Track.1 Common People 「2」

***




「こ……こんにちは」


俺は再び幼稚園のドアを開いた。廊下には馴染みの女が満面の笑みで立っていた。


「あら、久しぶり。こんにちは」


さっきと同じ反応。またここに戻ってくることを知っていたのだろう。さすが魔女。この女には適わないな。


「さっき会ったばっかりだろ。久しぶりって何だ」


「あれ、そうだっけ」


「さあな」


本当に疲れる。深いため息をつくと、彼女は俺の肩を叩いてキッチンの方を指差した。


「ご飯、食べに来たんでしょ? さっきは、ごめんなさいって帰っちゃったけど、やっぱり食べたくなったの?」


この女、わざとだ。絶対わざとだ。馬鹿にされている気がする。


「そうじゃなくて、葵の頼みごと。貰うの忘れてそのまま帰っちまったんだよ」


「あ、そっかそっか。そうだったね」


先生は目を丸くして、頭を掻きながらゆっくりと職員室へと歩いていった。


「はい」


ぽんっと手に乗せられたのは、お花や動物がプリントされた派手な封筒。このデザイン……幼稚園だからか? それともこの人の好みだろうか。


「だっせえ」


「そう? 結構かわいくない?」


俺の反応が気に入らないのか彼女は口を尖らせている。


「……じゃあな」




これで本当に用事は終った。帰ろう。


と思いきや、ドアノブに伸ばしたはずの俺の腕が止まった。


「……」


「あなた一人暮らしでしょ。食費も減らせるわよ」


食費。確かに腹も減っている。どうしようか。


すると、突然くいっと何かが俺の裾を引っ張った。


「ごはん、たべてくの?」


じっと奏が俺を見上げていた。


……これは断れないな。俺はおとなしく奏の後ろをついてキッチンへと向かった。




今日のメニューは器とスプーンと箸と……って違う。この急展開に頭がついていってないようだ。とりあえず俺は、奏に渡されたものをどんどんテーブルの上においていった。どうやら今晩のご飯は鍋のようだ。




そして奏がキッチンから大きな鍋を慎重に運んできた。見ているだけで、とても心配になってくる。


「いただきます」


結局、三人で仲良く鍋を囲んでいた。


「うまい……」


奏の作った鍋は中々の出来で、正直本当に小学生か疑うレベルだった。


「―って魔法使いがこんな生活してていいのかよ」


あまりにも普通すぎる。


「じゃあ、逆にどう過ごせばいいのよ」


「そうだな。なんか、こうバーンとかっこよく魔法を使って……」


箸を置いて、宙に文字を描く仕草をしてみると、彼女はくすくすと笑っていた。


「それって、つまり。どこかの機関に捕まって、実験されている施設から逃亡とかする感じ?」


「いや、そういうんじゃなくて!!」


俺は慌てて水を含んだ後、必死に否定した。


「どうして魔法使いがこんな不便な生活をしているのかってことだよ。もっと楽な生活ができるんじゃないのか」


彼女は苦笑を浮かべていたが、箸だけは進んでいた。


そして鍋の肉を食べながら、考え事をしていた彼女はやっと口を開いた。


「今の時代、魔法使いなんて必要なくなってしまったのよ。こんなものは、せいぜい飾り程度。それくらいに過ぎない。魔法使いなんて称号、人生で何の役にも立たなくなってしまったし、第一、魔法なんかより今は銃弾一発の方がずっと強いじゃない」


それはそうだが。


「それに」


にやりと口の端を上げた彼女は箸で俺を指してきた


「魔法では稼げないでしょ」


「確かに。魔法でお金が作れるわけでもないしな」


正論すぎて何も言えない。


「だから、これぐらいがちょうどいいのよ。働いてお金稼いで普通に過ごせればそれで充分。今更あなたに、『世界の平和を守れ』なんて言う人いないんだから、あなたも普通に学校に通って、卒業して、普通に生きればいいのよ」


―違う。俺はこんな話がしたくて言い出したわけではないのに。




沈黙。食器の音しかしない。


「奏ちゃん、おかわり」


彼女から器を受け取ると、奏は慣れた手つきでご飯をよそった。普通の生活か。普通なら、子供が飯の準備することなんてないんだけどな。でも、まあ、奏の料理の腕前を目の当たりにしてしまうと、任せてしまう気持ちもわからなくもない。


「うまいな」


「でしょ」


「ありがとう」


「どういたしまして。遠慮しないで、いっぱい食べて」


「あんたじゃない。奏に言ってんだ」




すると、奏がチラリとこちらを見た。


「料理上手なんだな、びっくりした。まだ五年生なのにすごいな、また奏の料理食べたいよ」


「……」


奏の返事はなかったが、多分喜んでいる気がする。


「ごちそうさま」


スープを飲み干して一息ついた頃、再び奏が俺の服の裾を引っ張った。


「……明日も食べに来ていいよ」


「そっか。ならお言葉に甘えて」


自然と口にしていた。あれだけここに来ることを嫌がってたのに、今はほんの少し心が軽い。ずっと抱いていた緊張感がほぐれたような感じだ。




「何ニヤニヤしてんだよ」


奏との会話の最中、ずっと先生は気色悪い笑顔を浮かべていた。


「何って。楽しいから。あ、あなた明日も来てね」


……なんだか、この女に言われるのは嫌だな。




こうして夜が更けていく。


誰かと一緒に夕飯を食べたのは割と久しぶりだった。


たまにはこんな夜も悪くないか。






数日が過ぎた。学校へ行くと、普段見掛けなかったあいつが、久しぶりにやってきた。いつもなら近況を聞いたり、彼女でもできたかなどと冗談を言い合ったりするが、今日は挨拶だけで特別な会話はしなかった。


