7.魂は受け継がれ、ふたつとなる
process 1 語らぬ誓い
今夜は吹雪だった。白銀に埋もれていく世界。時に刻まれた1つ1つの世界の記憶は結晶となり、散らばっていく。たとえ人が認識できなくとも、世界は
忘れられていく記憶は白く染まって何も見えなくなる。
しかし、たとえ誰かが忘れたとしても、残した物に深く刻まれることもある。
地上の気象に影響を受けることが少ない基地に住む者たちは、どこか他人事だった。実際には基地に搬入する物資に影響が出ているが、関係業種ぐらいにしか関知されていない。
1年中ほとんど変わらない気温を保てるのはメリットであると同時に、デメリットになる。季節感を共有できないのだ。季節に合わせて服を変えていく必要はなくなり、季節と服装がマッチングする必要もなくなった。
息が白くなることもなくなった基地で、今日も隊員のサポートに従事する関原は、注文書を眺めていた。
東防衛軍基地にある
初期装備として、電磁銃と電磁剣がセットされるが、それ以外に隊員の要望により違う武器を搭載できる。だが携行する武器や機能が多ければ多いほど、
トータルバランスを考えるようアドバイスするのも研究員の仕事になっていた。1人1人のオーダーを見ながら、意見欄に電子ペンで記入する。
マテリアルサイエンスラボに通信音が鳴る。タブレットを操作する他の研究員のものだった。研究員はまじまじとタブレットを見ると、息を詰まらせた。
「浜浦所長が倒れた」
驚きのあまり漏らした言葉に、近くにいた人たちがはっと視線を投げた。
一瞬にして凍りついたような静寂に呑まれたが、カラカラと音を立てるようにどよめき出した。
「何があったんだ?」
「会議に顔を出さなくて、ロボティクスラボの主任が執務室へ向かったら、浜浦所長が血を吐いて倒れてるのを見つけて……」
「無事なんですか?」
女性の研究員は冷静な様子で確認する。
「なんとも言えない」
質問攻めに遭う研究員の男は深刻な顔をして、重たい口を動かす。
「一命はとりとめたが、思ったより状況はひっ迫しているらしい」
関原は思い出す。木城の言っていたことは気のせいではなかった。
関原の知る限り、浜浦所長は元気そうだった。まだまだ研究したりないという気概さえあった。もう少し遠い過去だと思っていたのに。
関原はざわつく胸の奥を押さえつけるように、デスクの上で拳を握りしめる。
浜浦所長が倒れた。
基地内で合言葉のように取り交わされ、色めき立っている。
関原はどこか落ち着かない心地を抱きながら、戦況が変化する日々の中で注文をさばく。東防衛軍基地ではこれからどうなることか、と不安が漂流している。
浜浦所長が倒れたという
重たい足取りで病院の廊下を進んでいく。なんと声をかけるべきか。どんなに時間をかけても、相応しい言葉は見つかりそうになかった。
重要な人物や特別な配慮が必要な人のために作られた個室。受付でもらった面会パスを読み取り機にかざす。白いドアがゆっくり開いた。
「失礼します」
小さく呟くように言い、病室に入る。
点滴を打たれ、モニターが心音を刻む。ベッドに横たわる浜浦所長は、わずか2週間という合間に変わり果てた姿となっていた。
頬がこけ、体にいくつものコードが伸びている。数ヶ月前まであんなに元気に仕事をしていたとは思えない姿を目の当たりにし、硬直してしまう。
すると、力なく瞼が開き、弱った瞳が関原を捉えた。
「ああ……関原君か」
「はい」
関原はベッドの近くにあった椅子に腰かける。
「迷惑かけるね」
「そんな、迷惑だなんて……」
浜浦所長は優しく微笑む。
「歳は取りたくないな」
浜浦所長の口調はやけにゆっくりしていた。声も掠れ気味で、病気の進行具合を物語っている。
関原は浜浦の顔越しにある小さなチェストに視線を振る。すでに他の人が見舞いに来ていたようだ。カットされた果物が置かれている。
「木城君が気を利かせてくれたんだ。怒られたよ。無理をするなんて科学者のやることじゃないって」
弱々しい声だが、わずかに明るさが滲んでいた。
「娘くらいの歳の子に怒られたのは久しぶりだ。娘に怒られたことくらい父親ならあるだろうが、だいぶ年下の他人で、最初に怒られたのは先石君だったかな。次に木城君。どうも私は若い女性に弱いみたいだ」
関原は世間話をするみたいに話す浜浦所長に小さく苦笑を灯す。
「関原君」
「はい」
「私は、幸せ者だよ」
浜浦所長はしみじみと息を吐く。
「自分の追求したいものを追わせてくれた両親しかり、ついてきてくれる仲間にも恵まれた。まあ、失敗もたくさんしてきたが、それでも私を信頼してくれる人たちがいた。だから今、私は幸せを感じられる気がする」
浜浦所長は腹をさする。
「病に侵され、思うように動かない体になったというのに、幸せだと思えるんだ。おかしいかな?」
「おかしく……ないと思います」
言葉に詰まりながら答える。
「そうか」
浜浦所長は
「そういえば、ゼミの発表の時に使う部屋も、こんな質素な部屋だったな」
穏やかに白い部屋を見つめる。
「君たちは顔を合わせればいがみ合っていた。これは困った学生を受け持ってしまったと、悩んだこともあったが、君たちを見ていて分かったよ。ただ反りが合わないんじゃないって」
関原は不思議そうに話に聞き入る。
「互いに意識しているからこそ、ぶつかってしまう。君たちはどこか似ていたんだ。話下手で、身の内に宿る信念と探求心に誠実だった。だから信じたんだ。君たちはきっと、よき戦友になれると。私は見守ることにした。構造を理解し合えば、いつか歯車は回る。私が横から入らなくとも、君たちは必ず同じ方向を向いていける。君たちが、私の教え子で本当によかった」
浜浦所長はゆっくり左手を上げ、手を差し伸べる。
「ありがとう」
関原は浜浦所長の手を取り、握手する。腫れぼったい手の感触から如実に伝わってくる。体の節々の痛みを
関原は裂けていくような心の音に噛み殺し、浜浦所長の手を優しく握り返した。
「感謝したいのは、僕の方です」
違える手の温度を交わす部屋に、さざ波のように時が流れる。
関原は確たる思いに胸を熱くさせる。積み重ねてきたこの手で、望む先の世界を見据えて再び歩き出す。語らぬ誓いと共に。
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