029 シンギュラリティと哲学的ゾンビ
「なかなかやるな、瑠花」
「そっちこそ、体はなまってないみたいね」
会話をしながらも二人の攻防は続いていた。
両手が武器の瑠花が手数では上。だがソードを持つトウヤは攻撃範囲で上回る。
接近さえできれば瑠花が圧倒できる。
しかしトウヤはステップして適度に距離を取り、自分に優位な間合いを維持する。
「VAMで魔物と戦ってるからな」
「魔物ってNPCでしょ? 対人戦とは違う」
「NPCだから、人より劣ってるってことはないぞ。
むしろ人より上かもしれない」
「またシンギュラリティの話?」
トウヤの顔面に拳を突き出しながら、瑠花は苦笑いをする。
学者の間ではシンギュラリティは既に訪れていると言われている。
しかし世間では、その事実を受け入れている人は少ない。
AIが人間を超えた。
自分よりAIの方が優れている。
AIより劣った自分に価値はない。
というように、AIを認めてしまうと相対的に自分を否定することになる。
自分の価値を貶めることを、心理的に避けてしまうのは人間の
「もうAIは特定分野なら人間を上回っている。
さらにほぼ人間と同じ思考や感情表現もできるAIがすでにある。
VAMのNPCは、俺たちと何も変わらない」
「だから、なに?」
瑠花の声が冷たくなった。その変化にトウヤは戸惑う。
「なにって……」
「AIが人間と同じ思考ができるようになった。それがなに?
だから人間と同じように仲良くしましょう?
AIはAI。人間じゃない。
人間の皮をかぶったゾンビと同じよ」
兄がAIに取られたように感じて、つい語気が強まってしまう。
「……ゾンビか。瑠花、哲学的ゾンビって知ってるか?」
「知らない。新しいホラー映画かなにか?」
「心の哲学での思考実験の一つだ。
つまり哲学的ゾンビには心がない」
「AIがまさにそれね。哲学的ゾンビ。AIに心なんて無いんだから」
瑠花が吐き捨てる。だがトウヤは構わずに話を続ける。
「哲学的ゾンビは二つに区分される。
一つは行動的ゾンビ。
外面の行動だけ見ていては、普通の人間と区別できないが、解剖すれば人間と違うと分かるもの。
もう一つが哲学的ゾンビ。
体を解剖しても、普通の人間と区別する事が出来ないもの」
「…………」
「例えば、人間そっくりな精巧なアンドロイドにAIを組み込む。
これは行動的ゾンビだ。解剖すれば機械だと分かる。
では、アンドロイドに本物の人間の意識を組み込む。
外側は機械だが、中身は本物だ。
これは行動的ゾンビだと言えるか?
人間の体から意識を抜き出して、そこにAIを組み込む。
体は人間、中身はAI。
これは何になる?」
「…………」
「VAMの世界に、俺たち人間がアバターでログインする。
仮想世界の住人にとっては、俺たちの方こそが哲学的ゾンビだとは言えないか?
VAMの住人はAIだ。しかし、そこに暮らしている。
楽しいことで笑い、悲しいことで涙を流す。
現実で肉体を持っている人間だけが、心を持っているわけじゃない
人間だとかAIだとか、そういう区別は今後なくなっていく。
生物の体を持つ人間、機械の体を持つ人間。
生物の体を持つAI、機械の体を持つAI。
人間とAIが交じり合って、新人類が誕生する。
俺たちは今、その境界線上に生きているんだよ」
「…………」
「AIには心が無い。よく言われることだ。
では、心とはなんだ?
