七話

 ミコラスは順調に進んでいた。晴れた空の下、林や草原の中を通る道をまっすぐに歩いていた。レビナスの言った通り、迷うこともなく、思いは目的地の都へ向かう。一体どんなところなのだろうと心と弾ませていると、徐々に道には人の姿が見えるようになってきた。皆、村では見たことのない服を着ていて、ミコラスはすれ違うたびにその姿を興味津々に眺めていた。


 点々といた人影は次第に増えて、それに混じって馬や荷馬車なども往来し始めていた。村では感じられないせわしい喧騒に、ミコラスは妙な高揚感を覚えつつ、都へひた進む。


「……あ、あれが都……?」


 ふと視線を上げると、道の先には無数の大きな建物の並ぶ景色が広がっていた。四角だったり三角だったり、屋根の形は様々だ。中でも一番大きく目立つのは、大小の尖塔に囲まれた、白く美しい王城だった。他の建物より高い位置に建てられているのか、遠くからでも際立ってよく見えた。外界のことを何も知らないミコラスでも、そこに国王がいることくらいはわかっていて、もっと近くで見てみたいという好奇心を抑えられず、足は自然と速くなっていた。


「わっ……ごめんなさい」


 都の景色に夢中になりすぎて、すれ違った男性の腕にぶつかったミコラスはすぐに謝った。相手はいちべつしただけで何も言わず通り過ぎていく。気を付けなければと思い、ミコラスは再び進む。


 異変を感じたのは、それから間もなくだった。物珍しげに辺りを見ていたミコラスだが、何となく自分の背後に感じる気配に、さりげなく振り向いてみる。するとそこには、先ほどぶつかった男性の姿があって、連れと思われるもう一人の男性と共に、ミコラスの後ろを付いてきていた。この道は一本道だ。それる道はなく、最初は思い過ごしだと思ったミコラスだったが、何度か振り返っても、男性は必ず後ろにいて、子供のミコラスを追い越す様子もなかった。やっぱりおかしい――疑心の中に不安が湧く。


 落ち着かないミコラスだったが、人通りが途絶えたのを見て、一気に道を駆け出した。その先には都の城壁と大きな門が見える。もう少しで着く――


「ねえ、ちょっと待って」


 背後から肩をつかまれ、ミコラスは驚きに跳ねながら振り返った。


「ああ、悪い。驚かせたね……」


 呼び止めたのは、あの不審な男性二人だった。警戒するミコラスに、肩をつかんだ男性が何かを差し出した。


「これ、さっき落としただろ」


 目の前に出されたのは、折り畳まれた小さな紙だった。


「……あっ」


 はっとしたミコラスは自分のズボンをまさぐるが……ない。男性とぶつかった際に落としたのだと今気付いた。


「ありがとう、ございます」


 ミコラスはうつむきながら紙を受け取る。男性はこのために後を付いてきていたのだとわかると、怪しんでしまったことが申し訳なく感じるミコラスだった。


「その中、見ちゃったんだけど……君、どこから来たんだ?」


「それは……えっと……」


 言い淀むミコラスだったが、男性は構わず質問をする。


「都へは何しに行くの?」


「ある人に、会いに……」


「約束してるのか?」


「そうじゃないけど……」


「都は初めて行くのか?」


「は、はい……」


 男性はミコラスをなぜか質問攻めにしてきた。どうしてこんなに聞いてくるのか、不思議に思いながらも答えるミコラスだったが、なかなかやまない質問に、思い切って言った。


「あの、僕、急ぎたいんで……ごめんなさい」


「急ぐ用があるのか?」


「用というか、その……」


「ないならもう少し話そうよ、ね?」


 男性は人のよさそうな笑顔で引き止めようとしてくる。その傍らで、連れの男性はずっと黙ったまま、ミコラスをじっと眺め続けていた。地図を拾ってくれた親切な人かと思ったが、ここへきてまた怪しみ始めたミコラスは、男性の声を無視して都へ走り出した――が、すぐに腕をつかまれ、引き止められてしまう。


