素麺おとこ

「あ? なんつった?」

「いえ、だから、素麺おとこがオレの家に出てくるんですってば」


 昼休みの時、後輩のいる教室まで部活中止の連絡をしに行って、そのままだべってたら、その後輩がいきなりそんなことを言い出した。


「……そーめん、おとこ?」


 聞き間違いじゃないらしい。今度はうさん臭いオーラ全開で聞き返すと、そいつは説明を始めた。


「素麺食ったら出てくるんですよ。それこそ春夏秋冬問わず。目の前でぶらぶらされていい加減困ってるんスよねー。素麺ってほら、年中手軽に食えるっしょ? それが毎度そんなんされたら、食う気失せるっつーかなんつーか……」

「なんじゃそりゃ。お祭り男みてーなもん?」

「いや、ただの首吊って死んだ男」

「ブボフゥッ!!」


 思いもよらない言葉に、飲んでいたパックの紅茶を噴くと、途端に後輩が「先輩キタネー!!」と騒ぎ出す。


 うるせえ黙れ。全力で黙れ。女子が見てるだろ、黙れ。

 ギッと睨むと後輩は小さく悲鳴をあげたきり黙り込んだから、俺はぶちまけた紅茶をティッシュで拭きながら「お前さあ」と話を戻した。


「それってつまりあれじゃね? ユーレイってやつ」

「だから困ってるんですってば。しかもヤローですよ? どっかのエロ本みたいに美女ユーレイじゃなくて、ガリッガリのガチヤローユーレイですよ? 食欲失せちゃいますから。繰り返しますけど、美女じゃありませんから」

「だから黙れよお前」


 なんでそこでエロ本引っ張り出すんだよ。

 どんだけ欲求不満なんだよ。

 てかお前彼女いたんじゃなかったのかよ。

 てか――俺を見る女子達の目が段々荒んできてるから、いい加減そういう発言やめろ。

 なんか俺がエロい美女幽霊が欲しいみたいになってきてんじゃねえか。やめろ。


「今の家に越したのって、去年だっけ?」

「ですです。ばあちゃんが死んで、じいちゃんだけになったんで、家族みんなで住もうって話になって」

「んで、出ると」

「飯食うとこに」

「……。家族はなんも言わねーの?」

「だってみんな見えてないですもん。オレだけっスよ。素麺を俯きがちに食べてんの」

「お前は普段からもうちょっと飯見ながら食ったほうがいいと思う」


 メロンパンをさっきからこぼしまくってる後輩を見て、そう指摘すると「それじゃあ何かあった時にツッコミ入れられない」とドヤ顔で姿勢を正しやがった。

 いや、毎度ツッコミ入れてんのは周囲だから。


「つーか、なんで素麺? 他の時は出ねーの?」

「それが出ないんスよねー……。素麺になんか恨みでもあるんですかね?」

「知らねーよ」

「先輩、今日うち来てくださいよ」

「は?」

「そんで素麺食ってください」


 ナイス、アイデア。

 そんな文字が後輩の顔に書かれてるように見えた。

 おい……おいちょっとまて。


「てめー……俺を餌に使おうとしてやがるか? あ?」

「後輩が困ってるんです先輩助けてください一大事なんですよ」

「こっち見て言え!!」


 ぐるんと余所を向いて早口で言う奴に怒鳴るけど、メロンパンを食いに走りはじめる。

 だから……こぼし過ぎだろお前!!

