顔を隠した二人の人物

土田は立華にさっきの出来事を話した。

立華は土田不在中の火事ついてと、寅丸と氷佳琉しか知らないマムシについて情報を教えた。

立華は能面の主が清照の弟子の鈴本信一と言う好青年と知るとなんだかガッカリしていた。

次に、坂手紀子というピアノ講師の顔の皮膚病と、怪しげな雰囲気については説明すると、立華は突然興奮の色を見せた。

「その坂手紀子という人物については調べる必要がありそうだな」

「なぜですか。僕は、ただ雰囲気が独特って言っただけじゃないですか」

「甘いな土田くん。俺が渡した本は読んだかい」

「まだです」と即答する土田。

愕然とする立華。

「まあいい。とにかく、紫崎親子の行方に近づいたな」

「警部分かりません。僕には全く分かりません」

土田を置いて立華は警察署の奥へ消えてしまった。

土田は、さすがに犬神家の一族と言う本を読まないといけない雰囲気を感じていた。


結局その日の夕方、土田は調べたいことができてしまい。聞き込みを行ったため結局読むことは無かったが、もし立華の本を早めに読んでいれば事件の真相に少し早くたどり着けたと思うと、後悔の念に駆られずにはいられないのだった。



翌日の夕方。

阿座上家の一族そして、寅丸、女中二人が見守る中、清照は帰宅した。

タクシーから降りた清照を見た一同は思わず戦慄した。

なんということだろうか、またもや、またもやなのだ。

清照は能面を被り、袴姿で、白い手袋をつけていた。

能面は怨霊系に分類される白般若の面だった。恐ろしい口からは牙が覗き、角があり、真っ白な鬼のような顔、まさに呪いをかけるような表情だった。

七清はあまりにの恐ろしさに顔を覆い隠し。

あの狂気の役者の清武でさえ、目をパチパチさせた。

「あなた、清照なのよね」

朱音が呼びかける。

「ああ」

そういう清照の声はかすれていた。

「田舎の空気が喉に合わない。声がかすれた」

ガラガラの声で、清照は毒を吐いた。一族が知っている美少年で可憐な心の持ち主である清照はいったいどうしてしまったのだろうか、それほどまでにこの家が憎いのか、それとも単にイタズラ心なのだうか、母である朱音にすら分からなかった。

