process 3 魂の在り処

 今日に至る冬の空気の中、浅い呼吸をする。

 冬の空気は身に沁みるほど冷たく、澄んでいた。


 大きな透明の壁越しに、柔らかな雪降る景色を呆然と眺める。

 少しずつ、ゆっくりと、雪の感触と冷たさは過密に浸透していく。


 もう頭を整理する時間は終わった。現実から目を背けるつもりもない。買いたての喪服が衣擦きぬずれの音を立てる。

 ポケットから取り出した指輪。基地内の身分証明類などのデータ管理デバイス。これを手放すことで、すべての責務から解放される。

 暗い表情と悲しみ纏う瞳は、掌の上で銀色に輝く指輪に向けられる。


 その頃、場違いな服装の女性が大手を振るって葬儀場を進んでいた。関原の姿を見るなり、キャリーケースを引いて真っすぐ向かう。


「その顔、お似合いよ」


 突然声をかけられ、視線を上げた。

 木城は小馬鹿にしたように笑っている。関原はポケットに指輪をしまい、嘆息たんそくする。


「葬儀にそんな格好で来る君に言われたくないよ」


「すぐにたたなきゃいけないんだからしょうがないでしょ」


 木城は会場の出入り口の真ん中に移動すると、会場の奥に見える浜浦所長の写真を見定める。

 すると、合掌し、目を閉じた。数秒ほどそうして、目を開けて今一度、浜浦零豪の顔を見つめた。


 真剣な眼差しで立ち止まる木城の横を通る人や近くにいた人は、ネイビーのジーンズとオレンジのニットカーディガン、茶色のコートに身を包む木城に釘づけだった。

 そんな周りの好奇な視線など意に介さず、木城は深く一礼をする。

 周りは木城の服装をとがめず、呆気に取られていた。

 関原は木城に視線を向けることなく、壁にもたれて腕組みをし、目を閉じている。深い哀悼の意と、数々の厚意に感謝する木城に、かける言葉などありはしなかった。


 そして、木城が顔を上げた。その表情が一瞬和らぐと、隣に視線を向ける。

 関原は目を瞑り、じっとしたままだった。


「そろそろ行くわ」


 関原は小さく顔を向けて、「ああ」とだけ口にする。


 だが木城はその場を動かず、瞳を外の景色に移す。関原は木城の仕草に怪訝けげんな顔をし、反応をうかがう。


「これからも、たくさんのことが起こる。予想もしなかったことや誰かが深い傷を負うことも」


 いつになくしんみりと語る木城の声が、淡い空気を纏って鼓膜を撫でていく。


「気づいたら、明日なんてどこにもないのかもしれない。そんな世界、誰も信じない。信じたくないのよ。誰も……」


 木城の声は優しく、周囲に蔓延はびこる哀しみを纏う。


「私は自分の興味のあるもの以外、探求してこなかった。でも、研究者って、それだけで動く人たちばかりじゃないんだよね。好奇心の中に、誰かのためになるって信じて、必死に研究してた人たちが、あの場所にいた」


 木城の表情は憂いを帯びる。しんしんと降る雪の様子を見つめたまま、2人だけに通う意思が、その場で飽和しようとする。


「研究者は明日を願う人たちの想いを作ってるんじゃないかって、あの場所でやっててそう思えた」


 木城は視線を流し、関原の瞳と交える。


「私は願いを作り上げるわ。浜浦零豪の願いを」


 関原は視線を切り、目を閉じる。


「浜浦所長は喜ぶだろうな」


 木城は不愛想な関原の態度に微笑み、キャリーケースの取っ手に肘をかける。


「今なら間に合うわよ?」


 関原は目を開けて耳を傾ける。


機体スーツに関わるってことは、私たちにとって重要な意味になる。二度と抜け出せない呪縛。私たちが呪縛から逃れる唯一のチャンスは今だけ。これを逃せば、平穏な人生なんてやってこない」


 関原は腕組みを解き、試すかのような木城の目と相対する。

 流れる時が2人を包むように、問いかける。

 宿した魂は泡音を立て、内側で感じる。微熱だったはずの魂は、特定の波長において温度を上げていく。だが表に出たのは、重い息だけだった。


「分かってるさ……」


 木城はふっと笑みを見せる。


「……あっそ」


 木城はキャリーケースの取っ手を掴み、関原から離れていった。

 堂々とした背中を記憶に刻むと、木城とは反対の方向へ歩き出した。

 ポケットからリングデバイスを取り出し、左手の人差し指にはめる。


 互いの距離はどんどん離れていく。しかし2人の頭には、受け継がれた魂が宿る。いつか、あの人の願う未来を作り上げてみせると、魂に誓い、陰りを見せる未来へ向かった。

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