 始めから協力する気は毛頭ないから、息を一気に吸って言い放った。


「ならその素麺男に一回素麺食わせろよッ!! なんか変わるかもしれねーだろッ!!」

「はあ!? なんでオレがユーレイにあーんしなきゃいけないんスかッ!?」

「こだわるのそこかッ!!」

「彼女にもしてもらえなかったのにッ!! オレ、初めてのあーんは彼女とするって決めてんのに!!」

「やだお前ホントきもい!! 心配しなくても初めてのあーんはとっくにてめーの母ちゃんが奪ってんだろーがッ!!」

「きもいってなんですかッ!! あーんは男のロマンですよ!? 深めCカップの美少女的彼女がいる先輩なら絶対分かってくれるでしょッ!?」

「分かるかッ!! 大体なんでお前が俺の彼女の乳のカップ知ってんだよ!!」

「本人に聞きました!!」

「黙れこの変態!! ……。あれ?」

「は……あれ?」


 互いにぜーぜー言いながら言葉を切って、ふと我に返る。


「……。おい、素麺の話どこいった」

「あーもーッ先輩がユーレイにあーんしろなんて言うからッ!! どうすんですか、もう昼休み終わっちゃいますよ!?」

「お前がそっちに話持ってったからだろうが!! とりあえず、今日は部活ねえから直帰して素麺ッ!! できるまで部活来んの禁止なッ!!」

「じゃあ先輩があーんして……!!」

「するかボケ!! 俺は絶対行かねーからな。行かねーからな! 行かねーからな!!」

「先輩くどッ!!」

「うるせーッとにかく実行、報告!! 明日部活ん時に聞くからレポートにまとめて俺に提出!! 分かったな!!」


 そんなこんなで、その後も素麺男に素麺を食わせる方向でしばらく、後輩と論争を繰り広げていたわけだけど、結局は口と凄みで後輩に快勝。

 始業ベルが鳴り響く中、悲痛な叫びを上げる後輩に背を向けて、その日を終えた。


 翌日の放課後。

 日が暮れるのが早くなって、部室は4時を回った現在、真っ赤な夕焼け色に染まっていた。

 少ない後輩達がギターや音響機器を調節したりする中で、俺は例の変態後輩を顧問室に呼び出して、結果報告を促したのだが……。



「で? お前んちの素麺事情ってどうなった?」


 尋ねると、ルーズリーフの一枚を握って、入り口近くで気まずそうにしてたあいつは、まるで怒られた小学生みたいな顔をして「実は」と話し出す。


「素麺男に素麺を食べさせるっていうかなんていうか……そういうのには至ったんですけどー……。家族会議が開かれまして」

「は? 家族会議? 意味わかんねーし。なにそれ何があった?」

「いや、ちょっとしたイベント中止についての家族会議がですね」

「中止って……素麺男退治イベント?」

「いや。うちの小学二年生の妹のバースデーイベントです」

「……。はああああああッ!?」


 おにいちゃーん。

 いつだったか、野暮用で寄ったこいつの家で、こいつに無邪気に甘えてた妹ちゃんの声が、記憶の彼方で蘇った気がした。

 瞬間、混乱の中でこいつに殺意が湧く。


「ちょっえっハァ!? 何、お前バカ!? 歯ァ食いしばれ泣いても殴るッ!!」

「怖ッ!! ちょっだって!! 先輩が今日中にレポートまとめろってゆーから!!」

「そういう訳なら言わんわバカヤロオオオッ!! つーか人の彼女の乳の話とか、あーんの話するより先に、まずそれ話せッ!!」

「あのねっ……例え血を分けた兄弟でも譲れないものはあるでしょうがッ!!」


 駄目だ。

 思ってた以上に後輩が駄目駄目人間だった。

 険しくした顔面で力のかぎりそう豪語したこいつに、自分の限界を俺は見てしまった。

 妹ちゃん、すまん。

 俺が不甲斐ないばっかりに、年に一度きりのバースデーを……!!


