第16話 懐疑と焦燥

リカルドは、ジュンカが座っている椅子の前に近づいた。

「そろそろニホンですねぇ……」

ジュンカは冷たく言う。

「何を呑気なことを……あなたの仕事はまだ終わっていませんよね? 」

彼は何も言わなかったが、急に自らの電話を開く。

「お話をしましょうとは言いましたが、まずはこの音声を聞いてくださいませんか? 」

彼女の応答はなかったが、すぐに再生ボタンが押される。

「――ジュンカは今、カンコクで潜伏している暮らしているらしいな……今すぐニホンに戻ってきなさい。警察なんて野蛮な仕事はしないで、楽しく暮らせるんだ。リカルドと一緒なら、お前も安全だろう? チャムロ家は、お前が必要なんだ。待ってるよ」

唐突に音声が切れると、彼は笑顔を崩さずに言った。

「はじめにビジネスホテルでお話したときに言いましたよね? チャムロ家は、『貴女を必要としている』と……」

ジュンカは、自分の靴に視線を落としていた。

「当主のお父様も心配しておられました……。きっと貴女の帰りを今か今かと待っていらっしゃるに違いありません……」

彼女はゆっくりと顔を上げる。

あくまで無表情だったが、懐疑の視線を彼に送っていた。

「落ち着いて聞いてください、ジュンカお嬢様。貴女はチャムロ家に殺されるとでも思われているのでしょう? 勝手なご想像はおやめください……お父様は貴女を改めてチャムロ家の娘にするつもりです」

「は……? 」

ベガもソンリャンも、その他の警察官も皆黙っていた。

少しの静寂が訪れる。

「つまり、もう一度チャムロ家の娘として公務をしていただくということです。そうそう、貴女は既に婚約者も決まっているんですよ。帰り次第すぐに結婚して、今の王家と関係を強化しなければいけませんから……」

リカルドはもう一歩ジュンカへ近づく。

彼女は焦燥を隠せていなかった。

「一体アナタは……どんな冗談を……」

彼はもう一度笑った。

「動揺するのも仕方ありませんが、私共わたくしどもの気持ちも考えてほしいところですねぇ……貴女が突然失踪したときからお嬢様を探し続けている日々は、楽しいものではありませんでした。やはり貴女は罪深いですよ……」

ジュンカは動揺の中にあるらしく、必死に何かを考えているようだった。

そして、意を決めたように突然言った。

「……少し暑いので、窓を開けていただけませんか? 」

ソンリェンはベガが頷くのを見て、海が見える窓を開ける。

船の施設でパーティーでもしているのだろう、遠くから若者の歓声と笑い声が漏れる。

丁度その時、ジュンカは服の袖から細いワイヤーを取り出し、後ろに回された手につけられた手錠の鍵穴に入れようとしてた。

  

 リカルドはとっくに部屋に戻り、また先程のような沈黙が続いている。

時計を見ると、そろそろ日付が変わるというところだった。

ジュンカは

「このまま椅子の上で寝ろということですか? 」

と聞くが誰も答えてくれなかった。

彼女は目をつぶる。


その頃、ソンリェンは別室で監視カメラから送られてくるLIVE映像を見ていた。

「皆さん、自分の担当時間までは睡眠を確保してください。深夜でも警戒を怠らないようにお願いします」

部下が頷いたことを確認してから、仮眠を取ろうとしているベガに一言断って彼は一人デッキに向かった。

最近のフェリーは安全意識がそこまで高くはないからだろうか、本来は鍵をかけているであろうデッキへと繋がる扉は、いとも簡単に開いた。

周りを見回したが、もう24時は過ぎていることもあって誰も居ない。

ソンリェンはスーツのポケットからタバコを一本出し、煙を吐き出す。

そして、独り事を呟いた。

「もしも……シーラン先輩がこの場に居合わせたら、あなたは一体なんと言うのでしょうか……? 」

当然、誰も答えてはくれなかった。

 ジュンカの目の前に立つ四人の警察官は、眠っている彼女を前に少しだけ警戒の緩みがあった。なにしろ、警察に逮捕されてから一切抵抗する素振りを見せなかったのだ。

だから、本当に、少しの緩みがあった。

眠っているジュンカは、その一瞬を見逃さなかった。

彼女はもう左手が外れていた手錠を片手にはめたまま、目の前にいる警察官一人の腹を右足で蹴る。男が驚きと痛みで動けない間に、彼の警察用の拳銃をスーツのポケットから抜き出した。そして彼の心臓へ銃弾が飛ぶ。

そして、拳銃を取り出そうとした隣の警察官の頭に向かって発砲する。

彼もまた倒れ、銃弾を避けながら二人を殺し、拳銃を奪う。

彼女は海が見える大きい窓から、この部屋を脱出した。


 ベガは、防犯カメラ映像を見ていた数人の声で目を覚ます。

「お、おい!チャムロ・ジュンカが逃走したぞ!」

ベガは瞬時に隣の部屋へ走り出す。彼女はドアを勢いよく開けた。

開かれた窓の近くの白いカーテンが、微かな風に揺れている。

そこには四人の警察官の死体だけが取り残されていた。

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