血を噴かない遺言状

さて、阿座上家の一族にとっては運命の瞬間が訪れようとしていた。

特に、朱音、黄名子、蒼葉の異母姉妹は真剣そのものだった。

これから、新館が読み上げる内容ひとつで運命が左右されるのだから仕方ない。

新館はそんな焼けるような視線を全身に感じながら、遺言状をカバンから取り出し。

その文を読み始めた。

「ここに阿座上儀兵衛の遺言状を記す。ここに記されたことは必ず実行されなければならない。もし、破られた場合は阿座上家の全財産および事業は阿座上奉公会に譲渡される」

ここはまだ序文である。従ってみな落ち着いている。

土田の隣では立華警部がなぜかブルブル震えていた。

この男は、遺言状の内容でも知っているのだろうか。

「ひとつ。阿座上家の全財産および事業は次の条件で雨ノ宮新菜に贈られるものとする」

その時、広間の空気が張り詰めた。

そして、戸惑う新菜に全員の視線が向けられた。

新菜はあくまでも凛としている。しかし、その内面何を考えているのか、全く読み取れなかった。

「うそ、嘘です!そんな遺言状は偽物です!」

突然言い放ったのは朱音だった。

「いいえ。こちらの遺言状は儀兵衛様から預かり制作した通りであります。全く完璧なものです」

新館は朱音にしっかりとした口調で伝えると、空咳をひとつして続きを読み始めた。

「その条件について。雨ノ宮新菜は遺言状読み上げから3ヶ月以内に、清照、清武、清智のうち誰か1人配偶者を選ばなければならない。3人以外を選んだ場合、雨ノ宮新菜は相続権を失う。

また、3ヶ月以内に事故もしくは病気で雨ノ宮新菜が死亡した場合は事業は清照が継承し、財産は五等分されて五分の一づつを清照、清武、清智。残り五分の二を紫崎琴海の第一子、紫崎真琴に与える」

紫崎真琴。紫崎琴海。

この名前の登場に土田は混乱し、立華警部は清照の事を凝視し、朱音、黄名子、蒼葉はその場に卒倒するのではないかと思われるほど衝撃を受けていた。

「ひとつ、遺言状読み上げから3ヶ月以内に阿座上奉公会は全力をあげて紫崎親子の行方を探さなければならない。

ひとつ、雨ノ宮新菜が相続権を失い、清照が事故もしくは病気で死亡した場合は、財産の五分の一づつを清武、清智に分配し、残りを紫崎真琴に相続する。

また、清照、清武が事故もしくは病気で死亡した場合は、財産の五分の一は清智が相続し残りを紫崎真琴に相続する。

また、3人が事故もしくは病気で死亡し、新菜が相続権を失った場合には阿座上家の全事業および全財産は紫崎真琴が相続するものとする」

この辺りをまで読み上げられると、朱音、黄名子、蒼葉の顔色は真っ青であった。

しかし目の奥には怒りがこもっていた。


儀兵衛の遺言状はさらに続いた。しかしその内容ひとつひとつが、新菜に始まり紫崎真琴で終わるとても奇怪な内容であり。実の娘である、朱音、黄名子、蒼葉や義理の息子である、進之助、辰吉。孫娘である七清については完全に無視した内容であった。

そして、土田は各文に現れている「事故もしくは病気で死亡した場合」という文言が気になっていた。

しかし、その文言の謎は遺言状の最後の最後で明かされた。

「ひとつ。以上相続権を持ちうる可能性のある。新菜、清照、清武、清智、真琴のうち、誰か1人でも故意に命を奪われたと判断された場合、事業は阿座上奉公会。財産は桜谷孤児院と世界戦争孤児援助機関に折半されて贈与されるものとする。

