悲劇とピアノ線
「それでね、信一さん」
目の前の美人。そう、新菜が悪巧みをする子供のような目で信一のことを見ながら言った。
楽しい朝食も終わりに差し掛かっていた。
「今日、安全祈願のために新高那神社に行こうと思うの。だから付いてきてくれないかしら」
「いや。それは僕の判断では無理ですよ。寅丸さんと外の警察の方に許可を取らないと」
「そうよね。やっぱり難しいか」
信一は悲しむ新菜の姿を見てこのままではいけないと思った。
「皆さんを誘うのはどうですか。高那神社は阿座上家にとってゆかりが深いらしいですし、清照師匠や清武様、清智様。そうだ、七清様も誘おう。そうすれば警察も警護せざるを得なくなりますよ。きっと」
信一の提案に新菜も賛成した。
新菜はさっそく清照、清武と七清兄妹、清智、寅丸に声をかけた。
清照は最近の様子から断るかと思ったが、無言で頷き了解した。
清武は敵が現れたら俺が倒す。などと言って行くことに決め、七清も新菜の頼みであれば喜んで了解した。
清智は火傷や怪我もほとんど治り、体がなまってしまいそうなので運動することに賛成だった。
寅丸は、新菜を思って1度は止めたが、晴美の命日と聞くとやはり晴美への恩を感じているようで、了解した。
一番の問題は、外にいる警察だが、とりあえず準備をしてから全員で説得しようと言うことになり、それぞれは着替えなどの準備に取り掛かった。
七清は着替えを終えて、髪を整えていた。
後ろでは、清武がタンスを漁りながら、これも違うあれも違う、と服を散乱させていた。
「お兄様。散らかさないで。お母様新怒られますよ」
「俺は子供じゃねえ。これが一番手っ取り早い服の探し方だ」
七清は兄の狂気にもう慣れていた。
小学生くらいから兄は変わっていた。
芸術的であり、爆発的だった。高校の演劇部で芝居というものに取り憑かれてからは、自分の内なる狂気を役として発散することでバランスを保っている。
「そうだ。七清、最近清智とはどんな感じだ」
タンスを漁るのを辞めて突然清武が訪ねてきた。
「なによ。急に変なこと聞いて」
「だって、結婚の約束もしてるんだろ。なのに今度の遺言状じゃ清智も親から何か言われてるんじゃないのか」
そう、実は清智と七清は結婚を約束していた。しかし、儀兵衛の死以前の話だ。
清智の両親も承諾していたが、遺言状で風向きが変わった。新菜と結婚しなければ財産は得られないのだ。
「確かに、清智さんは蒼葉様と辰吉様から色々言われているようよ」
「そうか。清智も大変だな。で、どっちを選ぶんだ清智は」
清武は役者の顔になった。もし清智が自分の妹を捨てれば許さないという顔だった。
こう見えて清武は妹思いなのである。
「もちろん私との約束は破らないと仰ったわ」
「ならいい。俺より七清が先に結婚するとはな、人生わからんな。もし清智の親が反対してきたら俺を呼べ。七清と清智の邪魔は誰にもさせねぇ」
七清は突然かっこよさを見せて来た兄に少し照れてしまった。
話を元に戻すことにした。
「お兄様。どんな服を探してるの」
こういう場合、清武の探し物は違う場所にあることがほとんどだ。
「お気に入りのジャンパーだ。般若の顔が書いてあるやつだ。清照兄さんに見せたらどんな顔をするかな。いや。般若に般若を見せるのは傑作だ。ハッハッ」
七清はため息をついた。
ジャンパーは廊下側にかけてある。
つまり、清武のタンスを漁った時間は無駄になってしまった。
「お兄様。ここですよ。あれ」
七清がジャンパーを取ると片側のポケットに重さを感じた。しかも少し膨らんでいる。
「おお!あったか。さすが俺の妹わかってるな」
「お兄様。ポケットに何か入れてるの。重くて丸いもの」
「おかしいな、俺はタバコは吸わねぇぞ。ライターじゃ無さそうだな」
清照は七清から預かったジャンパーを地面に放り投げ、ポケットを覗いた。
今思えば、もし手を突っ込んで確認していたら大惨事になっていただろう。
「なんだこれ。コルクに針がたくさんついてる。ハリセンボンみたいだ」
「お兄様私にも見せて」
七清が手を伸ばして、ポケットの中のものを取り出そうとしたその時。
「やめろ!」
必死の形相で清武が七清を突き飛ばした。
「なにするのお兄様」
「触っちゃいけねぇ、警察の連中を呼んでくれ」
七清は門を飛び出しパトカーの中でもうたた寝をしている立華警部を起こした。
「来てください!早く!」
立華は七清を追って走った。
そして、ハリセンボンのような凶器を見ると思わず口に手を当てた。「うわ!すごい!」などと不謹慎なことを呟きそうだったからだ。
コルクに大量の針。これはエラリー・クイーンの名作「Xの悲劇」で用いられた凶器である。原作では針の先にニコチンが塗られておりその毒で殺害するのだか、まさか1984年の日本でこの凶器を拝めるとは。エラリー・クイーンも読んだことのある立華は興奮を隠せなかった。
「今すぐ鑑識を呼びます。誰も触れないで」
立華は冷静な態度を装うと、すぐに本部から応援を呼んだ。
待っている間に、清武と七清から状況は確認できた。
また、このジャンパーは2日程同じ場所で干されており、やはり誰にでもコルクを仕込むチャンスはあったと言う。
「ところで、清武さん。よくこれが毒付きとわかりましたね」
立華は知りたかった。清武がこの凶器が当時する「Xの悲劇」を読んだことがあるのか、それが一番の問題だった。
