028 兄と妹
「ゆにくん、一本勝負よ!」
「……こうなると思ってたよ」
ベットの上でトウヤと瑠花が対峙している。
戦う気まんまんの瑠花と、いつものように自然体のトウヤ。
相手の体の二割をインクで濡らせば、デス状態にすることができる。
瑠花はトウヤと直接打ち合って、戦おうと提案している。
ゲームの勝敗は、本来どちらがよりエリアを塗ったかで決まる。
だから、この直接対決にあまり意味はない。
意味があるとすれば、それはただの自己満足。
瑠花にとって、ゲームに勝つことよりも悠斗自身に勝つことの方が価値が高いと思っている。
負けん気の強い瑠花は、ゲームと悠斗の両方に勝たないと気がすまないのだ。
「それじゃあ、行くよ! 簡単にやられないでよね!」
そう言って、瑠花はインクボードで空を駆ける。
ライフルを構え、トウヤの顔面にピンクの弾丸を放った。
――パシュ! パシュ!
ピンクの弾丸は、蛍光黄緑の線で掻き消えた。
トウヤの手にはウォーターソードが握られている。
ウォーターソードの設定を変更して、放出されたインクが一秒で消えるようになっている。
そのため、ウォーターソードの剣先に余分なインクが滴り落ちるということはない。
塗るときには、秒間消去設定をする必要はないが、対人戦をする場合、余分なインクはただの邪魔にしかならない。
「やっぱり、距離があると簡単に防がれるわね」
瑠花は作戦を変更し、インクボードの先をトウヤに向けた。
弾丸を撃ちながら、トウヤに接近する。
安全圏からの攻撃ではトウヤを倒すことは不可能。
そして相手が攻撃をしかけるその瞬間、相手は無防備になる。そこを狙う。
瑠花の乗ったインクボードがトウヤに向かって進む。
このまま進めば、インクボードごと衝突する。
だが、瑠花は止まらない。
トウヤが瑠花を切り伏せようとソードを振りかぶる。
――今だ!
瑠花はインクボードを90度に立て、急制動をかけた。
インクボードから噴出したインクの大波がトウヤに襲い掛かる。
攻撃の隙を突いたカウンター。
並の人間なら、全身にインクを浴びて、あっというまにデス状態だろう。
だが、直後に黄緑の爆発が起きる。
瑠花はバランスを崩して、インクボードから転げ落ちた。
「な、なに?」
地面から体を起こして、爆発の場所を注視する。
その場所には、トウヤが何事もなかったかのように立っていた。
「インクボードを攻撃に使う。なかなか良い攻撃だったぞ瑠花」
「…………」
「ああ、何が起きたか分かってないのか?
直前にインクボムを落としてたんだ。
その爆風で防御した。
自チームのインクが自分に当たったとき、そのインクは消滅するから、爆弾を盾に使うこともできるんだよ」
現実世界で、自分の足元に爆弾を置けば、自分も爆発に巻き込まれてしまう。
しかし、ここは半仮想世界。
自分の爆弾で、自分が吹き飛ぶことはない。
トウヤはゲームのルールを把握し、上手く利用したのだ。
トウヤの足元は黄緑で塗られている。
しかし、トウヤ自身には黄緑のインクが付着していることはない。
自チームのインクは自分に付着した瞬間、消滅する。
「……そう、また私の負けなんだね」
がっくりと肩を落とす瑠花。
一度は勝ったと思っただけに、そのショックは大きい。
そのうなだれた頭にトウヤは言葉を落とす。
「もう諦めるのか?」
「んなわけないでしょ!」
瑠花はバサッと顔を上げて、瞬時に戦意を取り戻した。
ポケットにねじ込んでいたウォーターグローブを両手に装着する。
ウォーターグローブは、拳にインクをまとわせる接近戦のアイテムだ。
「はあっ!」
瑠花は両手の手首を合わせ、気合とともに突き出す。
拳にまとっていたインクが手のひらに集まり、球体として打ち出される。
人の頭ほどのピンクの塊が、トウヤに迫る。
――シュパッ!