「清照師匠。手はどうかされましたか」

素早く清照の荷物を預かり、手袋について尋ねたのは弟子の信一だった。

「ああ、稽古中に切り傷をつくってしまったから手袋をつけている」

ガラガラの声でそう言うと、一族の間をすり抜けて、家に入って言った。

信一が丁寧に案内している。

「おい!清照兄さん、さすがにイタズラがすぎるぜ」

清照の背中に声を浴びせたのは、清武だった。目には疑いと嘲笑の色があった。

「そうだよ。清照くん。これから一族一致団結しようと言う時に、面くらい外さないか」

黄名子の夫の進之助が珍しく声を上げた。

「黙れ!指図をするな」

清照は振り返らず、突然激怒した。

目の前にいた信一もあまりの迫力に圧倒されている。

「こら、清照。進之助さんに失礼でしょう。謝りなさい」

しかし、清照はその恐ろしい面を一族に、いや進之助に向けると夕日に照らされる廊下に消えてしまった。

「清照様は変わられてしまった」

小さく言ったのは、氷佳琉だった。

泉美は女中の先輩としてこの言葉は良くないと判断し、「氷佳琉。静かにしなさい」と怒ると。清武、清智、新菜など親交の深い人物に頭を下げて氷佳琉と共に引き上げた。


「新菜様。どう思いますか」

寅丸の目は険しかった。

「私は、今しなければいけない事をこなすだけです」

新菜は決意の表情で歩みを進めた。

その様子を、清武、清智はじっと見ていたが、清武はふらりと中庭に消えて、清智と七清は2人揃って家の中に入った。



清照が不気味に阿座上家の門をくぐったほぼ同時刻。

立華の元に、とある宿の店主から電話で連絡か入った。

「もしもし、静ヶ原警察署の立華ですが、ご要件は」

「わしは、澄伊湖の東側で旅館をしている亭主でございます。警察に知らせておいた方が良さそうな事がありますので電話させてもらいました」

「ほう。なんですかな」

「それが、さっき急に泊めてくれと言ってやってきたお客さんなんですがね。帽子を深く被って、口元もマフラーで隠しているんですよ。それに、宿帳の文字も筆跡を誤魔化すみたいにめちゃくちゃな文字で、私の妻が夕飯について訪ねますとね、メモ帳に文字を書いて一言も喋らないんですよ」

この話を聞いて、立華は違和感を感じた。

幅員服姿ではないが、顔を隠した男の登場はまだまだ後のはずだ。

いや、逆にもう事件は終わったのだろうか、だとすれば山での銃撃戦に備えねば。

そんなことを考えていた。

「情報ありがとうございます。これから私が確認に行きます」

「へえ。ぜひお願いします」

そうして、店主は宿屋の名前を告げると電話を切った。


パトカーに署員数名を連れて乗り込むと、立華警部は「念の為全員、いつでも拳銃を使えるようにしとけ」と指示を出した。

もちろん真に受ける者は一人もいない。

拳銃に触れると、「問題ありません」と答えただけだった。



「これが高那神社か」あたりは真っ暗だった。時刻は7時。清照が戻ってから3時間近く経っていた。

1日中県内外を飛びまわり、紫崎親子についてかなり有益な情報を得た土田は疲れきっていた。しかし本日最後の仕事が残っていた。

200段は超えるであろう長い階段の上に見えるのは、儀兵衛や新菜にとても関係の深い高那神社だった。

土田は息も絶え絶えなんとか神社にたどり着くと、神官の溝口兼継に挨拶をした。

「あなたが探偵の土田さんか。噂は聞いてますよ、依頼人の弁護士が殺害されたとか、大変ですね」

彼は40手前だったが、とてもよく喋る男だった。

「溝口さん。僕はもう一度阿座上家の始まりである儀兵衛さんから調べて見ようと思ってるんですよ」

「そう言うことでしたか。私はてっきり手型の件かと」

「手型。どういう事ですか」

「あれ、まだ知らなかったですか。清照さんが帰って来たんですよ。また面を被ってね。もし本物か疑うようなら、阿座上家の男子は成人を迎えるとこの神社に手型を奉納するので、それで指紋の鑑定でもするかと思いましてね」

土田は阿座上家のもろもろの出来事を全く知らされていなかった。

「そんなことがあったんですが。少し詳しく教えて下さい」

そんなわけで一族に衝撃を与えた清照帰宅について、ほぼ正確な噂話が溝口から土田にもたらされた。

「どうです。手型いります」

「僕は鑑定できないので、今はいらないです。それより、儀兵衛さんの資料はこの神社にありますか」

「もちろんですよ。儀兵衛様と雨ノ宮啓弐さんはずっと手紙のやり取りやら、会社についてのやり取りをなさってましたからね。もしかすると阿座上本宅よりも資料があるかもしれない」

