1-2話目 



 恥ずかしいことに、あの頃の私は周りの人たちに『可愛い妖精さん』と呼ばれていた。


 もちろん突然現れた、というのもある。知らない言語を話す、見たこともない黒目黒髪の幼い女の子、というのも。さらには着ていたベビーピンクのシフォンドレスの、ここ異世界では珍しいデザインと精緻で見事な刺繍のおかげで。

 しばらくして後から思い返し、あのときがピアノの発表会の日で良かったとしみじみとしたものだ。

 なぜなら、私の現れた場所が王宮で行われていた御歳九歳になられた第二王子の生誕を祝う年に一度のガーデンパーティの最中だったから。

 それでなくとも私は、とても運が良かったのだ。

 おそらくあの格好をしていなければ、あるいは王宮という特別な場所でなければ、言葉も分からない黒目黒髪の幼い女の子は、日本と比べても遥かに文明度の低いこの異世界では、無事に生きてはいけなかっただろう。沢山の偶然が重なった結果であり、きっと、どれかひとつが欠けても、今の私には繋がらなかった。

 

「驚いたな。だが、また会えて嬉しいよ、イチカ。すぐにでも****と言いたいのだけど、少し*****があってね。もちろんエドヴァルドとイェーオリにも……」


 ああ、もう待って。

 えーとあれから十五年? 自分で言うのも何だけれど、会話がある程度聞き取れて意味が少しでも分かるだけでも凄いと思うの。必要に駆られて必死で覚えた言語でも、使わなければ衰えていくのは当然。それに私の使っていたのは、言い回しも易しく幼児言葉に毛が生えたようなものだから、つまり……。


「ま、まってアル兄さま? 言葉とても、むずかしいですから、お願いしましょうゆっくり話して、です?」


 ううッ。言いたいことが上手く言えなくてツラい。オリ兄さまのちゃんとした名前も覚えていなければ発音も下手なうえ、これでは良い歳して舌ったらずで媚を売っているように聞こえるのじゃないかと思ったら、あまりの恥ずかしさで涙が滲み、どんどん顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。

 恐るおそる上目遣いで見上げれば、一瞬目を見張ったあとでオリ兄さまは片手で顔を隠し、すっと横を向いた。

 うん、ですよね。

 これはもう、呆れていらっしゃる。


「ごめんなさい。言葉、使わない。話す忘れて難しい、でした。怒るナイ?」

「……え? 私が怒っているかって? いや、そうではなくてね。そうじゃなくて、あーえっと……うん」


 相変わらず可愛いすぎる、と聞こえたのは都合の良い聞き間違いだと思われる。正しくは『可哀想すぎる』だろうから。

 いやもう相も変わらず、可哀想な頭で、ごめんなさい。

 あの頃、一生懸命に言葉を教えてくれたエドには、本当に申し訳ない限りです。

 そういえばアル兄さまの言葉にあった『エドヴァルド』? は、エドのことに違いないし、聞き取るのが難しかった『イェーオリ』? は、きっとオリくんのことだ。

 大人になった彼らにも、会えるのだろうか。さようならも上手く言えずに、ありがとうと伝えられぬまま消えてしまった私のことを、どう思っているのか。知りたくとも知るのが怖い。

 つらつらと考え事をしていた私が座るソファに、オリ兄さまが並んで腰を下ろした。

 え? どうして隣り?

 この広い部屋の中で……って、それよりも奥の方に見える天蓋付きのあれ、もしかして、ここは。


「あの、オリ兄さま?」

「ん? なにかな?」


 いや近い、近いから。

 分かりますよ。懐かしいあの頃を思い出してくださったのは。ただ、いくら懐かしいからとはいえ、さりげなく私の手を取るその流れるような仕草は、まさに王子さま仕様ですねと、言いたくても言えないもどかしさ。

 そして……。


「ここ、お部屋? 一緒? 二人きり? 寝るベッドある、ます。私、もしかもし、アル兄さま? 寝るですか?」


 もしかして、いま二人で居るこちらの部屋は、アル兄さまの寝室でしょうか?


 辺りを見渡したのち首を傾げた私と、手を取ったままのアル兄さまは、暫し無言で見つめ合った。


「…………」

「……?」


 どうも上手く通じなかったようだ。


「一緒いる、お部屋、ここは?」

「……………んんッ?! あ、うん……え? あ……ッ、そうか、そういうことか。それは、そうだよね。うんそうだね。ここは私室の寝室だよ。いや、思わず私は*****かと***を」


 もう一度尋ねてみれば、ようやく納得した、と言わんばかりに慌てて、ひとり頷いていらっしゃるアル兄さま。

 幼い喋り方の私につられてしまったのか、いや、私に合わせてくれているのだろう。帝王学や人心掌握術を学んだアル兄さまが、素で慌てるなどあり得ない。

 あれほどまでに毎夜泣いていた私が、再びの異世界で恐怖を抱かないように、子供から大人へと姿の変わったオリ兄さまに緊張しないようにと、気を遣ってくださっているのだ。歳を重ね、前にも増して色気を湛え近寄り難いほどに見目麗しいのに、あの頃と少しも変わらず優しいアル兄さまが嬉しくて、私は、そっと覗き込むようにして柔らかく微笑んだ。


