Track.2 Retrace 「1」
ざわざわ。
ここはとある空港だ。大勢の人々が忙しなく行き来している。案内放送から流れる声。それに合わせて移動する人々。長旅からようやく帰国したのか、たくさんの荷物とお土産を手に移動する人。再会を喜び、抱き合う人。空港は様々な感情で埋め尽くされている。そんな騒然とした場所に一人の女が立っていた。
眼鏡をかけ知的そうな外見の女。きらきらと輝く銀髪に、空のように澄んだ青の瞳。顔立ちからして明らかに日本人ではなさそうだ。通り過ぎる外国人でさえも、珍しそうに彼女を眺めていた。そんな周囲の視線を楽しむかのように彼女は自信満々な顔で出口へと向かう。
「三年ぶりか……」
眼鏡をくいっと上げる。これはどうやら彼女の癖のようだ。
「少しも変わらないな」
まるで何回も訪れたことがあるような口ぶりだ。女は出口が見えると、少し歩調を早めた。そして外に出るや否や、
「ええええええ!?」
―絶叫する。
「どうして誰も迎えに来てないの!? 三年ぶりなのに!!」
何か手違いがあったのだろうか。女は迎えがいないことに、怒りの表情を浮かべていた。
「何だよ!せっかく戻ってきたのに!!歓迎プラカードの一つもないじゃないか!!」
彼女は行き場のない怒りにひたすら地団駄を踏み、壁を蹴りつづける。他人の視線は全く気にならないようだ。
こうして数分が過ぎ、彼女も冷静さを取り戻すと大きく深呼吸して顔を上げた。
「もういいっ!! 迎えが来ないんだったら、私から行ってあげるわ!!」
「―リニア、参上っ!!」
女は空に向かって高らかに宣言する。このリニアという女が再び日本に戻ってきた直後、今まで安定していた勢力図に歪みが生じ始める。この女のせいか、あるいは偶然か。
ただ明らかなのは、この女が今回起きる事件に深く関わっているという点であり、彼女によってこ
れまで隠されてきた真実が明かされてしまうという点だ。
リニア・イベリン。『銀髪の魔術師』と呼ばれた女が再び日本に舞い戻ってきた。
***
「へっくしょいっ!!」
天城紫乃は思わずくしゃみをした。
「何だろ、誰か噂でもしてんのかな」
ティッシュで鼻をかみながら、彼女は妙な不安感を胸に覚えた。現在、平日の午前中。子供たちのはしゃぎ声が隣から聞こえてくるが、園長先生である彼女はいまだ職員室にこもっている。
「あ、これかわいい!」
パソコンに映し出されるおしゃれな鞄に目が止まった。就業時間中だというのに、この女は他の教師に内緒で、通販サイトを開いている。バレたらまた叱られてしまうからだ。そう、既に三回ほど経験済みなのだ。
「園長先生!? 早く来てください!!」
「……はいはい」
彼女は奥から聞こえる職員の声に、しぶしぶエプロンをつける。
「さっきの鞄、後で買おっかな」
ひとり言を呟きながら扉を開けると、彼女の前に凄まじい形相の職員が立っていた。
「宮森先生……まるで鬼のようですね」
宮森という女性は二コりと笑うと、彼女の腕をがっちりと掴んで教室へと連行した。しかし、そんな天城紫乃も社会人。教室に入ると、一気に表情を変える。何人もの子供の面倒を見て一緒に遊ぶ。そして事務的な処理も行い、更にはもうひとつの方の仕事も行う。普通の人間ならオーバーワークで倒れてもおかしくないだろう。
だが、彼女は普通ではない。
彼女の身体は事実、ゾンビのようなものであり疲労感も苦痛すらも感じない。
「せんせいー」
「なーに?」
園児に笑いかける先生。何も知らない人間にはただの平凡な人間に映るだろう。鈴木爽太もこの天城紫乃も。
保育士の仕事は思っていた以上に大変である。子供たちの面倒を見ることにも気を使い、もちろん親御さんたちへも気を使う。最近は英才教育の風潮があり幼稚園より塾にいれる人が増えたが、それでも未だに多くの園児がここに通っている。時々、天城紫乃は思う。このような忙しい日々を送っていたら、魔法関係のことなど考える余裕もないと。ただ別にそれが不満というわけでもない。現に彼女は今の生活をそれなりに幸せと感じている。
しかし、今日だけは何かおかしいようだ。彼女の胸にはずっと、もやもやとした気分が残っているようである。
「杞憂だったらいいんだけど」
天城紫乃は頬杖をつきながら深いため息をこぼす。魔法を創始した女には全く見えない。 こうして彼女の気分が晴れないまま一日が過ぎようとしていた。
夕方。他の職員が退勤すると、天城紫乃は別の顔を見せる。こちら側では、近頃密かに魔法士協会や研究所が動いているという事実を捉えた。先日、鈴木爽太と九条奏を派遣したあの幽霊事件だ。表向きには彼ら二人が事件を解決したが、直接処理をしたのはこの天城紫乃だ。
「三年前にingのせいであんな痛い目にあったのに、連中も懲りないわね」
机の上に資料を放ると、彼女はいつものように冷蔵庫から炭酸飲料を持ち出し一気に口に含む。
その時だった。
「こんにちはー!! 先生」
ノックも無しに勢いよく扉が開いた。
「リニア、来ちゃった!」
予想外の訪問に、彼女は口に飲み物を当てたまま固まっていた。そして、大きなため息をこぼす。
「これだったのか……」
どうやら彼女を一日悩ませていた原因がわかったようだ。
「久しぶりね、何の用かしら」
すると、リニアという女性は両手を大きく広げた。
「逃げる場所がなくなってしまいました! それで私は帰ってきました!」
