第3話 責任取って

「あなたのせいなのよ! 責任取って!」


 彼女の一言で周囲の視線が一気に集中した。人生でこんなにも視線を集めたのはこれで二度目だ。まさか一度目から数分で二度目を経験するなんて夢にも思っていなかった。


 しっかりと手を掴まれているので逃げることもできない。線路に身を投げる彼女を助ける時と同じくらいの力強さだ。本当に自殺しようと考えていたのか疑問を抱くほどには意志と我の強さがわかる。


「僕のせいって言われても困ります。それにこんなところで死んだら電車が遅れて迷惑でしょう? もっと他の場所で」


 他人に自殺を勧めてそれを実行に移されたら僕が罪に問われる可能性がある。たしか前にそんな事件をニュースで見た。本人が自殺したいと言っていても、死んでしまったらそれを確認する術がない。


 これだけ周囲の注目を集めている状況でこんなに目立つ美人に自殺を勧めていたと証言されたら僕に勝ち目はない。彼女の存在感を隠れ蓑にするように声を潜めて提案した。


 僕がやるべきことは全てやりきった。命を救われてそれでもなお死にたいというのなら勝手にしてほしい。初対面の人に人生のすばらしさを説けるほど立派な人生を送っていないし、時折死にたい気分になるのはこっちなんだから。


「それもそうね。せっかくの美しさも他人に迷惑をかけたら台無しだわ。死ぬことで頭がいっぱいで忘れてた」


「そうですか。考えを改めてくれたのなら良かったです。僕は行くところがあるのでこれで」


 なんとなく話がまとまったところで脱出を試みるも彼女の手は相変わらず僕を掴んで離さない。自殺を決心して行動に移せるくらいだから意志が強い。その強さがあれば何でもできそうなものだけど、人にはいろいろあるんだろう。


 美人で意志が固くて、おまけにお金もありそうだ。身に付けているものが素人目で見ても高級だとわかる。目標もなく最難関大学を目指す浪人生よりかはマシな人生だからこれからもその華やかな生活を楽しんでほしい。


「でもあなたが私の人生を狂わせたのは間違いなでしょ? 終わるはずだった人生を続けさせたのはあなたなんだから」


「ですから、それは僕じゃなくてもたぶんそうしてますって。危ないから」


「そうかしら? 咄嗟に誰かを助けるなんて普通はできないわ。見て見ぬふり。事情聴取も受けたくないだろうし」


 真っすぐと僕を見つめながら発せられるその言葉に嘘はなさそうだった。自殺を食い止めた恩人に対して罵声を浴びせたのと同じ人物とは思えないくらい、僕の行動を評価してくれているように感じた。


「特に痴漢なんて酷いのよ。明らかに私のお尻を触っているのに周りの人は誰も助けてくれない。こっちは恐くて何もできないっていうのに」


「え……何もできないんですか?」


「当たり前じゃない! 知らない男に体をまさぐられて気持ち悪い上に、相手がキレてもっと酷いことをされるかもしれないんだから」


「意外です。なんか気が強そうだから」


「私は自分の努力とその結果を自覚しているわ。ま、努力している姿は見せないけどね。頑張ってますアピールは周りの同情を引こうとしてるみたいだから」


 美人は美人で大変なんだな。自殺を試みるくらいだからそれはそうなんだろうけど、全てを持っていそうな人でも苦労する世の中って、一体何なんだろう。僕なんかが生きていけるのだろか。


「と、いうわけで責任取って」


「全然話が繋がらないんですけど? それに僕があたなにできることなんて何もありません。どちらかと言えば僕がお礼される側じゃないですか? 命の恩人なんだから」


「命の恩人なんて恩着せがましいわね。人が覚悟を決めて死のうとしたのを邪魔したくせに」


「自殺かどうかなんてわからじゃないですか。貧血でフラっと倒れただけかもしれないんだから。こっちは本当に何も考えずに手が伸びたんです」


「へぇ……あなた、警察官でも目指してるの?」


「いえ、特に何も……なんとなく進学して、なんとなく就職するんだと思います」


「はぁ!? なんとなくで生きていけるわけないじゃない!」


「あの、もう少し声のボリュームを落として」


 存在しているだけで目を引く彼女が大きな声を出せば注目はさらに集まる。しかもその内容が人生とくれば尚更だ。冴えない男に人生を説く美人。僕らの関係性を妄想したり、なぜ僕みたいなやつがこんな美人と一緒にいるのか想像を膨らませているに違いない。


 歩きスマホをしてこっちに興味がなさそうなふりをしてチラチラと見ているのはわかってますよ。女の人が胸を見られているのを察知するのはこういう感覚なんだろうな。これからは気を付けよう。


