第2章

063 迷いの森

 ◇◇◇



 月島春奈は帰宅すると、早足で自室に向かった。

 部屋に入るやいなや、ヘッドギアを被りベットで横になる。

 ネット上にあるデータストレージにアクセスし、取得したばかりのログデータを確認する。


「……あった」


 春奈の口元に薄い笑みがこぼれた。

 そのログデータは、とあるヘッドギアの入出力データ。

 復元再生することで、そのヘッドギアを装着していた人物のVR空間内の体験を、五感そのままに追体験リライヴすることができる。


 春奈は、一呼吸置いてからログデータを3倍速で復元再生する。

 次の瞬間、春奈の意識は草原世界に連れて行かれた。

 このログデータは八神悠斗が学校のVRルームからVAMにログインしていた時のものだ。


 学校のVRルームで、春奈は悠斗とVR筐体を交換した。

 春奈が悠斗に告げた交換の理由は「誰かが自分の使用場所をチェックしている」というものだったが、それは方便。

 本当の理由は、悠斗のVR体験のログデータを取得するためにあった。


 VR筐体を交換する直前に、春奈はログ収集用のソフトウェアをバックグラウンドで密かに実行していた。

 悠斗は自身のVR体験がログ収集されていることに気付かず遊んでしまった。


 トウヤが草原世界でシトリーを探したこと。

 フラワータートルとの戦闘。

 ハルナと別れた後のグリフォンの説得。

 ナルメアとの戦闘。

 そして、魔王の遺産――アストレアの天秤の使用。

 これら全ての体験を、春奈はトウヤに乗り移って追体験リライヴした。


 春奈はヘッドギアを外すと、胸に手を当てる。

 心臓がドクドクと早鐘を打っていた。

 それは追体験リライヴで興奮したということもあるが、それ以上に悠斗の実力が高かったことに起因する。

 悠斗が只者ただものではないと思っていたが、予想以上だった。

 ナルメアとの会話で、悠斗がFPであることもしっかりと確認できた。


「八神くん、君が欲しい。君の力が……」


 春奈は天井に向かって手を伸ばし、ぎゅっと握りこんだ。




 ◇◇◇




 茶色の大蛇おろちが、のた打ち回り幾重にも絡まったような枝幹しかんの道。

 足運びを間違えれば、すぐに転びそうなほどの悪路を、トウヤは意にも介さず軽々と進む。

 その後ろを、老人のようにたどたどしい足取りでシンキとハルナが続いていた。


「マジで歩きずれぇ。……って、うわっ!」


 誰ともなく不満を漏らしたシンキが、足を滑らせてバランスを崩した。

 体の倒れるその先には、偶然にも大きな穴がぽっかりと空いている。

 穴の奥は、闇。

 まるで宵闇を凝縮したような黒い水が、静かにたゆたっている。

 もし落水すれば、暗闇に飲まれて上下が分からなくなり、そのまま溺れ死ぬ危険がある。


 異変に気付いたトウヤは一瞬のうちにきびすを返し、シンキの元へ向かう。

 そして、足元に剣を突き刺して体を固定し、穴に落ちようとするシンキヘ手を伸ばした。


「つかまれ!」


 トウヤの手を掴むと、シンキは安堵の笑みを浮かべた。


「……た、助かったぜ。あんがとな」


 ぐいっと手を引かれて救出されたシンキは、深いため息とともにへなへなと腰を下ろした。

 その横では、ハルナが興味深げに穴を覗いている。


「ほんとに真っ暗。ずっと見てると意識が吸い込まれそう」

黒水こくすいだね。日の光が届いてないってのもあるけど、水自体も真っ黒」


 ハルナの隣でトウヤも穴を覗き込む。


「魚とか、いるのかな?」

「生物は一切いないらしい。たぶんこの世界の活動エリア外なんだと思う」

「そっかー。もしかしたらお宝が沈んでるかもと思ったけど、その可能性は低そうだね」


 残念とばかりハルナは笑った。



 今トウヤたちがいるのは、第4世界ロストフォレスト。通称、森林世界。

 その名の通りすべてが森の世界。上も下も横も全部、木、木、木。

 それらの木が重なり合って、天然の迷路を作り上げている。迷いの森。


 この世界に地表は一切なく、陸地のすべてが墨汁のような黒い水――黒水に沈んでいる。

 その黒水からアルボスという巨大樹が何百億と生え、その枝やみきが足元を形成し、すべての生物が樹上で生活をしている。


 日光は木々の枝葉に遮られ、上層部より下には届かない。

 だからといって完全な暗闇というわけではない。

 アルボスの中を通る樹液が緑色に発光しているため、わずかに周りは見える。

 樹皮を削り樹液を露出させれば、光量を増やすことができ、携帯の照明器具を持ち歩かなくても、冒険することは一応可能。

