Track.1 Common People 「4」
***
「幽霊退治しない?」
「は? 幽霊退治?」
俺は数回、まばたきをしながら相手を凝視した。
「そう、幽霊退治」
相手はそんな俺の表情がおかしいのか、くすりと笑いながら答える。
部屋には古いポップソングが流れていた。ラジオ独特の雑音も織り混ぜ、その音楽は絶妙な響きを出している。この聞き覚えがある曲は、高校時代に学校の先生が聞かせてくれたやつだ。
「あんた……突然、何言ってんだ」
***
これは本当に突然の出来事だった。今から十分前、俺の携帯に一本の電話がかかってきた。出てみると、つい先日にも聞いた声。
「夕食、食べにきたらどう?」
「夕食?」
「そう、夕食。食費削れるわよ」
「おい、俺はお宅とそんな親密な仲じゃ……」
「じゃあ、三人分用意して待ってるね」
断る前に電話を切られてしまった。全く。なんて強引な誘い方だ。一体どういう風の吹き回しだろう。あんな電話無視すれば良かったのに、俺は再び幼稚園へと足を運んでしまった。そして、先生は開口一番に「幽霊退治しない?」だと。
突然すぎて、驚く気力もなかった。
***
「それで? なんだって?」
とりあえず、話の内容は知りたかったので俺は先生に聞いてみた。
「だから何回も同じこと言わせないでよ。あなたが幽霊退治をするの。幽霊退治」
何が何だかさっぱりわからない。
「幽霊退治……? 俺が?」
「なに、できないの?」
おい、良く見てみろ。俺は祓い屋でもなんでもないぞ。そんな漫画に出てくるようなことを俺にやらせる気か。
「できるわけないだろ。というか、俺はそういう非現実的な事からはもう、おさらばしたんだ。葵にやらせろよ、葵に。向こうの方が専門だろ。何であいつじゃなくて俺に頼むんだ」
「葵くんには別の仕事を頼んでるのよ」
「う……けど他にも俺より使える奴が他にいるだろ。赤城さんとか」
俺の困った顔が楽しいのか、先生はずっとニヤニヤしている。
「周ちゃんと幽遊ちゃんは旅行に行ったのよ。しばらく休みがなかったからって幽遊ちゃんが怒っちゃって。それと、ご存じだろうけどリニアとは連絡とれないし」
飲みかけの炭酸を机に置き、先生は静かに説明するが、この態度からして俺にはその説明も信じられ難い。
「なら、残ったカードはあなた一人。あなたがやるしかないじゃない?」
この女……『じゃない?』だと?
俺は先生のセリフを恨めしそうに繰り返した。
「じゃない!! 俺はやらないぞ」
俺も俺だ。何も考えずに、のこのことやって来たのがいけなかった。そんなに親しい間柄でもないのに、わざわざ電話までしてご飯に呼ぶわけがないじゃないか。何か用事があるはずに決まっているだろ。まったく俺も気が抜けすぎていたな、反省しよう。
「大体、俺が退治なんてできるわけがないだろ。常識的に考えてみろよ。俺は葵みたいな特異な能力は持っていない。簡単な魔法しか使えないんだ」
「へー」
先生は雑誌を右手に飲み物を左手に、適当に相槌を返してきた。とても暇そうな顔をしている。目の前の机に大量の資料が積まれていることに気づいてないのだろうか。
「『へー』じゃなくて……。もしもし? 俺の話聞いてたか?」
「あ、うん、聞いてるよ」
一瞬だけこちらに視線を向けたが、すぐにそれは雑誌へと戻る。
こいつ……聞いてねえ。さっきから三ページはめくってるぞ。
「どうしてもやりたくないの?」
じとりと先生を睨んでいると、やっとまともな会話をしてくれた。
「どうあってもしたくない。アルバイトも勉強もやらなきゃいけないし、俺だって忙しいんだ。神父でも祓い屋でもないのに余計な用を増やしたくない」
「成程。分かった、それなら仕方ないわね。いたずらに呼び出して悪かったわ」
カランッ
先生が雑誌を閉じた際の風か、飲み終えた空き缶が床に落ちた。静かな職員室に缶の音が響く。お互い何も言わずに、相手を見つめ合う。しかしそれは穏やかではなく、どこか敵意のようなものが含まれている気が……。
