去り際にこんにちは

 痛みを覚えるのは、いつも終わりの方。もしくは何も感じない。

 わたしの場合、誰かとの別れはそんなものだった。


「あ……!」


 ある日の放課後。

 6限目の体育で膝をひどく擦りむいて、保健室に行っていたせいで、わたしは帰り支度がみんなよりも遅れてしまっていた。

 友だちには「帰りが遅くなったら悪いから」と、今にも泣き出しそうな空模様を指差して、半ば無理やり先に帰した。


 帰したつもりだった、けど。

 誰もいなくなった教室。

 そこで、もうとっくにいないはずのその友だちが、ひとりきりで待っていた。

 下校時間は、もう1時間くらい過ぎてる。

 なのにその友だちときたら、わたしを見るなりぱっと明るい顔をして、そしてすぐにわたしの膝に視線を落として、駆け寄ってきた。


「玲希(たまき)ちゃん。足、大丈夫?」

「うん。ぜんぜん平気」


 それよりも、と続ける前に彼女は「ちょっと待ってて」と言って、自分のとわたしの分、二人分の荷物を持って、


「よし。じゃあ今日は、家まで一緒に行くから!」


 と。なんだか物凄く張り切ってそう宣言した。


「……えっと」


 どこから突っ込もう。

 まず、朝学校に到着した直後にざんざん降りになって、傘がないってうちひしがれてたのは、この子。

 因みに今、まだ夕方の4時頃だっていうのに外はもう真っ暗で、窓ガラスはぽつぽつと雨粒が付きはじめてる。


 あと、わたしは今の今まで保健室で、手当て兼おしゃべりをしていたから、荷物はまとめてない。

 さらに、一緒に帰るって言ってもこの子とわたしは、家の方向がまったくもって逆。

 しかもこの子の方が遠い。すごく遠い。

 言い淀んでいると、彼女はなにか勘違いしたらしい。

 なんだか申し訳なさそうな顔をして、ごめんと謝ってきた。


「なんで謝るの?」

「え。……教科書とか勝手に触られるの、いやだったかなーって」

「え」


 滅相もない。

 ぶんぶん首を横に振ったら、すんなり誤解が解けた。

 ついでに今浮かんだ疑問なんかを全部言ってみると、彼女はにこにこはにかむように笑って、


「傘は、購買でおっきいの買ってきたから大丈夫。暗いのも平気。家は……なんてことないし!」


 元々この子はチャリ通。

 けど肝心のその足が先日、弟くんに派手に壊されてからと言うもの、バス通になってしまっていた。

 しかも、バスに乗り慣れてないらしくて、遅くなった時なんかは、難しい顔でうんうん唸りながらバスの時刻表を見てる。

 あれ。この子なに言ってんだろ?


