依頼人に迫る魔の手

土田は宿の前までたどり着いた。

湖を半周したのでかなり疲れていた。

肩で息をして、暑かったのでマフラーと帽子は手に握りしてめいた。

「あら。大変でしたね土田さん」

玄関先で出迎えてくれた宿の女将は、笑顔で出迎えた。

「なんだか僕の知名度は低いことを再認識しましたよ」

自虐的に土田が呟いた。

「そうですね。土田さんが宿に泊まるって若月弁護士からお電話頂いた時も、政治家とか社長さんとかそういう方だと思いましたもの」

笑いながら話す女将に土田は、悲しいというか虚しい気持ちになったので部屋に戻ることにした。

「そういえば、新菜様はご無事でしたか」

引き止めるように女将がいう。

「はあ。なんとか合戸寅丸くんが助けてくれました」

すると、女将は難しそうな顔をして少し戸惑うとあることを教えた。

「それがですね。この前、新菜様と清武様の乗っていた車のブレーキが壊れたらしくて、幸い森の中に突っ込んで車を止めて大事には至らなかったらしいけど、新菜様は命を狙われているというか…」

「狙われている」

土田は女将のその言葉を繰り返した。

確かに、短期間で2度も事故に合うのは偶然では片付けられない。何か悪意がその裏に働いている気がした。

「あら、私話すぎてしましました。お部屋に若月弁護士がいらっしゃってます」

女将は話題を早急に切り替えると。さっきの笑顔で土田を部屋に向かわせた。

土田は、やっと依頼人に面会できて、なおかつこれから始まる大仕事に向けて気合いを入れ直した。


「若月さん。遅れました土田です」

土田は声をかけながら自分の部屋に入った。

しかし、返事はない。

「若月さん…」

土田は嫌な悪寒を覚えると素早く部屋を見回した。

そして、洗面所の入口に足が覗いていることに気がついた。

土田が洗面所に飛び込むと、口から血を流し倒れている若月一郎の姿が目に入った。

彼は死んでいた。


「さて、そこの怪しげな探偵さん。お話伺いますよ」

静ヶ原警察署の警部である立華はこの状況に既視感を持ちつつ、探偵を自称する土田一慶という男に事情聴取を始めた。

そもそも、つい先程阿座上家で新菜が事故にあっており、この土田という男が関係していることは知っていた。

そして、そのいわく付きの土田という男の部屋で弁護士の若月一郎が毒殺されているのだ。

怪しい。そして、警部は先入観を持っていた。

「だから、何度も説明してるじゃないですか。若月さんとは依頼人と探偵の関係で、守秘義務があるのでそれ以上は聞かれても困ります」

このだらしない服装の探偵が守秘義務という言葉を使うことに驚いたが、探偵業にポリシーはあるのだと感じた。

そこで、部下から情報が入った。

「土田探偵。君は明日の遺言状読み上げにも参加すると情報が入ったがほんとかね」

「警部さん。探偵って呼ぶのやめてください。しかし、参加は事実ですよ。新館さんから呼ばれてますので」

土田は少し誇らしげに言った。

「そうか、どちらにせよ気をつけるんだな。阿座上家の一族に深く関わり過ぎない方がいいぞ」

立華は自分でそう告げて違和感を覚えた。

何故だ。何故俺はこれから起こる事を予知したように喋るのだ。

そして、思い出した。

「土田探偵!」

「だから、探偵って呼ぶのはやめてください」

「すまない土田くん。そんなことより、君は以前映画化もした横溝正史氏の犬神家の一族という名の推理小説を知っているか!」

立華警部は興奮を抑えられない。

何故なら立華が警察を目指したきっかけは横溝正史の金田一シリーズだったのだ。

あの世界観と魅力的な登場人物たちの冒険と謎解きに憧れてこの世界に飛び込んだのだ。

数年前から金田一シリーズの映画が公開されており、公開の度に原作を読んでおさらいをした後に映画を見ることが慣例になっていた。

立華は自分の先入観と既視感の正体に気がついた。

この事件、完全に犬神家の一族の流れと同じだと、というより阿座上家の一族っていう名前自体、韻を踏んでるというか、そっくりである。

このままいくと、顔を火傷して、マスクをつけて清照が帰って来るのではないかとドキドキした。

同時に、あの世界観に自分が警部役として立ち会えるのだと思うとどんな難解な事件もどんどんこいと思えた。


「うーん。知りませんね」

土田の返答は至ってシンプルだった。

