土田、静ヶ原に戻る

実は賊との格闘があった夜。土田は静ヶ原に戻っていた。

しかし、宿屋の謎の男、コルクに大量の毒針、階段のピアノ線、阿座上家への侵入者について何も知らなかった。

宿に帰っと時に、女将に「阿座上家で何か起きたようですよ」と言われただけで、それ以上知りたくはなく、土田は睡眠を求めていたため。

「そうですか」とだけ答えて部屋の布団に倒れ込むようにして眠りについた。


さて、土田に最高の目覚めは訪れなかった。

朝っぱらから騒がしい立華警部が宿にやって来たのだ。

「土田くん!どこに行っていた。こっちは大変だったんだぞ」

まだ寝ぼけている土田に対して机を挟んで座ると、立華は土田不在中の事件について要点をかいつまんで話し始めた。

土田は、ピアノ線の事件の辺りから目が覚め始め脳が理解を始めた。

そして、自分の想像よりも事件が複雑化していることに気づいた。

「ところで、土田くん。犬神家の一族を読んだか。いや、今更読んでも状況が違い過ぎるか」

「いえいえ、これで大きな調査は終わったので今日から読み始めますよ」

立華は嬉しいとともに、今更読んだとしても参考にならないかもしれないと思っていた。

「ならいいが。ちなみにどんな調査をしてきたんだ」

「あまり多くは語れませんが紫崎琴海さんに会いました」

「なにぃ!どういうことだ!警察も阿座上奉公会も全く足取りが掴めんと言うのに、どうやった。探偵を雇ったのか」

立華はあまりの驚きと衝撃に、目の前の土田が探偵であるということを忘れているようだった。

「僕にかかれば人探しなんて余裕ですよ。しかし、紫崎さんは平和な生活を望んでおられました。阿座上三姉妹に恨みなどなく、日々を過ごしておられましたよ。息子の真琴くんなんですがね。中学卒業してから行方不明だそうです。僕から警察にお伝えできるのはこの程度ですかね。プライバシーに関わるので」

