第16話 彼女の強欲な願い。

その画面には……

「えっ!?2500円!?」

 目の前の『エステサロン ルアナラニ』の名前と、でかでかと表示される2500円の文字。

「そう、この店はね、クーポンを提示すると初来店の学生客はたった2500円でプロの本格的な施術が体験できるのよ!!」

「こ、こんなのがあるの!?」

「あるのよ。今の時代クーポンは探せばたくさんあるし、こういう美容系のクーポンだけを取り扱うサイトやアプリもあるから探しやすいわよ。こういう情報も動画やインスタで紹介するの。私のファンの子たちは美容系に興味ある子も多いからね。常にこういうところにはアンテナ張ってるのよ」

「へー……!」

 知らない世界があるなぁ……!!

「しかもこの店は、インフルエンサー割引があるの!」

「なにそれなにそれ」

「施術を受けた後で、自分のSNSで紹介すると、フォロワー数に応じて割引してくれるの。お店は宣伝になるし、お客さんは安く体験出来る、Win-Winね」

「ほえー……」

 情報量が多すぎて頭がギュウギュウだ!

「アタシくらいのフォロワー数になると半額になるわね。店によっては何万人以上だったら逆にお金くれるとかもあるみたいだけど……まあ今回は案件でも無くて仕事でお世話になった人への恩返しみたいなところもあるから、割引で勘弁してあげる!……なんてね」

 ふふふっ、と悪戯っぽく笑うのもまた可愛いな本当にもう。

「だからまあ、二人合わせても4000円あれば行けるわ。どう?それなら平気でしょ?」

 ……確かに出せない額じゃないけど……二人で割っても2000円……2000円かー……!

「いやその……確かに普通にエステ行くのよりは破格に安いのはわかるんだけど……2000円あったら二日分食費が賄えるから、ちょっと躊躇しちゃうところはあるかな……」

「二日分の食費!?えっ、一日1000円しか使ってないの?三食で1000円!?」

「三食でっていうか……弟と二人分だから、六食分……かな?」

 信じられない、という顔をされました。

 いやまあ、それはそうだろうなぁと思う。住む世界が違い過ぎるので。

 正直、出来るならもっと減らしたいまであるのだけど、弟は育ち盛りだからしっかり栄養のあるモノ食べさせてあげたいし、かといって弟の物だけ豪華にすると悲しい顔をされるので、同じものを食べている。

 そんな私たちにとって、一時的に肌を綺麗にするために2000円はやっぱりキツイのです。

「そう、そうなのね……ごめんなさい、そこまでとは想像してなくて……」

「ああ、そんなそんな。いいのよ。私の環境ってかなり特殊な部類だし、想像されてたらそれはそれで、貧乏が外見や言動からにじみ出ちゃってるってことだから、むしろ想像されてなくて良かった」

 これは本心。

 今更憐れんで欲しいとも同情して欲しいとも思わないもの。

 ただ、価値観をすり合わせるにはこういう話もしておかないと……と思っただけの話だからね。

 少し考え込ませてしまってるみたいだけど……一緒に活動していく上で私の事情もちゃんと理解しておいてもらうのはきっと大切な事だ。

 特に私の側が、悟られまいと無理をして相手に合わせてたら絶対いつか破綻する。

 お互いに理解し合って、無理なく関係を続けていきたい。今はそう思ってる。

 ほんの少しの時間が過ぎて、考え込んでいたなつみさんが顔を上げる。

「わかった、理解したわ。けど、エステはしてもらうわよ。お金はアタシが出す。決定!」

「えっ、ちょっ、ちょっと待ってそれは……」

 私の言葉を、遮るように顔の前に手を出してくるなつみさん。

「落ち着いて。いい?さっきの食事みたいに、奢って貰う事を引け目に感じるのもわかるし、それで関係性が壊れるのを怖がってるのもわかるわ。でも、分かったうえで、アタシのお金でエステを受けて貰います!」

 一歩も引かない!!という強い決意が伝わってくる。

「ど、どうしてそこまで?」

「まず一番大事なのは、今日の動画の撮影に支障をきたすこと。それは理解してくれてるわよね?」

「う……それは、はい……」

「だったらこれは必要経費よ。動画の撮影に係るアイテムとかは今までもアタシが用意してきたでしょ?それと同じ。いい?」

「……ぐぅ……」

 ぐぅ、とは言ってみたものの、ぐうの音も出ない。

「何より一番大事なのは―――――」

 なつみさんは、人差し指を天高くあげて、そのまま少し制止して、それをゆっくりと動かしたかと思うと、急に速度を上げて私をビシィッと指さした。


「アタシは!!アタシの彼氏は常に最高に素敵でいて欲しいと考えている強欲な女なのです!!」


 ………なるほ……ど?

