無惨な恋

「まだ終わってないってどういうことだ」

立華は思わず声を張り上げた。

殺意ある殺人は曽野泉美が主犯で、氷佳琉は共犯だった。

進之助殺害は黒部幸造によるものだった。

若月殺害と黒部幸造殺害、四つの事故に見せかけた殺人計画は朱音が犯人であった。

こう考えるとかなり複雑な構造をしている事件であった。

しかし、土田はまだ情報を持っているようだ。資料はまだたくさんあった。

「そうですよ。土田さん。犯人は指摘されこれで全て丸く収まってではありませんが」

新館もそう言い、土田に対して戸惑いの表情を浮かべた。

「立華警部、新館さん。溝口神官から聞いたあの話をしなければいけません」

「いやいや、それはまた機会があればで良いだろ。今日は事件の解決編だろ」

「いいえ。若者たちにとっては人生を左右する話です」

そんなふうに土田が立華と口論をしていると、新菜が立ち上がった。

すると、清照の方向に向かって歩き出したのだ。

新館は、おそらく彼女は遺言状を守るためにここで配偶者を決めるのだろうと思った。

立華警部に至ってはまたもや先入観をもち、新菜は清照を選ぶと真剣に思った。

あまりに気になったため土田との口論も打ち切りにした。

一方土田だけは、頭を掻き回し唸ったのだ。

立華には理由が分からなかった。


「新菜さん。もしかして清照を…」

朱音は警察にしっかりと見張られているが、タバコを吸いながら新菜に微笑んだ。

黄名子と蒼葉は気が気ではない。新菜の決断一つで阿座上儀兵衛の遺産は誰か一人の手の中に落ち着くのだから仕方ない。

しかし、新菜は清照を通りすぎた。清照は動揺することも無く、無表情であった。まるで自分が素通りされることは知っていたかのように。

「信一さん。私はあなたの人柄に引かれました。もしよろしければ私と共にこれからの人生を生きてくれないでしょうか」

朱音は口を大きくあけたまま瞬きひとつしない。

黄名子、蒼葉も似たような表情で静止している。しかし若者たちはこの事態に対して戸惑いの色は見せなかった。

七清は祝福し手を顔の前で合わせていた。

清武、清智には笑顔が見えて、清照も小さく微笑みを浮かべていた。

「僕ですか。新菜さん何を言っているんですか、あなたは阿座上家の遺言状では大切な立場に…」

その言葉を遮るように新菜は信一の頬に口付けをした。

「いいの。私は相続権を放棄します。信一さんと結婚します。いいわよね新館さん」

新館は若者の行動にドギマギしてしまい、挙動が不審だったが大きく頷いた。

その隣で土田は苦虫をかみ潰したような顔をしている。しかし誰もその理由が分からない。

立華はこの展開に興奮していた。

犬神家の一族ではこんなにロマンティックな展開はない。これも時代の変化だろうか、そんなことを考えながら祝福の言葉を探していた。

その時、土田が立ち上がった。

彼の目は決意に満ちていた。

「ちょっと待った!」

「何をしとる土田くん!座れ今すぐ座れ!」

立華は土田の袖口を全力で引っ張る。

「僕の話を聞いて下さい!」

土田は真剣だった。立華はますますまずいと感じた。まさか、土田は新菜に恋をしているのだろうか、だから何か理由をつけて二人の婚約に物言いをつけているのだろうか。どちらにせよ素晴らしい空気がぶち壊しである。

「どうしたの土田さん。お顔が真っ赤よ」

新菜はからかったように言う。信一と新菜の手はしっかりと握り合い結ばれている。

「これから、大切なことを言う。僕はこの事態を一番恐れていた。人の恋心ほど難解なものはない。情報ではどうにもならないからね」

すると、土田はしゃがみこむと資料を取った。

「鈴本信一くん。君は中学を卒業した後どこで何をしていた」

「ああ。確かに僕には学歴はありません。中学の時に見た能に魅力されて、中学卒業と同時に清照師匠のお父様の一門に弟子入りしたからです。でも、学歴がなくとも新菜さんを幸せにすることは出来ます!」

