六話

 レオンはベッドの上で目を覚ました。周りは当然ながら暗い。時間はわからないが、おそらく夜中だ。レオンの体によく眠ったという感覚はない。目が覚めたのは、家の外から頻繁に物音や声が聞こえてきたからだった。何かが落ちる音、転がる音、蹴飛ばされる音……。その中に混じって男性の怒鳴り声や女性の悲鳴らしき声がする。


「山賊……こんな時間に……」


 レオンは体を起こし、すぐ隣のベッドを見た。そこにはすでに起き上がり、玄関の扉を注視する両親がいた。母親はレオンに気付くと、不安そうな表情で静かにしていなさいとささやいた。


 前回の略奪からは、まだ一ヶ月も経っていなかった。こんな短期間で来ることは今までになく、しかも深夜に行われることも初めてだった。いつもとは違う山賊の行動に、レオンが胸騒ぎを覚え始めた時だった。


 ダンッ、ダンッ、と扉が強く叩かれた。どうやら足で蹴っているようだ。両親はベッドから下りて身構え、レオンも靴を履いて扉を見据えた。鍵と蝶番は強い衝撃で徐々に曲がっていく。そして次には、バタンと大きな音と共に扉は破られ、それを踏んで山賊の男が一人入ってきた。


「おら、客が来たぞ。食い物出せ」


 山賊は部屋中を見回しながら両親に向かって言った。


「……食べ物は、向こうだ」


 父親は部屋奥の台所を示す。ずかずかと入り込んだ山賊は、台所の棚や調理器具などを荒らしながら、食料をあさる。


「……けっ、しけてんなあ。もっとましなもんはねえのかよ」


 山賊はやせ細った小さなかぶを取ると、それを両親の足下に投げ付けた。やせ細っていてもレオン達には冬の貴重な食料なのだが、山賊には物足りないらしい。


「食料は、そこにあるものだけだ」


 感情をこらえる父親が言う。


「本当か? どっかに隠してんじゃねえのか」


「食料が少ないのは、あなた方が奪っていってから間もないせいで、隠しているなんてことは……」


 母親は困惑した様子で答えた。それに山賊は鋭い目を向ける。


「俺らが奪ってる? 今、そう言ったか?」


 母親は、はっとしたように表情をこわばらせた。


「い、いえ、そんなことは……」


「いいや、そう言ったな。俺らは奪ってんじゃねえ。貰ってんだ。てめえらをこの山にいさせてやってる礼としてな……」


 すると山賊は、つかつかと母親の前まで歩み寄ってきた。


「妻は言い間違えただけだ。だから何も――」


「うるせえな。しつけくらいやっとけよ」


 かばいに入った父親だったが、山賊に押しのけられてしまう。


「次また馬鹿なことぬかしたら、これじゃ済まねえぞ」


 直後、山賊の手が母親の頬を勢いよく張った。パンッと高い音が響き、体がぐらりと揺れる。そんな母親を父親はすぐに抱き寄せた。心配そうに顔をのぞき込むが、山賊を睨んだり、文句を言うことはない。こちらがすべて悪いのだと受け入れ、暴力もまるで不可抗力のように黙り込む。


 自分達の思い通りに従う、そんな住人を見て、山賊はまた付け上がるのだ。そんな繰り返しでいいのか。大事な家族が傷付けられても、見て見ぬふりをしなければいけないのか。自分の感情に嘘をついて虐げられ続けるなんて、俺は耐えられない――レオンの中で、一つの覚悟が定まった。


