六話
レオンはベッドの上で目を覚ました。周りは当然ながら暗い。時間はわからないが、おそらく夜中だ。レオンの体によく眠ったという感覚はない。目が覚めたのは、家の外から頻繁に物音や声が聞こえてきたからだった。何かが落ちる音、転がる音、蹴飛ばされる音……。その中に混じって男性の怒鳴り声や女性の悲鳴らしき声がする。
「山賊……こんな時間に……」
レオンは体を起こし、すぐ隣のベッドを見た。そこにはすでに起き上がり、玄関の扉を注視する両親がいた。母親はレオンに気付くと、不安そうな表情で静かにしていなさいとささやいた。
前回の略奪からは、まだ一ヶ月も経っていなかった。こんな短期間で来ることは今までになく、しかも深夜に行われることも初めてだった。いつもとは違う山賊の行動に、レオンが胸騒ぎを覚え始めた時だった。
ダンッ、ダンッ、と扉が強く叩かれた。どうやら足で蹴っているようだ。両親はベッドから下りて身構え、レオンも靴を履いて扉を見据えた。鍵と蝶番は強い衝撃で徐々に曲がっていく。そして次には、バタンと大きな音と共に扉は破られ、それを踏んで山賊の男が一人入ってきた。
「おら、客が来たぞ。食い物出せ」
山賊は部屋中を見回しながら両親に向かって言った。
「……食べ物は、向こうだ」
父親は部屋奥の台所を示す。ずかずかと入り込んだ山賊は、台所の棚や調理器具などを荒らしながら、食料をあさる。
「……けっ、しけてんなあ。もっとましなもんはねえのかよ」
山賊はやせ細った小さなかぶを取ると、それを両親の足下に投げ付けた。やせ細っていてもレオン達には冬の貴重な食料なのだが、山賊には物足りないらしい。
「食料は、そこにあるものだけだ」
感情をこらえる父親が言う。
「本当か? どっかに隠してんじゃねえのか」
「食料が少ないのは、あなた方が奪っていってから間もないせいで、隠しているなんてことは……」
母親は困惑した様子で答えた。それに山賊は鋭い目を向ける。
「俺らが奪ってる? 今、そう言ったか?」
母親は、はっとしたように表情をこわばらせた。
「い、いえ、そんなことは……」
「いいや、そう言ったな。俺らは奪ってんじゃねえ。貰ってんだ。てめえらをこの山にいさせてやってる礼としてな……」
すると山賊は、つかつかと母親の前まで歩み寄ってきた。
「妻は言い間違えただけだ。だから何も――」
「うるせえな。しつけくらいやっとけよ」
かばいに入った父親だったが、山賊に押しのけられてしまう。
「次また馬鹿なことぬかしたら、これじゃ済まねえぞ」
直後、山賊の手が母親の頬を勢いよく張った。パンッと高い音が響き、体がぐらりと揺れる。そんな母親を父親はすぐに抱き寄せた。心配そうに顔をのぞき込むが、山賊を睨んだり、文句を言うことはない。こちらがすべて悪いのだと受け入れ、暴力もまるで不可抗力のように黙り込む。
自分達の思い通りに従う、そんな住人を見て、山賊はまた付け上がるのだ。そんな繰り返しでいいのか。大事な家族が傷付けられても、見て見ぬふりをしなければいけないのか。自分の感情に嘘をついて虐げられ続けるなんて、俺は耐えられない――レオンの中で、一つの覚悟が定まった。
「次回はもっといい食い物、揃えとけよ」
山賊は少ない食料を抱えると、家を出ていこうとする。その前にレオンは立ち塞がった。
「……何だガキ」
「それ、全部置いてけ」
山賊の眉がしかめられる。
「おい、ガキもしつけがなってねえようだな。ええ?」
険しい視線が両親を見た。
「レオン、やめろ。こっちへ来い」
慌てる父親に呼ばれるが、レオンは構わず続けた。
「置いてかないなら、ひどい目に遭わせるぞ」
「へえ、ひどい目か。ぜひとも遭ってみたいねえ……てめえを蹴り飛ばしたらな!」
山賊の片足が動く。その瞬間、レオンは正面へ風を吹かせた。
「何だ……!」
意表を突かれた山賊の顔に、ぶわっと風が吹き付ける。その拍子に抱えていた食料がばらばらと床に落ちた。
「やめなさい、レオン!」
母親の語気の強い声が言う。だが、今さらやめることなどできなかった。
「……な、何だ、一体……」