「逃げる場所?」
「はい!」
「……三年間、ずっと逃げていたということ?」
「はい!」
「あなたって人はもう……」
元気に返事をするリニアに対し、彼女は呆れるように頭を抱えた。普段からマイペースであるこの天城紫乃がそのマイペースを維持できない相手が二人いる。一人は職員の宮森先生。そしてもう一人がこの女、リニア・イベリンである。
「うわ!! これまだ持っていたんだ」
「勝手に触らないで」
「はい、はい……あ、これ可愛い」
「全く……」
あれこれ好き勝手に部屋を見て回るリニア。そんな愛弟子をしばらく眺めた後、彼女は何かを決心したように手にしていた飲み物を机に置いた。
「それで、リニア。本当に何のために来たの?」
リニア・イベリン。有名な魔法士である彼女に政治的な陰謀が絡んでいるとしたら、いつ抹殺されてもおかしくない。三年間もの逃亡生活とはいえ、彼女ほどの実力持った魔法士ならば逃げ切れるはずだ。それが今、最後の砦ともいえるこの日本に戻ってきた。天城紫乃も彼女がそれなりの窮地に追い込まれているのだと察しているようである。
「私、色んな国に行ったわ。欧州、北米、南米、果ては中東までも逃げて。とにかく隠れる場所はたくさんあったけど問題が起こりまして」
リニアは頬を掻きながら困ったように師匠を見上げた。
「……ハンスがくる」
「ハンス・ブリーゲルか」
―ハンス・ブリーゲル。有名な教会幹部のボディーガードであり執事で名を知られている。警護のための魔法を取得しているため、典型的な実用主義者だ。実戦にも優れていると定評がある。そして何よりリニアは父親との仲が悪く、彼はリニアの父親代わりであり、お互いに信頼し合っている仲であるはずだ。
「リニア……あなた、何やらかしたの」
天城紫乃は頬を引きつらせるしかなかった。すると彼女は苦笑したまま答えた。
「実は父との仲がついに壊れちゃって。あの三年前の事件。先生の弟子である私が協会の要請で色んな所に派遣されたじゃない? まあ結局最後までやらずに放棄しちゃったんだけど。そのことで協会側からたくさん尋問させられて……でもあの人は私を助けてくれなかった。それで仕方なく協会から抜け出して、現在に至るわけ」
天城紫乃は本日何回目かの深いため息をついた。
「リニア……あなた、ここ三年間の間に何回か遊び来てたでしょ。そんなことになっていたなら何で言わなかったんだ。私が介入したら、師匠としていくらか助けられたっていうのに」
「先生、私の性格わかってるでしょ?」
「……そうね」
***
目の前で明るく笑っている馬鹿弟子に、また私はため息を零してしまう。彼女は現在の自分の状況が本当に解っているのだろうか。しかし、こんな風に笑っていても三年間逃げ続けていたのは事実のようである。いくら師匠と言えども、遠く離れた弟子のことは解らない。予知能力などもない。私は弟子がこんな状況だったということを今まで知らず、呑気に旅でもしているんじゃないかと思っていたのか。そう思うと、私も少し申し訳なくなってくる。三年前の事件以降、情報収集活動を絶ったせいでこんな結果になるとは思ってもみなかった。
「つまりお前を処理するために、ハンスが追ってきているってことね?」
「そういうこと!」
ハンスのこととなると、依然として乾いた笑顔に戻るリニア。
よりにもよってハンス・ブリーゲル。大物過ぎる。私が直接介入すればすぐに収まるのだが……第一次著作事件の時、協会内部の問題には手出ししないという契約にサインをしてしまった。もちろんそんな契約ひっくり返してもいいのだが、そうすると協会からの支給金が絶たれてしまうのは考えるまでもない。
「うーん……」
師匠が難しい顔をしているというのに、この馬鹿弟子はニコニコと笑っていた。
「リニア、あなたはこれからどうするの?」
「一応、しばらくは今まで以上に身を潜めておくつもり。この地は協会の不可侵領域だからハンスも勝手はできないでしょう。」
「いくらここが不可侵領域だとしても、私が対応しづらいんだが」
そもそもリニアは、金色の魔女である私の弟子。協会もそれを知った上で、何故ここまで執拗に彼女を追っているのか。やはり本当の父親の方が協会内部の紛争を起こそうとしているとしか考えられない。そしてハンス・ブリーゲルは主である彼の命令なら必ず遂行するだろう。
私がこの紛争に露骨的な介入をすることは非常に難しい。しかし、事の重大さだ。葵くんの手に負える問題ではない。そもそも彼は他の案件に忙しい。赤城周にしてもリスクがでかすぎる。残りの子たちも……無理だろう。結局、私がやるしかないのか?
「お前は……何で来るたびに事件を持ってくるんだ」
「もちろん、私はトラブルメーカーだから。トラブル作ってなんぼのもんよ」
私の愚痴を受け流し、リニアは楽しそうに笑っている。
「それ自慢できないわよ」
「そう?」
「とにかく。せっかく来たんだからゆっくりしていきなさい。私がどうにかしてあげるから」
さて、どうなるか。このまま考えていても仕方がない。ひとまずは何か事が起こってから考える方向にしよう。
「ああ……私はどうしてこんな優しいんだ」
「それ、ナンセンスね」
「え」
瞬間、玄関の方で音がした。
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