以上になります。」

震える声で、新館が締めくくった。


広間には沈黙が流れていた。

朱音、黄名子、蒼葉は怒りと驚きで今にも狂いそうな顔をしている。

黄名子と蒼葉の隣では、進之助と辰吉が必死でなにか言って取り繕っている。

新菜は相変わらず凛として遠くを見つめており、よく分からない。

清照の表情は能面で読み取れず。

清武はこの読み上げ会自体がつまらなそうだった。

清智は果たして内容が理解できたのだろうか、ぼんやりと天井を見上げており。

七清は猫を離したため、広間を歩き回る猫を目で追っていた。

土田の隣の立華警部はなぜか戸惑った顔をしており。「土田くん。もしかして、殺人が起こると相続権が失われると言うことかな」と確認をしてきた。

「ええ。しかし、対象者は遺言状に登場した5人に限定されてますがね」

そんな会話をしていると、朱音が無言で立上がった。

そして、清照の腕を引くと部屋をあとにした。

ふすまを開けると女中2人が待機しており、素早く朱音のあとに続いて歩いて行った。

「はあ。よくわかなかったな。清智」

突然、よく響く声で清智に話しかけたのは清武だった。

「ああ。なんだか婚約者を限定されたようで、僕は嫌だよ」

清智はそうつぶやくと、なぜか七清の方をチラリと見た。

「僕には大切な人がいるからね」

「はっは!けっこうけっこう!」

清智と清武はそんな会話をすると両親を残して広間をあとにした。


ぼーっとする土田と立華の目の前を可憐な蝶のような女性が通り過ぎた。

「失礼します」

新菜は土田たちに一言そう言い残して、広間を出た。

黄名子と蒼葉は様々な話をすると、決意の表情で広間から飛びだした。

その後ろを進之助と辰吉が夫というより、付き人のように付いて歩いて広間をあとにした。

土田はこの数分間だけでも様々な人間の思惑が交差していることはなんとなく察したが、果たしてそれがどんなものなのかと問われると全く分からなかった。

結局、新菜を襲った2つの事故との関係はあるのだろうか、事故に見せかけて得をするのは誰なのか、頭が混乱し始めたので推理はやめにした。


帰りは、女中の萩屋氷佳琉に案内されて、3人は阿座上家を辞した。

なんとなく、流れで土田の宿に3人はいた。

「新館さん。昨日の話にあったように、新菜さんが遺言状を知ってたとすると、どうして自分が事故にあったように見せかける必要があるのか僕には分かりません」

早速、推理を投げ出した探偵に新館と立華は驚いたが、新館は少し考えてみた。

「たしかに、メリットはありませんな。やはり別の人物が遺言状を見て新菜様を襲ったとしか」

「でも、新菜が死亡して得をするのはいったい誰ですか」

土田のこの疑問にまっ先に答えたのは立華警部だった。

「それはもちろん朱音、黄名子、蒼葉の三姉妹だろ。特に俺には朱音が怪しく思えるね」

土田はめんどくさい話がまた始まった。と思いつつ質問した。

「朱音さんを疑うその理由はなんですか。阿座上家の家の者なら誰でも狙う機会はあったと思いますけど」

「ふん!理由も根拠もないね。昨日渡した本を読めば全て分かるはずだ。俺には紫崎真琴の居場所も検討がついてるんだ」

めんどくさいので土田は無視して新館に質問した。

「新館さん。ちなみにその、紫崎親子とは何者ですか。僕の事前資料にも、阿座上儀兵衛伝にも登場していないんですが」

「それは…」

新館は少し戸惑いの表情を見せると。心を決めて話し始めた。

「儀兵衛様も紫崎琴海については伝記に書けなかったと思います。その事に触れると、自分の娘たちの悪事については公開することになりますからね」

「あの三姉妹が関わっているんですか」

「ええ、これはあくまで噂ですか。紫崎琴海は長野工場の従業員のひとりでした。儀兵衛様は50を過ぎてはじめて恋に落ちたのです。そしてすぐに、琴海は子供を身ごもりました。当時の琴海の年齢は朱音様より2、3年下と聞きました。そして、この事態は三姉妹新とっては一大事でした」

土田にはなぜ一大事なのか分からなかった。立華は「女は怖ぇな」と震えている。まだ何も怖い話はしていない。

「もし、琴海の産んだ子が男子だとすると、待ちに待った儀兵衛様の息子になります。つまり、琴海を正室に迎え、その息子が阿座上家の後継者になってしまうんです。儀兵衛様も三姉妹の動きにには気づいており、出産間近の琴海を県内の別の場所に移動させました。そして、男子が産まれたとの報告があったのです。すると三姉妹は普段はいがみ合っているにも関わらず、一致団結して琴海のを探し当て紫崎琴海に息子の真琴は儀兵衛様の子供では無いと一筆書かせて、琴海を阿座上家から追い出したのです。それ以来、琴海と真琴の消息は一切わかっておりません」

確かに、土田は戦慄を覚えた。あの三姉妹が噂であれ、自分たちの利益のためにそんな行動を取っていたとは知らなかった。

そして閃いた。

「じゃあ、新菜を狙っていたのは真琴という事も考えられるんじゃありませんか」

土田の意見に、立華はなぜか大きく頷いた。

「とにかく、清照のあの面は臭う。警察は紫崎親子の行方をおってみる」

立華は全てをわかりきったような顔で宿を出て行こうとした。しかし、立ち止まり振り返ると、「土田くん。その本を読みたまえ!」と命令してやっと立ち去った。


「では私もそろそろ。」

新館も帰宅の準備をはじめたが、土田は聞きたいことがあった。

「待ってください。誰かが悪意を持って殺害された場合、桜谷孤児院と世界戦争孤児援助機関に財産が贈与されるとありましたが、その孤児院と機関になにか心あたりはありますか」

「それは1番の問題なんです。私は遺言状作成に立ち会い、孤児院と機関については調べました。戦争孤児援助機関については、外国の企業が行っている一般的な援助活動でした。しかし、桜谷孤児院というのが、長野県の南にあるただの小さな孤児院なんですよ。なぜそんなところに莫大な財産を贈与するのか、儀兵衛様との繋がりは全く見えませんでした」

「そうですか。ありがとうございました」

新館は宿から去っていった。


そんなわけで、ある人には衝撃をある人には混乱を与えた遺言状読み上げは終わった。

儀兵衛の「故意に命を奪われた場合」のペナルティによって、血みどろな事件は起きないだろうと土田は予測した。

そして、明日から調べたいことが多すぎた、まずは若月からの依頼である阿座上の武器製造疑惑。そして、若月の死について。最後に、おそらく警察よりも先に真相に辿りつけるであろう紫崎親子について。

土田は頭の中の調べたい事を整理して、立華警部からもらった本は読まずに床につくことにした。

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