「そじゃなくて。信一くん。君の母親の名前を教えてくれ」

「ええ。もうずっとあっていませんが『コトミ』です」

「漢字を覚えているかい」

「楽器の琴に海です。それがどうかしましたか」

立華と新館の顔が真っ白になった。

三姉妹も震えている。

「信一くん。君は遺言状でコトミという人物が出て来たことを覚えているかい」

「いいえ。眠たくて、新菜さんの立場と清照師匠の立場についてはしっかり聞きましたが他はよく分からなくて、すみません」

「いや。君が謝る必要は無いよ。これから大切な事を伝える。しっかりと受け止めてくれ。新菜さんもだ」

突然名前を出されて新菜も驚きながら頷いた。

「一部の方は気づいているかも知れませんが、遺言状に登場した紫崎琴海について僕は調べました。実は儀兵衛さんが三姉妹から引き離そうとして移転させたその先で、鈴本という資産家の男性と知り合っているんです。その後、三姉妹に阿座上家から離れるように言われ手すんなり受け入れたのも、鈴本という男性と結婚することを決めていたからです。それから、生まれていた紫崎真琴は姓を鈴本に。名前を信一に変えて育てられたんです」

信一は新菜との手を離している。

新菜は現実が受け止められないようだ。

「つまり、紫崎琴海の子供であり、儀兵衛の息子である紫崎真琴はそこにいる鈴本信一くんなんです」

ああ、なんということだろう。こんな悲劇があって良いのだろうか。立華と新館は言葉を失った。

「もちろん。琴海さんに確認を取りました。横浜の自宅に先程も説明した沖沼警部が写真を持って確認に行きました。信一くん。いや、息子の真琴くんだと認めました」

今までの祝福ムードは消えた。

広間は北極のように冷たく、刺すような空気に満たされた。

「僕は、知りませんでした。母が紫崎という姓だったことも、僕が儀兵衛さんの息子だと言う事も、僕はどうしたらいいんでしょうか」

もちろん、この中で一番混乱しているのは信一。いや、真琴だろう。

彼の震える手に、新菜が手を乗せた。

「大丈夫よ。誰もあなたの事を悪い人だなんて思っていない。土田さん、話はこれだけですか。私たちの結婚を妨げる理由にはならないと思いますが」

新菜は自然な笑顔を作ると、広間の人々に呼びかけた。

「たしかに。そんなこと今となっちゃ関係ないぜ」

清武は雰囲気を盛り上げるために声を張り上げた。

「わかった。清照兄さんと俺と清智からすると、信一くん。じゃなかった。真琴くんは叔父にあたるって話だろ。そんなの気にしないぜ。なあ、みんな」

清武の能天気に普段なら土田も気が緩んでいたかもしれない。しかし、事態は深刻だ。

土田は話す順を間違えたかもしれないと悔やんだ。

「そうです。清照くんと真琴くんは甥と叔父の関係になります。しかし、高那神社に儀兵衛さんと雨ノ宮啓弐に関する手紙や文書が見つかりました。要点をまとめると、儀兵衛さんは雨ノ宮啓弐の妻。雨ノ宮祝世を愛していたんです。そして子供が生まれた。晴美さんです。そしてその娘が新菜さんです。わかりましたか。新菜さんは儀兵衛さんの実の孫娘にあたるんです」

新菜はその場に倒れるかと思うほど、上体がグラついた。夢であれば覚めて欲しいと本気で願った。

「私と真琴さんは。姪と叔父の関係」

ポツリと新菜が呟いた。

「つまり、結婚は出来ない」

隣で真琴も呟く。

若者の恋は儀兵衛の過去によって破壊されたのだ。木端微塵にである。

今日暴露されたことは多い。

武器製造。泉美の殺意。朱音の狂気。信一の正体。

その中でも、新菜と真琴の恋とその破滅ほど悲惨なものはない。

土田は悔しさに暮れて、資料をバラバラに破くと地面に投げつけ、踏みつけた。

何度も何度も踏みつけのだった。

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