第2話 水没した故郷

 私の生まれ育った家は、40年ほど前に水害に遭った。

 一月ほどに渡って降り続いた雨が、水量に耐えきれなくなったダムを決壊させたのだ。


 私はダムが決壊した日の事は一生忘れない。忘れられない。あれは、雨のおさまった月の綺麗な夜だった。

 憎き浸水は、夕方から少しずつ始まった。ひたひたと水位を上げてくる汚水が、ついに畳上が上がり出したのを合図として私達は避難を決意した。二階建ての工場の屋根の上から、平屋の実家の屋根が水に沈んでいくのを「もう、この辺で勘弁してくれ」と願いながら夜を過ごした。

 月明かりで、何艘もの観光船が拡声器を使いながら動いているのが見えた。


 翌日、お天気は悔しい程のピーカンで、押し寄せてきた水は、昼までにはすっかり引いていた。大量の泥と大量のゴミを残して。


 川の氾濫は、市の半分にあたる面積に等高線を引いておさまった。それはそれは、ハッキリくっきりと。あまりの被害の大きさを疑った保険会社が、何社も調査に来たが、全員が口をあけたまま帰っていった。

 元々、人の住む場所の変化はゆるやかだ。よほどの事がない限り、住民の移動はわずかである。だけど、住む家そのものが使えなくなり、土地の価格は暴落。土地を離れる人が増え、壊れた家が空き地に変わる事も多かった。

 土地…というより、場所そのものがスカスカになってしまったのだ。

 そこは私の育った場所でありながら、私が全く知らない余所余所しさでいっぱいの場所になってしまった。

 あれからすぐに私は、結婚で故郷を離れた。復興の様子を知らない私にとって、帰郷しても懐かしいという気持ちが湧いてこない。私にとっての故郷は永遠に無くなってしまったのだ。それでも、故郷で目にする景色に記憶の中の景色を重ねて見てしまう。幻だけが、思い出とセットで故郷を再現してくれるから。




 

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