自分に起きたことが理解できない山賊は、目を白黒させる。
「母さんに謝れよ」
「……ガキ、俺にそんなこと言って、いいと思ってんのか」
「当たり前だ。早く謝れ」
「生意気ぬかしやがって……!」
目付きの変わった山賊はレオンにつかみかかろうとする。が、それはすぐに強風によってさえぎられてしまう。
「ま、また……」
身をかがめ、山賊は風に耐え続ける。部屋の中はまるで嵐のように、あらゆるものが飛び、舞っていた。
「レオン! やめるんだ!」
「お願いだから、やめてちょうだい!」
両親は手で顔を防ぎながら、懸命に大声で呼びかけていた。しかしレオンは続ける。山賊が動けなくなったのを見て、今度は壊された扉を風で舞い上がらせた。そしてそれを山賊目がけ、思い切り吹き飛ばした。
「うぐっ――」
扉は山賊の頭に命中し、ガタンと床に転がる。山賊も同じように床に倒れると、そのまま動かなくなってしまった。風を止めたレオンは近付いて様子をうかがう。
「……気を失ってる」
呼吸はあり、失神しているだけのようだった。
「レオン……何てことを……」
顔を上げると、両親が怒りとも恐怖ともつかない表情で見ていた。
「俺達は、こうやって山賊を倒せるんだ」
「これは、掟を破る行為だ」
「掟なんか守って何になるだよ。守るからこいつらに狙われるんだ。こうやって力を見せれば――」
「レオン、あなたも一族の一人なら、掟は絶対に破っては駄目。たとえ山賊が相手でも」
「こいつらは俺達を苦しめてるんだ。ここで力を使わないでどうするんだよ」
「私達がどうであろうと、人に対して風を操ってはいけないのよ。それは昔からの決まりなの。だから、もう二度とこんなことはしないで。お願いだから」
母親の言葉は、レオンにはただ苛立つばかりだった。
「……嫌だ」
「レオン!」
「俺は、山賊を森から追っ払うんだ!」
叫んだレオンは家を飛び出していく。すると暗闇に包まれた辺りには、山賊の仕打ちに戸惑い、道をうろつく男性や、怯えて身を寄せ合う親子などの姿があちこちに見えた。呆然とする住人の横を、袋に詰めた食料を抱え、山賊が平然と歩き去っていく。それを追って捕まえようとする者はどこにもいない。こんなの異常だ――レオンは歯ぎしりすると、去っていく山賊を追いかけた。
「……ん?」
気配に気付いて振り向いた山賊を、レオンはすぐさま風で吹き飛ばした。ゴオッと巻き起こった強風は、山賊の体を側にあった木に叩き付ける。痛みにうめく姿をいちべつすると、レオンは次の山賊を捜す。
「何だガキ、付いてくん――」
周囲の枯れ葉や雑草と共に、山賊の体が吹き飛ぶ。次に見つけた山賊も、その次も……。
「何で風を操っている」
「掟を破ってるわ、あの子」
「何を考えてるんだ。こんなことしたらあいつらが……」
次第に住人達もレオンのしていることに気付き始めた。だが止めに近付いてくる者はいない。仲間だと思われたくないからだ。遠巻きに眺め、無関係だと見せる。子供が一人で山賊にあらがっているというのに、誰も協力に出てはこない。そんな様子にレオンは怒りとむなしさを感じた。そんなに掟が大事なのかと、怒鳴ってやりたい気分だった。
「か、頭、あのガキです!」
山賊の声がして、レオンはそちらへ目をやった。
「ふーん、ただの子供じゃねえか……」
そこには手下を数人連れた、額に傷のある男が立っていた。村の全住人が恐れ、避ける、山賊の頭だ。
見つけたレオンは一直線に頭の前に出ていった。
「このガキ、妙な力を持ってて、仲間を吹き飛ばしやがんです」
山賊の一人がレオンを警戒しながら言った。
「妙な力……? こんな子供がか?」
頭は目の前のレオンに顔を近付け、じっと見つめる。それをレオンは睨み返した。
「奪ったものを置いて、村から出ていけ」
「ほお、なかなか気が強いじゃねえか……ちょっと待っとけ。お前の話はこっちの用が終わったら聞いてやる」
そう言うと、頭は村中に聞こえる大声で言った。
「俺の手下をどこに隠した! 今すぐ連れてこい。家に火を放つぞ!」
