Track.2 Retrace 「4」

***




慌ただしい宴が終わった。ひとしきり食べたのでお腹も心も満たされている。辺りを見回すと、先生もリニアも床に寝転がり奏だけが黙々と片づけをしていた。俺も手伝うと声をかけたが、奏に休んでいてと言われたので大人しくそうすることにした。


しかし、ただじっとしているのも勿体ない。かといって、奏に片づけを任せて俺だけ一人帰宅するというのも申し訳ない。


「コンビニでもいくか」


食後の運動も含め、先生たちに酔い覚ましの薬を買ってくることにした。


「どこいくの?」


出かける準備をしていると後ろから誰かが呼んだ。リニアだ。


「コンビニ。食後の散歩。お前は寝てろ」


「やだ。私も行く。酔い覚ましに外いく」


「まあ、別にいいけど」


幼稚園からコンビニまでの距離は結構ある。俺はぼんやりと光る街灯を眺めながら、夜風に身を任せる。この街にもずいぶんと慣れた。まるで地元のような気分さえする。


そっと空を見上げた。今日は雲が多くて月が見えない。辺りがいつもより暗いのは月の光がないせいか。俺は前に向き直る。まばらに置かれた街灯のせいで道の先は真っ暗だ。


ふと、俺は自身の将来を考えた。




―俺はこの先どうなるのだろうか。一生懸命に勉強をして、就職して、真っ当な人生を生きていくのだろうか。だとしたら、きっとそこには不満なんてない、理想的な将来だ。目標も理想もない方が賢く生きていけそうだ。中途半端な理想主義より、無難な現実主義の方が俺には向いている。




「……何が起こるかわからないのに、今から考えても仕方ないか」


先ほどの大人二人の意見を参考にする。あの人達もたまには役に立つのかもしれない。ちらりと隣を見る。先ほどから、よたよたと危なげに歩くリニア。まるでゾンビのようだ。


「こんな酔ってるんだから大人しく寝てればよかったのに。何で来たんだよ」


「そうちゃんと、一緒に……行きたかった」


途切れ途切れに喋り、ついにリニアは俺に寄り掛かってきた。不覚にも、一瞬どきりとしてしまった。女の匂いとやらが鼻をくすぐる。


「べ……別にそんなこと言っても、俺は惚れないぞ」


「あらら、それは……残念」


軽口を叩くリニアだったが、彼女はもう歩けそうにもなかった。俺は近くの公園に寄ると、ベンチに彼女を座らせた。やれやれ、しばらくここで休んでからいくか。




「あの」


どこかで子供の声がした。振り返ってみるが誰もいない気のせいか。


「お兄さんね」


すぐ目の前で声がした。女の子。奏より少し成熟した、六年生か中学一年生くらいの女の子が立っていた。年齢にそぐわない、含みのある笑顔で笑っている。嫌な予感がとてもする。さっさと交番に預けてしまおう。


「どうしたの、君? 家出?」


「……」


少女はどこか不満そうな顔をしたまま黙っている。よく見ると、彼女の服装はテレビや雑誌で見たような服。とても高級そうだ。お金持ちの御令嬢にも見える。この辺は団地住宅地だ、隣町から来たのだろうか。


沈黙が俺を妙に緊張させる。


「えっと。どうして俺に話しかけたのかな?」


「……」


「俺、ちょっと今は忙しくて……」


「お兄さんは、運命についてどう思う」


「え?」


風がざあっと通り抜けかのように思えた。よくわからないが冷や汗までも出てきた。


「人生とは何?」


「あの、ごめん。ちょっと俺には何を言ってるのか、さっぱりで……」




バンッ




隣で音がした。どうやらリニアの頭がベンチに当たった音のようだ。


再び前を向くと、


「あれ?」


少女の姿はなかった。まるで何かに化かされたような気分だ。


「俺も酔っ払ったかな」


「いたた……あれ、ここどこ?」




先ほどの衝撃で目を覚ましたリニアをつれ、コンビニへの道を再開する。


「ほら、あとちょっとなんだから……ちゃんと歩いてくれ」


「わかってるって」


そう言いながらも、彼女の足元はふらついていた。


「……リニア、無理そうならここで待っててくれ。すぐ戻ってくるから」


「嫌だ! それは、嫌。一人は……寂しいから、嫌」


いよいよ、面倒臭くなってきた。


「じゃあ、おぶるから。乗ってくれ」


「……うん」


多少、歩きにくさはあるが仕方がない。俺はリニアをおぶったままコンビニへと向かった。


「こんな姿、葵に見られたら一生ネタにされるな」


「え?」


「なんでもな……」


次の瞬間、先ほどとは比べ物にならないほどの悪寒が全身を通り抜けた。




―やばい。




直感が脳に危険信号を送る。目の前からもの凄い視線を感じた。目をこらして見ると、まるで夜の闇に溶け込むかのように道の真ん中に黒ずくめの男が立っていた。


「五年前、ある少女がいました。ある日、少女は自分の道を生きると言って家を飛び出しました」


抑揚のない声。まるで機械が話しているかのようだ。男は続ける。


「そして五年が経った」


男は一呼吸置くと、やっと感情が宿った声を漏らした。


「リニア・イベリン。素敵な名前だな」


それは寂寞感で満たされたような声。


「私が自分でつけたんだもの、綺麗な名前でしょ」


「君の性格にぴったりだ。モーターの名前をとってくるとは」


「違う、これは植物の名前よ」


「ほう」


真剣な表情で答えるリニアだったが、彼女は未だ俺の背中におぶさったままである。おかげで少し緊張が解けた。


「もう大丈夫、おろして」


「ああ」


リニアは俺の背中から降りると、簡単なストレッチを始めた。どうやら酔いは完全に覚めたらしい。


「本当にハンスが来るとは思ってなかったわ!」




―ハンス!? この男がハンスなのか!?




ハンスと呼ばれた男は、身動き一つすることなく丁寧に答えた。


「ええ、私もこんなことになるとは思いませんでした。少々、驚いています。あなたを育てたのは私自身ですから」


「そうね、あの人は自分の子供を見捨てて、全部あなたに押しつけたんだから」


「ですが、あなたのお父様は私の御主人ですから。主の命令は絶対です」


「へえ、あなたってそんなに型物な人だったっけ?」


「私も月給を戴く身でして」


声は出さずとも、互いに口角を上げて笑い合う。


「じゃあ、私を処理しに来たってことね」


「はい、お嬢さま」


「お嬢さまなんて久しぶりね、そうちゃん聞いた?私も本当にお嬢さまなのよ?」


こいつ。緊張感がないのか、あえてこのような態度をしているのか。




ハンス・ブリーゲルはじっと俺たちを見据えていた。俺は最大限に警戒しながらポケットの中を探る。畜生、紙が足りない。護身用に財布の中に入れておいた数枚しかない。これじゃ、ボディーガードにすらなれない。ただの足手まといだ。


俺の焦りが伝わったのか、リニアはいつもの笑顔で笑いかけてきた。


「大丈夫よ、私が守ってあげるから」


「なっ……おい、それは男が言うべきセリフだろ」


彼女の一言ですっと心が落ち着いた。そうだ、いくら使えないとはいえ何か方法はある。こっちは二対一だ、勝機はある。


唐突にハンスが口を開いた。


「魔法使いに勝つことができる最善の方法」


「それは魔法を使わないこと」


反射的にリニアが答えた。


男は続ける。


「その最善の方法を超える方法」


「相手が魔法を使えないように阻止すること」


再びリニアが間髪いれずに答えると、男は小さく笑った。


「基礎は覚えているようですね」


「ああ、昔から何回もハンスに言い聞かせられたからな」


雑談を交わし合う二人だが、空気は一触即発だ。


「上層部の、あの人が下した命令は何?」


「魔法士、リニア・イベリンの除去。ただこれだけです」


「あのクソ親父……」


リニアは拳をきつく握りしめた。二人が集中している中、俺は財布の中から慎重に紙を取り出す。


「ほう、君が鈴木聡太か」


「っ!?」




―俺を知っている?




「あれがingの本体とは。思っていたより普通だな」


彼は俺の反応なんか無視して淡々と呟く。




―ing? 何だ? こいつは何を言っているんだ?




「お……おい、あんた!! それ、どういう意味だ!!」


「先手必勝っ!!」


リニアは胸元に仕込んでいた紙を勢いよくハンスに向かって投げる。紙に書かれた複数の文字が輝き始め、一気にハンスを襲った。稲妻や炎、水流が同時に発生し、彼の姿が視認できないほど煙が立ち込めていた。


「やれやれ……」


煙が徐々に晴れていく。ハンスは無傷で、まるで砂を落とすかのように手をはたいていた。


「魔法使いに勝つための最善な方法、それは魔法を使わないこと。私の教えとは異なりますね」


男はすばやい動きで服の中に潜ませていた拳銃を取り出した。俺も必死でそのスピードについていく。彼が引き金を引いたのと、俺が『曲がれ』と書いた紙を投げたのは同時だった。幸いにも、俺の紙は弾丸に当たった。奇跡かもしれない。弾はリニアを避けて、壁に穴をあけた。


「バカ!! 気をつけろ!!」


俺の忠告にも関わらず、リニアは舌を出して笑っている。


「まあまあ、ピストルに消音機までつけて……さすがプロね」


リニアの称賛にハンスは眉ひとつ動かさない。ただじっと彼女を見据えていた。


「勝つための喧嘩では僥倖を狙ってはいけない。これもまた私が教えた指針とは異なりますね」


「それを知っていて、何であなたは暗殺しなかったの?」


「……」


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