ゾンビ少女は(さ)まよわない

雨振テント

01.

 その時、愛故存美あいゆえ ぞんびは自身の失くした右腕を探し、電灯から電灯へふらふらと歩き回っていた。

 数メートル先には電柱へとトラックが追突しており、フロントガラスには太った男の頭が深々と突き刺さっていた。何件か先の路地にはスマートフォンと男の目玉が一緒くたに放り出されており、道行くサラリーマンや飲んだくれが次々にそれらを気味悪がって避けていった。辺りには血とエンジンの焦げるようなにおいが充満しており、徐々に近隣の住民らが、門扉から引き寄せられるようにして集い始めていった。

 そんな中で唯一、制服姿の愛故だけが、右腕のあった位置を抑えつけながらその場を立ち去ろうとしている。腕の捜索場所を変えるつもりでその場を離れたのだが、しかし幾ら探しても、腕は一向に見つからないらしかった。それもその筈で、この時彼女の右目はツリーに飾る電球のようにぷらぷらと外に飛び出ていたし、左目はティッシュを無理やり詰め込んだようにして耳の奥の方まで後退していたのだ。彼女の視界はもう既に機能を果たしていなかったし、それ以前に彼女はとうに絶命していた。

 それでも彼女は起き上がり、こうして自身の腕を探すようにして歩き始めたのだ。

 どうして彼女が今もこうして動き回ることができているのか。彼女の脳内では——その脳ももう既に死んでいたが——ある、だけが浮かびあがり、彼女の足を前へ前へと突き動かしていた。

 その意志とは、

『自分のこんな姿見たら、

 というものだった。

 その意志のようなものは、彼女の『意識』が見出したものではなかったが、確かな細胞の記憶として、そしてある種の強迫観念によって、彼女を行動に駆り立てている。

 自身がどうなったのか、ましてや親の顔なんか一ミリも思い出すことのなかった彼女の細胞は、最後の最後で担任の、石鶴いしづるみやびのことを喝欲していたのだ。愛故にとって彼こそが、心の拠り所になってくれる唯一の存在であったからだ。

 ついに自身の右腕が見つけられないことに項垂れると、愛故は薄々、本当のどうしようもない現実タイムリミットが迫ってきていることにも気づき始めていた。体にはまったくといっていいほど痛みは無かったが、徐々に脚の動きが、特に右脚の制御がうまく効かなくなり始めていたからだ。右腕の位置から溢れていた血も、もう底を尽き、突き出た骨が赤黒く電灯の下で照らし出されるのみだった。

 愛故は思った。

『最後に先生に会えたなら、他になにも要らない』

 そして、

『もう一度、先生の顔が見たい』

 彼女は既に死んだ脳味噌で、みやび先生へのを、確かに募らせていた。

 すると彼女の足は、意志するようにして前へ前へと、一歩を踏み出し始めたのである。脇腹からはみ出た腸も、逆に折れ曲がった膝の骨にも目もくれず、愛故は確かに、先生の元へ歩みを進めていった。

 愛故はたった一度だけ訪れたことのある先生宅への家路を、天から見下ろすような空想イメージで自ずと探り当てている。この時愛故は丁度、先生の自宅から1キロほどの辺りに位置していた。

『右腕はいい。私にはもう時間がない』

 彼女は意を決すると、進むべき道に次々と最短距離を見出していく。

 内臓が零れ落ちない速度でゆっくりゆっくりと進んでゆく愛故は、さながらゾンビのようにして、電灯の照らす道を全身引き摺りながら歩いていった。




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ゾンビ少女は(さ)まよわない 雨振テント @skollpower0001

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