「奏ちゃん、そこにいるの?」
不意に、先生が困った顔でドアの方を見た。すると、いつからいたのか奏の顔だけがドアから覗いていた。俺が奏に声を掛ける間もなく、先生は会話を進める。
「奏ちゃん、巫女よね?」
「うん」
「今回のことできる?」
「できる」
「じゃあやってくれる?」
「うん」
俺が口を挟む暇もなく、とんとん拍子に話が進んでしまった。先生は本当に先生のような表情を浮かべながら奏の頭をなでている。
「今回の場所は奏ちゃんが通う小学校だったから、このまま放置したら奏ちゃんも心配すると思ってたの。ちょうど良かったわ。あ、もちろん報酬はちゃんと支払うからね、といっても生活費にいくけど」
多少は申し訳ないのか、先生はそっと顔を掻いていた。いや、そんなことはどうでもいい。それよりもっと気になるところがあるだろ。
「おいおい、ちょっと待て。こんなこと子供にさせるのか」
「仕方ないじゃない、放置しておくわけにもいかないでしょ」
―冗談だろ。いざとなれば、命も危ないっていうのに。奏、一人に任せるのは……。
―ん?
何故か奏が茫然と俺を見つめていた。
「……」
「……」
―いやいや、ちょっと待ってくれ。
「……」
「……」
こんなのただ見て見ぬふりすればいいじゃないか。いくら可愛い妹分がお願いしたとしても、俺は疲れているし忙しいし。そうそう、俺はもうこんな非現実的なものとは関わらないって決めたじゃないか。だから…ほら……こんなもの見て見ぬふりを……。
「……」
「……」
「……」
「……」
できるわけがなかったのだった。こうして俺は久しぶりにこのような類の仕事を引き受けてしまったのだった。畜生。必ず報酬もらってやる……五割は確実にもらってやる、畜生!!
先生はどこからかハンカチを取り出して、清々しい笑顔で見送りをしてくれた。
「いってらっしゃーい」
「うるさい!!」
***
過程はともあれ、俺は奏と共に学校へ向かった。学校までは大して遠くはないはずだが、寒さのせいでとても遠く感じてしまう。
「寒いな」
「うん」
正直にいうと俺はだいぶ緊張している。この手の仕事とはしばらく無縁だったということもあるが、何よりめんどうなことに巻き込まれる可能性が高いからだ。何かが起起きる前にとっとと事を収めよう。
ちらりと隣を盗み見る。たぶんこの緊張の原因はここにもあると思う。奏とこんな風に二人で歩くのは初めてだ。なんだかいつも話している時とは違う雰囲気で妙な感じがする。いつも以上に奏が大人びて見えた。仕事という名目があるからだろうか。
説明が遅れたが、奏はかなり能力のある巫女だ。無免許であるのは仕方がないが仕事はできるから大丈夫だと聞いたことがある。ちなみに巫女が使う神通力も魔法の範囲内であるため、奏も一応魔法使いだ。最初に【魔法】を大成した人曰く、【説明することはできても話にはならない力】。これが魔法というものらしい。実にあきれる理論だ。その後、長い年月を経て様々なタイプへと分かれていったらしいが、本人はそこまで気にならないらしい。その本人というのは今頃、幼稚園の職員室でおなじみの炭酸飲料片手に雑誌でも読んでいるんだろうが。
一人で考え事をしながら歩いていると、いつのまにか奏が先頭にいた。 奏も緊張しているのだろうか、少し肩に力が入っているようだ。無理もないか、今回は奏がメインの仕事だもんな。
「そういえば、巫女の服は着なくてもいいのか?」
「……」
奏の緊張をほぐすつもりで声をかけたが返事が返ってこない。逆に気まずくなってしまった。この状況を打開するには―。
「俺の中の巫女のイメージって巫女装束着て、鈴振りながら踊る感じなんだけど奏もそういうことやるのか?」
窮余の一策として、頭の中に浮かんだ疑問をそのまま言葉にしてみた。
「……」
奏は足を止め、少し首を下げた。
―あ、やばい。失言だったのか?