「次回はもっといい食い物、揃えとけよ」


 山賊は少ない食料を抱えると、家を出ていこうとする。その前にレオンは立ち塞がった。


「……何だガキ」


「それ、全部置いてけ」


 山賊の眉がしかめられる。


「おい、ガキもしつけがなってねえようだな。ええ?」


 険しい視線が両親を見た。


「レオン、やめろ。こっちへ来い」


 慌てる父親に呼ばれるが、レオンは構わず続けた。


「置いてかないなら、ひどい目に遭わせるぞ」


「へえ、ひどい目か。ぜひとも遭ってみたいねえ……てめえを蹴り飛ばしたらな!」


 山賊の片足が動く。その瞬間、レオンは正面へ風を吹かせた。


「何だ……!」


 意表を突かれた山賊の顔に、ぶわっと風が吹き付ける。その拍子に抱えていた食料がばらばらと床に落ちた。


「やめなさい、レオン!」


 母親の語気の強い声が言う。だが、今さらやめることなどできなかった。


「……な、何だ、一体……」


 自分に起きたことが理解できない山賊は、目を白黒させる。


「母さんに謝れよ」


「……ガキ、俺にそんなこと言って、いいと思ってんのか」


「当たり前だ。早く謝れ」


「生意気ぬかしやがって……!」


 目付きの変わった山賊はレオンにつかみかかろうとする。が、それはすぐに強風によってさえぎられてしまう。


「ま、また……」


 身をかがめ、山賊は風に耐え続ける。部屋の中はまるで嵐のように、あらゆるものが飛び、舞っていた。


「レオン! やめるんだ!」


「お願いだから、やめてちょうだい!」


 両親は手で顔を防ぎながら、懸命に大声で呼びかけていた。しかしレオンは続ける。山賊が動けなくなったのを見て、今度は壊された扉を風で舞い上がらせた。そしてそれを山賊目がけ、思い切り吹き飛ばした。


「うぐっ――」


 扉は山賊の頭に命中し、ガタンと床に転がる。山賊も同じように床に倒れると、そのまま動かなくなってしまった。風を止めたレオンは近付いて様子をうかがう。


「……気を失ってる」


 呼吸はあり、失神しているだけのようだった。


「レオン……何てことを……」


 顔を上げると、両親が怒りとも恐怖ともつかない表情で見ていた。


「俺達は、こうやって山賊を倒せるんだ」


「これは、掟を破る行為だ」


「掟なんか守って何になるだよ。守るからこいつらに狙われるんだ。こうやって力を見せれば――」


「レオン、あなたも一族の一人なら、掟は絶対に破っては駄目。たとえ山賊が相手でも」


「こいつらは俺達を苦しめてるんだ。ここで力を使わないでどうするんだよ」


「私達がどうであろうと、人に対して風を操ってはいけないのよ。それは昔からの決まりなの。だから、もう二度とこんなことはしないで。お願いだから」


 母親の言葉は、レオンにはただ苛立つばかりだった。


「……嫌だ」


「レオン!」


「俺は、山賊を森から追っ払うんだ!」


 叫んだレオンは家を飛び出していく。すると暗闇に包まれた辺りには、山賊の仕打ちに戸惑い、道をうろつく男性や、怯えて身を寄せ合う親子などの姿があちこちに見えた。呆然とする住人の横を、袋に詰めた食料を抱え、山賊が平然と歩き去っていく。それを追って捕まえようとする者はどこにもいない。こんなの異常だ――レオンは歯ぎしりすると、去っていく山賊を追いかけた。


「……ん?」


 気配に気付いて振り向いた山賊を、レオンはすぐさま風で吹き飛ばした。ゴオッと巻き起こった強風は、山賊の体を側にあった木に叩き付ける。痛みにうめく姿をいちべつすると、レオンは次の山賊を捜す。


「何だガキ、付いてくん――」


 周囲の枯れ葉や雑草と共に、山賊の体が吹き飛ぶ。次に見つけた山賊も、その次も……。


「何で風を操っている」


「掟を破ってるわ、あの子」


「何を考えてるんだ。こんなことしたらあいつらが……」


 次第に住人達もレオンのしていることに気付き始めた。だが止めに近付いてくる者はいない。仲間だと思われたくないからだ。遠巻きに眺め、無関係だと見せる。子供が一人で山賊にあらがっているというのに、誰も協力に出てはこない。そんな様子にレオンは怒りとむなしさを感じた。そんなに掟が大事なのかと、怒鳴ってやりたい気分だった。


