドは勇気が使っていいわ。今日のところは床で寝るから」


「いや、そういうわけには……っていうのもおかしいな。強引にうちに来たわけだし、お客様ではない……よな」


「私が床でいいって言ってるんだから素直に受け入れなさい。浪人生は一日だって無駄にできないわ。明日も予備校なんでしょ?」


 ぐうの音も出ない正論ではあるんだけど、その原因となっている城ケ崎さんに言われているのが何とも腹立たしい。だけどその腹立たしさを口に出せば気まずくなるし、論破されるのは僕の方だ。


 今日はもう遅い。自殺から救っておいて行く当てもない女性を夜の街に放り出すのは心が痛む。明日になれば城ケ崎さんも考えを改めるかもしれない。僕はその可能性に賭けることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る