第32話 邂逅

「えっと……その子が、例の?」

「はい……すみません……」

 あの日から一週間後、月一の生配信の日に私はしぃちゃんを連れて貸しスタジオへと足を運んだ。

「……っていうか……大丈夫なの?その子……?」

 なつみさんが訝しげな顔をするのも無理はない。

 なにせしぃちゃんは朝から……というか正直に言えばここ数日ずっと目の下にクマを作っていて、調子が悪そうだったのです。

 今日会った時も、ワイシャツにネクタイにすらりとしたスラックスで、まるで社会人のようなスタイルでばっちり決めたファッションをしているにもかかわらず、顔だけほぼ死んでいた。

 仕事に疲れたOLさんのコスプレだとしたら完璧だなぁ、とか考えてしまうほどに。

「あっ、ちょっとしぃちゃん、ほら、ちゃんと挨拶して」

 さっきにまで私の後ろに立っていたはずなのに、気づけば肩に頭を乗せて立ったまま寝ている。

「……んぁ……すいません。ちょっと寝不足で……先輩の肩、最高級の枕みたいで気持ちいいですー」

 猫がスリスリするみたいに肩に顔を押し付けてくるしぃちゃん。

 疲れてる時と眠い時はちょっと甘えん坊さんになるのは、しぃちゃんの特徴の一つなのです。

「もー、どうしたの本当にしぃちゃん。困った子だねぇ」

 仕方ないので頭をなでなでしてあげる。

 甘えしぃちゃんは思いっきり甘やかしてあげるに限る。

 気持ちよさそうに目を瞑りながら うへへへ~と笑うしぃちゃん。可愛い。

「ごめんねなつみさん。会いたいって言ったのはしぃちゃんの方なのに……って、どうしたのその顔?」

 顔を向けると、なつみさんはガルルルと威嚇する犬みたいに歯をむき出しにしていた。

「えっ?いやその、うらやま……じゃなくてあの……ずいぶん仲がいいのね?」

 ずいぶん笑顔が引きつってますよ?

 いつもの満点笑顔どうしたんだろ……あと、裏山……ってどこの山のこと?

「う、うん。そうね、私の大切なお友達なの。この子のおかげで今の私があると言っても良いくらいの」

「……そう、ふーん、そうなんだ」

 今度は目が泳ぎだしたなつみさん。

 今日はずいぶん感情の起伏が激しいのね……。

「どーも、先輩の一番のお友達、近橋 椎瑠です。お気軽に「椎瑠さま」とお呼びください」

 いつの間にか目を覚ましていたしぃちゃんが、私の肩に顎を乗せたまま自己紹介する。

「ちょっとしぃちゃん、礼儀礼儀。どうしたの?」

 困惑する私を尻目に、今度はなつみさんが挨拶をする。

「どーも、なぎさちゃんの「お友達」の方ですね。わたくし、なぎさちゃんのお友達兼、なぎさ君の「彼女」である、小谷なつみです。お見知りおきを」

 ……二人とも笑顔なのに、なんかギスギスした空気が漂っているよ……?


 私としては二人が仲良くなってくれたらいいなと思ってたんだけど……もしかしてこの二人……相性悪い?




「あの……二人とも?ちょっとその、離れてくれると助かるんだけどな?」

 私をソファーの真ん中に座らせて、左側になつみさん、右側にしぃちゃんがそれぞれ私と腕を組むように座っている。

 両側から腕を組まれているのでまるで身動きが取れず、拘束された犯人のようです。

「小谷先輩が離したら離します」

「はぁー?なんで「 彼 女 」のアタシが離さないといけないの?ただの「 お 友 達 」のあなたが離すべきでしょ、しぃちゃん?」

「やめてください、しぃちゃんと呼んでいいのは なぎさ先輩だけです。あなたにそれを許した覚えはありません」

「なんで許されなきゃいけないのぉ?「 彼氏 」の友達を、しかも後輩のあなたをなんて呼んでもアタシの自由でしょ?」

 二人の間で爆ぜる火花でお気に入りのカットソーに焦げ目がつきそうで困る。

 いやまあ、カットソーっていうかTシャツなんだけど、そう言った方がお洒落だからとなつみさんに言われてそうしている。

 まあ、イマイチピンと来てないんだけど……TシャツはTシャツで良くない?

 って、そんな場合じゃない。

「まあまあ、二人ともちょっと落ち着いてよ。いったいどうしたの?二人ともそんな子じゃないでしょ?」

 なだめる私に対して、二人の視線が厳しい。

 え、なにその「お前が言うな」みたいな目……これ私のせい?私のせいでこうなってるの?