「か、頭、あのガキです!」


 山賊の声がして、レオンはそちらへ目をやった。


「ふーん、ただの子供じゃねえか……」


 そこには手下を数人連れた、額に傷のある男が立っていた。村の全住人が恐れ、避ける、山賊の頭だ。


 見つけたレオンは一直線に頭の前に出ていった。


「このガキ、妙な力を持ってて、仲間を吹き飛ばしやがんです」


 山賊の一人がレオンを警戒しながら言った。


「妙な力……? こんな子供がか?」


 頭は目の前のレオンに顔を近付け、じっと見つめる。それをレオンは睨み返した。


「奪ったものを置いて、村から出ていけ」


「ほお、なかなか気が強いじゃねえか……ちょっと待っとけ。お前の話はこっちの用が終わったら聞いてやる」


 そう言うと、頭は村中に聞こえる大声で言った。


「俺の手下をどこに隠した! 今すぐ連れてこい。家に火を放つぞ!」


 控える手下達は、黙々と火をつける準備を始める。その様子を住人達は、一体何のことかと眺めるしかなかった。


「これが最後だ。俺の手下を出せ! それを隠した犯人でもいい! だんまりを決め込むなら、順々に火を放ってく!」


 頭は腕を組み、怯えて動かない住人達をしばらく見回していた。しかし、誰も出てこない気配に業を煮やした頭は、傍らの手下に指示した。


「……やれ」


 へい、と返事した手下達は、火をつけた木や布を持って方々へ散っていく。


「やめ――」


「待ってくれ!」


 レオンが声を上げたのと同時に、背後からも止める声がした。見ると暗い道の奥から、族長が慌ててこちらへ駆けてくる。


「族長さん……まさかあんたが犯人とか言うのか?」


「その……犯人とは、一体何のことだ? 私達にはさっぱりわからないのだが……」


「わからない、か……。じゃあとぼけられないように、一から説明してやる。何日か前に、見張りを任せてた俺の手下が忽然と消えた。残ってたのは割れたランプだけだ。死体もなきゃ血の痕もねえ。獣の仕業じゃなさそうだとわかって、勝手に都にでも行って帰れなくなったのかと思ったが、そっちの道の見張りに聞けば、その夜は誰も通ってねえって言いやがる。じゃあ他にどこへ行けるんだって考えたら、お前らの村以外にはねえとわかった」


「そんな、まさか。ここにはあなたの仲間が一人で訪ねてきたことはない」


「訪ねたことはないが……さらったことはあんだろ?」


「何かの誤解だ!」


「ああ悪かった。あんたはさらってなさそうだ。だが、他のやつらはどうだろうなあ……?」


 頭は遠くで見守る住人達をねめつけた。


「あり得ない……私達はずっと、あなた方に抵抗したことはないじゃないか」


「でもいるんだよ。この村の中に。無抵抗のふりした嘘付きがな……」


 困惑する族長を、頭は口の端で笑い、見つめる。


「ほら、犯人を捜せよ。でなきゃ村中が火の海に――」


「俺が犯人だ」


 レオンは前にずいと出ると、頭にはっきりとそう言った。


「……何?」


「だから、俺が犯人だ。捕まりそうになって、抵抗したら、崖から落ちた」


 これに頭の顔付きが変わる。


「お前、真面目に言ってんのか」


「そうだ。だから、お前達は早く村から出ていけ」


「レオン、よせ。何てことを言うんだ」


 族長は頭の様子をうかがいつつ、急いで止める。しかし、レオンの胸ぐらを頭がつかむと、族長は息を呑み、後ずさった。


「何がだからなのか、よくわかんねえが……お前が犯人だって言うなら、きっちり罪を償ってもらおうじゃねえか」


 頭はレオンの胸ぐらをさらに締め上げた。


「脅しは、もう効かない……あいつと同じ、目に遭わせて、やる……!」


 その直後、頭の周りを囲むように、風が渦を巻き始めた。勢いは次第に強くなり、地面の草や砂を巻き上げていく。


「な……何だ、これは……」


 異変に気付いて、レオンの胸ぐらから手が離れた時だった。ブオッと下から強風が起こり、頭の足がわずかに浮いたと思うと、その体は弾かれたように後ろへ飛ばされていった。


「か、頭!」


 周囲にいた手下達が倒れる頭に駆け寄る。


「だから言った通りだ! あのガキには、妙な力があるんだって」


「……俺を怒らせて、生きてられると思うなよ!」


 立ち上がった頭は、腰から短剣を抜くと、怒りの形相でレオンに向かっていった。


「ぶっ殺してやる!」


「村を出ていくなら、今のうちだ」


 レオンの言葉を無視し、頭は短剣を構え、走る。


「ほざいてろ、ガキが!」


 立ち向かってくる頭に、レオンは容赦なく風を浴びせた。すぐに足の止まった頭は歯を食い縛り、意地でもレオンに近付こうとする。


「加勢しろ!」


 手下達が風を避け、レオンに向かってくる。それを横目で見ながら、レオンは別の風を起こし、牽制する。だが、そちらに集中したせいで、頭を足止めしていた風の勢いが若干弱まってしまった。その隙に頭は動いた。