「試験受けたのか?」


「ああ……まあ」


葵は軽く言葉を濁しながら答えを回避する。あんな風に反応するということはあまり試験については触れられたくないようだ。良く考えれば、いや良く考えなくとも、いつも授業に出ていない人間が試験を受けて点を取れるわけないか。俺は思わず苦笑してしまった。


「そっか、そっかー」


「う……」


俺にからかわれることはわかっていたはずだろうに。葵は苦々しい表情で俺から視線を外した。いくらこいつがマイペースだといっても、定期試験を台無しにしてしまっては多少なりともショックがあるのだろう。学生にとって最も大切なものは単位である。それを全部逃してしまった奴の顔には、嬉しさとは真逆のものしかなかった。


「それは、それは残念だな」


「……からかうなら他の場所でやってくれ、疲れるから」


もう俺にいじられることに飽き飽きしたのか、葵は顔をしかめながら拒絶する。




涼やかな風がそよそよと吹いた。ふと空を見上げると、綺麗な青空が広がっている。どうやらこの季節もそろそろ終わるらしい。


ただただ無意味な会話が流れる。雑談。 友達同士の軽い冗談、そこには互いの私生活に関することは一切話さない。しかし、彼とは中学時代からの付き合いである。


「最近もいたずらしてるのか」


「いたずらって?」


「高校時代に色々したじゃないか」


「あー」


高校時代、俺たちの学校はかなり厳しかった。


例えば、『ひとたび何か起こると、問題が解決するまで全生徒の活動をやめさせる』など。あらゆる厳格な校則の下、性能のいい子供を大量に生産するのが学校の方針だった。しかし、そのような学校でも唯一の欠点がある。それは俺たちのような問題児が、一人や二人必ず出てくるという点だ。認めたくないが、俺と葵が仲が良くなったのは運命のようなものだったのかもしれない。


実は葵も魔法使いであり、生まれた時から能力を持っていたという。 遠くにあるものを引き寄せたり捕まえることができる力だ。あいつはその能力をいたずらに使っていた。 問題を解決できず、先生の手が出そうになった時、あいつは宙に手を伸ばして空気を掴み、そのまま先生の後頭部に勢いよく投げつけた。空気といえども、その威力は絶大で先生は気絶してしまう。このような度を超えたいたずらのおかげか、先生たちは疲れ切ってしまい、学校を休む先生が増えていったという噂まである。更に驚くべきことは、あいつの周りの友達はその能力のことを全部知っていたのだ。それにも拘わらず、彼らは葵を気味悪く思うこともなく普通に接していたようである。今思うと、俺たちはなんとも素敵な学校生活を送っていたな。




さて、本題へ移るとするか。俺は鞄の中にずっとしまっていたそれを取り出した。この間先生からもらった書類だ。こいつがあまりにも神出鬼没だったため、会えることも伝え


ることもできなかったのである。


「ほら。直接行ってもらって来たんだ。失くすなよ」


「ありがとな。行きたくなかったはずなのにお疲れ」


「別に。夕飯もご馳走になってきたから」


「へえ」


葵は驚いた表情で俺を見ていた。まあ、そうだろうな。俺だって自分に驚いたよ。彼は再び封筒に目をやり、また俺の方を見返してきた。


「これ、中に何があるのか気になったんじゃないか? 俺なら、好奇心で見るけど」


葵がすっとその華やかな書類を突き出してきたので、俺はすぐに目をそらした。


「俺は見たくない」


「ふーん。なんで?」


意外そうな顔をしながら葵は聞き返してきた。


「何が入っているのかもわからないし、開けたって得しそうにない。それに余計な事を思い出したくもないからな……大体、そんな封筒の時点で受け取りたくもなかったさ」


葵はこれ以上、追求することなくその封筒を鞄の中へとしまった。


「なあ鈴木、この後授業ある?」


「三限と四限」


「そっか」


どちらからともなく、俺たちは揃ってベンチに腰掛けた。特に会話をすることなく、ただ呆然と校内を眺めている。雑音の中の静寂。時がゆっくりと流れているようだ。授業へと急ぐ生徒、楽しそうにおしゃべりをしながら帰る生徒、大きな鞄を背負いながら歩く教授。まるで映画館に映し出されたスクリーンを見ているかのようである。




―ああ、何も起こらない平和な日々だ。




ふと隣を見ると、葵は少し空腹に負けているのか、時計を見ていた。俺もつられて時計を見る。まだ昼休みが終わるまでかなり時間が残っていた。俺の視線の先に気付いたのか、葵は満面の笑みを向けてきた。


「鈴木、お腹空いてないか? 何か食べに行こうぜ」


彼の瞳から嫌な予感がする。


「……割り勘なら」


「そうそう君のおごり」


おい、それは割り勘じゃないだろ。




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