第31話 急転。
「――――そうですね、何もなかったんですよ、特別なことは、何も……」
一年後、再び応援に行った大会で見かけたときに、あの時の子だ……とすぐ分かった。
それだけ印象に残っていたのだろう。
なんとなく様子を目で追っていると、明らかに精彩を欠いていた。
去年は決勝まで進む実力を見せていたのに、今回はそこまでたどり着かずに脱落。順位だけの問題でもなく、調子を崩しているのは明らかだった。
なんとなく足を気にしている様子が見えるが、包帯などを巻いているわけでも無く、特に怪我というわけではなさそうだったけれど……。
椎瑠はそこで推論を立てる。
おそらく、去年の怪我が尾を引いているのだと。
かなりの怪我だったように見えたから、長期の休みを強いられて、それで調子を崩したのではないか……と。
相変わらずその表情には悔しさと、そして怒りが感じられた。
しかし同時に、必ずまた前のように走れるようになる。
そんな強い決意も、確かに感じた……。
「……酷かったでしょ?あの時の大会の私は……しぃちゃんの想像通りよ、もうね、全然走れなかったの。怪我が治ってからしばらく経ってたんだけど……やっぱり、数か月もブランクがあると駄目なものよね」
それでもあの時はまだ、練習すれば前のように走れると、信じて疑わなかった。
「……結局、その怪我でのブランクを取り返そうと、周りが止めるのも聞かずにオーバーワークで練習しすぎた結果、また怪我してね。……普通の生活する分には問題ないくらいには回復したけど、もう陸上競技はやめた方がいいってお医者さん止められた……それで、私の競技者としての人生はおしまい、ってわけ」
「……そこまでの話は、あまり聞いたことなかったですね」
「そりゃあね、自分から話したい事でもないし、聞かれなかったし」
「めちゃめちゃ気になってたけど、唇噛んで耐えてました」
「あはは、気になったことはとことん追求するしぃちゃんが我慢してくれてたんだ……ありがとね」
「そりゃあ……嫌われたく……ないですから……」
うっ、可愛い。
普段クールなしぃちゃんが、頬を染めて恥ずかしそうに目を逸らしている……可愛い……!!
突然しぃちゃんが、ぱっと顔を上げて早口でまくしたてる。
「い、一応言っておきますけど、この学校で先輩に出会ったのは本当に偶然ですからね。わざわざ追いかけてきたとか、そういうストーカー的なアレではないですよ。本当に」
「わかってるよそんなの」
そんな、ちょっと見かけて気になってただけの相手をわざわざ追いかけて高校を選んだりはしないでしょう。
「それは、まあ、はい、そうなんですけど……文芸部に入ったのは、先輩がいたから、なんですよね」
「……どうして?」
その問いに、先ほどまでとはまるで違う困ったような表情で、言い放つしぃちゃん。
「……その時の先輩の顔が、昔見たときとあまりにも違ったから……なんか、その……ムカついたんですよね!」
―――――――なんで?????
「ムカついたの?」
「そりゃそうですよ!昔はあんなに気力っていうか……生命力っていうか、とにかく感情に支配されてるくらいの雰囲気だったのに、久々に見たら完全に顔死んでるんですもん!!!そんなんムカつくじゃないですか!」
「いや、わかんないわかんない。なんでムカつくことあるの?」
「……なんで、って言われると……なんででしょう?」
「いやこっちが聞いてるんだけど!?」
そんな可愛く小首を傾げられましても。
「……多分ですけど、さっきも言ったようにその、憧れてたんですよね。何の目標もなく日々を生きていた椎瑠にとって、一つの事にのめり込んでる先輩の生き方が眩しくて……なのに、久々に見た先輩はもう何の希望もなくて世の中諦めたみたいな顔してたから……それがムカついたんだと思います」
「そんなこと言われても困るよ!?」
「いや、もちろんわかってますよ?その頃の先輩は怪我してその人生掛けてた陸上を諦めた直後だったんですから、そうなるのも当然だし、椎瑠が勝手に理想を押し付けてただけなのに、それが裏切られたような気がしたのとか、本当に身勝手だな、って思います」
うん、基本はやっぱり凄く良い子なのよしぃちゃんは。
自分の感情に素直でありつつも、私の心にも寄り添ってくれてる。
本当に私にとってかけがえのない友達なのよ。
「で、ムカついてたから一緒の部活に入って、ちょっかい掛けてやろうと思ったんです」
「……そんな理由だったの?」
いやまあ、結果的に私は助かったからきっかけが何であれ感謝しかないけど。
「でも、色々話してるうちに……凄い身勝手なんですけど、この人を助けたいって思っちゃったんですよね……あの頃の輝きを取り戻せるかどうかまではわからないけど……あんなに人生掛けて頑張ってた人が、笑顔一つ作れないなんて、凄い嫌だな……って」
「……そうなんだ……ありがとね。あの頃の私は本当にただただ世の中に絶望してたし、周りの大人の希望に満ちた言葉が空虚に思えて仕方なかった……でも、しぃちゃんだけは本当に何気ない、日常の会話とか、変ないたずらとか、面白い本や映画を貸してくれたり……そういう些細な積み重ねが、私をまっとうな人間に戻してくれたんだと思う」
「……椎瑠、今でも覚えてますよ。6月くらいでしたよね、先輩、って声をかけて、振り返ったところに渾身の変顔をぶつけてやったら、初めて先輩が笑ったんです」
「あっ、それ私も覚えてる。あの時のしぃちゃんの顔ったら!写真撮りたいからもう一回やって!って何回もお願いしたのに、絶対やってくれなかったよね」
「当然です。椎瑠はそんなデジタルタトゥーをこの世に残すような愚かなことはしないのです」
「えー?私を半ば無理やり演劇部の舞台に立たせて男装させた時の写真はめっちゃ撮ってたくせにー」
「アレは椎瑠の宝物ですから。ずっとクラウドの中にしまっておくのです」
「なんで私ばっかり―、私にもしぃちゃんの写真撮らせてよー」
「ダメでーす」
「とか言って隙あり!」
私は素早くポッケからスマホを取り出してカメラを構えるも……
「残念、両手でガードしました」
「ぬうっ私の早撃ちならぬ早撮りを制するとはやるなおぬし」
「ふふふ、まだまだ先輩には負けないのです」
「もーう、あ、そういえばさ、あの時も――――」
それからしばらく、思い出話が止まらなかった。
私たちが積み上げてきた時間は思い出の中で雪の結晶のように美しく儚く輝いていて……それを溶かさないようにそっと取り出しては、同じ思い出で笑ったり泣いたり出来る。
この関係性はずっと続いていくのだと、不思議と無邪気にに信じられる。
世の中は理不尽で、突然夢を奪われることもあるんだって知ってるはずなのに、それでもなぜか、信じられるんだ。
二人でひとしきり笑って、私は……都合のいい考えだけど、この笑顔がきっかけでしぃちゃんが私の嘘を許してくれて、今までと変わらない関係性が続けられるかも?……そんな希望を感じた、次の瞬間だった。
彼女は今までで最高にいたずらな笑顔を浮かべて――――はっきりとそう言ったのだ。
「……先輩、小谷なつみさんに会わせてもらえませんか?」
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