「これでも、食らいやがれ!」


 短剣を振り上げた頭は、それをレオン目がけて投げ付けた。切っ先は風を裂き、顔に向かってくる。レオンは咄嗟に風を操ると、今度は短剣に向けて吹き付ける。軌道の変わった短剣は顔の前で浮き上がり、そのまま上空へと飛び上がる。


「やっぱりガキはガキだな……!」


 笑みを見せた頭は、隠し持っていたナイフを取ると、突進するように向かってきた。


「子供だって、大人には勝てる……!」


 頭上で風の音が響いた。すると何かがものすごい勢いで風をまとい、頭に向かって落下した。そして次の瞬間、辺りは静まり返った。


「……く、ぐはっ……」


 手からナイフがカランと落ち、頭はその場に膝を付く。


「か……頭……」


 手下達は絶句していた。目の前の頭の背には深々と短剣が突き刺さり、その剣先は腹を突き破っていた。地面に流れる血の量は尋常ではなく、誰もがその結果を予想した。


「…う……う、ぐう……」


 小さなうめき声を漏らすと、頭はばたりと倒れ、もう動くことはなかった。ただ血だまりだけが広がっていく。


「……頭が、やられた……」


 我に返った手下の一人が呟く。そして、その目がレオンに向けられる。


「敵を、取らねえと……」


 誰かがそう言った。だが、賛同する声は上がらない。じっと見てくる手下達に、まだやるのかとレオンが一歩近付けば、男達はびくっと怯え、じりじりと下がり始める。


「……引け、皆、引け!」


 その言葉を待っていたかのように、山賊達は我先にと村から逃げ出していった。武器も、略奪したものも投げ捨て、頭と同じ目には遭いたくないと一目散に駆けていった。後に残ったのは、息のない頭と、気を失ったままの山賊達、そして、そんな状況と彼らの始末に困る住人達だけだった。


「……やった。あいつらに勝った」


 レオンは山賊達が逃げていった暗闇を見つめながら、湧き上がる嬉しさを噛み締めた。初めからこうしていれば、誰も死なず、苦しまないで済んだのだ。これでもう山賊に従う必要はなくなった――晴々した気分で振り返るレオンだったが、そこに見えたのは険しい表情の族長と、冷たい目で見てくる多くの住人達だった。レオンには皆がなぜそんな顔をするのか、わからなかった。


「族長様……山賊を撃退したのに、喜んでくれないんですか?」


「レオン……お前は、何をした」


「俺は、この村を守りました。皆を助け――」


「掟を破ったのだ。人に対して風を操り、しかもその命まで奪ってしまった」


「先にそうしたのは向こうだ。人殺しをするやつらを痛め付けて何が悪いんだよ。族長様はずっと怯えて暮らしたかったって言うのか?」


「そんなことを言っているのではない。お前は、風使いの力で人の命を奪うという重大なことをしでかしたのだ」


 またこれか――レオンは苛立った目で族長を睨んだ。


「掟を破ったことがそんなに悪いのかよ! 俺はただ、山賊に奪われる暮らしが嫌だったから、だから立ち向かったんだ。そのために風を使うのがどうして悪いんだ! 武器のない俺達があいつらに勝つには、風を使うしかないだろ!」


 正当性を主張するレオンに、族長は物悲しげに首を横に振った。


「お前は間違っている……我々の力は、自然と共生するものであって、人の命を奪うものになってはいけない」


「そんなのおかしい! じゃあ俺達はあいつらに、一方的に苦しめられ続けなきゃいけないのかよ。俺は、皆を助けたんだ。誰も立ち向かわないから、俺が力を見せてやったんだ!」


 レオンは族長と、周囲の住人達を見回した。しかし、どの目もレオンに冷たい視線を送っていた。山賊を撃退した感謝など、どこにも感じられない。掟を破り、命を奪った不届き者――そんなののしりが聞こえてきそうだった。