 しかし、移動のたびに樹皮を削る作業は手間なので、トウヤたちはアルボスの樹液を詰めた小瓶を腰にぶら下げて、それを明かりにしていた。



 シンキは立ち上がると、その場でトントンと足踏みをする。

 丸太を重ねたような足場。しっかりと芯を踏まないとズルリと足が滑ってしまう。


「俺、この世界苦手だわ。足場が悪すぎて、足首をひねりそうだ」

「なら、これを使ってみる?」


 トウヤは道具箱アイテムボックスから、皮ひもに金属片が付いた何かを取り出した。

 シンキが不思議そうな顔で、それを覗き込む。


「なんだ、それ?」

「これは靴の上から付けるスパイク。少しは歩きやすくなるかもしれない」

「ほう、そりゃよさそうだ。ちょっと試してみるか」


 シンキはスパイクを受け取って、足に装着する。

 そして、ぴょんぴょんと跳ねて、具合を確かめた。

 スパイクの金属爪が樹皮に食い込み、足が滑るのを抑制している。


「おおー! こりゃ良いぜ! 滑りにくくなった。

 これならなんとか歩ける。しばらく借りていいか?」


「ああ、構わないよ」

「……でもトウヤはなんで使わないんだ? こんな便利なもの。使えば良いのに」


 トウヤはスパイクを付けていない。それを見てシンキは不思議に思った。


「歩きやすくなるけど動きが鈍る。それに足跡が残るのが好きじゃないから」

「足跡? あっ!」


 シンキは横に移動し、自分の足元を見た。

 そこには緑色に発光する自分の足跡。

 スパイクで踏み込んだ場所から、樹液がしみだして足跡の形に光っている。

 ハルナが興味深げに、光る足跡を覗き込む。


「はっきりと足跡が残っちゃってるねー。おもしろーい」

「……そういうことか。スパイクをつけてたら、第三者に行動がバレバレになる」


 シンキは足跡を残すデメリットを即座に理解していた。


「自動的に足跡を残せるから、迷子になったときに引き返せるってメリットはある。

 ……まあ、一長一短だね。

 今の俺たちの目的は隠密行動じゃないから、足跡を残しても問題ないと思う」


 シンキの不安を取り払うようにトウヤはメリットを口にする。

 そこにハルナは素朴な疑問を放つ。


「一人が付けるなら、むしろ全員でつけた方が良くないかな?」

「……たしかに、それはあるかも」

「どうしてだ?」


 ハルナの言いたいことをすぐに察したトウヤと、話が見えていないシンキ。


「足跡が一つだけだと、周りからは一人で冒険してるって思われちゃうでしょ。

 そうなるとPKとか強いモンスターに狙われる可能性が上がる。

 でも、足跡を増やせばパーティーなんだと思われて、ターゲットにならずに済む。みたいな?」


「おおー、なるほど! それはあるな! すげえー、まったく考えつかなかった。

 んじゃ、悪いが二人もスパイクをつけてくれるか?」


 ハルナの説明に、シンキが大げさに納得し同調した。


「スパイクはそれ一つしかないんだが……」


 トウヤがぼそりと言葉をもらした。

 そこにハルナが満面の笑みで、道具箱アイテムボックスから複数のスパイクを取り出した。


「じゃじゃーん! こんなこともあろうかと、たくさんスパイクを準備してました!

 初心者が第4世界にいくなら、スパイクはもっとけ、みたいな情報を見てたから。

 さあ、トウヤくん。どれでも好きなのを使って」


「さすがハルナ。準備が良いな!」


 シンキがおだてると、ハルナは得意げな表情を浮かべた。

 それを見ながらトウヤは思考する。



 この第4世界では足場が悪いため、初心者がスパイクを付けることは珍しくない。

 しかし、上級者になるとスパイクを付けなくなる。

 それは、足跡から与える情報が想像以上に多いからだ。

 人数はもちろん、体重、性別、身長。その人物の技量や職業。

 歩いたのか、走ったのか、飛び降りたのか。初めて来た場所か、慣れた場所か。

 ただの通過点か、何かを探しているのか、といった目的までも推測ができてしまう。

 裸で歩いているようなほどに、情報が筒抜けになる。

 重装備プレイヤーか、荷物運びか、何かの作業など、よほどの理由がない限り、スパイクを付けることを避ける。


 FPであるハルナは、もちろんそのことを知っているはずだ。

 ならば全員でスパイクを付けない方向に誘導するはず。しかし逆に誘導をした。

 初心者を演じるために、わざわざ人数分のスパイクを用意したのだろうか?

 トウヤとハルナがFPだということを、お互いに内心では理解しているのに……。



 トウヤは違和感を覚えながらも、ハルナからスパイクを受け取り装着した。



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