037 九尾 -NineTail-
悠斗は廊下を歩く。
その両手にはシトリーとフランメリー。肩にはロビンを乗せている。
渡り廊下を通って、部室のある第二棟へ進む。
第一棟には各学年の教室があり、第二棟は専門教科や職員室、部室などが割り当てられている。
今から向かうロボット製作部の部室は、第二棟の三階に存在する。
階段を登り三階までやってくると、ロビンは悠斗の肩から飛び立つ。
そして、開いている天窓から一足先に部屋へ入っていった。
「こんにちは」
悠斗は挨拶とともに部室の扉を開く。
部屋の中は物で溢れており、作りかけのロボットなどが乱雑に転がっていた。
それは人間のようであったり、犬であったり鳥であったり、大小さまざま。
奥には、こちらに背中を向けて、机で黙々と作業をしている白衣の小柄な女性がいる。
その人物こそ、この部室の主、
千夜の頭には白い
その机の横を見ると、ロビンの姿が見える。
ロビンはジェスチャーで、千夜の頭を撫でろと、悠斗に訴えてくる。
千夜は集中しているようで、悠斗が部屋に入ってきたことに気付いていない様子。
おそらくノイズキャンセラーを作動させて、周囲の音を消している。
悠斗はシトリーとフランメリーを近くの長机に降ろすと、一人で千夜の元に近づいた。
千夜の真後ろに立ち、再びロビンを見る。
ロビンのジェスチャーは激しさを増していた。まるでダンスを踊っているようだ。
それがうっとうしかったのか、千夜のしっぽがロビンの頭をコツンと叩いた。
すると、ロビンはくるくると回って、コテンと倒れた。
悠斗はロビンの無念を晴らそうと、千夜の頭を撫でるために手を伸ばす。
しかし、ゆらめくしっぽが手にぶつかった。
その瞬間、千夜はビクンと体を震わせて、振り返る。
「…………」
千夜が悠斗を無表情に見つめた。
その頭上に『驚いた表情の白狐のイラスト』がホログラムでポンと表示された。
エモーション・アシスト・マスコット。通称エモット。
感情表現が苦手な人のためのコミュニケーションアプリだ。
狐耳型ウェアラブルデバイスに内臓されたプロジェクタが、映像を映し出して千夜の感情表現をアシストしている。
千夜の白いしっぽが、悠斗の手首にゆっくりと巻きついて空中で固定した。
「こんにちは先輩。……あの、手を離して貰えますか? ちょっと痛いので……」
何事もなかったかのように平然と挨拶をする悠斗。
その手首を白いしっぽがギリギリと締め付けてくる。
「……何をする気、だったの?」
千夜は不審の目を向ける。と同時に頭の上の白狐も目を細めた。
「何って、ただ挨拶をしようと思っただけですよ」
「この怪しい手は、何?」
千夜の残りの8本のしっぽが悠斗の手を一斉に、グワっと指し示した。
「先輩が集中しているみたいだから、肩を叩こうと。
さっきまでノイズキャンセラーで、音消してましたよね?」
「…………」
千夜が捕まえた悠斗の手を見上げる。肩を叩くにしては少し高めの位置だ。
「……嘘」
「はい、嘘です」
千夜の指摘に、あっさりと悠斗は認めた。
あまりに素直に認めるので、千夜は少しだけ驚いた表情を見せた。
白狐の頭には『?』が浮かんでいる。
「…………」
「手を離してくれたら、何をするつもりだったか教えますよ」
「……分かった」
悠斗の手から千夜のしっぽがほどかれ、開放された。
ちらりと机に視線を向けると、ロビンが「今だやれ!」というジャスチャーをしている。
自由になった悠斗の手はそのまま移動し、千夜の頭を優しくなでる。
「千夜先輩、大好きです」
悠斗はロビンに課せられたミッションを見事にクリアした。
机のロビンは羽をサムズアップさせ、悠斗を褒め称えている。
悠斗には二人の妹がいることもあり、異性に対して好意の言葉を口にすることへの抵抗感がない。だからロビンの悪ふざけにも、平気な顔で付き合うことが出来る。
