演劇が終わった後  -私を忘れないでください-

宮下ソラ

Track.1 Common People 「1」

「こんにちは」


ドアを開けて入ると、馴染みの女が座っていた。


彼女は突然の来訪にも動じず、作業していた手を止め、俺に笑いかけてきた。


「あら、久しぶり。こんにちは」


俺の適当な挨拶にも彼女は真面目に答えてくれる。


―しかし、


悪いが俺は今すぐにでも帰りたい気分だ。ここにはあまり長居したくない。別に、彼女とは今までも二人で会っているし、お互いに気心が知れている仲だ。とはいっても別に恋人とか特別な関係ということもない。ただの友人の知り合い、友人の友人という程度だろうか。友人といっても彼女の方が遙かに年上なのだが。


俺が黙って考え事をしていると、目の前から視線を感じた。


「なんだよ」


「いや、ここに君が来るのは本当に久しぶりだと思ってね。何か飲む? コーヒーかコーラか」


どうやら先生もぎこちない雰囲気を感じたのか、当たり障りのない会話を切り出してきた。


俺もどこか居たたまれなくなり、自ら冷蔵庫の中を物色し始める。 


「あ、そっちは子供たちのだからダメよ」


まるで手を叩かれたかのように一蹴された。


くそっ、俺だってスポーツドリンクが飲みたかった。けど子供たちのって言われたら仕方ないか。


「……じゃあコーヒーで」






今更だが、ここは幼稚園だ。そして俺が【先生】と呼んでいる彼女は幼稚園の先生。居住スペースと併設しているらしい。ちなみに運営はそこそこ上々のようだ。この辺はマンションが多いのに幼稚園は少ないから、そのおかげだろう。運のいいこった。




「それで? 今日は何の用かしら? 用も無しに来るわけないわよね。君はここがあまり好きではないみたいだし。第一、あの事件以来ここには絶対来ないって言ってたと思うんだけど?」


「何回か、用事がある時は来ている。偶々そっちが忙しくて俺と会えなかっただけだろ」


「あら、そうだったの? でも、まあ。君はここが嫌いだと思っていたから……勘違いで良かったわ」


そういって先生は俺に優しく微笑みかけてくれた。


全く。そんな顔をされると何も言えないじゃないか。


「俺は……普通に生きたかったんだ。それなのに、ここは全然普通じゃない」


「え? 何でよ。ここは至って普通の幼稚園よ。そして私はここの園長先生」


当然のことのように胸を張って答えるが、この女は本当に普通ではない。




そう、彼女は人間ではない。


【魔法使い】。そういう類のものだ。周りからは恐れられて【魔女】とか言われて、避けられているが俺にはあまり理解できない。高校時代に結構世話になり、彼女のおかげで卒業もできたという恩のせいもあるが、それ以前に【ただの物好きな園長先生】。それが彼女の印象だからだ。それにしても魔法使いって……使っているのは魔法と言うよりも超能力みたいなものなのだから、いっそのこと【超能力者】って名乗ればいいのに。




相変わらず、先生は俺の方を見てニヤついている。勘弁してくれ。


「今日は葵の頼みごとで来ただけだから、厄介事には巻き込まないでくれよ。全く。あいつ……面倒なことばっかり俺に押しつけやがって」


「面倒なら、面倒ですって本人にそう言い返せばいいのに」


「葵のやつ……今テスト期間だから」


普段は授業にすら出てないくせに、テスト期間にだけこっそりと顔を出す奴だ。いや、もしかしたら俺が気付いていないだけで出席もちゃんとしているのかもしれない。


「あなたは? 一緒の学校なんだからテスト期間も同じじゃないの?」


「ああ、俺はもう終わった。だからこうやって来ているんだ」




俺はあいつと違って、前々から準備していたのでテストも特に問題はなかった。そう、今日はやっとテストが終わり、仕事もなく、ちょうど暇だったので来ただけだ。運がいいのか、悪いのか。わからないな。


「とにかく、俺は葵の頼みごとで来ただけだ。何か渡すものがあるんだろ、早くくれ」


そしてさっさと家に帰って休もう。これ以上ここにいたら、さらに面倒事に巻き込まれそうだ。そんなもの三年前のあの事件だけで充分。


「まあ、まあ。そんなに急がなくても。奏ちゃんにも顔見せて来なさいよ」


「ん? ああ、奏か。って、今は学校じゃないのか」


「あの子は小学生よ。もう授業は終わってるし、塾もないんだからそろそろ帰ってくるでしょ」


奏はこの女と一緒に暮らしている小学生の女の子だ。三年前の事件以来、拠り所がなくなった彼女を連れてきたのがこの先生。それ以来、奏の面倒を見ている。養女というものだろうか。実際は飯炊き係のようなものだが。この女は相当怠け者だからな……奏、強く生きてくれ。いつか俺が絶対にここから救い出してあげるからな。




「奏は元気なのか? しばらく会えてないけど」


会えてない……正確には俺があまりここに来ていないから、会いに行かなかったという方が正しいけど。


「もちろん元気よ。無口なところは相変わらずだけど。友達もできたみたいだし。でも私に迷惑って思っているのか全然家に連れてこないんだけどね。あ、そうそう。あの子すごく勉強できるのよ」