「……掟を破った者は、罰を受けなければならないのは知っているな。子供であろうと、それは必ず受けてもらう」


 すると族長は住人達を見回し、その中から二人を呼ぶと、用意をするよう指示を出した。


「……今から?」


「そうだ。今からお前は村の外に、六日間つながれる。たった一人、飲み食いもせず、命が助かるかどうか、神にご判断していただく」


「六日間も……!」


 掟を破った罰は厳しいものとしか聞いていなかったレオンは、その内容を聞いて呆然とした。六日間、森につながれて、果たして生きられるのだろうか。空腹や喉の渇きは我慢できても、冬の寒さにはあらがえない。もし雪でも降ったら凍死する可能性は大いにあった。それだけではない。森には多くの獣がいる。見つければ風を操って蹴散らすことも出来るだろうが、死角から来られたり、眠っている時に襲われれば、そこで命は終わるだろう。すべては、神の判断にゆだねられる……。


「異議のある者はいるか」


 族長は住人達を見渡す。その中にはレオンの両親もいて、母親は泣きそうな顔で族長に歩み寄ろうとしたが、すぐにそれを父親が引き止めた。自分達の子供であろうと、掟を破ったらこうなるしかないと、無理に納得しているようだった。


 誰もが黙って了承する様子を見て、族長は言う。


「……では、今からレオンには神のご判断を――」


「待って」


 その時、どこからか高い声が上がった。そして、ざわめく住人達の間から一人の少女が歩み出てくる。


「私も、罰を受けます」


「……マルファ」


 驚くレオンに、マルファはちらと視線を送る。


「私も山賊に向けて、風を操りました。レオンと同じです。だから、一緒に罰を受けます」


「……本当なのか、マルファ」


 疑う族長に、マルファは真剣に言う。


「風を使い、山賊を崖から落としました。私は……人を殺しました」


 住人の声がざわっと波立った。その余韻は族長が話し出しても続いた。


「事実、なのか」


「はい。レオンが見ています」


 族長の目が向き、レオンは言う。


「マルファは……マルファは風を使ってなんか――」


「山賊が来て怖かったんです。咄嗟に使ってしまって、それで山賊は崖下に……」


 レオンはマルファを見つめた。嘘を言って逃れさせようとしたのに、マルファはなぜか積極的に罰を受けようとしていた。正直でいたいからか、罰を逃れる罪悪感からか……。レオンにはマルファの心境がわからなかった。


「……わかった。それが本当だと言うなら、マルファ、お前にも罰を受けてもらう。皆、異議はあるか」


 再び住人達に聞く。ざわめきは続いていたが、本人が使ったと言っている以上、異議を差し挟む余地はなく、誰も、何も言わなかった。


「では、この二人を森に連れていきなさい。そこで神のご判断をいただく」


 指示された二人の住人は、レオンとマルファの腕をつかむと、暗く寒い森の中へと連れていった。


 辺りには異様な静けさが漂っていた。普段の夜と変わらないのかもしれないが、緊張するレオンには強くそう感じられた。枯れ葉を踏む足音、頭上から響く梟の声、遠くからかすかに聞こえる狼の遠吠え……。いつもなら気にもならないそれらの音が、今はやけにはっきりと聞こえてきた。


 しばらく歩かされたところで、レオンとマルファはそれぞれの木の前に立たされた。そして両手を後ろ手に縛られると、そこから伸ばした縄を木に幾重にも巻き付け、固く結ぶ。それを終えると、住人の二人は同情するような顔で言った。


「六日後、迎えに来るから」


「寒いだろうが……頑張ってくれ」


 もう少し声をかけるべきか迷う素振りを見せるが、結局二人はそのまま村へ戻っていった。その足音が消えると、辺りは真の静寂に包まれた。何も聞こえない静寂は、レオンの中の不安を増幅させるばかりだった。その不安に息が詰まりそうで、隣の木につながれたマルファにさまよう視線をやる。


