Track.2 Retrace 「2」

***




買い物から帰ってきた奏は玄関に見慣れない靴を見つけ、その足で執務室へと向かった。両手に大きな袋を提げたまま、中の様子を窺う。そして扉を開けると、銀色の髪が目に入った。


リニア・イベリンだ。


以前から面識のある奏は警戒することなく、ただきょとんと彼女を見つめていた。そんな奏の視線に気づくと、リニアは彼女の前に屈み、にこりと笑いかけた。


「久しぶりね、奏ちゃん」


「リニア」


「元気だった? ご飯はちゃんと食べてる?」


「うん。元気」


「そっか、それなら良かった」


「うん」


奏はいつも通り口数は少ないが、嬉しそうな雰囲気が感じ取れる。色々と訊ねてくるリニアの態度に嫌がる様子も見せない。それもそのはず、三年前の拉致事件で奏を助けたのは彼女だ。


「そういえば、奏ちゃん大きくなったね? いくつになったの?」


「十歳、今は五年生」


「へえ、もうそんなになったの」


「リニアは何歳になった?」


「奏ちゃん!レディーの年はむやみに聞くものじゃないわよ」


「……れでぃー?」


「うん、レディー」


首を傾げる奏。つい天城も口を挟む。


「それ、ナンセンスじゃない?」


「え!?」


部屋に響き渡る笑い声。師匠と弟子の三年ぶりの再会、リニア・イベリンの帰国。


ここから彼らの日常生活は、逃れることのできない大きな渦へと巻き込まれていくことになるのだった。




***




ハンス・ブリーゲルはあまり表に出ることが好きではない。そんな彼にとって、秘密集団のボディーガード兼秘書とは適職といえよう。 彼は主人の命令とあれば、文句なしに仕事を行う。そんな彼に下された命令の一つに主人の娘の世話というものがあった。十年以上に渡り、少女の世話をしたハンス・ブリーゲルには、本人も知らぬうちにリニア・イベリンに対して本当の娘のような愛着を感じていた。


そこに今回の「リニア・イベリンの抹殺」という命令。あまり気乗りしないのも当然だ。しかし、彼は公私の感情の区別ができるプロである。主の命は絶対。


あらかじめパスポートやビザなどは教会から発給されていたため、日本へ来ることは簡単だった。後は彼女を見つけ出し、処理するだけである。




元々リニアは彼から体術を学び、金色の魔女から直々に魔法も教わり、逃げることには長けていた。当時は教会の上層部もここまで彼女に気を使ってなかったので、目をつぶっていた。


しかし以前から何度か彼女が金色の魔女と接触していた事実を把握しており、ついに協会側もハンスを派遣するに至ったわけである。そしてついにリニアの方も危機感を感じたのであろう。彼女は日本、現存最高の魔法士、天城紫乃の元へ助けを求めに逃げてしまった。師である彼女が協会側に対し、何か仕掛けてくるに違いないのである。




「やれやれ自らが育てた子を、自らの手で処理しなければならないのか……上層部も中々に性質が悪い」


ハンスはポケットから煙草とライターを取り出した。金属製のライターに映る彼の顔はあまり良いとは言えない。彼は煙草に火をつけると歩き出す。


空港を出ると協会側の人間が黒い車の前に立っていた。互いに軽く目礼を交わすと、彼はハンスにスーツケースを渡した。


「それでは幸運を祈っております」


「ああ、最善を尽すつもりだ」


ハンスは車に乗り込むと空港を後にした。




 ***




「―だから、早く来てくれってどういうことなんだ」


「いいから早く来なさい。色々と話さなければいけないのよ」


図書館で勉強している最中、突然の電話だった。幼稚園にはたまに夕食を食べに行く程度で、しばらく俺は穏やかな日常を送っていた。だから今日、こんな風に先生から電話来ること自体久しぶりすぎて驚いている。そして、電話口の彼女の声は珍しくイライラしていた。


「嫌な予感しかしない」


彼女の声とは別に後ろの方で騒がしい音もしていたし、何よりあそこまで機嫌の悪い先生もめったにない。




―まさか。




あまり行く気がしないが仕方ない。返事をする前に電話を切られてしまったので、仕方なく出かけることにした。ついでに夕食もご馳走になってこよう。




外に出ると、どんよりとした雲行きに更に気力が削がれる。図書館から幼稚園まではバスに乗っていくしかない。まるで全てがあの魔女に味方をしているかのように、バス停に着くとすぐにバスが来た。乗客は少なく、俺は一人掛けの席に座りぼんやりと外を眺める。下校途中の学生や買い物帰りの主婦、犬の散歩をする老人。外の世界は非常におだやかな日常が送られていた。俺も普通の日常を過ごしたいのにな。




幼稚園に着くと、俺はいつものように執務室へとまっすぐに向かった。玄関に見慣れない靴があったが、俺は楽観的に努めて『奏の新しい靴』と捉えようとしていた。




しかし―、


「久しぶり!」


「うわあ……リニアだ」


やはり違った。


先生のそばに立っていた女。それは伝説のトラブルメーカー、リニア・イベリンだった。


ついに災いの権化とも言える女が来てしまった。


「なにその反応。久しぶりの再会なんだから、少しは喜んでよ」


「喜ぶところか?」


「そう、喜ぶところよ」


「全然嬉しくないのに、どうやって喜べと」


俺が入口で立ち尽くしていると、リニアが思い切り抱き着いてきた。無理やり退けようにも、俺も男である以上躊躇ってしまう。結果、俺は成す術もなく彼女のいいように頭を撫でられるしかなかった。別に嫌ではないが……複雑な心境だ。