「……しない」
「え?」
奏はすっと体を反らして、俺の目をまじまじと見つめた。俺が真面目に質問をしているのかを判断しているようだ。
「そんなことしないよ」
「あ、ああ。そうなのか。ごめん、ごめん」
奏の迫力に気圧されてしまった。やはり、触れてはならない部分だったようだ。
「必ずしも巫女がそういうことをするわけじゃない」
「へえ」
「うん、そうだよ」
そして奏は、また前を見て歩きだした。
奏のこのような反応はかなり新鮮だった。いつもは会話という会話が成り立っていなかったからだ。どうせなら、この機会にもっと聞いてみるか。
「じゃあ伝統服を着るのか? 今着ているのは普段着だろ?」
質問してから数秒間。返事もないが、足を止める気配もない。聞こえなかったのだろうか。もう一度聞こうと思った瞬間、奏がぽつりと零した。
「……恥ずかしい」
「え?」
「あんな服着たら恥ずかしい」
そうか。いくら大人びて見えても奏は小学生だった。確かに、その年頃の女の子にはあまり好まれる服装ではなさそうだ。
「悪いな、変なこと聞いて」
思わず俺は笑ってしまっていた。前を歩く奏の表情は見えないが、おそらく彼女も顔を赤めているようである。年相応の反応で俺は少し安心したのだった。
俺たちが住んでいるこの町には幼稚園から高校まで全部ある。おかげで自然と人が集まり、多くの団地が軒を連ねている。そんな住宅地から少し歩いたところにある小学校。町内に二、三か所ある内の一つ。そして、奏が通っている学校だ。さすが夜の学校。昼間とは全然雰囲気が違うな。
俺と奏は昇降口を抜け、廊下に出た。俺たち以外誰もいない廊下は、静寂に満ちている。
「何階に行けばいいんだ?」
奏はゆっくりと階段を指した。
「四階。五年生の教室」
「奏は何組なんだ?」
「二組」
奏は右手でピースを作り、ぽつりと答える。
四階に上がると、【5‐1】という看板が真っ先に目に入った。
「それで、どこの教室に」
俺が訊ね終わる前に、奏は二組の教室へと向かっていった。
―奏のクラス?
仕方なく後ろをついていくと、奏はロッカーの前に立っていた。そしてポケットから鍵を取り出し、ロッカーを開けると、中から何かが転げ落ちた。
―御幣だ。よく巫女さんが振っているやつ。
「……いや、何で御幣が学校のロッカーにあるんだよ」
「……」
奏はこちらを見ているが、返事がない。どうやら教えてくれないようだ。床に落ちた御幣を奏は丁寧にポケットへと入れた。とりあえず、幽霊退治の準備は整ったみたいである。
「さて。どこで幽霊が出るんだ?」
「隣のクラス」
奏の指示に従い、俺たちは隣の三組へと移動する。
「そういや、こんな勝手に入っていいのか? 普通は警備員がパトロールしているんじゃないか?」
「うん。だから先生が前もって説明してたよ」
……あの女、本当に色んな意味で怖いな。
教室に入ると、俺はポケットの中から紙の束を取り出した。そしてドアの周りとその周辺にそれをつけると、俺は『誰も入れない』と紙に文字を書く。
だが、これはただの落書きなどではない。言葉と文字には本当に力が入っている。拳より言葉が強いという言い伝えがあるように、物も言いようでは角が立つという諺は真実だ。古来より、言葉と文字には巨大な力が込められている。
そう、魔法の原理はここから始まる。俺も仕事をするからには一通りの魔法は習った。魔法の構成は表音文字と表意文字に分かれていて、俺がよく使うのは表音文字の方だ。文字を適当に書いた後、自分でもよくわからないが力を込めると、その文字の通りの効果が発揮されるらしい。