「おっと、いきなり走ったら危ないぞ。人がたくさんいるんだから」


 そう言って男性は人通りのある道からミコラスを脇の林の中へ連れていく。


「ぼ、僕は都に――」


「わかってるよ。ここなら人がいないからゆっくりしゃべれるだろ?」


「僕は、もう話すことなんて――」


「都へは俺達が連れてってあげるよ。どうかな」


「い、いいです。一人で、行けます」


 ミコラスはつかんでくる男性の手から離れようと後ずさるが、そうするたびに腕は逆に引き寄せられる。


「お金はある? 腹が減ってるならご飯でも食べないか? おごってあげるから」


 男性はにこにこ笑っているが、その目だけは冷静にミコラスを見ていた。何かたくらんでいる――危険を感じたミコラスは、男性の隙を見て、その向こうずねを思い切り蹴った。


「った! この野郎――」


 痛みに男性の力が緩んだ瞬間、ミコラスはつかむ手を振りほどき、林の奥へ逃げ出した。


「おい、追え!」


 男性は連れに指示し、自分もそれを追いかけていく。その気配を感じながら、ミコラスは必死に林の中を駆け抜けた。その胸には、得体の知れない二人の男性に対しての恐怖が増していく。一体何者なのか。何が目的なのか。自分をどうするつもりなのか……。わからないことばかりだが、男性の言うことを聞いてはいけないことだけはわかっていた。あの二人から離れないと――それだけを考え、ミコラスは駆ける。


 だが、駆けた先には大きな岩壁が立ち塞がっていた。見上げる高さはよじ登るのも困難で、左右を見ても岩壁は途切れず続いている。完全な行き止まり――ミコラスは行き場をなくした。


「俺はこっちを見る。お前は向こうを捜せ」


 男性の声が間近に迫っていた。ミコラスは周囲を見回すと、一番太い木の陰に身を隠した。その他に隠れられる場所はなく、そうするしか術がなかった。後は男性が通り過ぎていくのを祈るだけだった。


「……行き止まりか……どこに隠れた」


 男性がとうとう岩壁までやってきた。ガサ、ガサ、と歩き回る音が不気味に聞こえる。


「どうせ木の裏にでも隠れてんだろ。出て来い。今なら許してやるぞ」


 許すと言いながら、その口調はやけに荒々しい。ミコラスは一層身を縮め、息を潜めた。


「何もしないから、出てきて話そう」


 男性は見えないミコラスに話しかけながら、隠れるミコラスの位置から徐々に遠ざかっていく。このまま、戻らずに離れてくれれば――そう祈った時だった。


「……うあっ」


 ミコラスは突然背後から首根っこをつかまれ、思わず声を漏らす。


「ふん、ちょろちょろしやがって」


 首をつかんでいたのは、もう一人の連れの男性だった。


「おい、いたぞ。こっちに――」


「は、放せ!」


 ミコラスは全身を使って暴れ、男性の手に爪を立てる。


「ちっ……静かにしろ」


 苛立った様子で男性は、ミコラスを地面に放る。しかしすぐに胸ぐらをつかみ、立ち上がらせた。


「痛い目に遭いたくなければ、大人しく――」


 ミコラスは胸元の男性の手に、がぶりと噛み付いた。


「うぐっ……てめえ!」


 直後、ミコラスの左頬に拳が飛んできた。鈍い音が頭に響き、次には痛みとめまいが走った。


「……おいおい、何してんだよ」


 捜しに行っていた男性が連れの元に戻ってくると、足下に倒れるミコラスを見て非難めいた目を向ける。


「こいつ、噛み付いてきやがった」


「そのくらいでキレるなよ。大事な商品になるんだぞ。……で、本当に商品になるのか?」


「大丈夫だろう。顔も悪くないし、体も小さい。八歳から十歳といったところか。向こうの要望には当てはまってる」


「そうか……やれやれだ。連れてきた子供が死んだ時は、この話もぱあかと思ったが、まさかこんなに早く代わりが見つかるとはな」


「でも、本当に身元は心配ないのか」


「この格好はどう見ても都の人間じゃないだろ。地図を持ってたってことは、どっかの田舎の子供だ。一人で何しに来たかは知らないが……まあ売っちまえばこっちのもんさ」


 ミコラスはくらくらする頭で二人の会話を聞いていた。そしてその正体を知る。奴隷商人――山賊が話していたことを思い出す。ミコラスは山賊に捕まり、奴隷商人に売られるところだったが、滝に飛び込み、レビナスに助けられた。レビナスの娘がいるという都へ行けば、もう心配はないはずだった。それが、その一歩手前で、まるで振り出しに戻されたような状況だった。結局自分は奴隷として売られるのか――いや、振り出しには戻らない。戻りたくない……!


「……う……くっ……」


 ミコラスは軽いめまいに襲われながらも、倒れた体を起こそうと腕を立てた。


「……ん、平気か? 頬が腫れてるな」


 男性は顔をのぞき込もうとする。


「やめとけ。噛み付かれるぞ」


 そう言うと、連れの男性はミコラスの胸ぐらをまたつかんだ。


「腫れはじき引く。こいつは暴れるからな。まだ眠っててもらう」


 男性の拳が振り上がり、それが横っ面に食い込んだ。その瞬間、ミコラスの意識は暗闇の中へと消えた。

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