038 ARスキン
「まさかまさか、私がマスターの不利益になることをするはずがありません。
全部、八神のデタラメです。
マスターの名前を呼びたいが為に、八神が必死に考えた言い訳でしょう。
実に可愛らしいではありませんか。
どうですマスター?
バカで愚かな後輩に、名前呼びを許可してあげては?」
ロビンは悪びれることもなく平然と嘘をつく。
千夜とロビンは同一の意識体を持つ。
名前呼びに関して、意見が対立しているようにみえるが、千夜は潜在的に名前で呼んで欲しいと思っている。
それをロビンは理解し、実行しようとしている。
無口な人のレプリカが、
主観的ではなく、客観的に自分を見つめることができるので、言動が変化する。
千夜とロビンの会話は、自問自答そのものだ。
悠斗は興味深くふたりの会話に耳を傾けた。
「うーん、でも、……それだと。……っぽいし。やっぱりダメ」
「……分かりましたマスター。許可するのは
残念だったな八神」
ロビンは慰めるように悠斗へ話を振った。
一方の悠斗はあまり残念そうな顔はしていないが一応、話を合わせる。
「そうですね。名前の方が、音の響きが綺麗なので、とても残念です」
「――なっ! き、君はなぜ、いつもへんてこなことを言うんだ!」
千夜が顔を真っ赤にして悠斗に詰め寄った。白狐も照れている。
「なんで、そこで怒るんですか?」
褒めたはずなのに、逆に怒られて悠斗は戸惑った。
「君がへんてこなことを言うのが悪い!」
「へんてこって、音の響きが綺麗ってやつですか?」
「そ、そうだ!」
「別に、変じゃないですよ」
「変だ!」
千夜のしっぽが悠斗の手を拘束し、残りのしっぽが拳を作った。
悠斗は焦る。
このまま二人だけで会話をしていたら、千夜からの
「分かりました。なら第三者に意見を聞きましょう。
シトリーはどう思う?」
「音の響きですか? ……チヤ、チヤ? チヤ!
はい、とっても綺麗な響きだと思います。
ですが、一番良い響きの名前はフランメリーだと、私は思います。
フランメリー。あなたの名前が一番ステキですよ~」
シトリーはフランメリーを抱きしめるように体を撫でた。
フランメリーは嬉しそうな声で鳴いている。
「…………?」
千夜がどういうことだと視線で悠斗に訊ねた。
「あはは、フランメリーって名づけたのはシトリーなんです。
だから人一倍、思い入れがあるんですよ。
それより、シトリーも綺麗だって言いました。
これで変じゃないって、証明できましたよね?」
「……うん」
千夜はしぶしぶ納得し、悠斗をしっぽから開放した。
悠斗は安堵の息を吐くと千夜に訊ねる。
「そういえば、俺をここに呼んだ理由って何ですか? 何か話があったんですか?」
「なんのこと?」
千夜は分からないと首を傾げた。
ロビンに視線を向けると、明後日の方を向いて口笛を吹く仕草をしている。
どうやらロビンがマスターを
「あ、なんでもないです。
もし良かったシトリー達に色々教えてあげてもらえませんか?
ロボットのことでも何でもいいんで。
こっちの世界に来たばかりで、知らないことばかりなんです」
「別に、良いけど」
「ありがとうございます。
シトリー、フランメリー。今から先輩が色々なことを教えてくれるよ。
先輩は物知りだから、なんでも聞いていいからね」
「分かりました。チヤさんよろしくお願いします」
「ピィ」
シトリーとフランメリーは揃って千夜に頭を下げる。
それを千夜は照れくさそうにしながら、こくりと頷いた。
悠斗は適当な場所に座って、自作AIのプログラミングを始める。
MR世界にスクリーンを表示させ、手近にあった実物のキーボードにARスキンを被せて、機能を連携させた。
ARスキンとは、現実世界のモノに仮想空間の情報を付加して、見た目や機能を追加する技術のこと。
例えば、現実の本に電子書籍のARスキンを被せれば、電子書籍を実際の本のように手に持ちながら、読むことが出来る。
部屋の壁紙やポスターもいつでも好きなものに変更でき、現実では不可能な動画にすることも出来る。
機能面では、ドアノブにARスキンを被せて、部屋の電気と連動させれば、ドアノブが電気のスイッチになったり、ペットボトルとエアコンを連動されば、キャップを回して温度調節が出来るようになる。
悠斗のタイピング音が部屋に響く。
仮想オブジェクトのキーボードを叩いても入力はできるが、キーを押した時に感触がないので味気ない。
やはりキーを押した時に感触がある実物のキーボードの方が何倍も気持ちが良い、と悠斗は思った。
最近のキーボードは、キーボードとしての機能を持っていないものが多い。ただキーが並んでいるだけの板。中に基盤などは一切入っていない。
ARスキンを被せて使用することが多くなってきたので、機能自体が不要になったのだ。
重要なのはボタンを押した時の感触。その感触がいかに気持ち良いかが、キーボードとしての評価になっている。
悠斗が一人で黙々と作業をしている一方、千夜はシトリーたちにロボットの仕組みなどを教えていた。
シトリーが聞き上手なのもあって、千夜は楽しそうに説明をする。
普段は
千夜はMR世界に小さなコントローラーを出現させ、その動作を現実のロボットと連携させる。
そうすることで、仮想世界のシトリーに現実世界のロボットの操作を体験させていた。
さらにMR世界に小さなヘッドギアを出現させ、それをシトリーにかぶせた。
すると緑色のコマドリが起き上がる。足首のリングは黄色に光っている。
緑色のコマドリはハードアバター。その中にシトリーの意識が入って操作をしていた。
仮想世界の住人は基本的に、現実世界への物理的干渉ができない。しかしロボットなどの機械を通せば、間接的に干渉することができる。
それはつまり
青いロビンと、緑のコマドリが部屋の中を楽しげに飛び回る。
その様子を悠斗は微笑ましく思いながら眺めていた。
しばらくして作業が
その瞬間、視界が一度だけ明滅した。
「……なんだ? エリアルール、
視界の右上に突如として現れた文字を悠斗は読み上げた。
エリアルールとは、MRゲームなどで使用する一定範囲内のみに適応される特殊ルールのこと。
つまり悠斗の今いる場所は『虚無への誘い』というルールが適応されたMR空間になってしまった。
本来ならば、第三者が起動したエリアルールに巻き込まれた場合、そのエリアルールを許可するか否かの確認メッセージが来る。そしてメッセージを受け取った全員が許可しない限りエリアルールは発動されない。
しかし今回の場合、そのメッセージは一切なく強制的にエリアルールが発動された。
運営ならば強制発動は可能。しかし事前告知もなく発動することはない。
考えうる可能性としてはバクか、もしくはルールを捻じ曲げることの出来る
悠斗はスクリーンを消して、部屋を見渡す。
部屋にあるもの全てが急速に色あせていく。
壁には染みがにじみ、部屋の隅にはくもの巣ができ、窓ガラスは曇りひびが入る。
まるで数百年の年月が、一瞬で過ぎ去っていく様だった。
もちろん現実世界では何も変化はない。変わったのはMR世界のみ。
「ほ、骨が……」
千夜が床を指して、声を震わせていた。
床は黒い土で覆われ、土の中に白い骨が埋まっているのが見えた。
その骨が次々と空中に浮かび上がり、組み合わさって人型を作り上げる。
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