Track.1 Common People 「5」
***
「狂ったのか?」
幼稚園に戻ると真っ先に俺は先生へと詰め寄った。
「何が?」
「とぼけるな、学校に出たのは幽霊じゃなかったぞ」
「あら、幽霊じゃないの?」
あくまでも冷静に対応する先生に頭が痛くなってくる。
「いたずらをするにも限度があるだろ。子供まで動員しておいて幽霊じゃないだと?何を勘違いしているのか知らないが、俺はあんたにあまりいい印象を持ってないからな」
「はあ……とりあえず落ち着きなさい」
「何が落ち着けだ」
「幽霊ではなかったんだろ?」
突然、先生の目の色が変わった。やっと真面目に話を聞くらしいな。
「ああ、幽霊ではなかった」
「それじゃあ何だと思う?」
「……魔法か?」
そうだ。最初は幽霊かと思ったが、あれは幽霊なんかではなかった。あれは学校に通っている子供たちの不満が積りに積って一つになった、いわゆる【念】と言われるやつだ。言葉には力がある。魔法を使わない人であれ、その人の言葉には力が籠る。子供も例外ではないのだ。
「そう、あれは魔法だった」
先生はそう言ってため息をつく。
「結局、先生が行くのが面倒くさかっただけだろ」
呆れたように皮肉ると、意外な答えが返ってきた。
「半分はね」
「……残りの半分は?」
「今回の件が本当に魔法のせいだと言うのなら、私を動かすことが目的だったはずよ」
―本当に魔法のせい? どういうことだ、先生を動かすことが目的?
答えは解っているが中々に口に出せない。きっと確信が持てないからだろう。そんな俺の内心を見破ったのか、先生はまるで宿題を出すかのように俺に質問をする。
「今感じている疑問をそのまま言ってみなさい」
今感じている疑問。それは、
「いくら子供たちの言葉が積もったといっても……その、実体が見えるほどの【念】になることは……」
薄々感じてはいた。でも、まさかとは思うが。
「学校に……魔法使いがいる……?」
「正解」
***
魔法使いを実際に目にしたのは中学生の頃だ。その時、俺が目にした魔法使いというのが時宮葵だ。最初は魔法使いが何なのかも知らなかったし、ただの超能力者かなんかだと思っていた。今になって考えてみると、友達がそんな特異な奴にも関わらず驚かなかった俺も相当特異だったのかもしれない。葵の能力は、いたずら程度のもので俺もそこまで魔法がすごいとは思っていなかった。高三の時には手から炎を出す珍しい魔法使いを見たが、あれ以来俺はすっかり【そちら側】の人間とは出会っていなかった。まだ存在しているのかすらも怪しく思っていた程だ。それなのに。
「……また突然だな」
「なに、怖いの?」
「ああ、怖い」
素直に返事をすると、先生は驚いた顔をしていた。
「何で?」
「さあな。魔法使いとは色々と過去にあったからな」
「でもあなただって魔法の一つや二つ知ってるじゃない? 魔法使いじゃないの?」
「あれは護身用だ」
投げやりに答えると先生はこれ以上の追求はしなかった。そしてテーブルの上のジュースを口に含み、大きなあくびをする。目の前でこんな呑気な態度をとられるとイライラしてくる。どんな事件が起きたら、この女は慌てふためいて対応をするのだろう。いや、今のこの冷静な態度こそが大人の対応なのか?俺がまだまだ未熟だということか?そんなことはないはずだ、俺が普通で向こうが異常だ。
「ふふ……まだ聞きたいことがあるんじゃないの?」
俺がイラついているのを知っているだろうに、先生はさらに煽ってくる。
「今回の件の裏には何かあるんだろ?」
先生は俺が尋ねる内容を既に予想していたのか、余裕の笑みで話し始めた。
