八話

「やっと、森を出たの……?」


「……みたいだな」


 レオンとマルファは開けた景色を見ながら足を止めた。岩混じりの草原の向こうには、林と小高い丘、そして夕闇に染まった空が見えた。


「ちょっと、川で水飲んでいい? 疲れちゃって……」


「ああ、俺も飲む」


 二人は川に手が届く場所まで下っていくと、そのほとりにかがみ、冷たい水を両手ですくって飲んだ。


「……レオン、頭に葉っぱ付いてるわよ」


 マルファはかがむレオンの髪に付いた小さな葉をつまみ取る。


「お前も、体にいっぱい枯れ葉付いてるぞ」


「あ……本当」


 上着やスカートに付いた葉をマルファは払い落す。


「……都は、あとどれくらいで着くのかな」


「さあ……。とにかく、この川をたどっていくしかない」


 レオンは立ち上がると、マルファと共に再び川沿いを歩いていく。その足取りは鈍い。 母親に助けられたレオンとマルファは、言われた通り川を見つけ、それをたどって都を目指していた。しかし森は広大で、川も二人もなかなか森を出られなかった。獣や山賊と遭遇する恐怖は続き、長い休憩は取れない。その上厳しい寒さで、眠気が襲ってきても寝ることはできず、体が冷えないよう歩き続けるしかなかった。そんな調子でほぼ一日歩き続けていた二人の体力は、森を抜けた現在、ひどく消耗していた。どこか安全な場所で休み、眠らなければ、都まで持ちそうになかった。


 へとへとな体で、それでも止まらずに歩き続けていた時だった。


「……ねえ、あれって、家?」


 マルファが前方を指差したのをレオンは見る。薄暗い先にあったのは、ぼんやりと浮かび上がる一軒の家だった。だが、そのどこにも明かりは見えない。


「空き家かもしれない」


「行ってみる?」


 ああ、とうなずいて、レオンはその家に向かった。


 家の裏手に来た二人は、様子を静かにうかがう。石造りの家は、屋根の上に煙突があったが、そこに煙は見えない。窓からこっそり中をのぞいてみても、やはり明かりはなく、しんと静まり返っていた。人の気配は感じられない。だが、家具などは揃っていて、生活感はうかがえる。今はただ留守なのかもしれなかった。


「誰もいない……どうする?」


「……玄関に回ろう。入れるか確かめる」


 二人の体は疲れ切っていた。一晩だけでも休めればという思いで、レオンは家の正面に回った。


「レオン、勝手に入る気?」


「外で寝たら凍え死ぬ。別に泥棒するわけじゃない」


 言って扉に手をかける。が案の定、しっかりと鍵がかかっていた。


「しょうがない……窓から入ろう」


「窓って、どうやって?」


「割るに決まってるだろ」


「ガラスを割るの?」


「割らなきゃ入れない」


「待ってよ。そんなことして家主が帰ってきたら――」


「その時は説明して誤解を解く」


「信じてくれるかわからないわ」


「じゃあマルファは一人で凍え死ぬか?」


「それは、嫌だけど……」


「一晩だけだ。許してくれるよ」


「誰が許すんだ?」


 二人は弾かれたように振り向く。と、すぐ目の前には、眼光鋭く見下ろしてくる、ひげを生やした男性が立っていた。肩には血の付いた小鹿が担がれていて、その姿に二人は思わず息を呑んだ。