「じゃあ何か? 妹が泣き叫ぶ中お前は素麺を用意して空気に素麺を食わせてたわけか?」

「失敬な!! オレそんなひどい人間じゃないです!!」

「十分鬼畜でぶっ飛びすぎとるわッ!! じゃあ素麺男はどうなったんだよ、素麺男は!!」

「お母さんがあーんしました!!」

「ハアアアアアアア!? ちょっとだれかこいつのネジ走って持ってこい!! お前以外に素麺男は見えねーんじゃなかったのかよ!?」

「だから!! 手探りで口に運んだんですってば!!」

「てばじゃねーし触れねーだろユーレイだから!! 端からみたらエアースイカ割りじゃねーか!!」

「そんな感じです!! 先輩頭いい!!」

「お前素麺で首吊ってこいそして帰ってくるな!!」


 いやだって、とか何とか言ってたけど、いい加減俺の中の色んなキャパがぶっ壊れそうだったから、全部無視した。


 要はあれだ。

 こいつとの会話を罵倒うんぬんを省いてまとめると、だ。


 昨日家に帰ったこいつは、ご馳走を支度してる家族全員を居間に呼び付け、家族会議を開いた。

 そして浮かれ調子の妹ちゃんを前に「今年はオレが主役だから誕生日会はしない」と開口一番にわけのわからないことを言い放ったらしい。


 さすがの家族も、こいつがただならぬ馬鹿の雰囲気を醸し出していると察知したのか、理由をひとつひとつ、こいつに合わせて聞いていったんだそうで。


「オレのこと病院連れてくって、最初お母さん言って聞かなかったんスよねー。本気疲れました」

「そりゃ言うだろ」


 友達がいきなり「素麺を食べると出てくる男の幽霊に、素麺を食べさせるから、誕生日のお祝いはナシにしてくれ」なんて言い出したら、俺は一度そいつを殴る。

 で、治らなかったら鉄格子の嵌まった病院に連れていく。チャリに乗せてでも連れていく。

 けどこいつは俺の心中をまったく悟ろうともしないで、まるで懐かしむように昨日の修羅場を語ってくる。


「でも、みんなわかってくれて良かったっスよ。お母さんがテーブルに足乗っけて素麺振り回してる間は、一時はどうなることかと思っちゃいましたけど、なんとかユーレイも素麺食ってくれたんで」


 その間じいちゃんは、素麺の洗礼の巻き添えを食らって失神して、妹は素麺だらけの食卓を前にひたすら泣きまくってましたけどね!!

 そう言ってハハっと笑うこいつと、想像した絵面に、めちゃくちゃ引いた。

 妹ちゃん、来世ではいいことがあるぜ。きっと。


「とにかく……素麺ヤローは退治できたわけだな?」

「ハイ!!」

「レポートも纏めたんだな?」

「実況調ですけど!!」

「おまえ家族がえらい目に遭ってる間実況してたのかよッ!!」

「なんか面白かったんで!!」

「ホント素麺で死んでこい!! そして妹ちゃんと兄弟の縁切ってこい!!」

「なんで!?」

「なんでじゃねーよ!!」


 ああ、頭が痛い。

 気づけばとっぷり日は暮れて、外は真っ暗になっていた。

 他の部員も何人か顧問室に来て、挨拶をして帰っていく。

 俺はなんだか疲れて、そーめん後輩に「帰るぞ」と一言告げると、部屋を後にして、部室の戸締まりをそいつとし、最後に誰もいなくなった部屋の明かりを消すと、鍵をかけた。


「ねー先輩ー」


 ふいに後輩が口を開く。

 もはや、やな予感しかしないが、どすの効いた声で返事をすると、後輩は実に晴れやかな声でこう言ったのだ。


「よく出来たご褒美に、『先輩の彼女にあーんして貰えます券』発行してくださいよ」

「……。歯ァ食いしばれチョキで殴る」

「せ、は!? ちょっ……これ目潰しですからあああああああ!!」


 素麺男も、可哀相な妹ちゃんも、この際救われなくてもいい。

 ただ、このどうしようもなく故障した後輩が直せる、腕のいい技術者がいるなら紹介してほしい。

 後輩に詰め寄りながら、俺は強くそう願ったのだった。




素麺おとこ  了

2012.

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