十二話
「あの……」
レオンと並んで歩くマルファは、前を行くユーリに声をかけた。
「何だ?」
「ここって、王様がいるお城、ですよね」
「そうだが?」
「どうして私達をお城に……?」
「もちろん、君達を紹介するためだ」
「一体、誰に……」
落ち着かない様子のマルファに振り向いたユーリは、口の端に笑みを見せて言った。
「会えばわかる」
何かを期待させるような口調に、マルファとレオンは視線を交わし、ただ得体の知れない緊張を感じるしかなかった。
あの火事の翌日、言う通り訪ねてきたユーリは、保護者であるスベトラーナの了承を得て、二人を都の中枢へ連れてきたのだが、レオンもマルファも、まさか王城に連れてこられるとは思ってもいなかった。招かれると言っても、行き付けの店や、せいぜい仕事場で仲間に紹介されるものと考えていた二人は、周囲に見えるきらびやかな景色に、何かの間違いではと自分の頬をつねって確かめたい気分だった。
広く長い廊下には、三人の足音だけが響き渡る。左右には巨大な石柱が立ち並び、その間からは陽光が差し込んで、真っ白な床を光輝かせていた。高い天井を見上げると、石柱の一本一本に神話の神や動物が精巧に彫刻されている。その見事な迫力と美しさに二人が見惚れていると、前にいるユーリの足が止まった。その正面には、大きな両開きの扉と、二人の兵士が立っていた。
「ユーリ・ゾラハだ」
名乗ると、兵士達はすぐさま敬礼する。
「はっ。うかがっております。お入りください」
兵士は扉を重々しく開けていく。ギギギ、と低い音を立てながら、扉は目一杯に開かれた。その先に見える景色に、レオンとマルファは緊張を隠せない。
「硬くなることはない。聞かれたことに答えればいい」
そう言ってユーリは中へ入っていく。ここまでの城内も、街中とは違って静まり返り、独特な雰囲気に包まれてはいたが、目の前の広い部屋はそれ以上に特殊な空気が流れていた。立ち入るのを思わず躊躇してしまいそうな、今までに感じたことのない雰囲気……。二人は一つ息を吐いてから、ゆっくりと歩を進ませた。
「お連れいたしました」
ユーリは正面に向かって頭を下げると、端へすっと移動する。レオンとマルファはどうしたらいいのかわからず、ただその場に立ち尽くしていた。
「さあ、陛下にご挨拶を」
ユーリに促され、二人は正面に座る人物を凝視した。
「陛下って……」
心の声が思わず口から漏れていた。一段高い場所の、金細工の施された立派な椅子に座る白髪の男性――この人物こそ、城の主で、王国を治める国王だと知り、二人は驚きに目をしばたたかせた。国王は当然、庶民が会えるような人間ではなく、その顔を知らない者がほとんどだった。それがなぜ今、こうして目の前にいるのか、レオンとマルファは驚き過ぎて実感を得られず、ただ呆然としていた。
「早くご挨拶を――」
「よい。急かしてやるな」
ユーリの声を国王は止める。そして驚きに固まる二人に目を向けた。
「いきなりこんな場所に連れてこられては、言葉も出なくなるだろう。だが、わしは国王と呼ばれても、所詮こんな見てくれだ。ただの老人と話すだけと思えば、そう緊張もしまい」
穏和な口調にしわの刻まれた微笑みは、確かに優しげな、どこにでもいる老人ではあるが、その眼差しだけは、やはり国王だった。笑っていても、細めた瞳の中には老人らしからぬ力が宿っていた。しっかりと揺るぎなく、相手を見つめ、とらえる。まるで猛禽類の、標的を射抜くような力強さが感じられた。やっぱりこの人はただの老人じゃなく、国王なんだ――レオンは畏れを覚えながら、玉座の王を見つめた。
「名は何と言う」
「……レオン。と、こっちがマルファです」
「若そうだが、歳は」
「二人とも、十八です」
「ふむ、普段は渡し船をしているそうだな。その合間に火事を消してくれたとか……。民を助けてくれたこと、礼を言うぞ」
「いえ、どういたしまして……」
返答の仕方がよくわからず、こう返したレオンを、マルファは冷や冷やした目で見る。その様子を見ながら国王は続けた。
「聞いたところによると、お前達は風使いの一族だそうだな」
「はい」
「風を操る力は渡し船で活用しているそうだが、それ以外では使わぬのか」
これにレオンはマルファと顔を見合わせる。
「……身を守ること、くらいです」
「他にはない力を持っておるというのに、それはもったいないことだ……提案なのだが、その力、王国のために使ってはもらえぬか」
「それは、どういう……?」
首をかしげるレオンに、国王は微笑みを消すと言った。
「最近、貴族や高官を狙った不穏な事件が続いておる。お前達が消した火事、あれも高官を狙ったものだ」
「じゃあ、あの火事は意図的に……」
「そうだ。警戒を強めるよう通達しておったのだが、広い都の隅々まで目を光らせるのは難しい」
「誰がそんなことを……何のためなんですか」
「暴力主義者達が、自分達の不満を裕福な人間にぶつけておるのだ。そこに政治的主張などない。そやつらは、日々感じる不平や鬱憤は、すべて我らの責任と勝手に決め付けておる。上手くいかないのを人のせいするのは簡単なことだ。そうして己を正当化するのが、どれほど幼稚なことか、そやつらは気付く頭を持っておらぬようだ」
そんな事件が起きていることをまったく知らなかった二人は、じっと国王の話に聞き入った。
「報告によれば、各地区に散らばるそやつらは、不正な方法で武器を集めておるらしい。最近も、隠されておった武器が押収された。だが、それはほんの一部に過ぎぬだろう。こちらの見方では、準備は着々と進み、近いうちに決起するものと見ておる」