「一晩ここで、何をする気だ」


 男性の細い目がレオンを見据える。


「……あんたは、ここの家の人か?」


「そうだ」


「じゃあ、お願いがあるんだ。一晩、俺達を休ませてくれないか」


「……どうして」


 冷めた目の男性に、マルファも言う。


「私達、森をずっと歩いてきて、すごく疲れてて……休める場所がなかったんです」


「森? ……お前達、どこから来た」


 レオンとマルファは顔を見合わせ、言った。


「川の、上のほう……」


 これに男性は一瞬、細い目を丸くしたが、次には口の端を上げて言った。


「俺は、子供と縁があるらしい」


 首をかしげる二人には構わず、男性は玄関の鍵を開け、扉を開いた。


「……入れ」


 男性の後に続き、二人は家の中へ恐る恐る入っていった。


「お前達、名前は」


 肩の小鹿を下ろしながら男性は聞いた。


「俺はレオン。で、こっちがマルファ」


「そうか……俺はレビナスだ」


「あの、本当に休ませてくれるんですか?」


「でなきゃお前達は入れない」


 この言葉に、二人は安堵の表情を見せた。


「ありがとうございます」


「礼はいい。……お前達も、誰かに追われてるのか」


「え……?」


 二人は不思議そうにレビナスを見返した。


「……違うのか」


「どういうことですか?」


 マルファが聞くと、レビナスは台所へ行き、何かを用意しながら話し出した。


「半月くらい前に、そこの川で倒れてた子供を保護した。そいつはお前達と同じように川上からやってきて、誰かに追われてると言った。この辺りを子供だけでうろついてるのは珍しい。だからお前達も同じ事情なのかと思ったんだが」


「俺達は、追われてはないけど……」


 レオンはその先の言葉を飲み込んだ。


「……別の事情があるか」


 そう察するも、それを聞くことはなく、レビナスはナイフで野菜を切り始める。


「俺が助けた子供は、お前達の知り合いじゃないか? 名前はミコラスといったか……」


 はっとする二人の気配に、レビナスは手を止め、顔を向ける。


「……知り合いか」


「ミコラス……本当にミコラスって言ったのか?」


 山賊の話から、ミコラスはすでに死んでいると思っていたレオンには、すぐに信じることはできなかった。


「確かに、ミコラスだった」


「ど、どんな顔だった? 背とか髪の毛とかは?」


「髪は切り揃えられた金色、背はお前達より小さい。緑の目の、九歳前後の少年だ」


 レオンはマルファを見た。マルファもかすかな笑みを浮かべてレオンを見る。すべてがミコラスの特徴と合っていた。年齢はレオン達と同じ十三歳なのだが、そのあどけない顔立ちと小さな体のせいで、数歳幼く見られるのが常だった。間違いなく本人だ。ミコラスは、生きていた――レオンはそう確信できた。


「……俺の、親友だ」


 感極まりそうにレオンは言った。


「そうか……」


 レオンをいちべつしたレビナスは、また野菜を切り始める。


「……親友に会いに行くか?」


「居場所、知ってるのか?」


「ああ。都にいる俺の娘のところだ」


 レオンはたまらず、台所のレビナスに駆け寄った。


「行く! 場所教えてくれ」


 そんなレオンを見て、レビナスはふっと笑う。


「親友に会えるなら、疲れも吹っ飛ぶか……。その前に飯にする。教えるのはその後だ」


 それから二人は、レビナスの作った料理をごちそうになった。野菜のスープと少し硬いパンは、絶品とまでは言えない味だったが、疲れて空腹の二人を十分に満足させた。マルファはお礼と言って皿洗いをし、その間にレオンはレビナスが捕ってきた小鹿の解体を手伝った。紙とペンとインクを手に、レビナスが机についたのはその後だった。


「おい、こっちに来て座れ」


 レオンとマルファは隣の部屋で暖炉に薪をくべていたが、呼ばれていそいそと向かう。椅子に座った二人の前で、レビナスは紙に地図を書いていく。


「……それは?」


「都の、娘の家までの地図だ」


「そこにミコラスがいるのか?」


「あいつにも同じものを描いて渡した。方向音痴でなきゃ、ここで世話になってるはずだ」


「娘さんの名前は?」


「……スベトラーナだ」


 レビナスは描き終えた地図をレオンに渡す。


「お前達も行くところがないなら世話になれ。娘は商人だ。手伝えば喜ぶ」


「わかった……ありがとう」


 立ち上がったレビナスはペンとインクを片付けながら言う。


「毛布を持ってくるから、お前達はそっちの部屋で寝ろ」


 一旦奥の寝室へ消えたレビナスは、分厚い毛布を二枚抱えて戻ってくると、暖炉の部屋に置いて再び寝室へと消えていき、それ以降出てくることはなかった。後は好きに寝てくれということらしい。少しぶっきらぼうだが、親切なレビナスに感謝しつつ、二人は暖かな暖炉の前に寝転がると、それぞれ毛布にくるまった。


