炎とマムシ

遺言状読み上げのあった11月5日。

遺言状読み上げの後から阿座上家の人々はそわそわしたり、イライラしたり、とても落ち着きがなかった。

これでも、長野を代表する電子機器メーカーの跡継ぎたちである。

寅丸は外での作業を終えて、自分の部屋に戻った。

部屋と言っても新菜の住む離れに隣接する小屋を改造した場所だ。使用人には最適な環境だった。

しかし、寅丸には使命があった。

新菜の母である雨ノ宮晴美に幼くして引き取られ、それ以来ずっと新菜を守るように言われていたのだ。

それは晴美が死去し、儀兵衛の元に来た時も同じだった。儀兵衛も寅丸に新菜を守るように言ったのだ。

それ以来、新菜に危険が迫れば命を投げ出す覚悟で日々を過ごしている。

初めは違和感があった。儀兵衛の恩人の孫と言うだけで、新菜がこれだけの待遇が受けられることに驚いた。

しかし、儀兵衛の伝記を読み、雨ノ宮啓弐に対する並々ならぬ尊敬を知ってからは至って普通に感じるようになっていた。

寅丸はここ数日ちゃんと眠れていなかった。

少しでも物音がすると、たとえ山から降りてきたタヌキやキツネの足音であっても、新菜が心配で跳ね起きてしまうのだ。


そして、この日も。何者かの足音で目が覚めた。

素早く木の枝で作った棍棒を持つと、廊下の先の新菜の部屋に近づく、気のせいだったのか、異常はない。

新菜を起こさないように、足音を忍ばせて部屋に戻ろうとすると、庭の暗闇に人影らしいものを見つける。

「誰だ!」

寅丸が声をかけるが、人影はフワッと消えてしまった。

念の為周囲を確認することにした。

離れの廊下に面した方は問題がなかった。

しかし、離れの裏に回るとあるものを見てしまった。

「火だ。火が出ている」

思わず寅丸が叫んだのも無理はない。

おそらく清智が寝ている寝室から火と煙が見えるのだ。

「火事だ!起きろ!」

寅丸は大声で屋敷中に叫び、自分は水の入ったバケツを2つ持ち清智の部屋に走った。


寅丸の声を聞きつけ家中のものが集まった。

燃えているのは清智の部屋の中だった。

隣の部屋で寝ていた、蒼葉と辰吉はすぐに出てきて無事だった。

「まあ。清智!清智を助けて」

泣き崩れる蒼葉。辰吉は言葉も発さずに蒼葉を支えている。

女中2人と、他のメンバーが寝巻き姿で現れた。炎に照らされる清照の面は不気味だった。

「おい!氷佳琉か泉美!消防に電話しろ」

必死にバケツで水をかける寅丸に怒鳴られて、氷佳琉が走って電話をかけに行く。

新菜はあまりの炎の勢いに圧倒されて、その場でふらついた。

すると素早く、清照が腕を掴み体を支えた。「ありがとうございます。いったいどうして」

新菜が感謝を述べ、嘆く。

しかし、子獅子の面の清照は一言も発さずにただ炎を見つめていた。

「あーあ。清智が死んじまったか」

清武は火を見て興奮したのか、全員に聞こえる声で言った。

すると、意外にも七清が兄の清武を両手で突き飛ばしたのである。

不意をつかれて清武はふらついたが、柱につかまり、七清を睨んだ。

「お兄様酷すぎます!私は清智さんが心配で仕方ないのに」

そういうと、七清は泣き出してしまった。

「おお、すまねえ。許してくれ」

狂気の役者も妹の前では弱かった。


あまりの火力に寅丸のバケツでの消化活動も限界を迎えていた。

「消防に電話しました。あと五分ほどで来るそうです」

氷佳琉が戻ってきて言ったが、誰も反応しない。

清智の部屋は1番端で屋敷全体の延焼は免れそうだが、清智の生存は絶望的と思われた。

その時だった。

炎が弱い方の、ふすまの上部に穴があいた。

中で爆発でも起きたのかと思い、少し距離を取る人々。

しかし、もう一度ふすまに衝撃がはしると、そこから人間が飛び出して来た。

するとその人間は、空中で華麗に回転して、庭に着地した。

その人物は煤まみれで、服が焦げボロボロの清智だった。

「はぁ。助かった」

すぐに、寅丸が駆けつけて、バケツの水を体にかける。

次に駆け寄ったのは七清だった。

「清智さん大丈夫ですか。お怪我はありませんか」

「ああ、七清、寅丸ありがとう。ストーブの上にタオルが落ちて燃えたみたいだ。扉が全て開かなくて危なかったんだが、上の梁につかまって、ブランコのように揺れてふすまを突き破ったんだ」

周りの人々はその運動神経に圧倒されると共に、清智の無事に安心した。

「泉美、氷佳琉。清智さんの手当を、あと蒼葉さんも介抱しておやり」

朱音がすぐに切り替えてテキパキと指示を出した。

「私も付き添います」

七清は清智の近くを離れずに寄り添ったまま、女中たちと歩いていった。


すぐに、消防車が到着し火は消し止められた。

やはり延焼は少なく、一部屋が燃えただけで済んだ。

しかし、寅丸は不穏な空気を感じ取っていた。おそらく、事故に見せかけて清智を殺そうとした人物がいるのだ。

先程見たあの人影だろうか、清智の寝室に忍び込み、ストーブの上にタオルを落としたのだろうか。

寅丸はますます新菜を守らねばならないと思った。



翌朝、阿座上家の火災については聞いた新館はすぐに現場に向かった。その途中、土田を宿から呼び出そうとしたが、おかしなことに土田は仕事と言って宿を出たと言う。しかも朝1番らしい、土田がこの事件から逃げていないことを願いながら、阿座上家へ向かった。