「いや。偶然ですよ。昔大学の友人にミステリー研究会の奴がいましたね。そいつが、ペラペラとよく分からんトリックやら凶器を語ってたんですよ。その中でも、この不思議な形の凶器だけは覚えてて、咄嗟に毒付きかもしれないと。それだけです」
「そうですか」
立華はガッカリした。清武は本家を読んで無いようだ。
「にしても犯人もバカですね。ジャンパーを持った瞬間に違和感を感じましたよ。そのまま着て、ポケットに手を突っ込んだりしませんよ普通」
笑いながら言う清武は若干この凶器をバカにしていた。
すぐに一族も集まり、鑑識が到着した。
やはり毒付きである可能性が高いとわかった。
「皆さんも食べ物だけでなく、このように仕掛けられたタイプの毒物にも注意して下さい」
立華は一族全員に呼びかけた。
「清照兄さんのように手袋をつけるのもいいかもしれんな」
最後のセリフは清武が清照をじろじろ見ながら言い放った。
朱音は清照に「戻りますよ」と呼びかけて無理やり引っ張って行った。
一族の面々が少しづつ減っていく中、新菜が立華の元に来た。
「あの、相談があります」
「なんですかな」
「これから高那神社に安全祈願に行きたいんです。遺言状に名前のある4人と、七清さん信一さん、寅丸も連れて行きます」
立華はこの状況でそんなことを言う新菜に少し腹がたった。
「いやいや、許可できませんな。危なすぎる」
「警察の皆さんに付いてきて貰っても構いません」
新菜は必死だ。まだ残っている信一と七清の期待の視線も鋭く刺さった。
「うーん。我々が着いて行ったとしても、危険に変わりないですからな」
渋る立華に信一が声をあげた。
「4人のことは僕が守ります。寅丸さんもいるし、それに、その…」
最後の言葉で信一は詰まってしまった。
しかし、それを新菜自身が補った。
「私の母の命日なんです。毎年母の墓参りに行っていました。墓参りも目的のひとつです」
その言葉に立華は動かされた。
立華も少し前に母を亡くしていた。
「よし。特例的に認める。しかし、警察がしっかり護衛するのでそのつもりで」
「ありがとうございます」
嬉しそうな新菜、信一、七清。
若者たちの輝きは立華には眩しすぎた。
「高那神社に!大丈夫ですか」
玄関先で新菜とその一行を見送る時に、氷佳琉は驚いた。
「大丈夫よ。警察の方々と寅丸、それに信一さんもいるから」
「そうですか。気をつけてください」
氷佳琉は心配そうに一行を見送った。
氷佳琉は洗濯物を干す泉美に念の為今の事を報告した。
「そう。高那神社に安全祈願に」
「はい。警察の方々もたくさんついてるようです」
「わかった。とりあえず心配いらないわ。あなたは家の仕事に集中して」
「わかりました」
すると、泉美は厨房の方に姿を消した。
氷佳琉は厨房でやり残した仕事があったのだろうと思い。仕事を思い出したが、掃除も片付けも既に終わっていたので不思議だった。
大勢の警察が前後左右を警護した状態で、かなり時間がかかって高那神社に到着した。
200段はあろうかという階段をまず立華と数名の警察が先に上り始めた。
他の警察は階段を登らず、高那神社のある山の周囲をパトロールするという。
清智は体力の衰えを感じさせないほどスイスイと登った。急にダッシュしたかと思えば、急いで下ってきて、七清に話しかけたり楽しそうだった。
清照と清武は無口だが、2人ともなぜか互いに抜かされまいと対抗心を燃やしながら登っていた。
そんな4人の後ろに新菜と信一は並んで歩いている。
最後尾でキョロキョロしているのは寅丸だ。
「信一さん。疲れてない」
新菜が優しく尋ねる。
「ええ。でも、この階段は辛いですね。清智様の体力は異常ですよ」
新菜が微笑む。まさに女神の微笑みである。
「そういえば、清照師匠はほんとに機嫌が悪いんですよ」
信一は声を小さくして新菜に言った。
「僕が能のことで質問しても今は話したくないって言うし、朝の稽古も見に来てくれないんです。神社に来る途中も一言も口を聞いてくれないし」
信一は師匠の現状を新菜に語った。
「清照お兄様はもっとイタズラ好きで面白い方でしたよ。家を出る前は」
自分で言って寂しくなる新菜なのであった。
さて、溝口神官の安全祈願祈祷を受け。
新菜の母、晴美の墓に皆で手を合わせた。
帰る前に、溝口神官に皆で挨拶をした。
すると、溝口は清武と清智だけを呼び止めた。
「もし良ければ、清照様の手型があるんだけど。持っていかれますか」
しかし、清武と清智にはその申し出の意味がよく分からなかった。
もしその場に立華がいたら真っ先に手型をもらっただろうが、二人はそうではなかった。
「いらないです」
清智がキッパリ答えた。
「ねえ。清武様。手型ですよ。必要じゃないんですか」
めんどくさい溝口に清武も怒りが溜まっていた。
「いらねぇって言ってるだろ」
「はあ。そうですか」
溝口は少し残念そうに神社の中に戻ってしまった。
信一はさっきは下から眺めていた階段を上から眺めて、少し恐ろしくなった。
踏み外せば下まで転がり落ちそうなそんな気がしたからだ。
「よし、行きますよ」
まず降り始めたのは清智、そして最もこの階段に慣れているであろう新菜だった。
立華警部智他の警察は少し離て警戒している。
先頭が20段ほど降りると、まず清智に異常があった。
ふわっと体が宙に舞ったのだ。
すると隣の新菜もバランスを崩す。
二人の足元には木漏れ日で微かに反射しキラキラ光るピアノ線のような物が見えた。
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