process 2 契約終了

 2月24日。灰色の空から柔らかい雪がゆっくりと降り注いでいた。

 円状の建物に出入りする者たちは、一様に黒服に身を包んでいる。まだ溶けきっていない雪道を歩きながら建物に入り、エントランスに待ち構えている電子掲示板に目を移せば、今日行われる葬儀の予定が記されている。


 大勢の参列者が会場に入りきらず、焼香をした会葬者は会場を後にしていた。白い生花に囲まれ、笑顔を咲かせる浜浦所長。倒れてわずか1ヶ月で、この世を去ってしまった。

 まだ現実感がなかったせいか、涙も出なかった。関原は会場から出てくる人々の悲愁ひしゅうの念を横に掠める場所で、壁に背を向けて立ちすくむ。



 浜浦所長が亡くなる数日前、関原と木城は基地の地下12階の会議室に集められた。

 そこにいたのは各室長たちだった。重苦しい雰囲気の中、2人に告げられた。


「君たちにずっと隠していたことがある」


 古和覇田室長が語ったのは、浜浦所長が抱えていたガンのことだった。

 ガンが見つかった時、すぐに治療を始めればまだ助かる見込みはあった。しかし浜浦所長が治療を拒んだ。


 治療となれば入院をしなければならない。ガンが見つかったのは、まだ機体スーツ開発プロジェクトが発足する数日前のこと。

 室長たちがガンのことを知ったのは、機体スーツ開発の発足するにあたり、浜浦所長から協力を依頼された時だと聞かされた。


 鬼気迫る頼みもあり、室長たちは協力を引き受けた。


 ガンを隠しながら働くことも。

 関原と木城は疑問だった。なぜガンを隠さなければならなかったのか。

 すでにガンに侵された者がトップを務めることに対して懸念する者たちがいるかもしれないこと、そして他の研究員、特に関原と木城に余計な心配をさせること。この2つが、浜浦所長がガンを隠す主な理由だった。


 会議室で各々おのおの居様いざまを為す。

 テーブルに背を向けて座る門谷室長。椅子のアームレストに頬杖をつき、タブレットで資料を見ている先石室長。スマホで曲を聴きながらくつろぐ葉賀室長。会議室の端で電話をしている古木屋。真向いに座る2人に対し、穏やかに経緯を説明する古和覇田室長。

 状況を呑み込むのに精いっぱいの2人は、終始戸惑いが露わになっていた。


「何がなんでも完成させたかったんだ。取り留められるかもしれなかった自分の命を投げ打ってでも、やり遂げようとする彼を、私たちは止められなかった」


「これは言い訳をしたいから言うんじゃない」


 そう前置きをして葉賀は話し出した。


機体スーツを目標の水準まで高めたものにするためには、最低でも5年はかかる。それを浜浦所長も分かっていたし、僕らも理解していた。そして浜浦所長がいれば、5年より短い期間で機体スーツを完成させられる。根拠はなかったが、確信があった。で、僕らは賭けに勝った。緊張の糸が切れてしまったんだろう。今まで無理やり重い薬で抑えてきたが、限界だったみたいだ」


「水臭いですよ。浜浦所長……」


 関原は頭を抱えながらぼやく。門谷は煙管きせるスマートを吸いながらブルーベリーの香りを漂わせる。


「感謝するんだな」


 門谷は木城と関原に視線を投げる。


「少しの邪念も持たせたくなかったんだ。迷いは注意力を欠如させ、判断を鈍くさせる。薬で健康体を装ってでも、あんたらに余計なことを考えさせたくなかった。それくらいの価値を、あの人はあんたら2人に見出みいだしてたってことだな。フ、粋なことしやがるじゃねぇか」


「ほんとしつこかったわ」


 1人壁際で電話をしていた古木屋が突然会話に入る。


「私たちに頼み込んできた時、浜浦所長とお互いに条件を提示した。浜浦所長の依頼は、機体スーツ製作に協力してほしい。それと、自分の大事な教え子2人に、私に代わって教えてほしいとね」


 古木屋は門谷の煙管きせるスマートを奪い、勝手に吸い始める。


「おい、人の煙草を奪うなよ」


 門谷は口をゆがめて不満を述べる。


「ここは禁煙。何度言ったら分かるのよ」


 古木屋は注意しながらも吸い続ける。門谷は悲しそうにするも苦汁を飲むように何も言えない。


「あの人は自分の死期を察して、君たちの行く末を案じた。まあ、君たちは優秀らしかったから、あくまで希望という話だったけどね」


 葉賀はイヤホンをしまいながらそう語り、居住まいを正す。


「誘うだけ誘うけど、ついてくるかどうか分からない。曖昧な契約内容だったけど、こっちにも利益はあるし、断る理由はなかったわ」


 先石はタブレットを操作しながらピンクルージュの唇で淡々と続ける。


「で、もうすぐ契約は切れる。私たちの役目も終わりってこと」


 2人は怪訝けげんな表情になる。


「どういうことですか?」


「私たちは浜浦所長と個別に契約を交わしてる。けど、共通して同じ条件で契約を交わしていることが1つある」


 先石は指を1つ立ててニヤリと笑う。


「浜浦所長が亡くなった後、俺たちはここに残るか、ここを出るか、選べるようにしてある」


 門谷は着慣れないベージュのスーツのポケットに両手を突っ込む。


「で、どうなさるんですか?」


 木城は淡々と問いただす。


「私以外、みんな基地を離れる」


 古和覇田室長の返答に息を呑む関原。肌がサワサワとゆっくりあわ立ってくる。


「不安かい?」


 葉賀は微笑みながら尋ねる。


「まあ……多少は」


 関原は内なる不安を見透かされたと思い、正直に吐露する。


「古和覇田室長は?」


 木城は神妙に尋ねる。


「私はしばらく基地の病院に勤務する」


 門谷はおもむろに渋い吐息を纏う言葉を漏らす。


「できることはやった。あの人との契約通り、俺たちの知識と技術を叩き込んでる。あとは、あんたらが決めることだ」


「これまで調べてきたデータは管理者ファイルに一括して入れてある。ファイルを開くためのリングデバイスは、私のロッカーにしまってるわ。2人のIDでロッカーは開くはずよ」


 古木屋は励まそうとするかのように努めて明るく伝える。


「大丈夫。浜浦所長は君たちの決断を支持する。ここをやめるも、続けるも、君たち自身で決めてくれ」


 そうして、密かに開かれた会議は終わり、5人の室長はラボを去った。

 残された木城と関原は、会議が終了しても席を立てなかった。言葉も交わさず、深い茶色のドーナツテーブルを見下ろすばかりだった。

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