「この間、保護者と先生が集まる懇親会があったのよ。一応、奏ちゃんは親がいないから保護者である私が出て、まあたくさんの親御さん達と軽く会話をしたりしたの。それでその懇親会の後に担任の先生と個人個人で面談する機会があってね。その時に、学校内で幽霊が出るという噂を聞いたのよ。向こうも奏ちゃんが巫女だということは知っていたから、私にそのことを言ってきたんでしょうね。まあ私も最初は、どうせ学校によくある七不思議みたいなものだと思って話し半分に聞いてたけど」
「……けど?」
「数日前、葵くんが仕事を終えて帰ってきた時に、現場にこんなものが落ちていたって渡されたわ」
先生は後ろの戸棚を開き、机の上に置いた。透明なビニールに包まれていたそれは、とても見覚えがある布きれだった。
信じられない……だってこれは―
「そう、三年前にあなたたちが着ていた制服」
「なんで……」
「鈴木くんはどう思う?」
俺が愕然としていると先生は試すように聞いてきた。
「俺の意見を聞いてもどうしようもないだろ。というか、もう答えは出ているんだろ」
「何か別の考えがあるかもしれないじゃない」
「俺は特にない」
「それなら仕方ないわ。私もそこまで重く捉えるつもりはないんだけど、何もない街で急にこんなものが出てくるとね。少し警戒しといた方がいいんじゃないかって思って、この布切れについて色々と調べてたんだけど」
「その出所が奏が通ってる小学校だったってことか」
「ピンポーン」
ご機嫌な先生はウィンクをしながら肯定した。当たってほしくはなかったがな。
「辻褄が合いすぎているの。誰かが意図的にやったとしか思えない、放置しておくのもなんだから奏ちゃんにお願いしたのよ」
「結局、幽霊はいなかったけど」
「それは結果論。あなたたちが動いてくれたから、こういう結果が出たんじゃない」
「思念……子供たちに直接、害はないんだろ?」
「でも親御さんたちの耳に入ると、色々と面倒くさいでしょ」
つまり犯人。というか向こうの狙いは事が大きくなることだったってことか。
「学校自体が気に入らなくて犯した悪戯かもしれないけど、もっと何か大きなことを狙っているのかもしれない。現状では、証拠がその思念だけだから何もわからないわね」
先生は大きく肩を落とし残念そうにして、こちらの様子を窺っている。
「それで……俺にどうしろと言うんだ?」
「処理できる?」
「できない」
「どうして?」
「俺はちゃんとした魔法使いでもないからな」
「奏ちゃんがいるじゃない」
「子供をそんな危険なことに巻き込むのか? あいつは小学生だ、何かが起こった後じゃどうしようもない」
「そんなの関係ないわよ」
「関係ある」
お互い気づかない内にどんどん距離を狭めていたようだ。先生の顔が先ほどより近くにある。ここからは気合の勝負だ。後退することはできない。大体、無理やりに押し付けられた俺達の立場を考慮すべきだ。
張りつめた空気が流れている。それはまるで、緊張感という糸が張り巡らされているかのようで―、
「大丈夫」
静かな部屋に幼い声が響いた。振り返ると、とっくに部屋に返したはずの奏が入口に立っていた。
「私はできるからいい」
奏はいつもの無表情で俺たちを見ている。そう答えると思ったから奥にやっといたのに。言い争っている内に向こうまで声が響いてしまったようだ。奏が了承してしまったとなると、話し合いは終わったも同然だな。
今ここで俺が奏の援助に行かないと、あいつは一人で処理しなければいけなくなる。それはとても危険だ。
「わかった……手伝えばいいんだろ」
子供が勝負に勝ったかのように、先生は満面の笑みを浮かべた。
「その制服の布端はどうするんだ?」
「これは非常に重要なものよ。あの制服は三年前の事件以来、学校側がわざわざ制服のデザインを変えたから二度と作られることのない代物。つまり学校側があの事件に関連する人物を引き入れた可能性もある」
先生は全てを話してはくれないようだ。