トウヤはピンクの塊をソードで切り伏せる。
ピンクの塊は二つに別れ、そのまま後ろに流れて地面を濡らした。
「次はこっちからいくぞ」
そう言うと、トウヤは瑠花に向かって走った。
瑠花は腰を落として、トウヤを迎える。
トウヤのソードが振るわれる。
瑠花は拳で、その軌道を逸らしつつ反撃。
トウヤは、もちろんその反撃を回避する。
自分の攻撃で、どういった反撃が来るかをあらかじめ予想している。
人間の体の構造上、反撃に選べる選択肢は少ない。
どの反撃をするかを選択、視線移動、予備動作、そして攻撃。
目の良いトウヤには、反撃を回避することは容易だ。
流れるような攻撃とその反撃。
一瞬で、攻守が逆転する。
それが
瑠花の動きはトウヤに負けてはいない。
むしろ瑠花の方が少しだけ
悠斗がVR格ゲーで、格闘術を学んだように、瑠花もまたVR格ゲーを遊んでいる。
ほとんど引退している悠斗とは違い、瑠花は現役だ。
兄である悠斗のVR格ゲー時代を、幼い瑠花はずっと見ていた。
最初は、ままごとを一緒に遊んでくれなくなったことを不満に思った。
優しかった兄が、遠くにいってしまうような気がして、寂しかった。
ひ弱だった兄が日に日に強くなっていくのが、なんだか嫌だった。
ある日、瑠花は悠斗にどうしてVR格ゲーをやるのか、訊ねたことがある。
悠斗は『大切な人を守るため』と答えた。
その答えを聞いたとき、瑠花は嬉しいと思った。
遠くにいってしまった兄。変わってしまった兄。
そんな風に思っていたけど、違った。
優しいままの兄だった。
それから瑠花は自分もVR空間に赴き、こっそりと兄を応援した。
「がんばれお兄ちゃん! 負けるなお兄ちゃん!」
いつもは大人しくしている瑠花だったが、大会では声を張り上げて応援した。
悠斗の格ゲー時代の二つ名。〝
その
二つ名が示す通り、悠斗は大会で優勝したことが一度もない。
一番近くで兄を見ていた瑠花は、兄の強さを一番知っている。
だから、優勝できる実力があることを分かっていた。
それなのに兄は、なぜ優勝できないのか。
そのことを瑠花はずっと考えていた。
自分が頑張って応援すれば、兄は優勝できる。
そう思って必死に声を張り上げた。
現実だったら喉を壊して、声が出なくなるぐらいに叫んだ。
隣の席の人が、少し迷惑そうな顔をしていたけど、関係なく声援を送った。
けれど、兄は優勝をすることなく静かに引退していった。
優勝できなくて悔しいはずなのに、そんなそぶりを一切見せない兄に腹が立った。
兄の無念を晴らすために、瑠花はVR格ゲーを始めた。
自分が兄の代わりに優勝すれば、兄は喜んでくれると思った。
そのことを兄に伝えると、兄は苦笑いを浮かべて、こう言った。
「俺のために優勝するんじゃなくて、自分のために優勝してくれ。
俺は優勝したくて格ゲーを始めたわけじゃない」
この言葉を聞いて、瑠花はようやく気付いた。
兄はワザと優勝しなかったんだと。
『大切な人を守るため』に兄は格ゲーを始めた。
兄が求めた強さは、
優勝するということは、王になるということ。
王になると色々なしがらみが出来て、守るべきものが増えてしまう。
そうなれば本当に大切なものさえ守れなくなってしまう。
王座を守り、自分を守り、みんなを守る。
兄は自分が王になることを恐れていた。
だから、ワザと優勝しなかった。
二人の妹を守る騎士。
その力さえ手に入れば、地位も名誉も欲しくない。
むしろ、地位や名誉は邪魔。
そのことに気付いたとき、瑠花は泣きそうなほど嬉しいと感じた。
と同時、自分のことが情けないと思った。
守らなければならないほどに、自分は弱い存在だと思われている。
そんなの嫌だ。
守られるだけの存在にはなりたくない。
兄の隣に立って、一緒に戦いたい。
兄の役に立ちたい。
大好きなお兄ちゃんと、ずっと一緒にいたい。
そんな想いを抱き、瑠花は格ゲーを続けて、強くなった。
瑠花の強さは悠斗に迫るほどだ。
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