「いいよ。ひとりで帰れるから」

「えー……おんぶするよ?」

「ちょっと、尚更いいです」

「だけど抱っこはさすがに――」

「運搬スタイルの話じゃないっ。悪いからいいよ」


 こう言っても、なかなか引いてくれない。

 申し訳なさは拭いきれなかったけど、わたしは「それなら送ってくれた後は、わたしの親に車で帰してもらうようにする。それでいいならいいよ」と条件を出した。

 そうして、わたし達は一緒に帰ることになったのだった。


「うわ、ねーねー玲希ちゃん! シャワーできるよコレ!」


 靴箱に上履きをほうり込んで玄関から出ると、外がすごいことになっていた。

 なんというか、滝みたい。

 アスファルトの地面の上は、雨水がさらさら流れて、道の所々に川みたいな水溜まりができている。

 感嘆の声を上げて立ち尽くす彼女と、傍らのわたし。

 こんな土砂降りじゃ、傘も意味がない。景色も霞んで、よく見えないし。

 見事に立ち往生してしまったわたし達は、一旦玄関の中に入って、様子を見ることにした。


「……」

「……」

「……また、忙しくなるね」


 なんとなくお互いに黙って、ガラスのドアの外を眺めていると、ふいに彼女がそう口を開いた。

 見れば、景色から目を逸らすこともしないで、そのままなんだか、切なそうな顔をした彼女がそこにいる。


「受験が近いから。テストも増えるし」

「あ、そういうこと」

「そういうこと」


 そこでやっと彼女はわたしを見て微笑んだ。

 そうしてまた外を見て続ける。


「……なんか、淋しいな。このまま終わっていっちゃうのって」

「そうだ、ね」


 返事がぎこちなくなってしまったのに、どうか気づかないで欲しい。

 昔からわたしには、痛みがなかった。

 別れの時に走る痛みが。

 なぜだかは分からない。

 けど、昔から幼稚園の卒園だったり、小学校とかの卒業の場で、いざというお別れの場で、なにも感じない。

 それが近づく時の憂鬱さもなくて、下手をしたら清々しさみたいなものを感じることもあった。


 別に、人間関係がうまく作れないわけでも、いじめられていたわけでもなく。

 ただ単になんとなく、何も感じなくなっていた。

 ただ、それだけ。

 最近では、虚しさみたいなものは覚えるようにはなっていたけど、それは別れが過ぎ去って、ずっと後。

 懐かしい匂いに出会った時みたいに、ほんの一瞬。


「玲希ちゃん」


 ぼんやりとそんなことを考えてたら、いつの間にか彼女がじっとわたしの顔を見つめていた。

 呼び声で現実に引き戻されたわたしが彼女を見ると、彼女は何故か、少し悲しそうな顔をしていた。

 そうして彼女はわたしに留めを刺す。


「卒業に、あんまり興味ない?」


 雨音ってこんなに激しかったっけ?

 すかさずそう思ったのはなんでだろう。

 何かに、どこかに落ちていくような感覚が、わたしを襲う。


「……なんで?」


 尋ねても、すぐには答えてくれなかった。

 いつもはただただ、にこにこと柔和に微笑んでいるだけの彼女は、今日はそれを全部引っ込めて、また外を見てる。

 なんで何もいわないの?

 なんでそんな顔するの?

 なんで、気づいたの?


「玲希ちゃんは、小学校と中学校の卒業アルバム、見る?」


 首を横に振ると、彼女は眉を下げてちょっとだけ笑った。


「玲希ちゃんとわたしね、ずっと同じ学校だったんだよ。……グループは違ったけど、一応中学は同じクラスだった。それで、ずっと見てたの」


 なにもずっと、意識して見てたわけじゃない。

 クラスメートとして、景色みたいな感じで見ていた。

 そう言いながら、彼女はでも、と続ける。


「玲希ちゃんはいつも女子のグループの中にいて、楽しそうだったけど、馴染んでるみたいだったけど、なにか違った。それがなんなのかは、高校に入ってお友達になるまで分からなかったけど、今なら解る気がする。……玲希ちゃん、距離を置いてるよね。いろいろと」


 あ、そっか。

 すとんと何かが胃の中に落ちる。

 同時に、彼女の言葉が染み渡るように、自然と受け入れられるようになってきた。


「なんかこわいんだよね」


 そうしたら、そう口にしてた。


「よくわかんないけど、人にのめり込めないっていうか」

「うん」

「馴染むのに、必死っていうか」

「うん」

「好きなはずなのに、嫌いじゃないはずなのに、ずっと一緒になれないの。……楽しい時も悲しい時も、そう思えないの」

「……うん」

「変だよね。気持ちとかさ、共有することが出来ないって、おかしいよね。気づいてたなら、気持ち悪かったでしょ?」


 穏やかに相槌をくれていた彼女は、もう外を見てなかった。

 負い目みたいなものがあって、逸らしたいのに、わたしも彼女をじっと見てる。

 それがたまらなく怖かった。

 怖いけど、逸らした方が怖いと思った。

 だから、逸らしてくれたらいい。

 君がその目を逸らしてくれたら、わたしも全部ごまかせるのに。


「すきだよ」


 ごまかせるのに。

 逃げを打つわたしに、彼女はなんの躊躇いもなく、そう告げた。


「だって玲希ちゃん、そのくらい人が好きなんでしょ? 本当はだれよりも、お別れが怖いんだよね。だから、わたしはすきだよ。玲希ちゃんのこと」

「……」

「雨、弱くなったね。行こうか」


 わたしには、別れの時に走る痛みがない。

 ずっと、ない。


「うん」


 だからそれを知られたら、そんなことになったら……怖かった。そう思えば思うほど怖くて、深みに嵌まっていくみたいだった。

 それなのに、怒らないの?

 許してくれるの?


「玲希ちゃん」


 返事をしても動かないままでいるわたしに、彼女はいつもよりずっと柔らかく笑って、手を差し出していた。


「行こう」

「……うん」


 この先誰と別れることがあっても、痛みを感じたくはない。

 わたしは弱いから、きっとこの距離感からはずっと抜け出せないだろう。

 だけどせめて。

 せめて彼女と別れることがあったら、そんな日が来たら、いくらでも痛い思いをしたい。

 ぎこちなく口元を上げて、私は返した。




「帰ろうか。――ちゃん」




去り際にこんにちは 了

2012.10/14

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