第3話 私の雛人形

 新しい年が明けると、途端に雛人形の広告が増える。

 私の子供は二人とも男の子なので、本来は縁の無いものである。

 なのに何故だろ? 最近気になって仕方が無いのだ。

 

 きっかけは多分、実母からの電話だと思う。

 私の雛人形を人形供養に出して良いか、という内容だった。正直、私はびっくりした。まだ捨てていなかったのかと。

 実家は、まるまる屋根が浸かるまでの水害に遭った。油を含んだ泥水は臭くて直ぐに黴だしたので、私達はそれに浸かった物すべてを仕方なく処分した筈だった。実父の大切にしていたアンティークカメラも、家族の記録であるアルバムさえも全部きれいサッパリにだ。

 だからあの泥に塗れたままの雛人形が、今まで保管されていた事に言葉が出なかった。母はどんな思いを抱えて、それと過ごしてきたのだろうか。


 私の雛人形は初孫である私に、母の実家から贈られた特別な物だった。

 それは、豪華な段飾りの物でも、流行の面長なお顔でもなかった。お道具類は無く、ケースの中には金屏風を背にした一対の雛人形のみ。

 はっきりいって地味過ぎて幼子にとっては興味の持てない人形だったが、母は自分の市松人形と一緒にとても大切に飾っていた。

 あの頃には何も知らなかったが、潰れた鏡餅みたいな輪郭のお人形は童人形に通じるような無垢なもので、作家さんものだった。妊娠していた時になんとなく調べたのだが、ひな壇飾りと同じくらいの値段だった。

 知らないって残酷だよな。銀色と紫の衣装だって、とても凝ったものだったのに写真さえ残っていないから詳しく思い出す事もできない。一体どんな姿だっただのだろうか。


 どうしても供養前にもう一度会いたかった私の雛人形は、想像以上に酷い状態で段ボール箱に収められていた。さすがに乾いてはいるが泥に塗れた衣装。結わえた髪はザンバラで冠も髪飾りも無い。お顔の胡粉は取れ、黒とねずみ色の黴で表情が見えない。失礼だが、呪いの人形っていう表現がぴったりと合いそうだ。

 隣のスペースには、母の市松人形。母が高校生の時に亡くなったという、母の生みの親の形見である。

 母はどんな思いでこれらを保管していたのだろうか? また、どんな思いから手放す事を決めたのだろうか?


 人の形をかたどったもの。人の思いの詰まったもの。それに込められた愛の大きさを考える。こんな姿になってもずっと手元に置いておきたかった母の気持ちが、痛い程に伝わってきた。

 今までずっと忘れていてごめんなさい。

 私の中で、私の雛人形は思い出の中で一番綺麗な姿で蘇った。



 


 

 

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