「とにかく今日は死ぬ気が失せたわ。帰る家もないから責任取って泊めなさい」


「……泊めるってどこに?」


「あなたの家に決まってるじゃない。ゴミ屋敷でもない限りは文句を言わないわ」


「そんな勝手に決められても困ります」


「実家暮らし? 事情は私から説明するから安心して。もちろん、自殺を止められて迷惑してますなんて言わないわ。もう死ぬつもりだったからマンションを解約してしまって寝床がない。きちんとお礼もお支払いしますって」


「一人暮らしだからその辺は大丈夫です。いや、全然大丈夫じゃなくて。初対面の男の家に泊まりにくるって正気ですか?」


「あら、一人暮らしなら好都合じゃない。一晩泊めてくれるだけでいいから。何本か電車も行ったみたいだし、もう騒ぎを知ってる人はホームに居ないわね。さ、帰りましょ」


「待ってくださいよ。いきなり知らない人を泊めるなんて」


「城ケじょうがさき美鶴みつる。美しい鶴と書いて美鶴みつる。私に相応しい名前でしょ?」


「え?」


「知らない人を泊めるのに抵抗があるみたいだから名乗ったのよ。あなたは?」


「亀田勇気です。勇気を振り絞るの勇気です」


「名は体を表すってその通りなのね。勇気だけは認めるわ」


 コンプレックスを感じていた自分の名前を褒められたみたいでほんの少しだけ心が暖かくなった。でもそれ以上に自分の置かれている状況が芳しくないことに手足が冷たくなる。


 自殺を試みた彼女……城ケじょうがさきさんが名乗ったことに釣られて自己紹介をしてしまったけど、城ケじょうがさきさんが本名を名乗ったという保証はない。それに対して僕は思いきり本名を教えてしまった。


 僕が後から警察に相談したとして、偽名だったら捜査は難航する。反対に僕は本名も、そしてこれから恐らく住所まで知られることになる。強引に部屋に連れ込まれたと主張されたら一巻の終わりだ。


 今はまだ五月の頭。仕送りが入ったばかりなので財布に余裕はある。切り詰めるものは食費くらいしかないけど、空腹を我慢すれば後々面倒にならないと考えれば安いものだ。


「あの、僕がお金を出すのでホテルに泊まるのはどうですか?」


「一泊三十万円の部屋を用意してくれるなら考えるわ」


「は?」


「一泊三十万円の部屋。当日予約できるかわからないけど」


「そ、そんな高級なホテル無理ですよ」


「ね? でも亀田くんの部屋ならゼロ円でしょ?」


 城ケじょうがさきさんの笑顔が恐い。なんで自殺から助けたら恐喝されてるんだ。


「絶対に通報とかしないでくださいね?」


「通報? なんで?」


「……なんでもないです」


 不意を突かれたのか城ケじょうがさきさんがきょとんとした表情になる。美人局的なことを企んでいるわけではなさそうだ。


「ちゃんと宿泊代も払うし夕食も奢るから。なんなら明日の朝食も。でもこの辺で食べるのは厳しそう。何回か写真も撮られてるみたいだし。亀田くん、料理はするの?」


「いえ、いつもコンビニで」


「はぁ~、仕方ない。材料費は出すから私に料理をさせて」


「調理器具なんもないですけど」


「それも買うわ。荷物持ちよろしく」


 ずっと僕の手を掴んでいた彼女の手はほんのりと暖かくなっていた。まるで幽霊みたいだったあの瞬間に比べれば、間違いなく生きている人間だ。


 だいぶ身分の差があるように感じるけど、まるでカップルみたいに手を繋いで街を歩く。出会ってからまだ一時間も経っていない美人が今夜うちに泊まって手料理を振る舞ってくれる。


「僕、今日死ぬのかな」


 罵声を浴びせられたとはいえ、それを補って余りある幸運な経験だ。一夜を共にするということはもしかしたらそういう展開になるかもしれないわけで……興奮と緊張で手に汗をかくのを自覚する。


 汗にまみれた手を握り続けるのは気持ち悪いだろう。事実童貞だから仕方ないけどバカにしてくるに違いない。だけどその手を離した時がチャンスだ。名前だけで個人を探し出すのは難しい。


 そんな気力があるならきっとこの先も生きていけるはずだ。僕と城ケじょうがさきさんは住んでいる世界が違う。

 別に恩返しされたくて助けたわけじゃない。僕らの関係はここでおしまい。さあ、その手を離すんだ!


「勝手に人を助けておいて死なないでよ。亀田くんみたいな冴えない男と心中するくらいなら生きてる方がマシだわ」


 命の恩人に対してずいぶんな言いようだし、絶対に僕を逃がさないと言わんばかりに汗まみれの手はより強く握られてしまった。どうやら本当に責任を取らないといけないらしい。

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