控える手下達は、黙々と火をつける準備を始める。その様子を住人達は、一体何のことかと眺めるしかなかった。
「これが最後だ。俺の手下を出せ! それを隠した犯人でもいい! だんまりを決め込むなら、順々に火を放ってく!」
頭は腕を組み、怯えて動かない住人達をしばらく見回していた。しかし、誰も出てこない気配に業を煮やした頭は、傍らの手下に指示した。
「……やれ」
へい、と返事した手下達は、火をつけた木や布を持って方々へ散っていく。
「やめ――」
「待ってくれ!」
レオンが声を上げたのと同時に、背後からも止める声がした。見ると暗い道の奥から、族長が慌ててこちらへ駆けてくる。
「族長さん……まさかあんたが犯人とか言うのか?」
「その……犯人とは、一体何のことだ? 私達にはさっぱりわからないのだが……」
「わからない、か……。じゃあとぼけられないように、一から説明してやる。何日か前に、見張りを任せてた俺の手下が忽然と消えた。残ってたのは割れたランプだけだ。死体もなきゃ血の痕もねえ。獣の仕業じゃなさそうだとわかって、勝手に都にでも行って帰れなくなったのかと思ったが、そっちの道の見張りに聞けば、その夜は誰も通ってねえって言いやがる。じゃあ他にどこへ行けるんだって考えたら、お前らの村以外にはねえとわかった」
「そんな、まさか。ここにはあなたの仲間が一人で訪ねてきたことはない」
「訪ねたことはないが……さらったことはあんだろ?」
「何かの誤解だ!」
「ああ悪かった。あんたはさらってなさそうだ。だが、他のやつらはどうだろうなあ……?」
頭は遠くで見守る住人達をねめつけた。
「あり得ない……私達はずっと、あなた方に抵抗したことはないじゃないか」
「でもいるんだよ。この村の中に。無抵抗のふりした嘘付きがな……」
困惑する族長を、頭は口の端で笑い、見つめる。
「ほら、犯人を捜せよ。でなきゃ村中が火の海に――」
「俺が犯人だ」
レオンは前にずいと出ると、頭にはっきりとそう言った。
「……何?」
「だから、俺が犯人だ。捕まりそうになって、抵抗したら、崖から落ちた」
これに頭の顔付きが変わる。
「お前、真面目に言ってんのか」
「そうだ。だから、お前達は早く村から出ていけ」
「レオン、よせ。何てことを言うんだ」
族長は頭の様子をうかがいつつ、急いで止める。しかし、レオンの胸ぐらを頭がつかむと、族長は息を呑み、後ずさった。
「何がだからなのか、よくわかんねえが……お前が犯人だって言うなら、きっちり罪を償ってもらおうじゃねえか」
頭はレオンの胸ぐらをさらに締め上げた。
「脅しは、もう効かない……あいつと同じ、目に遭わせて、やる……!」
その直後、頭の周りを囲むように、風が渦を巻き始めた。勢いは次第に強くなり、地面の草や砂を巻き上げていく。
「な……何だ、これは……」
異変に気付いて、レオンの胸ぐらから手が離れた時だった。ブオッと下から強風が起こり、頭の足がわずかに浮いたと思うと、その体は弾かれたように後ろへ飛ばされていった。
「か、頭!」
周囲にいた手下達が倒れる頭に駆け寄る。
「だから言った通りだ! あのガキには、妙な力があるんだって」
「……俺を怒らせて、生きてられると思うなよ!」
立ち上がった頭は、腰から短剣を抜くと、怒りの形相でレオンに向かっていった。
「ぶっ殺してやる!」
「村を出ていくなら、今のうちだ」
レオンの言葉を無視し、頭は短剣を構え、走る。
「ほざいてろ、ガキが!」
立ち向かってくる頭に、レオンは容赦なく風を浴びせた。すぐに足の止まった頭は歯を食い縛り、意地でもレオンに近付こうとする。
「加勢しろ!」
手下達が風を避け、レオンに向かってくる。それを横目で見ながら、レオンは別の風を起こし、牽制する。だが、そちらに集中したせいで、頭を足止めしていた風の勢いが若干弱まってしまった。その隙に頭は動いた。
「これでも、食らいやがれ!」
短剣を振り上げた頭は、それをレオン目がけて投げ付けた。切っ先は風を裂き、顔に向かってくる。レオンは咄嗟に風を操ると、今度は短剣に向けて吹き付ける。軌道の変わった短剣は顔の前で浮き上がり、そのまま上空へと飛び上がる。