「決起? このお城や、王様を襲いに来るっていうことですか?」
「そういうことだ。そう易々とここに入れるつもりはないが、そやつらの目標はここだけではない。役所や貴族達の屋敷など多くある。我らはそのすべてを守ってやらねばならぬ」
「じゃあ、決起される前に、そいつらを早く捕まえないと――」
「そやつらはいくつもの班に分かれ、特定の場所にはとどまらぬ。ようやく見つけ、捕まえたとしても、他の仲間にはつながらぬのだ。決起は遅らせられるが、それでは解決にならぬ。そこで――」
国王の目の鋭さが増した。
「我らは、決起が始まるまで待つことにしたのだ」
「それは、どうしてですか?」
「そうなれば、隠れていた者達も一斉に出てくる。そこを我らが一網打尽にする。それならば短期間でそやつらの組織を壊滅させることができるはずだ」
なるほどと思うレオンだったが、疑問があった。
「でも、俺達の力は一体何の役に立つんですか? 風だけじゃ何にも……」
「何を言っておる。お前達風使いの力が有効なのは、歴史が証明しておるではないか」
「……歴史?」
レオンとマルファは揃って小首を傾げた。
「自分達の歴史を、知らぬと言うのか」
二人は顔を見合わせる。自分達の祖先がどんな暮らしをしてきたかは聞いたことがあったが、細かな内容までは聞いた覚えがなかった。
「……そうか。ならば話してやろう」
国王は一息置くと、二人を見据えた。
「我が王国と、お前達風使いとは、実は深い縁があるのだ。その昔、近隣諸国との戦いに明け暮れていた時代、我が王国には風使いの一族が住んでおったのだ。お前達の先祖と言ってよいだろう。彼らは時の王に乞われ、王国軍と共に攻め寄せる敵軍と戦ったのだ。その強大な風の力は、あらゆる敵を吹き飛ばし、王国に仇なす者は何人も近付けなかったという。それはまさに無敵と称され、近隣諸国もその力を恐れて侵攻を中断せざるを得なかった」
レオンとマルファは目を丸くして聞いていた。国王の話は初めて聞くことばかりだった。かつて王国に住んでいたことも、当時は掟に反したことをしていたのも、村の大人は誰も教えてくれなかった。それとも、誰も知らなかったのだろうか。どちらにせよ、この歴史はレオンとマルファを大いに驚かせるものだった。
「しかし、風使いの一族は王国から忽然と姿を消してしまったのだ。理由は様々に伝わっておる。戦いに疲れたため、自分達の国を興すため、己の力の強さを恐れたため……。真相は今もわからぬ。歴代の王は戦いが起こるたびに一族の行方を捜し求めたが、誰も見つけることは叶わずにいた。それが、これまでの長い歴史だった……」
すると国王はおもむろに立ち上がると、二人の元へゆっくりと歩み寄ってきた。
「だが、私の代で、ようやく叶ったのだ。風使いであるお前達との出会い……これは、まさに運命と言える。そう思わぬか?」
微笑みを浮かべる国王を、二人は真剣な表情で見つめていた。
「かつてのように、また力を貸して欲しい。王国の安寧のために、協力してはくれないだろうか」
国王自らが頼んでいた。こんなことはあり得ないことと言っていい。それほど自分達を必要としているわけで、レオンもマルファも国王の言う通り、これは本当に運命なのではと思わずにはいられなかった。
「レオン、協力しましょ。王様の頼みなのよ? 私達の力で都の安全に貢献できるなら、掟を破ってもいいと思うの」
マルファの意外な言葉に、レオンは思わずその顔を見つめた。以前は真面目に掟を守っていたマルファだが、しかし初めて知った一族の歴史を聞いた後では、掟に何の意味もないと思わざるを得ない。むしろ積極的に役立てるべきだとさえ感じる。風使いが時の王に協力したおかげで王国は戦いに勝った。王を助け、ひいては民を助けたおかげで、現在も王国はこうして存在しているのだ。かつての風使いは力を人助けに活かしていた。今もそれを求められていて、もはやレオンに断る理由はなかった。
「……協力、します。させてください」
隣でマルファが嬉しそうに笑った。
「うむ、よく言ってくれた。感謝するぞ。お前達の力、この王国のために存分に発揮させるのだ」
「はい」
かしこまる二人の肩を、国王は軽く叩いて笑う。
「ひとまず今日は帰るとよい。こちらの予定が決まり次第、ゾラハにお前達を迎えに行かせる。それまでは仕事に精を出すがよい。ご苦労だった」
「わかりました……失礼します」
小さく頭を下げ、レオンとマルファは踵を返す。広間を出て、扉の向こうへ二人の姿が消えると、国王は再び玉座に腰を下ろした。
「……ゾラハ」
呼ばれたユーリは国王の側に寄る。
「よい拾いものをしたな」
「はっ」
「だが、信用できるのか?」
「そこに関しましては、まだ十代と若く、教育でいかようにもなるかと」
国王は、ふっと笑みをこぼす。
「そうだな。自分達の歴史さえまともに知らなかった無知な若者だ。中途半端に歳を重ねた者よりはやりやすいか」
背もたれに体を預けると、国王は射るような目付きでユーリを見た。
「しかし、油断はならぬ。せっかく拾ったものに逃げられては困る。あの者達には常時監視を付けておけ」
「承知いたしました」
「面倒と使い道は、ゾラハ、お前に一任する。必要なものがあれば遠慮なく言え」
「はっ」
「……時を経て、ようやく神の息吹が届いたか」
国王は深いしわの刻まれた顔を、にやりと歪ませた。
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