こういうのを親ばかというのか。


「元気にしてるなら何よりだ。ま、奏ならどこに行っても大丈夫な気がするな。ところでリニアは?」


ふと、頭に浮かんだ人物について尋ねる。リニアの方とはあの事件以来、一度も会えていないのだ。


「リニアか……」


先生は顔を顰めたまま押し黙ってしまった


「二番目の弟子のことだよ。リニア・イベリン。覚えてないか? いや、覚えてないわけないだろ」


「……」




一呼吸おくと、先生は大きな欠伸をしながら答えた。


「覚えてないとは言ってない。実はあれ以来、私もリニアとは連絡が取れなくなっているんだ。ドバイに行ったとは人伝手に聞いたけど、それ以外は何もわからない。ま、元気にやってるでしょ。そもそもあの子がどこかで苦労してるとは思えないし。弟子入り前にも、あの子はハンス・ブリーゲルから色々教えてもらってたんだから平気よ。余裕ができたらその内ひょっこり帰ってくるんじゃない?」


俺は、そっと溜息をつく。先生もこの話題は落ち着かないのか、何度も冷蔵庫を行ったり来たりしていた。おかげでテーブルの上にはブドウ味の炭酸飲料の缶が山になっている。先生は昔からこの飲み物が特に好きらしい。




互いに何も言わず缶の山を消費していく。


しばらくすると、どちらからともなく無駄話をしていた。教授がうるさいだとか、授業が退屈だとか、親御さんの文句が多いだとか。苦手な相手だとしても、こういう会話はストレス発散になるようだ。きっと俺もテスト終わりの疲れが溜まっていたのだろう。誰でもいいから会話をしたかったのだ。






ふと時計を見るとだいぶ時間が経っていたが、未だに奏が現れる気配はしない。


「奏はどこか行っているのか? 学校はもう終わってるんだろ?」


すると先生の口からとんでもない言葉が出てきた。


「奏ちゃんなら夕食の買い物に行っているんじゃない? 大きな鞄もって」


先生は両手を広げて鞄の大きさをアピールする。


本当に情けないな。


「子供にそんなことさせるなよ。重くて持って帰るのも大変だろうが」


すると今度はもっと情けない返事が返ってきた。


「だって私、買い物なんてできないもん。私が行ったら余計なものばかり買ってくるよ?」


偉そうに言いやがって……いったい何ができるんだ、この女は。




「変わんないな、このお姫様は」


「何言ってるの、私は働く主婦だよ?」


皮肉を言ってみても先生は堂々とウィンクを返してきた。


「結婚もしてないのに主婦かよ」


「だって私、子供いるじゃん」


その子供が飯の準備をしているんだがな。


先生には何を言おうが同じことの繰り返しになりそうだ。




ガチャ




ドアを開ける音が後ろでした。小さな足音が聞こえる。自分の家なのに常にあんな感じなのだろうか。下駄箱の閉じる音が聞こえたと思ったら、職員室にちょこんと顔だけが現れた。奏だ。ガキの頃から見ていたのに、もうこんなに大きくなったのか。久しぶりに会うと本当に喜ばしい。


ふと、奏と目が合った。ちょっとびっくりした様子だったが、奏は直ぐに元の表情に戻った。


「久しぶりだな、元気だったか?」


「うん」


「それはよかった。大きくなったな、もう五年生か?」


「うん」


「夕飯の買い物って何買ったんだ?」


「いろいろ」


「そっか」


「うん」


奏は無口だ。先生に聞いた話では三年前の事件の後、失語症にかかったらしい。治った今でもあまり喋らないそうだ。俺が奏に会ったのはその頃だ。


「さて。奏ちゃんも帰ってきたことだし、ご飯にしましょ。テストあったなら何も食べてないでしょ?」


ちらりと奏の表情を伺うが、別に嫌ではないようだ。でも、悪いな、奏。俺は一刻も早くこの部屋から立ち去りたいんだ。たぶん俺は、まだこの場所が居心地悪いんだろう。


先生の誘いを丁重にお断りし、俺は玄関へと向かう。


「じゃあね。またいつでも来て。待ってるわ」


「また来たくないし、待たなくてもいいよ」


すると先生はしかめ面な顔を寄せてきた。


「また、その話。ここはそんなに怖いところじゃないってば。気負いすぎじゃない? あれから時間も結構経っているんだし、昔のような事件はもう起こらないわよ」


「……ああ」




―それでもここには来たくないんだ。




自分でも切り替えようとは思っているが、どうしてもここに来ると不安な気持ちになってしまう。




先生との会話を適当に済ませて俺は奏の方へと向き直った。


「じゃ、奏。またな」


奏が小さく頷くのを見届けてから、俺は幼稚園を後にした。


冷たい風が肌に染み入る。辺りはすでに日が落ちていた。誰もいない通りを一人歩いていると、どこか感傷的な気分になってくる。




***




三年前、世界に危機がやってきた。世界の危機なんていうと、それは俺たち一般人の知らないところで勝手に起こって勝手に解決するものだろう。


でも違った。当時、高校生だった俺はなぜかその世界の危機というのを知ってしまい、更にはそれを解決する力を持っていたのだ。


全く馬鹿馬鹿しい。でも、俺だって最初は好奇心もあった。俺には仲間がいてあいつらと共に、ヒーローにでもなった気分で世界を救った。




―けれども、その翌日あいつは死んでしまった。




最初は自殺だと思われていたが、後で他殺だとわかった。俺は一生懸命、手がかりを追ったけど、結局犯人はわからなかった。あの事件のせいで葵も変わってしまった。


ひどい結末だ。世界の危機を救う代わりに、俺は仲間の死と親友の変化という代償を背負ったのだ。それでも世界は何もなかったかのように過ぎ去っていく。


俺は何のために世界を救ったのだろう。


「あ」


考え事をしながら歩いていると大事なことを思い出した。


「葵の頼みごと、もらってくんの忘れてた!!」


仕方ない、また幼稚園に戻るか。

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