「やっぱりガキはガキだな……!」
笑みを見せた頭は、隠し持っていたナイフを取ると、突進するように向かってきた。
「子供だって、大人には勝てる……!」
頭上で風の音が響いた。すると何かがものすごい勢いで風をまとい、頭に向かって落下した。そして次の瞬間、辺りは静まり返った。
「……く、ぐはっ……」
手からナイフがカランと落ち、頭はその場に膝を付く。
「か……頭……」
手下達は絶句していた。目の前の頭の背には深々と短剣が突き刺さり、その剣先は腹を突き破っていた。地面に流れる血の量は尋常ではなく、誰もがその結果を予想した。
「…う……う、ぐう……」
小さなうめき声を漏らすと、頭はばたりと倒れ、もう動くことはなかった。ただ血だまりだけが広がっていく。
「……頭が、やられた……」
我に返った手下の一人が呟く。そして、その目がレオンに向けられる。
「敵を、取らねえと……」
誰かがそう言った。だが、賛同する声は上がらない。じっと見てくる手下達に、まだやるのかとレオンが一歩近付けば、男達はびくっと怯え、じりじりと下がり始める。
「……引け、皆、引け!」
その言葉を待っていたかのように、山賊達は我先にと村から逃げ出していった。武器も、略奪したものも投げ捨て、頭と同じ目には遭いたくないと一目散に駆けていった。後に残ったのは、息のない頭と、気を失ったままの山賊達、そして、そんな状況と彼らの始末に困る住人達だけだった。
「……やった。あいつらに勝った」
レオンは山賊達が逃げていった暗闇を見つめながら、湧き上がる嬉しさを噛み締めた。初めからこうしていれば、誰も死なず、苦しまないで済んだのだ。これでもう山賊に従う必要はなくなった――晴々した気分で振り返るレオンだったが、そこに見えたのは険しい表情の族長と、冷たい目で見てくる多くの住人達だった。レオンには皆がなぜそんな顔をするのか、わからなかった。
「族長様……山賊を撃退したのに、喜んでくれないんですか?」
「レオン……お前は、何をした」
「俺は、この村を守りました。皆を助け――」
「掟を破ったのだ。人に対して風を操り、しかもその命まで奪ってしまった」
「先にそうしたのは向こうだ。人殺しをするやつらを痛め付けて何が悪いんだよ。族長様はずっと怯えて暮らしたかったって言うのか?」
「そんなことを言っているのではない。お前は、風使いの力で人の命を奪うという重大なことをしでかしたのだ」
またこれか――レオンは苛立った目で族長を睨んだ。
「掟を破ったことがそんなに悪いのかよ! 俺はただ、山賊に奪われる暮らしが嫌だったから、だから立ち向かったんだ。そのために風を使うのがどうして悪いんだ! 武器のない俺達があいつらに勝つには、風を使うしかないだろ!」
正当性を主張するレオンに、族長は物悲しげに首を横に振った。
「お前は間違っている……我々の力は、自然と共生するものであって、人の命を奪うものになってはいけない」
「そんなのおかしい! じゃあ俺達はあいつらに、一方的に苦しめられ続けなきゃいけないのかよ。俺は、皆を助けたんだ。誰も立ち向かわないから、俺が力を見せてやったんだ!」
レオンは族長と、周囲の住人達を見回した。しかし、どの目もレオンに冷たい視線を送っていた。山賊を撃退した感謝など、どこにも感じられない。掟を破り、命を奪った不届き者――そんなののしりが聞こえてきそうだった。
「……掟を破った者は、罰を受けなければならないのは知っているな。子供であろうと、それは必ず受けてもらう」
すると族長は住人達を見回し、その中から二人を呼ぶと、用意をするよう指示を出した。
「……今から?」
「そうだ。今からお前は村の外に、六日間つながれる。たった一人、飲み食いもせず、命が助かるかどうか、神にご判断していただく」
「六日間も……!」