「アタシという最高な、人類の中でも限りなく最高に近い女の隣には、同じく最高な彼氏が居て欲しいのよ!!アタシ自身も毎日彼氏最高って思いたいし、他人にも思って欲しいし、万が一にも彼氏が貶されるようなことは本当にもう我慢が出来ないし許せない!!だってアタシの愛した人なんだから!!最高に決まってるじゃない!?」

 じゃない?と言われましても!

 私には荷が重いです!

「あ、これは別になぎさくん、なぎさちゃんに最高であれと強要してるわけじゃないの。でも、その為の努力はなるべくして欲しい。アタシの為にがんばってる、それが何より、アタシにとっての最高だから」

 ああ、そうか……その言葉で何か、理解出来た気がした。

 なつみさんにとっては、常に最高であるために努力し続ける事が日常なんだ、って。

 人にだけそれを求める訳じゃない。

 自分自信だって本当に心から最高だって思えてるかどうかはわからない。

 でも、それを口に出して、そこへ向かう為に努力を続けているんだ。

 だからこそ、隣に立つのは、一緒に努力できる人間であるべきなのよ。

 じゃなきゃ……この最高の彼女に釣り合えない……!

 私が、この最高の彼女の彼氏であり続けるためには――――!!

「……わかった、エステ、やろう!でもこれは出世払い。いつかきっとエステ代も返すし、動画の為に使うお金も……今は無理だけど、余裕が出てきたら一緒に払うよ」

「いやだから、それは良いのよ。だってこれはアタシのわがままなんだから」

「……ううん、違うよ」

 私は、なつみさんの手をグッと掴んで、顔を近づける。

「ふええっ?」

 なつみさんからなんか妙な声が出たけど、私はもう勢いがついてるから止まらない。


「彼女のわがままに付き合えない彼氏が、最高の彼氏な訳ないでしょ?だから――――


 私を……ううん、僕をなつみの最高の彼氏にさせてよ…!」


 彼氏ならそうする気がして思わず呼び捨てにしてしまったけれど、一瞬で恥ずかしくなって赤面してしまった……。

 でもなぜか私以上になつみさんの顔が真っ赤で目が泳ぎまくっている。

 どうしてなのかしら……?

「わきゃ、わかったわ」

 なつみさん、今日はよく噛みますね。

 肩をぐいっと掴まれて、距離を離される。

 ああ、さすがに近すぎたわよね……興奮しすぎたわ……だってあんなの、下手したら唇が触れてしまうくらいの距離で―――――

「!?」

 そ、そう考えるとなんかもう凄いとんでもないことしてしまった!!

 だ、大丈夫かな!?

 私、息とか臭くなかったかな!?

 いや大丈夫だと思うけど、普段は絶対臭くないけど!でも寝不足だしもしかしたらという事も……でもさすがにそれは確認できない……口臭くなかった?なんて質問して、臭かったって言われたら8年は引きずる!!

 あっ、でもなんか なつみさん深呼吸してる。

 じゃあ……たぶん大丈夫。臭かったら息止めるはずだもんね、深呼吸してるってことは息には問題ないってことだよね、うん。

 そう、きっとそう。そういうことにしよう!

 なんだか妙な空気が漂っていたのを、大きく一つ咳払いをして振り払うなつみさん。

「うん、じゃあ、つまり、その……二人の意見は一致したったことで良いのよね?二人でエステ行くのよね?良いのよね?」

 なんかちょっと早口でまだ落ち着かない様子のなつみさん。

「ソウネ!ジャアイキマショウ!」

 そういう私もなんかカタコトみたいになってる!!


 こうして、二人はどこかぎくしゃくした空気を纏いつつも、私の人生初のエステが始まろうとしていたのだった――――

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