「知らない?嘘だろ。あの名作だぞ!スケキヨとか湖の二本足とか、知らんのか」

立華はせっかく帯びた熱に水をかけられて冷やされたような感覚になった。

「スケキヨ誰ですか。それに僕は推理小説は読みません。推理は苦手なので」

立華は怒りで顔を赤くした。自分だけが盛り上がってしまったことに後悔した。

「うむ。この事件の関係者として読んでもらう!後で宿に本を送り付ける」

「結構です。明日も忙しくなりそうなので」

やんわりと断られてますます頭に来た。

「いや!送り付ける」

立華は顔を真っ赤にしたままで宿から立ち去った。

取り残された土田は、困ったと思いながらも、警部の暴走のおかげで怪しまれずに済んだことを安心した。


土田の部屋の警察たちは引き上げてしまった。

若月の死因は毒殺ということしかまだ分からない。

しかし、タバコを直前に吸っており。部屋の菓子などにも手をつけていないことから、そのタバコに毒が入っていたらしい。

これは後から知ったことだか、若月が吸ったその1本にしか毒は含まれていなかったという。

土田はその訳を考えようとしたが、推理しようとしたら頭が痛くなったのでやめた。


静ヶ原に来て早々、ボート事故や依頼人の殺人に遭遇してしまい土田は疲れ切っていた。

静ヶ原を囲む山に太陽が沈みそうになった夕暮れ。

土田に訪問者があった。

その男性は黒縁の丸メガネをかけ、白髪混じりの髪を丁寧に七三分けにしている。

「土田さん。私、新館恭二と申します。若月のことと、遺言状についてお話したくてやって来ました」

土田は疲れていた。正直うんざりしたが、追い返す理由もない。

了承し、部屋に招き入れた。

「それで、若月さんと遺言状についてどのようなお話を」

土田が和菓子を頬張りながら聞く。

「はあ。うちの弁護士の若月が土田さんに探偵の依頼をしていたことは先程警察に聞いて知りました。しかし、前から若月の様子はおかしかったんです」

「おかしかったと言うと、どういうことでしょうか」

「はい。それが、遺言状と関わってくるんです。阿座上家の頭首で亡くなられた儀兵衛様の遺言状は、一族と新菜様が揃った席ではじめて読み上げられることになっております。私の事務所で保管されておりますが、何やら誰かが読んだ形跡があるんです」

土田は、和菓子を咀嚼するのをやめた。

「ではつまり、若月さんが遺言状を見たかもしれないとお考えですか」

「はい。しかし、彼も弁護士でありちゃんとした人間でした。裏に誰かいるのではないか、もしくはその誰かに命令されてやったのではないか。私はそう考えます」

土田は和菓子を飲み込んだ。

「その言い方だともしかして、その人物に心当たりがありますか」

土田の鋭い視線が新館を貫く。

「大きな声では言えませんが、新菜様かと。実は若月が新菜様に心を奪われていた節があるのです。彼女に言われれば、命令どおり若月は動いてしまうと思うのです」

「まあ、あれだけの美人ですからねその気持ちは分かりますが、それではなぜ新菜さんが遺言状を見る必要があるんですか」

新館は、ハンカチで額の汗を拭った。

「それ以上は分かりません。私も名探偵なら良かったのに」

「僕も分かりません!うん、全く」

新館は目を丸くした。目の前の探偵は全てを投げ出したのだ。

「いやいや、困ります。明日の遺言状読み上げには予定通り参加してもらいます。それに、土田さんも依頼人が殺害されてその謎を知らないまま帰れますか」

「確かに、言われて見れば僕は若月さんの依頼を果たせてません。分かりました。協力しましょう」

新館は型破りな探偵をなんとか引き止めると、深々と頭を下げて土田の宿を去った。


土田は明日の準備を済ませると素早く布団に潜りこんだ。

いざ消灯しようと思うと、女将が部屋にやってきた。

「もしかして、僕にどこかの警部が届け物をしてきたのかな」

土田が言うと。女将は笑った。

「ええ。まさに探偵さんの推理通りですよ。本です。必ず読むように言ってくれと伝言です」

土田は本を読むのが好きではない。

情報を仕入れて紙に書き連ねることは得意だが。

「ああ。ありがとう。いつか読むよ、必ず」

土田はその文庫本をもらった。

今日は読む気にならない。

布団の中から天井を見上げ「さっきのは推理じゃない」と呟いた。

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