「そうちゃんも大きくなったねー。雰囲気も男らしくなっちゃって!」


「……そうちゃん呼ぶな」


「ほんと、昔と大違い。立派になっちゃたのね」


「……」


「でも、そうちゃんは相変わらずかわいいねー」


お気楽そうに笑うリニア。いい加減、ずっと抱きしめられているこの状況が気恥ずかしくなってきた。


「ええい、もうあっちいけ!!」


リニアの腕を掴んで向こうに押し返すと、彼女は頬を膨らませて拗ねた表情した。


「もう。レディーに対して失礼だよ」




ん?今『レディー』とかいう単語が聞こえたような?気のせいか?気のせいだよな。




「それで、リニアは一体いつきたんだ?」


「今日。正確には今日の朝方」


「ずいぶん早い到着だな」


「まあ逃亡中だから」


「は?」


まるで大したことでもないように答えるリニア。逃亡中……?


「詳しいことは先生が教えてくれるよ」


リニアから面倒ごとを丸投げされた先生は非常に疲れた顔をしている。こんな先生の姿はめったに見ない。まるで人が変わってしまったかのようだ。




そして先生は事の顛末を話し始めた。




「つまり……三年間逃げ続けて、ついに逃げ場所がないから先生のもとにやってきたってことか」


「うむ」


あっけらかんと肯定するリニア。先生と同じで俺も彼女がそんな状況下だとは全く思わなかった。そして今もこうしている間に、この女には危機が迫ってきているということだ。本人は気にしている素振りを見せないが。




―今回の件は非日常すぎるな。




「とりあえず、リニア。がんばって」


すると彼女は再び俺に抱き着いてきた。


「そんな他人事みたいに言わないでよ」


「いや他人事だし」


「私にとっては、そうちゃんは他人事じゃないよ。私、そうちゃん大好きだから!」


「あ、はい。そうですか」


もう抵抗するのも面倒くさくなってきた。そもそも空腹で抵抗する力も沸かない。


「それより夕飯はいつ食べるの?」


「奏ちゃんが用意してるから、もうちょっと待って」


「あー、早く奏ちゃんの料理食べてみたいな!」


こいつら……。


「成人女性二人もいるのに、子供に料理させてんのか」


俺が呆れた声を漏らすと、二人は顔を見合わせて答える。


「だって私、料理できないもの」


「私も料理できない」


この師匠あって、この弟子ありってことか。




***




『仕事だ』


綺麗に整頓された部屋に響く声。それは机の上のパソコンから聞こえてきた。画面には奇妙な風貌をした金髪の青年が映っている。


「奇妙な」というのは、青年にはその若い顔立ちには似合わない立派なひげが生えていたからだ。彼は威厳のある雰囲気を醸し出したまま言葉を続ける。


『ハンス・ブリーゲルが動いた。君も動き始めなさい』


パソコンの前に座る少女はその名にぴくりと反応した。魔法士の間では有名な男。彼女にとって最強の相手と言えるであろう。


『奴が動いたということは、リニア・イベリンが日本に戻ったという証拠だ。再びingが起こる可能性が高いだろう。直接調査をしてこい。いざとなれば彼女を抹殺しても構わない』


リニア・イベリンの抹殺……?


少女は疑問を抱いた。




―ing自体は彼女と関係がない。むしろingの覚醒を促すには、鈴木爽太を拉致する方が賢明ではないのか。




『議会で決定したことだ。君の性格上、色々と疑問を持っているだろうが議会は君が思っているほど賢明じゃない。君はただ言われたことをすればいい』


青年の態度からして、彼はこの少女の上司のようだ。 


『我々の計画はingの覚醒を誘導するものだったが、この組織も疲弊してしまっている。金色の魔女との一騎打ちには協会の勢力が邪魔だ。今回の件で協会側との形勢を逆転するつもりだ。健闘を祈っているよ』




そして映像が終わった。パソコンの前に座る少女はため息をついた。今回の件は彼女にとって重要度が大きい。長期的なing覚醒計画のため彼女はこの都市に来た。潜入に数カ月かかり、人目に付かず行動するためにまた数カ月かかり、ちょうど一年近く経った今になって、計画がまた白紙に戻ってしまったようである。


少女が所属している組織「研究所」は数人の研究員が交代制で構成される議会が最高本部であり、この議会の決定により本部全体が動く。そして少女はこの研究所で造られた存在だ。いくら下された命令に納得できないとしても、本体に組み込まれた研究所への忠誠機能により必ず実行しなければいけない。




ふと、彼女は同志ともいえる友人を思い浮かべた。




―真田ちゃんならこういう状況でも躊躇いなんてないのだろう。




幽霊事件以後、研究所内部で離脱者とされている彼女は現在密かに身を隠している。




―今回の件で手柄を取れば、私の進言で彼女の件は赦されるかもしれない。




少女は立ち上がり、戸棚を開いた。そこには派手な服がたくさん掛けてある。その中の一つを選んで、着替えると外出の準備をする。


少女、ノエルは研究所のため、そして友人のため、任務を遂行するのであった。




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