Track.1 Common People 「3」

***




ぼんやりと授業を聞く。教授の言葉が耳に入らない。それでも俺は無意識に、重要そうな部分だけはノートに書き写していた。試験の恐怖故だろう。親のお金で大学に通わせてもらっているため、最低限のことはするつもりだ。


ふと、先日のことを回想する。半ば強制的だったが、三人揃って落ち着いた雰囲気の中で夕食を食べた、あの日のことを。


先生自体は元々嫌いではない。ただ俺のトラウマのせいであそこには近づきたくなかっただけだ。今は……まあ以前よりは、ほんの少し気持ちが軽くなった気がする。また誘われたら、俺は何だかんだ言いながらも行くのだろう。




「このような状況では、消費者は……」


いつのまにか講義が終盤に向かっている。この教授、最初から最後までトーンが一定である。すごい。


「では、この問題を……前列で三番目の学生」


誰だか知らないが、不幸だな。そう思い、ため息をつくと教授が俺の目の前に立っていた。


「君だね」


……くそ。




入学した当初、俺はサークルや学科の集まりのようなものは、存在こそ知っていたものの全く入る気は起きなかった。今になって思えば、適当に参加して狂ったように遊びまくっていたら、色んなことを忘れたまま過ごすことができたのかもしれない。残念といえば残念だった。とはいえ、おかげで俺は一人の時間が以前より増え、アルバイトや勉強に多くの時間を充てることができるようになった。


そして、現在。大学生活も一年と半年が経った。俺は何も変わっていない。葵でさえ向こうの仕事を手伝い、二度と三年前の悲劇が起こらないよう努力しているというのに。


俺は、何をすればいいのかもわからないままだ。


本当に俺は17歳から何も成長していないのかもしれない。このまま無意味に過ごしていてもいいのか。




「放送でお知らせします、今回の曲は……」


聞き覚えのあるメロディに思考が停止する。


「なんだっけ、この曲?」


「さあ」




『Top Of The World』だな。




目の前を過ぎていったカップルのうち、男の方が途方に暮れたような表情をした。まだ恋愛初期か。俺は歌詞を脳内で追いながら帰り道についた。






***




「魔法使い!? すげえな!!」


「別に凄いこともない」


「なあ、他にはないのか? 火とか水、出したりするやつ」


「そんなものないよ。俺にできることはこれだけだ」


「何だ、それじゃ偽物じゃないか」


「何だと?」


「はいはい、二人とも。ほら、今日はここまでしてそろそろ帰ろうよ」


「……うるさいな、大体何でお前がいるんだよ。他の女子と遊べばいいのに、毎日毎日ついてきやがって」


「何でって……子供の頃からずっと一緒に遊んでいるからじゃない?」


「別にそんな小さい頃からでもないだろ。中学からの付き合いじゃないか」


「そうだっけ?」




***




つまらない夢。久しぶりだな。あいつが夢の中に出てくるのは。ここ一年ちっとも出てこないから、もう見ないと思っていたのに。全く、生きていた頃もだが、死んでからもしつこい奴だ。


家に着いた途端、とりあえず横になっていたのだが、どうやら寝落ちしてしまったみたいだ。外をのぞく限りまだ夕方らしい。深く深呼吸をしてから、俺は起き上がった。


「……部屋の掃除でもするか」


このままじっとしていたら、何かに押しつぶされそうな気がした。




***




午後九時。だいぶ遅い時間帯だが、俺は他人の家の前にいる。


「こんばんは」


ドアを開けて入ると、そこには見覚えのある女性が座っていた。先生はちらりとこちらを一瞥したが、仕事の手を止めることはなかった。俺も気にすることなく部屋に上がるが、彼女は何も歓迎をしないのは良くないと思い直したのか、申し訳程度の笑顔を向けてきた。


「あら、今日は反対ね」


「ああ、鈴木はここに来ることが嫌いだからな」


すると先生は肩をすくめて、否定するような動作をした。


「それにしてはこの間は楽しく遊んで帰ったけど」


「本人が嫌だと思っているんだから、そう信じなくちゃ」


「それも、そうね」


俺は迷うことなく手前のソファに腰かける。遅れて彼女は一人分のカップを手にして入ってきた。いつもと同じ香りがする。おなじみの紅茶だ。カップを俺の前に置き、彼女はお気に入りの缶ジュースを自身の前に置いた。