 なんでだろう……いやその、なつみさんが怒ってるのはわかる。

 仕方なかったとはいえ秘密をバラシてしまったわけだし、しかもその相手を連れてきたとなれば怒るのも当然だと思う。

 でも、生配信の日は事前に告知されていたので、「断っても家から後をつけます」と言われたら連れてくるしかないじゃない……?

 その辺の事情も説明したんだけどな……いや、説明したからこそしぃちゃんに怒ってるのか。なるほど。

 ……いやでも、しぃちゃんが怒る理由は無くない? なつみさんに会いたいって言ったから連れてきたのに?

 うん、これはきっとしぃちゃんが良くない。

「わかった。しぃちゃん、めっ!だよ」

「えっ、なんで急に椎瑠を叱ったんですか先輩……?」

「冷静に考えたら、そういう結論になりました。大体、初対面の相手なんだからしっかり挨拶するのは当たり前です。違う?」

 ここは先輩として、そして連れてきた責任としてしっかり言わなくては。

 うわぁ、ものすごい不満顔だ。

 一方でなつみさんは、酷いドヤ顔だぁ。

「なつみさん、確かに今回の件に関しては私が悪いです、だから怒るなら私にしてください。私はいくら怒られても仕方ないですけど……私は――――」

 二人の顔を交互に見る。

「勝手だとは思いますけど……二人とも大切なお友達だから……仲良くしてほしい、って思ってるんです」

 切実に訴える。

 私のせいで二人が喧嘩してしまうのは悲しいものね。

「ホント勝手よね」

「心底勝手ですよね」

 二人からツッコまれた!!

 なんでそんな時だけ気が合うの!?

 けれど、二人は意見が合ったことも気に入らないのか、さらに睨み合いを続ける。

 無力感に襲われてもうどうにでもなれーと思ったその時、不意に二人の表情が緩んだ。

「……まあ、確かにこのままこうしていても仕方ないわね。わかったわ、一時休戦にしましょう」

 なつみさんが私と組んでいた腕を外して、少し距離を置く。

 大人の対応助かります……!

「……そうですか……」

 しぃちゃんもさっきまでのトゲが少し引っ込んだ印象を受ける。

 良かった、これでひと安心で―――

「つまり、敗北宣言ですよね?」

 ……しぃちゃん?

「先に手を放す、つまりは椎瑠の方が、先輩への愛は強い。そういうことで良いですよね、センパイ?」

「はぁぁぁぁ!?何言ってんのアンタ!?大岡裁きの話知らないの!?先に手を離した方がむしろ本当の愛なのよ!」

「それは子供が痛がったからですよね?先輩は痛がってませんー」

 またヒートアップしてきたので、私は溜息と同時に立ち上がり、二人の手を振り払う。

「いいかげんにしなさい!」

 二人にげんこつをプレゼントしました。

 もちろん全力では無く軽くだけど。

 弟を叱るときのように。

 今はいい子だけど、昔は手の焼けるわんぱくな子だったのよね……。

「しぃちゃん、今のはしぃちゃんが悪い。なつみさんがちゃんと話し合いをしようとしてくれたのわかったよね?」

「……ごめんなさい。ちょっと……ムキになりました」

「うん、わかればよろしい。もうしちゃだめよ?」

「はい、先輩すいませんでした。小谷センパイも……すいません」

 素直に頭を下げるしぃちゃん。

 本当にもう……根っこはいい子なのよ、本当に。

「……え?アタシは何で叩かれたの…?」

 一方で不思議そうな顔をしているなつみさん。

 そういえば……なんでかしら……?

「……流れで、なんとなく?」

「流れでなんとなく!?」

 驚くのも無理はない。

 自分でもびっくりしてるからね!

「ああ、ごめんごめん。ええと、痛いの痛いの、とんでけー……って、駄目だよねこんなの?」

 子供じゃないんだから、と思いつつも、何度かなつみさんの頭を撫でて「痛いの痛いのとんでけー」をやってみる。

 すると、なつみさんの顔が見る見る真っ赤になっていく。

「あ、ごめん怒っちゃった…?」

 そうだよね、さすがにこれはちょっと……と頭を撫でてた手を放そうとしたら、その手をガシっと掴まれた。

「……もうちょっと、やってくれたら……許す……かも」

 恥ずかしそうに目を伏せながらもそう言ってくれたので、よくわからないけど続けてみると、だんだんと笑顔……というか、顔が溶けてきた。

 これは配信だったらなぎ遮断だなぁと思いつつも、なんだか幸せそうにしてくれてるので、こっちも嬉しくなる。


 痛いの痛いの飛んでけされるの好きなのかな?


 それから五分ほど、顔どころか体ごと溶けていくようななつみさんと、その様子を爪を噛みながら睨みつけるしぃちゃんに挟まれる謎の時間が過ぎたのでした……。

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