それでいい、わざわざ余計なことに足をつっこまなくていい。
「じゃ、明日中に終わらせる」
部屋を出る瞬間、文句でも残していこうと思い、俺はちらりと先生に向き直った。
「普通に過ごしていいって言ってたあんたが、何でまた俺にこんなことさせているんだろうな」
「人手不足だから?」
至極真っ当な答えが返って来てしまった。
翌日。今日はかなり忙しかった。 教授に呼ばれて学校に行き、図書館で課題をこなし、アルバイトに行き、休む暇もない。むしろ、休み暇がないからこそ頑張ることができるのかもしれない。怠惰は敵だ、何も考えずに動き続ける方が楽だと思う。
バイト終わりの午後七時。外に出てみると、辺りは真っ暗で冷たい風が疲れた体にしみてくる。いくら重ね着をしていても寒いものは寒い。もっと厚い服装にすればいいのだろうが、今日は動きやすい格好でないと駄目だった。なぜなら、この後にも予定が控えているからだ。
奏と共に小学校の幽霊退治。今日は昨晩の倍以上の紙束を持ってきており、あらかじめ文章も書き終えている。今度はもう失敗しない。しっかり奏のサポートをしなくては。
「とりあえず奏を迎えにいくか」
幼稚園まで歩いて二十分。マンションに囲まれた道は、街灯は少ないが多くの木々が生い茂っている。緑が多いのは良いと思うが、夜はどうしても物悲しく感じてしまう。そして、この暗さではいつ犯罪が起きてもおかしくないので心配だ。
昨日と同じ部屋のドアを開けると、いつも通り仕事もせず雑誌を読みながら寛いでいる先生が「早いわね」と一言声をかけてきた。
あんたに用はないんだがな。
先生の隣に座っていた奏に視線を送ると、彼女は小さく頷き俺の方へ駆けてきた。
「いってらっしゃーい」
呪いのような激励を無視して、俺たち二人は再び学校へと向かう。
昨晩と同じ光景。やはり夜の学校には慣れないようだ。
「一応ここにもつけておくか」
また一般人に入ってこられると困るため、校門に『絶対に入れない』と書いた紙を貼っておく。そして、廊下にも『動けない』『逃さない』と書いた紙をあちこちに貼っておいた。廊下の構造上、邪念体のようなものに逃げられると人間の足で追いつくことは不可能なため、このような罠を作ることにした。以前もよく使っていた方法だ。昨晩と同じように、ロッカーから御幣を取り出してきた奏と例の教室に向かう。
教室に入り机を整理すると、奏は神聖な儀式を始めた。とても集中している。奏の邪魔が入らないよう、サポートするのが今日の俺の仕事である。
午後十時、点滅を繰り返す監視センサーの明かりだけが教室を照らしていた。窓からこぼれる街灯の光は頼りなく、むしろ不気味な雰囲気を一層増しているように感じる。
静かな教室は、まるでこの空間だけ時間が止まったかのように錯覚するほどだ。俺たちを残して動き続ける時間。ここで何が起こっても、起こらなくても世界は回り続けるのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、突然息が詰まるほどの巨大な圧迫感を感じ、思わず両手に持っていた紙束を握りしめた。
―何かが近づいてくる。
言葉にできない程の不気味な音が廊下から聞こえてきた。
それは徐々に大きくなり、微かに内容が聞き取れるようになってくる。
―─行きたくな
─―疲れ
─―ないから怖い
─―遊びたい
その時だった。突然、大きな音と共に風が吹いて教室のドアが勢いよく開かれた。俺たちの目の前に現れた白く透き通るような塊は、昨晩よりも更に巨大になっている。特に敵意があるとは思えないが、何が起こるかはわからない。大人しい内にさっさと拘束して奏に祓ってもらうのが一番だろう。祓うこと自体はそこまで難しくないはずだ。