消防隊はもうおらず、警察が多くいた。

もちろん、立華警部もおり。その視線は朱音と清照をジロジロ見つめていた。

「おおこれは新館弁護士。朝早くからご苦労さまです」

立華警部が手を振りながら近づいてくる。

「警部さん。おはようございます」

「早速事件ですな、幸い死者は出ません出したが」

「ええ、聞きましたよ。清智様の寝室が燃えたと事故ですか。事件ですか」

「そこは調査中ですが。部屋の中の状況、と言っても黒焦げですが、それを見る限りではただの事故です。しかし、七清さんと寅丸くんが妙なことを言ってましてね。意外に事件かもしれません」

その後、立華は七清の話と寅丸の話をした。

要約すると、寅丸は出火直前怪しい人を見たと言う。

七清は清智の代弁と言う形だが、ストーブの上のタオルが自分の持ち物では無いように見えたと言う清智の話を聞かせてくれたという。

「清智様を事故に見せかけて殺そうとした人物がいる可能性があるんですね」

新館が確認するように言う。

「ええ。それにね、消防隊の話ではタオルがストーブに接して燃えただけではありえない程の炎の延焼スピードだったらしいですわ。ますます怪しい」

「ちなみにアリバイとか聞きましたか」

「アリバイと言ってもね。深夜なので、阿座上家の中にいた人間、もしくは外から入った人間の可能性もあるので、全く犯人の検討はつきません」

そこで新館は新たな説を思いついた。

「もしや、清智くんの自作自演ではないですか」

「なぜです」

「彼は遺産相続権を持つものの中で1番弱い立場にあります」

立華は確かにと頷いた。

「だから、自分も狙われていると言うアピールをするために行ったのではありませんか」

立華は少し考えていた。

「しかし、現に彼は怪我まで負っています。リスクが大きく過ぎるかと」

「そうですね」

完全に行き詰まった2人。

「ところで土田一慶探偵はどこですか。ちゃんと本を読んだか聞きたかったのだが」

立華が大きく話題を転換した。

「彼なら、朝1番で仕事に出たらしいですよ」

「いやいや。待ってくれ。あの探偵逃げたんじゃないだろうな」

立華が声を張り上げて言う。

「私も考えましたが、彼には若月からの依頼があります。おそらくただの仕事かと」

「だと言いですがね」

そういうと、立華は目の前の黒焦げの建物を見た。

いくら木造でだとしても短時間でここまで燃えるだろうか。疑問は多く残った。



「失礼します。清智様夕食でございます」

氷佳琉は清智が休んでいる部屋に夕食を届けた。女中の仕事は多い。

掃除、洗濯、食事の用意など、これまでは住んでいた人間が少なかったが、現在は氷佳琉と泉美だけでは限界がある。

そんな時は、外の仕事を寅丸が引き受け、掃除などは新菜が手伝うこともあった。

もちろん、止めるのだが新菜は女中のことを気遣い手伝ってくれる。

普段は何を考えているか分からず、時々新菜に怖さを感じる氷佳琉も、最近は新菜のことを好きになり始めていた。

何より美しさに心を奪われた。

氷佳琉は両親がいない、兄妹もいない、あんな姉がいたらさぞ自慢になるのだろうと思ったりしていた。

「氷佳琉ちゃんありがとうね。私が食べさせるわ」

清智の部屋で答えのは七清だった。

今日の朝から付きっきりである。

「お願いします」

氷佳琉は七清に任せると、部屋をあとにした。

氷佳琉はおっちょこちょいである。5年ほど前に家に来てすぐの頃はたくさんミスをして怒られることも多かった。

しかし、現在はかなり仕事にも慣れてきた。

氷佳琉は次に各寝室の準備のために離れの新菜の寝室に入った。

新菜は、風呂だろうか部屋にはいなかった。

様々準備を終えて、最後にタンスの引き出しを開けて服をしまおうとした時だった。

「きゃっ!」

引き出しの中に光る2つの目があった。

それは黒と茶色で不思議な模様をしている。

そう、マムシである。

「どうした!」

隣の小屋にいた寅丸が駆けつける。

「ああ、氷佳琉か。何かあったか」

タンスの近くから動けない氷佳琉はマムシを指さした。声が出せなかった。

「うわっ。マムシじゃないか、誰がこんなところに。氷佳琉とりあえず離れろ」

マムシは猛毒である。11月の初旬なので寒さで、マムシはほとんど動かなかった。

しかし、気付かずに新菜が手を入れていたらどうなっていただろう。想像するだけで恐ろしかった。

寅丸は氷佳琉を残し部屋を去ってしまった。

しかし、すぐに足音が戻ってきた。

長いトングを使い、マムシを器用に掴むと、庭に投げた。しかしそれだけでは怒りが収まらなかったのか、もう片方に持っていた斧でマムシの首を切り落とした。

「寅丸さんありがとうございます」

「いや、こちらこそ感謝しないと。氷佳琉が気づかなければ新菜様が噛まれるところだった」

寅丸はそう言いながら、マムシの死体を片付け始めていた。

「朱音様か、誰かに相談しますか」

氷佳琉はやっと声が出せるようになり、寅丸に聞いた。

「いや。朱音様と新菜様には伝えないでおこう。ますます心配させることになる。俺が明日警察に話しておく」

「お願いします」

氷佳琉はマムシが乗っていた新菜の服を洗濯するために持ち運んだ。

同時に、やはり事故に見せかけて新菜を殺そうとしている人物がいることが恐ろしくなった。

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