「仕事はどうだった?」


「ああ、なんとか。最初はちょっと大変だったけど、実際にやってみたら楽だったよ」


「そう、それならよかったわ」


「良かったといえば良かったのか? まあ、おかげで学校の試験の方はダメみたいだけど」


俺が苦笑いを浮かべて答えると、先生はジュースを飲みながら素っ気ない口調で答えた。


「それはそちらの事情、私には関係ないわ。私たちはそういう関係でしょ」


「……魔女だな」


俺は軽く挑発してみるが、彼女は平然としていた。


「もともと魔女よ」


静寂。


それでも空気だけは張り詰めていた。


「最近、なんかあった?」


「ああ、まあそっちはなんとか……」


世間話に慣れてないのか、彼女はあいまいな返事をする。


「……いつも俺たちの会話はこんなだな」


「まあ互いの接点となる話題がないからね」


「それもそうだな」


またしても静寂。彼女が二本目を開ける音だけがしていた。


「他のやつらはどうしてるんだ?」


「他のやつら? 誰のこと?」


彼女は心当たりがないのか疑問を示している。


「リニアは元気にしているだろうが、赤城と幽遊は?」


やっと見当がいったのか、二人の名前が出ると、彼女はすぐに嬉しそうな顔で話し出した。


「ああ、元気よ。幽遊の方がいつも振り回してるけど、そこがあのカップルの魅力だからね」


「そっか。特にそっちは動きがないんだな」


「今になって研究所や協会のほうが動く理由はないからね」


「たしかにな」


会話が飛び交うことで、先ほどの冷たい空気が緩んでいくように思える。そして俺が紅茶を飲み終えると、目の前に優しい微笑みがあった。


「……何?」


「考えてみると、かなり忙しい一年半だったなーってね」


「そうか?」


「あれこれと走り回っていたからね。あなただって、二度とあんなことが起きないようにって必死だったじゃない」


この女にそんな風に言われると、むず痒くなってくる。俺は急いで話題を変えた。


「そういえば、安月給でこんな大変なバイトも珍しいな」


「いつか給料上げるから心配しないで大丈夫よ」


「ふーん」


再び静寂。話題の区切りが見えるようだ。何も言わずに、じっとカップに残った紅茶の跡を眺めていると、俺はいつもエプロンをしている少女の顔を思い出した。


「そういえば、奏ちゃんは?」


「ああ、寝ている」


「九時に? 早いな」


「ああ見えても、小学生だし、優等生だからね」


「誰かさんとは正反対だな」




さて、もういいだろ。そろそろ本題に入るか。


「……何かあったみたいね」


俺の考えが伝わったのか、彼女の顔も張り詰めた表情に変わる。それを見て、つい俺は薄ら笑いを浮かべてしまった。そして、俺はゆっくりと胸のポケットから、小さな布が入った透明のビニールを取り出した。


「これ何だと思う?」


「さあ」


「三年前に俺達が着ていた制服の一部だ。仕事を処理していたら近くに落ちていたんだ」


「あら」


「密かに動いてるみたいだ。性懲りもなく」


「挑発していると?」


「たぶんな」


彼女はビニールを手に取り、じっくりと眺めていた。


「色からして……女もの。確かにこれは見過ごせないわね」


「ああ」


「それにしては、私たちだいぶ落ちついてるけど」


「今更何を」


三本目に彼女は手を伸ばした。俺も二杯目をもらうためにキッチンへと向かう。




「俺一人で処理しなければならないのか?」


「さあ」


再びソファに腰を落ち着け会話を続ける。彼女の表情は先ほどより緩んでいた。俺が思っている程、彼女はこの件を気に留めていないようで少し腹立たしくなってくる。


「単なる偶然である可能性もあるが、しばらくは緊張しなければならないと思うけど」


「まぁ、それもそうだが。向こうもこちらに私がいるのを分かっていて、こんなことする馬鹿もいないだろう」


「戦いを覚悟しての挑発になるからな」


「そしたら鈴木くんはどうするつもり?」


その内彼女があいつの名前を出すとは思っていたが、いざ出されると困る。


「……どうすれば良いかわからない」


「ならほっといてあげなさい」


「これは置いて行く。探索はそっちが専門だからな」


「わかったわ、やってみる」


「ありがとう、じゃあ俺はもう帰るから」


俺は玄関の方へと向き直った。


「さようなら」


彼女は軽く手を振りながら見送ってくれた。


「さようなら」




***




「I've been where you are before。No one understands it more。You fear every step you take ……何だっけ?」


テーブルを挟んで向かいに座っている奴に訊ねると、すぐに答えが返ってきた。


「So sure that your heart will break。It's not how the story ends」




数分前。日付が変わるまで残り二、三時間という時に俺の家のチャイムが鳴った。


覗き穴に見えたのは葵だった。いつもなら追い返していたが、今日は夢見が悪かったせいもあり、気分を紛らわすにはちょうど良かったのだ。


「よく覚えてるな?」


「うんざりするほど聞いたからな」


当時のことは全部覚えているが、俺は暇つぶしにそのまま会話を続けた。


「それ、いつ頃だっけ?」


葵は歌うのをやめて、静かに答えた。


「高校二年の頃だろ。その前にこの曲はあっただろうけど」


俺はぼんやりと、その時のことを思い出した。


「とんびのやつ、一緒に歌えるようにって最後まで覚えさせたな」


葵も俺と同じように昔のことを思い出しているのだろうか。彼は普段はめったに目にすることのない穏やかな顔を浮かべている。


「あぁ……そうだった。懐かしいな、あいつは面白い奴だった」


そういえば、こいつこんな時間に訊ねてきたが、今まで何してたんだ。


「どっか行って来たのか?」


「まぁ、色々とな」


見事にはぐらかされてしまったが、俺もそこまで気になっているわけでもないからいいか。


「……お酒でも飲もうかな」


ぽつりと葵がこぼした。こいつがそんなことを言うなんて初めてだ。乗らない理由がない。


「そうだな、そうしよう。ところで酒は誰が買うんだ?」


「ええと……割り勘?」


「……こんな時こそ割り勘出すなよ」


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