俺が入口で作業している間、奏は幽霊が存在するのか否かを確認するため、机を整理して儀式を行っていた。
──御幣を振りながら。
よく揺れる。奏は時々、こちらの様子を伺いながら淡々と儀式を進めていく。巫女さんが儀式をしているのを見るのは初めてだ。やっぱ、どんな宗教であれ神聖な儀式の最中は独特な空気感があるな。教室が一瞬の内に別の空間へと変わったように感じる。しかし、荘厳な雰囲気に満ちていた教室は一気に現実へと引き戻された。
がらり
「なに!?」
背後で教室のドアが開く音がした。おかしい、俺はさっき紙を貼ったはずだ。いくら俺に才能がないといっても基本は学んだ。あんな初歩的な魔法くらい失敗するわけがないはずだ。なのに、何故ドアが開くんだ。まさか幽霊、いやもしくは俺より高度な魔法使いか。
「あら」
現れたのは若い女の人だった。どうやら一般人らしい。
さて、どうしようか。この状況を何て説明するか。まず、俺の後ろにいる奏が何をしているのからだな。答えは『儀式を行っている』。では次に俺は何をしているのか。これも簡単だ。正解は『それを見物している』だろう。この二つを参考にして、現在俺たちは他人の目にどう映っているのだろうか。
「……」
「えっと、その、だからですね、これは……そのちょっとした事情がありまして、だからその」
「奏ちゃんじゃない」
―え?
「こんばんは」
「こんな時間に何してるの?」
「儀式です」
「そう、頑張ってね」
「はい」
俺のことはそっちのけで会話が進み、あっという間にあの女性は教室から出ていった。
「誰……?」
「担任の先生」
「そう、なのか、でも何で?」
素直に疑問を零すと、奏が最初から説明してくれた。実は今回の件を依頼したのは先ほどの担任の先生であり、彼女の言葉によると、『学校に幽霊が出ると』いう物騒なうわさが子供たちの間で大きく広がっているらしい。そこで奏が巫女だと知っていた担任の先生が密かに奏に依頼したというわけだ。学校側としても、子供たちを落ち着かせるためというのと事態の収束のためだろう。問題は、俺一人が何も知らなかったということだ。帰ったら、問い詰めてやる。
「そういや奏は、学校に幽霊が出ていることを知らなかったのか?」
「うん」
「巫女なら真っ先にわかるんじゃないのか?」
「見れなかった」
「周りの噂は信じなかったのか?」
奏はこくりと頷く。意外と直接目にしないと信じない性格らしい。
「じゃあ、何でこんな依頼引き受けたんだ? 友達が心配だったのか?」
「うん」
「へえ。それで? 儀式を行った結果は?」
「何もいない」
「そうか」
幽霊がいないなら、いないでいい。何も起きていないのが一番だ。そもそも、幽霊のうわさは一部の子供たちが適当に作った嘘が広まっただけかもしれない。
「じゃあ、帰るか」
机を元通りに直し、俺たちは教室を出た。
そろり
「ん……?」
突然、奏が俺の腕を掴んだ。
「どうした?」
奏は少し強張った表情で前を指さしていた。つられて俺も前を向く。
すると―、白く透き通った存在が俺たちの目の前を通り過ぎていった。
ゆっくり、とてもゆっくりと。
こういうときは目を合わしてはいけない。これが幽霊に対する正しい対処法だ。
そして非常に小さな音だったが、よく耳を澄ましてみると、その物体は何かを呟いていた。
―行きたくな
―疲れて
―ないから怖い
―遊びた
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