「ミコラス、生きてたんだね」


 マルファが小さな声で話しかけた。


「……ああ」


「レオン、嬉しい?」


「当たり前だろ」


「私達のせいで、死ななくてよかった」


 その言葉に、レオンはかすかな違和感を覚え、表情を曇らせた。


「……でも、見捨てて逃げたんだ。俺達は……」


「あの時は仕方なかった。三人とも捕まるわけにはいかなかったんだから」


「会ったら、謝らないとな……許してくれるか、わかんないけど」


「ミコラスは優しいから、きっと大丈夫よ」


「マルファには特にな」


 これにマルファは、隣のレオンをちらと見た。


「……そういうの、やめて」


「何だよ、そういうのって」


「私、ミコラスのことは何とも思ってないから」


 しばしの間があって、レオンは言った。


「……気付いてたのか? ミコラスの……」


「誰が見たってばればれじゃない。正直、ちょっと迷惑だった」


「迷惑って、そんな言い方な――」


「じゃあ私の気持ちはどうなるのよ。本心隠して、ミコラスに優しくするべきだったの?」


「ミコラスが嫌いなら、もっと早くにそう――」


「嫌いなんて言ってないでしょ」


 レオンは思わず眉間にしわを寄せる。


「お前の本心は、嫌いだったから迷惑なんじゃないのかよ」


 するとマルファは急に体を起こし、隣のレオンを見つめた。


「違う! 迷惑だと思ったのはミコラスが嫌いだからじゃなくて……」


「じゃなくて、何……?」


 視線を泳がせながら、マルファは絞り出すように言った。


「ミコラスが私を好きだと、レオンが……私を見て、くれないから……」


 暖炉の火がマルファの横顔を明るく照らす。顔を伏せ、赤い唇の端を噛んでいた。その横に流れる金の髪が、火の揺らめきで輝いていた。


「……何か、言うこと、ないの?」


 呆然としていたレオンは、そう言われて我に返った。


「それが、お前の本心……?」


「……そうよ」


 マルファは視線をそらして答える。知らなかった――レオンは今初めてマルファの気持ちを知った。思い返せば、森につながれていた時、そんな素振りも感じたレオンだったが、それは怯えと弱気から出たものだと思い込ませていた。だが本当はどこかで気付いていたのかもしれない。しかし親友の好きな相手だからと、気付かないふりをしていた。ミコラスのために……。


「俺は……」


 そらされていたマルファの目が、何かを期待するようにレオンを見つめた。


「俺は……まだ、わからないよ」


「え……?」


「自分の気持ちがわからない。まずはミコラスに会ってみないと……わかるのは、それからだと思う」


 拍子抜けした表情を浮かべるマルファだったが、すぐに苦笑して言った。


「男って、これだから嫌。はっきりしてくれないんだもん。はあ……寝坊したくないからもう寝るわ。おやすみ」


 再び横になったマルファは、そう言って毛布を頭までかぶった。


「……ああ、おやすみ」


 あっさりと終わった会話に、レオンも毛布をかぶり、マルファに背を向けた。


「都に行くの、楽しみね」


 不意の声にレオンはちらとマルファを見る。


「……そうだな」


 返すも、マルファは毛布をかぶったままだった。今度こそ静寂が訪れ、部屋には薪の燃える音と、二人のかすかな寝息だけが聞こえていた。夜明けは、もう少し先のようだった。

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