掟を破った罰は厳しいものとしか聞いていなかったレオンは、その内容を聞いて呆然とした。六日間、森につながれて、果たして生きられるのだろうか。空腹や喉の渇きは我慢できても、冬の寒さにはあらがえない。もし雪でも降ったら凍死する可能性は大いにあった。それだけではない。森には多くの獣がいる。見つければ風を操って蹴散らすことも出来るだろうが、死角から来られたり、眠っている時に襲われれば、そこで命は終わるだろう。すべては、神の判断にゆだねられる……。
「異議のある者はいるか」
族長は住人達を見渡す。その中にはレオンの両親もいて、母親は泣きそうな顔で族長に歩み寄ろうとしたが、すぐにそれを父親が引き止めた。自分達の子供であろうと、掟を破ったらこうなるしかないと、無理に納得しているようだった。
誰もが黙って了承する様子を見て、族長は言う。
「……では、今からレオンには神のご判断を――」
「待って」
その時、どこからか高い声が上がった。そして、ざわめく住人達の間から一人の少女が歩み出てくる。
「私も、罰を受けます」
「……マルファ」
驚くレオンに、マルファはちらと視線を送る。
「私も山賊に向けて、風を操りました。レオンと同じです。だから、一緒に罰を受けます」
「……本当なのか、マルファ」
疑う族長に、マルファは真剣に言う。
「風を使い、山賊を崖から落としました。私は……人を殺しました」
住人の声がざわっと波立った。その余韻は族長が話し出しても続いた。
「事実、なのか」
「はい。レオンが見ています」
族長の目が向き、レオンは言う。
「マルファは……マルファは風を使ってなんか――」
「山賊が来て怖かったんです。咄嗟に使ってしまって、それで山賊は崖下に……」
レオンはマルファを見つめた。嘘を言って逃れさせようとしたのに、マルファはなぜか積極的に罰を受けようとしていた。正直でいたいからか、罰を逃れる罪悪感からか……。レオンにはマルファの心境がわからなかった。
「……わかった。それが本当だと言うなら、マルファ、お前にも罰を受けてもらう。皆、異議はあるか」
再び住人達に聞く。ざわめきは続いていたが、本人が使ったと言っている以上、異議を差し挟む余地はなく、誰も、何も言わなかった。
「では、この二人を森に連れていきなさい。そこで神のご判断をいただく」
指示された二人の住人は、レオンとマルファの腕をつかむと、暗く寒い森の中へと連れていった。
辺りには異様な静けさが漂っていた。普段の夜と変わらないのかもしれないが、緊張するレオンには強くそう感じられた。枯れ葉を踏む足音、頭上から響く梟の声、遠くからかすかに聞こえる狼の遠吠え……。いつもなら気にもならないそれらの音が、今はやけにはっきりと聞こえてきた。
しばらく歩かされたところで、レオンとマルファはそれぞれの木の前に立たされた。そして両手を後ろ手に縛られると、そこから伸ばした縄を木に幾重にも巻き付け、固く結ぶ。それを終えると、住人の二人は同情するような顔で言った。
「六日後、迎えに来るから」
「寒いだろうが……頑張ってくれ」
もう少し声をかけるべきか迷う素振りを見せるが、結局二人はそのまま村へ戻っていった。その足音が消えると、辺りは真の静寂に包まれた。何も聞こえない静寂は、レオンの中の不安を増幅させるばかりだった。その不安に息が詰まりそうで、隣の木につながれたマルファにさまよう視線をやる。
「……何で、黙ってなかったんだよ」
ふと出たレオンの疑問に、マルファが顔を向ける。
「黙ってたほうがよかった?」
「当たり前だ。死ぬかもしれないんだぞ。せっかくかばってやったのに……」
「だって、黙ってたら、何か卑怯じゃない。私も掟を破ったのに」
「馬鹿正直でも、死んだらどうするんだよ」
「神様がお許しにならなかったと思って、諦めるしかないわね」
マルファは肩をすくめる。
「……お前、怖くないのか」
これにマルファは引きつった笑顔を浮かべた。
「怖いに決まってるじゃない。おまけに寒いし、何も食べられないし、今すぐ家に帰りたいわよ」
「それなら卑怯とか言わずに、黙って――」
「そうしようとも思ったわ。でも、レオンが一人で罰を受けるのを見てられなかった。それに……」
「……何だよ」