「……何で、黙ってなかったんだよ」


 ふと出たレオンの疑問に、マルファが顔を向ける。


「黙ってたほうがよかった?」


「当たり前だ。死ぬかもしれないんだぞ。せっかくかばってやったのに……」


「だって、黙ってたら、何か卑怯じゃない。私も掟を破ったのに」


「馬鹿正直でも、死んだらどうするんだよ」


「神様がお許しにならなかったと思って、諦めるしかないわね」


 マルファは肩をすくめる。


「……お前、怖くないのか」


 これにマルファは引きつった笑顔を浮かべた。


「怖いに決まってるじゃない。おまけに寒いし、何も食べられないし、今すぐ家に帰りたいわよ」


「それなら卑怯とか言わずに、黙って――」


「そうしようとも思ったわ。でも、レオンが一人で罰を受けるのを見てられなかった。それに……」


「……何だよ」


「レオンが見えなくなるのが……嫌だった。これが最後の別れになるかもしれないって思ったら、後悔しないためにも、正直に言うべきだって思ったの」


「死んだら、もっと後悔するぞ」


「しないわ。レオンが一緒なら……」


 怯えを隠した微笑みがレオンを見つめる。自分に初めて見せる表情に、レオンは何となく気まずさを感じ、目をそらした。


 心に生じた気まずさは消えず、二人の会話は途絶えたまま、時間は過ぎていった。何十分、何時間が経ったのかわからない。森の中は相変わらず黒く覆われている。木の根元に座り込んでいる二人は、うつらうつらしながらも、寒さとわずかな物音で眠ることができなかった。ここで眠ってしまえば、そのまま目覚めないのではないか。眠った途端、獣に襲われるのではないか……。そんな恐怖が、二人の意識をつなぎ止めていた。


 そんな時間が長く続いていた時だった。


 ガサリ、と草の揺れる音が聞こえて、二人の目は警戒に見開いた。これまでの物音より鮮明で、距離も近かった。確実に何かがいる。狐か狼か、それとも山賊か――動けない二人はただ近付いてくる何かを凝視するしかなかった。もう近い。目の前の茂みが揺れて、その奥から影が現れる――


「……母さん!」


 思わず呼んだレオンに、現れた影――母親は、しっと人差し指を立てた。


「な、何しに……」


 瞠目するレオンの元に駆け寄った母親は、持っていたナイフで両手を縛る縄を切る。


「逃げなさい」


 言ってマルファの縄も同じように切る。


「こんなことしたら、おばさんが大変な目に……」


「ありがとう、マルファちゃん。でも私は、あなた達が助かればそれでいいのよ」


「母さん、どういうことだよ。掟を破ったやつを助けるのか?」


「掟がどうこうと言う前に、お前は私の息子で、マルファちゃんは村の大事な子供よ。寒い中を六日間もつながれたら、子供の身じゃあまりに酷だわ。私は、あなた達を死なせたくないの」


 そう言って母親は持っていた布袋を開けた。


「寒かったでしょう。この上着を着なさい。それと、少しだけど食料よ」


 二人に子供用の上着と共に、瓶詰めの果実を一つずつ渡した。


「どうして、こんなものを……」


「あなた達の様子は、村の誰かが一日に一回見に来ることになっているの。ここに姿がなければ、たとえ逃げたとしても、それは死んだものと見なして、もう二度と村に入れることはできない決まりになっているのよ」


「それじゃあ、俺達は助かっても、母さんと父さんにはもう……」


 顔を歪めるレオンに、母親は笑みを見せる。


「ここで、お別れよ」


「そんな……それなら、ここで六日間、絶対に生き延びて――」


 母親はレオンの手を取り、言う。


「指先が氷のように冷たい……感覚がないんじゃない?」


 その通りだった。二人の手足の先は、寒さですでに感覚を失いかけていた。


「これじゃ六日は持たない……生きてちょうだい、レオン。それが私の願いよ」


 母親はレオンを目一杯に抱き締めた。そしてその身を離すと、マルファに向き合う。


「マルファちゃん、ごめんなさい。レオンに付き合わせるような形になって……」


「家族に……私の家族に、ありがとうと言っておいてくれませんか?」


「ええ。必ず言っておくわ」


 これにマルファは、泣きそうな笑みを浮かべた。それを母親は優しく抱き寄せる。


「……レオン、マルファちゃんを守ってあげてよ」


「でも、ここからどこに行けば……」


「森を出て下っていくと川が見えてくるから、それをたどっていきなさい。その先に都があるわ。都ならどうにか生きていけるかもしれない」


「都……わかった」


「マルファちゃん、さあ……」


 母親から離れたマルファは、レオンの元に行く。視線の合った二人の表情は重く、複雑なものを滲ませていた。


「レオン、生きるのよ」


「母さん……ありがとう……」


 レオンとマルファは歩き出す。何度も振り返り、母親が見送る姿に後ろ髪を引かれるが、それが木々の向こうに見えなくなると、前だけを向いてひたすら歩いた。暗闇の森に、夜明けの光が差し込もうとしていた。

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