俺はこう思う。
心とは
体という器が世界という経験を得る。それで心という雫が満たされていく。
器がなければ、雫は満たされないし、反対に雫があったとしても、器は作られない。
つまり、世界と器さえ用意すれば、心は生まれる。
VAMのNPCたちは、心の条件を満たしている」
「…………」
「人間は他の動物たちよりも頭が良いから
犬や猫とたいして変わらない。そしてAIとも……」
「もう、うるさい! そんなこと知らない! 難しいこと分からない!」
押し黙っていた瑠花が感情を爆発させる。
会話はおしまいとばかりに攻撃が激しさを増した。
トウヤは瑠花の攻撃をさばいていく。
激しい攻撃だが、その分単調になっている。
足元がおろそかになった瑠花に、トウヤは足を引っ掛けた。
「きゃっ!?」
瑠花は両手を突いて転んでしまった。
その無防備な背中にトウヤのウォーターソードが突きつけられた。
「…………」
瑠花は手を突いたままの姿勢で止めが刺されるのを待った。
しかし、トウヤの剣が振るわれることはなかった。
ゆっくりと振り返ると、瑠花とトウヤの間に一人の人物が割って入っていた。
「……シトリーさん?」
瑠花は驚きの声を上げる。
いつの間にシトリーがやってきたのか。
ちらりと上を見ると、グリフォンが上空を飛んでいた。
おそらく上から、飛び降りてきたのだろうと結論づけた。
「……撃たないのか?」
マシンガンを構えるシトリーにトウヤが問う。
「トウヤさんが、私を切る気がないに撃てません」
「まあ、ゲームだから切っても問題ないんだけどさ。
瑠花のために、助けに入ったシトリーを切り捨てるのは気が引ける。
俺がなんか悪者っぽいし。
瑠花、この勝負は引き分け。
それで良いよな?」
「え? うん、私はいいけど……」
瑠花は戸惑う。
それを無かったことにしてくれるのは、ありがたい。
だけど、それでトウヤは納得しているのだろうか。
トウヤの表情を伺う。
「……ありがとう、シトリー」
嬉しそうに笑って、トウヤはインクジェットブーツを使って、飛び去っていった。
瑠花は立ち上がって、シトリーに訊ねる。
「ねえ、今なんでシトリーさんに、ありがとうって言ったの?
私に止めを刺す邪魔をしたあなたに……」
批難することはあっても、御礼をいう筋合いはないように思えた。
「トウヤさんは瑠花さんに、止めを刺したくなかったんだと思います。
でも、止めを刺さないと瑠花さんが納得しない。
私が邪魔に入ったことで、自然な流れで止めを刺さなくても良くなった。
言い訳を作ってくれての、ありがとう。
だと、私は思います」
「……そう、なんだ」
瑠花の心に自然と嬉しいという気持ちがわきあがってきた。
悠斗が自分に止めを刺すことを嫌がっていた。
それはつまり、自分のことを大切だと思っている。
大切だと思っていなければ、止めを刺すことを嫌がりはしない。
自分の大好きな優しい兄が
負けたのにもかかわらず、笑顔がこぼれる。
「瑠花さん、嬉しそうですね?」
「え? そ、そんなことないよ。
それより助けに入ってくれて、ありがとう。
まさか私をかばってくれるなんて、思ってもなかった。
怖くなかった?」
「怖くはないです。
だってトウヤさんは、私から何かしなければ、絶対攻撃をしないと分かってましたから」
「そう、良く分かってるんだ……」
兄のことを良く言ってくれるのは嬉しい。
その反面、兄のことを分かっているシトリーに嫉妬してしまう。
自分だけが知っている兄を取られた気分になって少し嫌だ。
そして何より、兄とシトリーの関係が気になりはじめた。
ただの冒険仲間以上の何かがあるように思える。
「シトリーさんと、ゆに……。トウヤとはどういう関係?」
「関係ですか? トウヤさんは私の恩人です。
私にプレイヤーのことを教えてくれたり、一緒にクエストに行ったりしました。
あと私をこの第1世界に連れてきてくれました」
「……ちょ、ちょっと待って、第1世界に連れてきてくれたって。それは……」
「はい、私はNPCです。
NPCはプレイヤーの所有物にならないと、この世界に入れないですから」
そこでシトリーは良いことを思いついたと、手を叩く。
「私とトウヤさんの関係が何か分かりました。
一言でいうと、私はトウヤさんの所有物です!」
ドヤ顔で宣言するシトリー。
その言葉を聞いて、瑠花はめまいを覚えた。
シトリーがまさかAIだとは思っていなかった。
中身が人間で、ヘタをすればその中身は
男が女の
それがAIで、さらに所有権登録を済ませている。
所有権登録は、まさに主従関係を結んだようなもの。
最悪、恋人関係だと思っていた瑠花にとって、シトリーの告げた事実は衝撃的だった。
「はは、ははは。そう、所有物ね。はは……」
瑠花は力なく乾いた笑いを漏らす。
視線がふらふらと上空に上がったとき、部屋の中心に浮かぶタイマーが目に入った。
3、2、1。
タイマーが0になり、ゲーム終了のブザーが鳴った。
空中の表示が『集計中』に変わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます