Track.2 Retrace 「3」
***
「奏、手伝うよ」
俺が台所に入ると、奏は手を止めて振り返った。可哀そうに。世話する大人がまた一人増えるなんて。奏に向かい軽く黙とうをすると、彼女は小さくお辞儀を返してくれた。そして一緒に夕飯の準備をする。
「そういえば、奏さん。今日はずいぶんと楽しそうですね」
「うん」
普段なら黙って頷くだけだが、今日は返事を返してくれる。よほど機嫌がいいのだろう。
タンタンタン
心なしか具材を切る音さえ楽しげに聞こえる。
「何かあったのですか?」
「うん。リニア、帰ってきた」
そうか、そういえばこの二人はとても仲が良かった記憶がある。そもそも三年前にリニアが奏を救ったのだし、当然といえば当然だけど。
「じゃあ、今日はお祝いしなくちゃな」
「うん。今日はお肉いっぱい使う」
嬉しそうに調理する奏を見ていると、リニアの帰国も悪くないような気がしてきた。厄介事さえ持ち込まなければ、俺だってリニアはそこまで嫌いじゃない。何故なら、彼女はとんびに似ていた。
根本的な部分は違えど、あの持ち前の明るさはどこか似ていると思った。もちろん今となってはただの学生時代の思い過ごしのようなものではあるが。あの余裕のなかった時は本当に思っていたのだ。過去の恥ずかしい想い出のようなものだ。
「ご飯」
「え」
「ご飯まだ?」
頭に思い浮かんでいた顔がすぐ横にあった。リニアだ。
「まだまだ。早く食べたいなら手伝ったらどうだ?」
「だから料理できないって」
「じゃあ、大人しく待ってろ」
肩に乗っかる顔をどけると、リニアは反抗するかのように後ろから抱きついてきた。
「いつ完成するのー?」
「あと少し」
「そうちゃん、料理できるなんてすごいね」
「こうみえても自炊歴二年目なんで。たいていの料理はできますけど」
皮肉をこめて言ったものの、彼女は呑気に笑っていた。
「私なんてお腹に入ればみんな同じだと思っちゃうから、料理に必要性を感じられないんだよね」
その後もリニアは暇なのかずっと俺に抱きついたまま、ちょっかいを出し続けてきた。
「もう……あっちで大人しく待ってろ!!」
「えー、ひどいじゃない。私、そうちゃんのこと大好きなのに」
「分かったから、向こうに行っといてくれ! 気が散る!!」
俺だって健全な男子学生なのだ。いくらリニアとはいえ、女性にずっとくっつかれていたら集中できるものもできない。
ふと、奏が俺たち二人をじっと見ていることに気付いた。
「奏?」
「……」
何も言わない。
「どうかしたか?」
「……別に」
ふいっと顔をそむけると、奏は再び調理に戻った。いくら鈍感な俺でも彼女が少し不機嫌になったのはわかる。調理をさぼって煩くしてしまったせいだろうか。全く、このトラブルメーカーめ。文句を言おうと後ろを振り向くが、リニアはとっくに台所から姿を消していた。
夕飯はバーベキューパーティーをすることになった。俺はホットプレートに火をつけ、食材を乗せていく。牛肉、豚肉、鶏肉、たくさんのお肉と野菜。正直四人分にしてはかなりの量に思える。まあ、この獲物を狙うかのように構える大人二人がいるには充分だろう。二人とも焼き加減がよくわからないため、ただ俺のGOサインを待っている。リニアに至ってはビール片手に構えているので、零しそうで心配だ。
「お、この肉はもういいと思……」
俺が言い終わる前に二人は動いていた。初戦は先生の勝ち。さすが先生、大人気ない。二枚目の肉も焼けそうだった。どうやらリニアも目をつけており、俺の言葉を今か今かと待っているようだ。
「これもそろそろ……」
俺が喋り出すや否や、リニアは動いた。
しかし。
「はい、奏」
俺は焼きたての肉を奏のお皿へとすかさず置いた。それをリニアに盗られる前に素早く口に含む奏。中々の連係プレーだ。
「そんな」
がくりと肩を落とすリニアだったが、当たり前だ。
「子供が優先に決まってるだろ」
そんな様子を見て、笑っている先生。いや、あんたが一番年とってるんだから自重すべきなんだがな。先生にも一言言いたがったがお金を出してもらっている以上、見過ごしておこう。というか、年の話をしたら殺されそうだ。
半分くらい食べ終わった頃だろうか。焼き加減を見ている最中、先生が不意に口を開いた。
「私、こう見えても本当に幼い頃から希代の聖女様扱いされてきたから、料理したことないのよ。周りの人間が知らずとおいしいものを提供してくれていたし。その後も幽遊ちゃんや奏ちゃんが食事を用意してくれたから、実は一度も台所に立ったことないのよね」
「ほう……」
話し半分に聞き、俺は適当な返事をしておく。人間、生きてきた環境に大きな影響を受けるのは明らかなんだな。堂々と料理できない宣言をする女性も中々いない。やはりこの二人は普通ではないと実感した。
「ところで、こんなのんびり飯食ってるけどリニアの件は大丈夫なのか?」
「多分、露骨的な攻撃はしてこないと思うから大丈夫じゃない?」
俺は真面目な態度で先生に尋ねるが、彼女は肉を食べながら返事を返した。せめて食べ終わってから話してくれ。
「何か考えがあるのか?」
「いや、何も思いつかない」
思わず拳を構えてしまった。そんな俺をなだめるかのように、奏が俺の肩をたたいた。
「諦めて」
ああ、そうだ。この女はそういうやつだった。大体、俺には関係ないことだった。ただ何か悪いことが起こるのは避けたかっただけである。
「大丈夫だって!!」
そんな俺の心情を知ってか知らずか、随分酔いが回ったリニアが肩に手を回してきた。
「ハンスは私の父親みたいな存在なんだから!偶々、仕事の関係上ちょっとぶつかるだけよ。どうにかなる、絶対。こんなとこで悩んでいても仕方ないんだから、今はただ目の前のお肉をおいしいと思っとけばいいの」
そう言って俺の口に肉を突っ込むリニア。
うまいな。
「それより私が三年間どんな生活していたのか話してあげる」
そして彼女は一人で勝手に話し始めた。酔っ払いを無視して俺は思う存分を肉を食べる。奏に秘伝のタレを作ってあげると、彼女はそのタレが気に入ったらしく満足げな表情を浮かべていた。
「先生もタレいるか?」
「いや」
先生は静かに首を振ると、煙草を取り出した。
「何だよ、煙草なんて吸うのか。初めて見た」
先生が火をつけると、煙は外に惹かれていくように窓の隙間を逃げていく。
「以前、第一次著作事件というのがあった」
「何だそれは」
先生は近くの器に灰をこぼして続ける。
「封印を解かれて直後、一銭もなかった私は魔法士協会に乗りこんだんだ。『私が魔法を構築したんだから使用料を払いなさい』って」
「うわ。いくらなんでも横暴すぎないか」
「横暴じゃないわよ。私が構築したのは事実だし、魔法書も私が制作したんだから最低限の著作権料はもらうべきでしょ」
「確かに納得できなくもない」
一応、先生も作者ってことになるのか。
「それで法的処置も辞さないって言ったら向こうも動揺してね。魔法そのものが世界に明るみになってしまうから。そこで色々と話し合った結果、魔法士協会との間にいくつか細かい協定ができたの『魔法士協会内部のことには一切関わらない。代わりに魔法士協会側は著作権料として一定の支払いをする』って。私はそのお金で幼稚園の維持をしているようなものなのよ」
「……もし協定を破ったら?」
「もちろん」
続きは言うまでもないようだ。
「つまり、あんたは迷ってるってことか」
「さあ」
はぐらかす先生だったが、その視線は奏とリニア、両方を見ていた。一人の子供を養うには経済的な支援が必要である。協会からのお金を絶つわけにはいかない。しかし、弟子を見捨てることもできないのだろう。さっきは二人が近くにいたから適当に答えていたのか。先生も色々と考えてはいたんだな。
「ねえー!! 二人で何話してるの?」
再び、リニアが抱きついてきた。先ほどより赤い顔をしている。かなり酒が入っているようだ。
「ねえ、そうちゃん。教えて」
リニアは頬をすりすりと寄せてきた。
「やめろ、馬鹿」
「私は馬鹿じゃないよ。リニア! リニア・イベリンよ!!」
「わかった、わかった。いいから、向こう行ってくれ」
「むう……この男、空気読めないわね。ねえ、リーちゃんって呼んで! リーちゃん」
「おい、奏もいるんだ。いい加減にしろ、酔っ払い」
「なに、そうちゃん。こういうの嫌いなの?」
「別に嫌いでは……いいから、向こう行け」
「もう! このダイナマイトボディのお姉さんをよく見なさい! 本当に向こう行っちゃっていいの!?」
俺はリニアを無視して再び肉を焼き始めた。
「ん?」
気づくと、また奏がじっとこちらを見ていた。先ほどまで嬉しそうにお肉を頬張っていたのに、今はなんだか不機嫌に見える。
「奏……どうかしたか?」
「……バカ」
「え!?何で!?馬鹿はこいつだろ」
「うるさい」
……やっぱり今日の奏はよくわからない。
「それで、どうするつもりなんだ?」
寝落ちしたリニアを隅にやると、俺は先生の元へと戻った。先ほどは冗談を言っていたが、今ならちゃんと答えてくれるだろう。先生は偽物っぽい笑顔を向けてきた。
「助けてくれる?」
「どうやって」
「私は今回、表立って動けないから君がリニアのボディーガードをしてくれたらいいな」
「俺なんかより、リニアの方がよっぽど強いぞ」
「それでも一人より二人でしょ?」
その笑顔はなんか腹立つな。
「……まあ、本来なら断るところだけど、今回は事態が深刻みたいだから仕方ないか」
きっと奏も今回の件に関わらざるを得ないのだろう。俺はリニアより奏の方が心配だ。こんな大人二人には任せられない。
「わかった、その依頼受けるよ」
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