「おいおい、紫崎はどこにいる。もしや俺たちの近くにいるんじゃないだろうな」

立華は質問した。様々な可能性が渦巻いた。

立華にとっては素晴らしい情報だった。しかし居場所を知りたかった。

「ダメですよ。居場所は言えません」

ここで、立華は閃いた。

清照の仮面の下が実は阿座上家に恨みのある真琴という説だ。

また犬神家の一族の先入観に囚われてしまったが仕方ない。この時の立華にはそれしか考えられなかった。

「他にも調べてきたんだろ。洗いざらい話せ」

立華は更なる情報に期待した。

しかし、土田は女将が運んできた朝食を食べ始め聞く耳を持たなかった。

「そうか、情報は渡さんか。ではひとつ。若月弁護士からの依頼内容だけでも教えてくれないか」

立華はこれが気になっていたのだ。

若月が探偵に何を頼んだのか、それが分かれば新たな動機を持つ人物を炙り出せるような気がした。

「じゃあ教えますよ。面倒くさいな」

土田は米を大量に口にたくわえたままもごもごと喋った。

「かなり危険な内容なので他言無用でお願いしますよ」

「ああ。もちろんだ。俺は警察口は固い」

ほんとに口が固いかは怪しかったが、土田は仕方なく話すことにした。

「AZAGAMIの武器製造についてです」

「なに!武器製造だと!」

「しーっ!静かに!殺されますよ」

さりげなく恐ろしいことを言う土田だったが、たしかに土田が調べていることは危険極まりない。

死の商人の闇を暴くことは死を意味する。

「すまない。俺は明日まで非番だ。もう帰るよ」

立華はあまりの衝撃を紫崎琴海と武器製造の2発食らったためフラフラしながら宿を後にしようとした。

その時部屋の電話が鳴り出した。


「もしもし土田です」

土田はおそらく女将が取り次いだ誰かと電話を始めた。

「ええ、阿座上家で」

阿座上家という単語が聞こえたため、立華は足を止めた。

土田の方も、相槌を打ちながら立華に待ってくれという視線を送っている。

「分かりました。立華警部もいるのですぐに向かいます」

電話を切ると、土田は素早く準備を始めた。

それは先程まで、朝食をダラダラ食べていた人間とは思えなかった。

「どうした。俺も着いていけばいいのか、そんなにまずい事態か」

立華は矢継ぎ早に土田を問い詰めた。

「さっきの電話は新館さんです。ついに相続関係者が殺されたと」

「なんだって!それは誰だ」

「清照くんです」


土田と立華は電光石火のごとく阿座上家へ向かった。

一同と新館、警察の数名は菊畑に集まっていた。

皆立ち尽くし、死体に近づいていない。

新菜と寅丸だけが少し離れてその様子を見ていた。

「立華警部お疲れ様です」

一人の警察が立華に駆け寄る。

「状況を教えてくれ」

「はい。殺害されたのは阿座上清照と思われます」

そこで土田が報告を遮る。

「と思われるとはどういう事かな」

「はい。それはまだ誰も面を外さないんです。死体を見るばかりで」

そういえばそうなのだ。清照が清照であると確かめるためには誰かが面を取らなければいけない。しかし、誰もそれが出来ていないというのだ。

「殺害方法は刺殺であります。死亡したのは昨日の賊の騒ぎより後、3時間以内の可能性が高いです。今朝、朝食に現れなかったため、警察、阿座上家の皆さんと捜索したところ遺体を発見しました。」

「報告ご苦労」

土田と立華は新館に挨拶をすると、菊畑に隠れて見えていなかった遺体の前まで歩いた。

「親族の方、面を取って下さい」

立華が呼びかけるが、誰も答えない。たしかに清照の遺体は、人形のように不気味な形で倒れており、胸には血が広がっている。寝巻き姿なのは昨日の格闘を見ている時と変わっていない。