「…………!!?!? あ、アル兄さま?」


 次の瞬間、私はアル兄さまの胸の中にすっぽりと収まっていた。思わず動揺してしまう気持ちを、必死に隠す。考えるまでもない。アル兄さまの中では、私はきっと、いつまでも庇護すべき小さな幼い女の子なのだろう。分かっていることなのに、そう思うとなぜか胸の奥がチリと痛んだ。


「恥ずかしい、ます。……あ、です。恥ずかしいです。私、まえよりふくらむ? えっと大きな……大きく? なったでしょう?」


 アル兄さまが、ぎゅっと腕に力を込めたので胸が潰れて苦しくて息が出来ない。


「あー、うん。そうだね。確かにあの頃とは比べようもなく大きいし柔ら*な**で**も****に***なく触れ**気持ちが***から直接**を目で****たいよ」


 おそらく会わない間の成長を惜しみ、再会を喜んでくれているのだろうけど、私の語彙が少ないこともあって、難しい言い回しは分からない。なので、分かるところだけで類推すると何となく卑猥に聞こえてしまうのは、私が悪いのだと思う。

 ああ、もう恥ずかしいったらない。


「アル兄さまも、とても素敵です。ぎゅうしてますと痛い。大きい。立派? 硬い? だから、いっぱいで苦しい?」


 私の拙い褒め言葉に、ぐっとアル兄さまの喉の奥が鳴った。


「……イチカ。それ***? もしかして****たり、していないよね?」

「ごめんなさい。むずかしい言葉、分からない、ます……です。もっとアル兄さま欲しい、おしゃぶり? ……あ、お喋り? いっぱいお口、練習するですから待っててくださいましょう?」

「あー、なんだろう。イチカは、そのままでも良いような気がする。……が、しかし私の***が***から、やはり**はして貰おうかな。楽しみにしているよ」


 なんとか通じたみたいで、ホッとする。アル兄さまと目を合わせ、二人で微笑み合う。


「ところでイチカは、何歳になったのかな? こちらはイチカが消えてから十五年だ。向こうの世界では、やはり時の***が***っているのだろうか」

「歳? ですか? 時、たぶん同じ、だから足す十五年。つまり、二十五歳なります」

「……んんんんッ?! 本当に?」

「はい」

「成人したばかりの十六、十七歳くらいだと思っていたのだけどね?」

「いいえ」


 にっこり笑う私を、アル兄さまが信じられないという顔で見ている。

 最初にこちらの世界に来たときも、七歳だと言う私の言葉を誰も信じていなかったなあ、と思わず遠い目をしてしまった。

 いくら言っても、指を出しても、二つも下の五歳だと決めつけられ、数も数えられない可哀想な子だという皆からの視線は、とても痛いものだった。

 どうしたって日本人は、若く見られる。

 ええ、全くもってその通りですとも。


「それならば、イチカはもうすでに***なのか? **ではない?」

「……? ***、言葉なにです?」

「あー、きこんしゃ。***は既婚者って……そうだな結婚、は意味分かる? 結婚しているの? 恋人は?」


 アル兄さまに悪気はないのは、分かっている。なぜなら、婚約者がいたり十六で結婚が当たり前のこの世界で二十五歳なんてのは、訳アリの不嫁後家いかずごけだものね。

 ああ、でも私も同じようなものか。

 結婚しよう、なんてあの言葉も嘘だった。ずっと、ずっと信じていたのは私だけ。

 彼と結婚するのも、彼の子供を産むのも、私が親友だと思っていた優奈だ。

 充分、立派に訳アリだった。

 ふふッと、笑い声が漏れた。

 同時に、温かなアル兄さまの手のひらで、私の頬がそっと柔らかに包まれる。

 親指で優しく目元を拭われて初めて、自分が泣いていることに気づいた。

 

「恋人、さよなら言われた、です。そして、気づいたら、いました。ここに。座って。アル兄さま、私、見つけてくれた。ありがとう」

「……そうか。今度こそ私がイチカを見つけられて良かったよ。前は、エドヴァルドの元だったけれど、私のために、私の傍に可愛い妖精さんが現れてくれていたらって、ずっと思ってたんだ。イチカ……可愛い妖精さん。私の目の前に現れてくれて、ありがとう」


 そう言って甘く微笑むと、アル兄さまの綺麗な顔が近づく。何を? と思う間もなくアル兄さまの唇が、ちゅっと音を立てて吸い取ったのは、零れ落ちる前の、私の目尻に溜まっていた涙だった。




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