「では、お願いなのですが。儀兵衛と啓弐について調べて頂けないですか」

「それは、いいですけど。儀兵衛伝の衆道のちぎりを超える話は出てくるかな」

「大丈夫です。きっともっとすごい内容が見つかりますから」

土田には何故か自信があった。

「わかりました。分かったら知らせます」

「お願いします」

土田はまた200段の階段を下ると思うと少し心が滅入ったが、歩き出した。

「あのー。やっぱり手型はいらないですか」

最終確認だろうか、溝口が呼びかけてくる。

「いりません!」

土田はキッパリと断り、駆け足で階段を下り始めた。



「立華警部。お待ちしてましたよ。二階の一番奥の部屋におります」

宿と亭主は何度も頭を下げながら言った。

「連絡ありがとうございます。これから素性を確認してまいります」

立華は外に二人の警察官を残すと、自分と若い刑事とで、その部屋をめざした。

「いい宿ですね。管轄内にこんな宿があるのは知りませんでしたよ」

若い刑事は呑気に階段を登っている。

「おい。集中しろよ。俺の予想じゃやつは顔素性を隠すために確実に逃げる、運が悪ければ山にだ。そして発砲する可能性もある」

「なんすかそれ。任侠映画見たいっすね」

若い刑事も犬神家の一族を読んでいないようだ。

「まあいい。行くぞ」

階段を登りきり、顔の隠した男のいる一番奥の部屋の入口を視認した。

警部と若い刑事はアイコンタクトを取ると、警部から先にと入口の前に立った。

「すみません。お尋ねしたいことがあるのですが、お時間よろしいでしょうか」

返事はない。しかし、亭主の証言で現在いることは分かっている。

「部屋にはいりますよ」

立華は腰の拳銃に手を添えながらゆっくりと中に入る。

「失礼しまーす」

そろりと部屋に体を入れる。

居間に近づくとゴゾゴゾと音が聞こえた。

そして、飛び込むように部屋に入ると、帽子を深く被り、目以外をマフラーで覆ったボロボロの服の男がいた。

手元にはカバンに何かを詰めていた。立華には紙や筆記用具に見えた。

「お名前をお聞かせ願えますか」

もちろん相手は答えない。鋭い目だけが警部と遅れて部屋に来た若い刑事を睨みつけている。

少しの沈黙があった。

荷物を持った男が、立ち上がったその時だった。

彼の視線は窓に向けられた。

「まさか。まて!」

警部が取り押さえるために飛びかかろうとしたが、華麗な動きでかわされる。

そして、小さな窓を素早く開けると二階から飛び降りたのだ。

立華は急いで窓から下を見る。数人の通行人と、待機させていた刑事がいる。男は通行人や車の間を走り抜けていく。

目にも止まらぬほどに早かった。

「おい!男が逃げたぞ後を追え!」

立華の呼びかけに刑事二人は全力で後を追う。

「俺たちも行くぞ」

「は、はい」

その時、立華は机の上に残された紙と紙幣を見つけた。

とにかくそれを掴むと亭主の元へ走った。


「あの男は逃げましたか」

玄関の前にいる亭主は辺りを見回しながら立華に聞いた。

「はい、今から我々二人はパトカーで追います。それと、男が部屋にこれを残していきました」

立華が亭主に見せたのは、筆跡を隠すためにわざと汚く書いた「宿賃」という文字の書かれた紙と、男のこれまでの宿賃だった。

「悪いやつなのか、律儀なのかもう分かりませんな」

亭主は困惑した。

「ええ。とにかく追いかけます」

そして、静ヶ原警察署始まって以来の大追跡劇が始まった。


パトカーはすぐに先に男を追った二人の刑事に追いついた。

「男はどこにいった!」

立華の呼び掛けに、二人はパトカーに乗り込みながら答えた。

「おそらくこの先の山です」

「よしきた。相手が発砲したらこちらもそれ相応の対応をするからな」

そう言うと、パトカーを全速力で走らせた。


山狩りが始まった。

パトカーの無線で宿を出る時に応援を呼んでいた。

約20人で山中を捜索した。

周りのメンバーはそろそろ帰りたいというオーラを出していたが、 立華は常に緊張していた。常に拳銃を取り出せるように心の準備をしていた。

いつあの男が飛び出してきて、銃を撃ちまくるか分からない。

しかし、最後はなんとか取り押さえ警察署で男が嘘の自白をするという妄想をしていた。

しかし。

「日が暮れた。今日の捜索は打ち切りだ」

立華よりも偉い役職の中年がそう言った。

銃撃戦がなく、少し寂しかったが、立華にはなんとなく男が誰であるが予想出来ていた。

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