一番の問題はこの面だろう。白般若の顔は殺した人物を呪うようにじっと見つめている。

「仕方ないですな、朱音さん。俺が取りますよ。本人確認はして下さい」

立華の呼びかけに、小さく頷く朱音。その顔は真っ白で生気が感じられなかった。


立華は手袋をつけて面に手をかけた。

そして顎の方からゆっくりと持ち上げた。

すぐ横にいた土田は「ひっ!」と悲鳴にも似た声を出した。

なんと、口より上が激しい火傷でただれ、見るも無惨な姿なのだ。

立華は勢いよく、頭まで面をとった。

その顔の醜さは恐怖さえ覚えた。

「これじゃ判別がつかん」

立華はそう言うと、清照の手袋も外し始めた。

しかしその手は想像通り激しい火傷でかあった。指紋と掌紋は消え痛々しい限りだった。

「やっぱりか」

土田がそう言ったが、いちいち反応してる暇は無かった。

「皆さん。こちらの遺体が清照さんか確認願えますか。火傷が激しく我々では見当もつきません」

すると、阿座上家の一族がそろりそろりと遺体に近づいた。

七清は恐怖で腰を抜かしてしまった。すぐさま、清智が腕を貸した。

「清照兄さんじゃあないな」

真っ先に言ったのは清武だった。

「口が違う、兄さんはもっと唇が薄い」

すると清智も渋い顔をして遺体を覗き込んだ。

「ええ。確かに清照兄さんにしては顔の輪郭が違う」

「朱音さんはいかがですが」

立華は母親である朱音に聞いた。

「違うと思います」

消えそうな声で答えた朱音は、ふらりと本宅に帰ってしまった。

その後一人づつに確認をとったが、新菜、信一も清照ではないと証言した。

では、誰なのだろう。

全ての人が考える中、立華は黄名子と蒼葉に質問をぶつけた。

「黄名子さん。蒼葉さん。もしかして、この遺体は紫崎真琴じゃあないですか」

すると二人は狼狽したがすぐに反論した。

「分かりません。そうかもしれませんが、私たちは琴海の顔しか知らないので」

蒼葉が冷静に答えた。

「そうですか。失礼しました」

言われて見ればそうだと、立華は猛省した。

そんな中、土田は黄名子を見つめていた。

「あの。黄名子さんはご存知ですよね」

「何をおっしゃいます。こんな男知りません」

黄名子は半ば狂乱気味に土田に反駁した。

「いやいや。嘘はいけませんよ。AZAGAMIの名古屋工場の黒部幸造。知ってますよね」

立華は初めて登場するその名前に驚いた。

一族の他の人々もその名前には聞き覚えがないようだ。

黄名子はというと、顔を赤くして指はせわしなく動いていた。

「はい。隠していても仕方ないですね」



土田は、黒部幸造について語り始めた。

「僕は、進之助さんが殺害される動機が分かりませんでした。だから、調査しました。進之助さんが工場長を務めるAZAGAMI名古屋工場に行った時かなり調査は進みました。

名古屋工場では以前火災が起きてますね。詳しくはお話しませんが、警察では黒部幸造は火災を起こした人物と断定しています。もちろん工場も解雇されました。

同僚と妻を火災で失い。自分もこれだけの大火傷を負ったのに、進之助さんは黒部幸造に全ての罪をなすりつけました。警察が火事について知り、消防と調査をしたのは火災から三日後でした。

進之助さんは火災自体をある理由から隠蔽しようとしました。この事については詳しくは分かりませんが、とにかく黒部幸造には進之助さんを殺害する動機があったことは確かです」

しかし、立華は進之助の死について判然としないことがあった。

「まで、土田くん。なぜ澄伊湖に遺体を逆さに立てたりした。それに意味はあったのか」

「いえ、意味などありません。黒部幸造はおそらく、死体を隠したくて湖に投げ込んだだけでしょう。そしたら水草に絡まってああいう逆さ死体になっただけだと思います」

そうか、犬神家の一族は関係がなかったのか。立華は拍子抜けした。

土田はさらに続けた。

「進之助さんが発見されたとき、黒部幸造は遅れてやって来ましたよね。おそらく前夜に進之助さんを殺害してその疲れがあって寝坊したんでしょう。それに、あの日僕は彼と握手しました。その時、手袋の上からでも火傷もしくは大きな傷がいくつもある事は分かったので、そこを足がかりに調査しました」

つまり、進之助殺しは清照に変装した黒部幸造という男の犯行だったわけだ。

しかし、なぜその黒部が殺害されたのだろう。別の犯人がいるということは土田と立華を困らせた。


少しして、鑑識が集まり。一族は本宅に引き上げた。

新菜と寅丸は土田に何かを話したそうだったが、何も言うことはなく引き返してしまった。

「ちなみに若月弁護士とボート、車のブレーキ、毒にコルク毒針、ピアノ線については全く分かってません」

土田は悔しそうに呟いた。

さすがは調査の男、彼の情報収集能力には驚かされた。

「それにしても、清照。間違えた、黒部はなぜ進之助殺害という目的を果たしたのにずっと阿座上家に留まってたんだ」

立華は疑問だった。逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せたのに黒部はずっと留まっていた。

「それは予想ですけど、立華警部が阿座上家周辺の警備を配置した事と、超人的な危機察知能力がある寅丸くんがいたから脱出できなかったんだじゃないでしょうか」

「そうか。言われてみればそうだな」

その時、立華は昨日の朝起きてから24時間以上寝ていない事に気づいた。

「おい。土田くん。俺はこれから休息をとる。一族の見張りを頼むぞ」

「いえ。僕は調べたいことがまだあるんですが」

土田は反論しようとしたが立華は無視して家に帰ることにした。

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