「レオンが見えなくなるのが……嫌だった。これが最後の別れになるかもしれないって思ったら、後悔しないためにも、正直に言うべきだって思ったの」
「死んだら、もっと後悔するぞ」
「しないわ。レオンが一緒なら……」
怯えを隠した微笑みがレオンを見つめる。自分に初めて見せる表情に、レオンは何となく気まずさを感じ、目をそらした。
心に生じた気まずさは消えず、二人の会話は途絶えたまま、時間は過ぎていった。何十分、何時間が経ったのかわからない。森の中は相変わらず黒く覆われている。木の根元に座り込んでいる二人は、うつらうつらしながらも、寒さとわずかな物音で眠ることができなかった。ここで眠ってしまえば、そのまま目覚めないのではないか。眠った途端、獣に襲われるのではないか……。そんな恐怖が、二人の意識をつなぎ止めていた。
そんな時間が長く続いていた時だった。
ガサリ、と草の揺れる音が聞こえて、二人の目は警戒に見開いた。これまでの物音より鮮明で、距離も近かった。確実に何かがいる。狐か狼か、それとも山賊か――動けない二人はただ近付いてくる何かを凝視するしかなかった。もう近い。目の前の茂みが揺れて、その奥から影が現れる――
「……母さん!」
思わず呼んだレオンに、現れた影――母親は、しっと人差し指を立てた。
「な、何しに……」
瞠目するレオンの元に駆け寄った母親は、持っていたナイフで両手を縛る縄を切る。
「逃げなさい」
言ってマルファの縄も同じように切る。
「こんなことしたら、おばさんが大変な目に……」
「ありがとう、マルファちゃん。でも私は、あなた達が助かればそれでいいのよ」
「母さん、どういうことだよ。掟を破ったやつを助けるのか?」
「掟がどうこうと言う前に、お前は私の息子で、マルファちゃんは村の大事な子供よ。寒い中を六日間もつながれたら、子供の身じゃあまりに酷だわ。私は、あなた達を死なせたくないの」
そう言って母親は持っていた布袋を開けた。
「寒かったでしょう。この上着を着なさい。それと、少しだけど食料よ」
二人に子供用の上着と共に、瓶詰めの果実を一つずつ渡した。
「どうして、こんなものを……」
「あなた達の様子は、村の誰かが一日に一回見に来ることになっているの。ここに姿がなければ、たとえ逃げたとしても、それは死んだものと見なして、もう二度と村に入れることはできない決まりになっているのよ」
「それじゃあ、俺達は助かっても、母さんと父さんにはもう……」
顔を歪めるレオンに、母親は笑みを見せる。
「ここで、お別れよ」
「そんな……それなら、ここで六日間、絶対に生き延びて――」
母親はレオンの手を取り、言う。
「指先が氷のように冷たい……感覚がないんじゃない?」
その通りだった。二人の手足の先は、寒さですでに感覚を失いかけていた。
「これじゃ六日は持たない……生きてちょうだい、レオン。それが私の願いよ」
母親はレオンを目一杯に抱き締めた。そしてその身を離すと、マルファに向き合う。
「マルファちゃん、ごめんなさい。レオンに付き合わせるような形になって……」
「家族に……私の家族に、ありがとうと言っておいてくれませんか?」
「ええ。必ず言っておくわ」
これにマルファは、泣きそうな笑みを浮かべた。それを母親は優しく抱き寄せる。
「……レオン、マルファちゃんを守ってあげてよ」
「でも、ここからどこに行けば……」
「森を出て下っていくと川が見えてくるから、それをたどっていきなさい。その先に都があるわ。都ならどうにか生きていけるかもしれない」
「都……わかった」
「マルファちゃん、さあ……」
母親から離れたマルファは、レオンの元に行く。視線の合った二人の表情は重く、複雑なものを滲ませていた。
「レオン、生きるのよ」
「母さん……ありがとう……」
レオンとマルファは歩き出す。何度も振り返り、母親が見送る姿に後ろ髪を引かれるが、それが木々の向こうに見えなくなると、前だけを向いてひたすら歩いた。暗闇の森に、夜明けの光が差し込もうとしていた。
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