1-3話目
ボンッと、音がしたのじゃないだろうか、と思うほど一瞬にして顔中に熱が溜まる。
恥ずかしすぎて幼い頃のように、思わずアル兄さまの胸に頭を埋めてしまった。
乙女心を擽る綺麗な整った顔に甘い笑みを標準装備した安心の王子さま設定は、十五年経っても少しも変わらず、それどころか、抱きしめられているからこそ分かる。細身でもしっかりとした筋肉質の身体に加えて、うっとりするほど良い匂いまで。
ああ、なんて素晴らしい。王宮の女官たちと
「ん? どうしたの? イチカ?」
すっかり固まってしまった私の後頭部に添えられたアル兄さまの手が、優しく動いて髪を梳く。荒れる私の心を慰めるように、ゆったりとしたアル兄さまの手の動きは、懐かしいあの頃と変わらない。
離宮の庭園の片隅ににある忘れられたような四阿で、与えられた寝室の大きなベッドの羽毛の肌掛けの中で、ひとりになれる場所を見つけては隠れて泣いていた私を探しだして、慰めてくれたアル兄さまの温かな手。
「泣く、恥ずかしい……アル兄さま。私、もう大きい。昔と同じ、甘やかす、ないです」
ふふッ、と声を出して笑う稀有なアル兄さまを驚いて見上げる。私ったら、見っともない顔をしていると分かっていたのに、アル兄さまの、美しい蕾が綻ぶような笑顔に、涙でぐちゃぐちゃになっているのも忘れてつい見惚れてしまった。
「あー、もう可愛いなあ。イチカは、全く変わらないね」
ううッ。変わらないというのは幼児の頃と比べても、大して成長していないということでしょうか。確かに私という原材料は変わらず、添加剤あるいは改質剤とも呼ばれるメイクという物を加えただけの十五年という月日だけでは劇的に美しくなれる要素なぞ、どこにもありません。変化というなれば、ささやかで慎ましい凹凸が生まれ身長が伸びたくらいでしょうか。が、いちおう妙齢と呼ばれる頃合いの女性でもある私は、それをどう受け止めたらよいかと悩みます、と言いたいのにアル兄さまの美しい笑顔に撃沈していた為、言葉にならなかった。
いや、それ以前に伝えられる自信がない。
私は現状、語彙も足り無ければ文法も怪しいのでしたね。色々と自覚があるだけまし。努力せねば、と思う。
今回だって、迷い込んだこの世界に、あとどのくらい存在出来るのか全くの不透明ではあるけれど。
「そうとなれば早速に、イチカが以前使っていた部屋を用意させよう」
ドレスや靴や宝石も必要だね昔のドレスも残してあるけれど流石にもう色々と大きくなったから着ることは出来ないし無理矢理に着せたとしてもそれはそれで******ではあるなと思ってしまう私も大概だなそれと秘密の**が徹底して**出来る専属の侍女も一人だけではあるが当てもあるし……と、おそらく言っているのであろうと推測するが、何しろどういったわけで興奮しているのか分からないが、アル兄さまの薄赤く染まった目元から滲む性的魅力は暴力的で半端ないうえに、早口で滔々と語るので、難しい言葉はあまり使われていないものの正確に聞き取れているかは、凡そ定かではない。
「お、落ち着いて、です? アル兄さま」
「いや、落ち着いている場合ではないんだ。実はイチカが、いまここに現れたのは****に違いないよ。早急に女王陛下に……母上に御報告にあがらねば」
「女王陛下? 母上さま?」
「ああ、そうだよ。母上が女王として即位したんだ。いまから三年ほど前にね。父上は王配殿下として政務に関わっておられるよ」
あの頃、母上さま、父上さま、と請われるままに呼んでいた。
王族。それも継承権を持ち王城内の宮殿のひとつに住まう高貴な方々。ここの世界で、どこの誰とも分からない私を受け入れ、保護してくれた人たち。
突然現れた怪しすぎる存在にも拘らず、勿体なくも三人の王子たちの妹のように扱ってくれた。あの頃は何も思わず、欲しいままに享受していたけれど。
大人になった今だから分かる。
それが、どれほど尋常ではなかったことか。あまりに異色で特別だったことか。
彼らが手を差し伸べてくれたのは、もの珍しさから、だけではない。
私が、言葉も分からない寄る辺ない幼い子供だったから、ではない。
彼らが、彼らであったからこそだ。
「イチカも一緒に、と言いたいが残念だが少し待って欲しい」
「行く、イキたい。一緒イク、無理です?」
「そう、だね。可愛くおねだりされると、なんだか……変な気分になっ……あー、いや。何でもないよ、うん」
「変? 気分? 気持ち良くない?」
「私は何かを試されているのかな?」
「……???」
微笑みを湛えたまま、私の髪を梳いていたアル兄さまの指先が、背中に滑り下りた。気まぐれに、輪郭を確かめ、なぞるような手の動きに翻弄され、腰の辺りが甘く痺れては耐え切れず、びくと身体を震わせてしまう。
ぎこちなく震える私の耳元に顔を寄せたアル兄さまが、低い声で囁く。話すたびにアル兄さまの吐息が掛かり、ぞわぞわする。
「良い子だから、このまま、この部屋に隠れておいで。ここには私の許可がなければ誰も入れないから。ああでも、いっそのこと、ずっと誰にも知れずに閉じ込めて置ければ、どんなにも良いのだが……実に残念だよ。少ししたら人を寄越そう。イチカも良く知っている人をね?」
なにか返事をせねばと、口を開こうとしたとき、ふっと、柔らかく熱いものが耳輪に触れ、ついに、ひうっと情け無い声が漏れた。少し遅れて、それがアル兄さまの唇だと気づいた私は、今度こそ、あまりの恥ずかしさに消えてしまいたいと息も絶え絶えに、ソファに崩れ落ちる。
部屋を出て行くアル兄さまが、流し目をくれながら、悪戯の成功した子供のような顔を肩越しに覗かせた。
やられた。
揶揄うのは、アル兄さまの得意とするところだったのに。十五年ぶりの再会と、見目麗しいアル兄さまの姿に舞い上がって私は、すっかり忘れていたのだ。
同時に、遠く離れたこの異世界で、失恋の痛みも、恋人と親友の裏切りも、このまま忘れられたら良いのに、と願う。
忘れる……消える……そう、そうか。
もしかしたら、そうなのかもしれない。
再びの異世界へ迷い込んだのは、私が私という存在を消したかったように、優奈と彼もまた、匂わせども察することの出来なかった愚鈍で邪魔な私が、消えてくれたらと願っていたからなのかもしれないと、ふと思った。
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