千夜は
「――――っ!」
千夜の顔が一瞬で上気して真っ赤になる。頭上には激怒する白狐のイラストが浮かぶ。
九本のしっぽが一つにまとまる。
しっぽ一本の太さは人間の指と同程度。それが集まることで拳を作り出す。
「先輩、冗談ですよ。そんなに怒らないでください。
それに俺はロビンに言われて、仕方なくやっただけで……。
俺の意志じゃないです、ホントです!」
悠斗は千夜の怒りに気圧されて、後ずさる。
千夜自身はさほど怖くはない。子猫が必死に威嚇しているようで可愛いとさえ思える。
しかし、頭上に映し出される白狐のイラストが、迫力を
千夜が横目で机の上のロビンを確認する。
ロビンは何のことやらと、首を横に振って知らんぷりを決め込んでいた。
「…………」
悠斗の言い訳が
エフェクトが派手になり、白狐は怒りの炎を立ち昇らせている。
「エクストラアームで人を殴るのは、危険なのでやめましょう先輩。
それにシトリー達がびっくりしてますよ」
「……シトリー?」
初めて聞く単語に千夜の動きが止まった。
これはチャンスだと思い、悠斗はシトリー達の話を広げる。
「実は今、VAMの知り合いがここに来てるんです。
ほら、あそこの机の上に小さくなっています。ミラーで見てください」
「……ちょっと待って。……あっ」
目の前にホロスクリーンが作られ、千夜はそれを通してシトリー達の存在を確認した。
コンタクトやメガネを装着していない人は、プロジェクタ機能が備わったデバイスを使用し、ホロスクリーンなどを通してARやMRにアクセスすることになる。千夜もその一人だ。
千夜は振り上げたしっぽの拳をゆっくりとほどいていく。
第三者に自分の
悠斗はほっと息を吐くと、シトリー達の元に向かう。
「先輩、紹介します。
VAMのNPC。シトリーとグリフォンのフランメリーです。
デフォルトサイズだと不便なので、今は小さくなってもらってます」
「はじめまして、ココノエチヤさん。
この世界にきて、始めて
「ピィ!」
「……あっ。ちが……」
千夜はシトリーの誤解を正そうとするが、言葉が途中で詰まってしまい、そのまま黙り込んでしまった。
シトリーは千夜が黙ってしまったことを不思議そうに見つめる。
そこに悠斗が助け舟を出す。
「シトリー違うよ」
「……違う? 何がですか?」
「ピィ?」
ふたりは揃って首を傾げた。
「九重先輩は獣人じゃない。普通の人間。
耳としっぽがあるから勘違いしたんだと思うけど、あれは後付けの機械だよ。
耳は俺の首にあるデバイスとほぼ同じ役割。
ノイズキャンセラーや全方位ホログラム表示がある分、俺のより高機能。
それとしっぽだけど。
あれはしっぽというよりも、腕だね」
「腕、ですか?」
「そう腕。
あの九本のしっぽは
三本一組で一つの腕。それが全部で三つ、腰に追加されてる感じ。
先輩は腰に装着してるけど、肩や手首に装着するものあるよ」
悠斗が説明を終えると、千夜は無言でうんうんと頷いていた。
「なるほど、そういう便利なものがあるんですね。
ココノエチヤさん、勘違いしてすみませんでした」
シトリーが千夜に頭を下げる。
千夜はそれに慌てて首を横に振る。
「……べ、別に、謝らなくて……いい。あとチヤ、で」
「分かりました、では今後はチヤさんと呼ばせていだだきます」
「……う、うん」
「じゃあ、俺も次からは千夜先輩って、呼びますね」
悠斗がそう冗談で言うと、千夜は顔を真っ赤にして迫ってくる。
「き、君はダメ! 名前呼ぶの禁止!」
「でも、ロビンは名前で呼べって、言ってきますよ?」
「……そうなの?」
千夜はロビンに視線を向けた。
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