しかし先ほどからずっと聞こえてくる声が耳に痛い。機械音のようなそれは、同じ言葉を何度も何度も繰り返し続けている。自分の集中力を保つことで精一杯だった。
「―!!」
奏が何か祈祷の言葉でも言ったのだろうか。『声』のせいで何も聞こえなかったが、奏のおかげで邪念体は教室の外へと逃げ始めた。
「よし!」
作戦通りだ。
俺は準備していた罠をすぐに起動し、邪念体を捕えた。
「捕えたぞ!!」
一息ついて邪念体を良く見てみると、街灯の光に照らされているそれは、とてもきれいだった。光が透過された邪念体の表面には深い朱色が映っており、まるで小さな深紅の海のようだ。そんな神秘的な光景に目を奪われていた俺は気付かなかった。
貼り付けていた紙が一枚、また一枚と落ちていることに。
そして次の瞬間、紙が一気にはじけ飛んだ。
「な……」
反応する間もなく、邪念体は俺との距離を一瞬で詰めてきた。
「くっ……」
苦しい。息ができない。邪念体は俺の首を一定の力で絞めている。
くそっ、油断していた。これは仕事だ。一瞬でも気を抜いたら、生死に関わってくると知っていたはずなのに……久しぶりすぎてそんな基本的なことまでも忘れていたのか、俺は。
あまりの締め付けに首筋近くの皮膚が破れてしまいそうだった。
血が流れている感覚がする。
ふと奏の姿が端に見えた。どうしていいかわからないようで、慌てた表情をしている。
「く……るな」
最後であろう力を振り絞って、俺は奏へと声をかけた。今、奏が来たらあいつも危険な目に合わせることになってしまう。怪我を負うなら俺一人で充分だ。
瞼が重くなってきた、頭に血が巡っていないせいだろう。
『こんなことで怪我なんてしたくない』
唐突に昔の記憶がよぎった。
そうだ、こんなところで諦めてどうする。危険なんて、この仕事に限ったことじゃない。危険はいつどこで何をしようがついて回るものだ。
それが常識であれ、非常識であれ……
感覚が乏しくなっている右手を何とか動かし、ポケットから紙を取り出した。
すると、バンッという音と共に小さな爆発が起こり、首に巻きついていたものが解け、俺の身体はまっすぐ床に向かって落ちていった。受け身もできずに落ちた俺の身体には、衝撃が直接染み込んでくる。
「う……腰……」
物凄い痛みだが、先ほどの息苦しさよりマシだ。駆け寄って来てくれた奏の頭をなで、無事を示すと、俺はすぐに邪念体に向き直った。
爆発によって後退した邪念体の周りは、同じく爆発の跡が残る床があった。一瞬、『弁償』という言葉が頭によぎったが、まあ先生が何とかしてくれるだろう。いや、してもらわなければいけない。
さて、奏に情けないところばかり見せてられないな。
「―魔法はかなり単純なんだ。ある程度の能力を備えると応用も効く。だからこんなこともできるようになる」
不思議そうに見上げる奏を横に、俺は『止まれ』と書いた紙を折って紙飛行機を作り、「1、2、3」という合図で邪念体に向かって紙飛行機を飛ばした。
「じゃ、さっさと仕事終わらせるか」
奏は安心したように頷き返してくれた。
最後に投げた紙飛行機によって拘束された邪念体を、奏は静かに清めた。
「ふう……これで一段落だな」
額に張り付いた汗を拭おうとした時、首筋に痛みが走った。空白の期間が長かったせいとはいえ、あんな化け物にやられそうになるなんて。まあ無事に終わったからいいか。
「さっきは心配かけて悪かったな」
邪念体の消失を見届けた奏に声をかけると、彼女はじっと俺を見つめてきた。
「……心配した」
不安な色をした大きな瞳が俺を見据えてくる。
「……ごめんな、これからはもう無謀なことしないから安心してくれ」
奏の頭を小さく撫で、俺たちは学校を後にした。
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