process 12 大掃除
年が明けた。新しい年であろうとブリーチャーたちがいなくなることはない。この季節でも、ブリーチャーたちは温暖な気候の場所で今日も狙いをつけているはずだ。
各国に現れた生物たちは留まるところを知らない。確実に個体数と種類を増やしてる。あきらかにこの地球で生を受けた個体もおり、進化速度は宇宙一の速度を誇ると言っていい。
類まれなる能力と進化速度を武器に人々を食らう生物に対し、人類も踏ん張っている。約3年半もの戦いで奮闘しているウォーリアたち。彼らのお陰で国が存続できている一面もある。
だがウォーリアと言えど無敵じゃない。これまで世界中で何人のウォーリアが戦場で散ったか。
遺族の中には隊員だと知らなかった者も多かった。涙を呑み、無念を語った最期を知る仲間は、胸をえぐられるほどの悲しみに暮れる日々を送りながら、今日も任務に就いている。
想像以上の険しい道を進む彼らには頭が上がらない。それをよく知っているのは、サポートに回る者たちだ。疲弊していく隊員の姿と生々しい戦場。あんな場所にいたら、まともな精神でいられないと口を割く者もいる。
彼らの気力を保てるよう、サポート役となる研究員たちも膨大なデータと向き合いながら研究に励んでいた。
そんな時、中国からもたらされた話が世界を揺るがした。
関原がそれを知ったのは、脳生理学ラボで掃除を手伝っていた時だった。
「
古和覇田室長は頷く。
「ああ、なんでも放電体質遺伝子を持つ人間の中でも特殊な人らしい」
「なぜ
古和覇田は脚立の上から不敵な笑みを見せる。
「それが、女性にしかその特殊な遺伝子は現れないみたいでね」
「なぜですか?」
「それはまだ分かってないらしい。まあ、いずれにしろ、これでウォーリアにも上位個体がいたというわけだ。日本でもいたらいいけど、そう簡単に見つからないだろうね。現在
古和覇田は脚立を下りると、横にずらしてまた上り出す。ハンディワイパーを手に、棚の上の埃を落としている。関原は不安げに見上げている。
「そうなると、是が非でも
「だろうね。お金で人を買う、なんてこともあるだろう。まあ悪く聞こえるが、これをよく言うならスカウトってところか。ただ、自国民がヘッドハンティングされるのを黙って見過ごしたくはないだろう。今頃、水面下で激しい攻防戦がされてるんじゃないかな」
「強制的な検査によって、
考えただけでゾッとすると言いたげに体を小さくする女性。古和覇田の助手、
「その代わり、
古和覇田も楽しそうに話す。
「うちはそんな大胆なことしませんからね」
浅間は肩を
「強制的な検査は問題になるからやらないだろうけど、家族の面倒まで政府が優遇しても問題にならないかな?」
「なるに決まってるじゃないですか。お金に厳しい国ですから」
「高給料はあってもいいと思いますけどね」
関原は物足りない隊員の処遇を思いやる。
「ですよね! 特殊勤務手当くらいどんと出してあげたらいいのにっていつも思うんですよね」
浅間も激しく同意する。
「今や基地の監督は浜浦所長から基地事務局に移ってしまったからね。彼らに意見書を送る以外にないだろうね」
「無駄ですよ。古和覇田室長、友達に政界のドンはいないんですか?」
浅間は鼻息荒く尋ねる。
「歳は食ってるけど、そんな友達いないよ」
「室長使えな~い」
「……ごめんなさい」
古和覇田は意気消沈する。
「古和覇田室長、謝らなくて大丈夫ですから。悪いのは浅間です」
関原の断言に、浅間がいっぱいに目を開いて驚きを露わにする。
「何言ってんですかあ! あたしが悪いってぇ!?」
「君の態度は少々目に余るぞ。助手になったんだからちゃんと社会人のマナーくらい……」
「関原君、もういいよ。ありがとう」
古和覇田室長は優しい笑顔で関原をなだめる。
「ですよね室長! ほらほら、室長がいいって言ってるんですから、クドクド言わないでください。関原さん」
浅間は調子づいてしまう。関原は、木城とは質が違うマイペースな浅間に手を焼いていた。後輩となる浅間だが、完全に舐められていると悟っていた。
古和覇田室長は脚立を下り、「ふたりともありがとう」と言って、脚立を横に倒そうとする。「やりますよ」と関原が申し出て、関原が脚立を畳んでいく。
「そうだ。関原さん!」
関原についていく浅間は快活な声を上げる。
「なんだ?」
「木城さんと同期って本当ですか?」
「ああ、それがどうした?」
関原は自分の身長半分にまで畳まれた脚立を持ち、脳生理学ラボの用具入れに脚立をしまう。華奢な浅間は無邪気な笑顔で関原の顔を覗き込む。
「
事あるごとに聞かれる。いつだってそうだ。こういう類の質問をしてくる人は、期待の眼差しを向けて聞いてくる。いっそのこと付き合ってると言ってしまった方が楽なんじゃないかと血迷ったこともあったが、もう慣れて返し方のバリエーションも増えていた。
「いつまで高校生みたいなことしてるんだ。君たちは」
「あ、照れてます?」
「照れてないよ」
小部屋から出ると、古和覇田室長に朗らかな笑みを投げかけられた。
「ふたりとも一息入れてくれ」
壁の一部と化したアームロボットも手招きをしている。電子ケルトの横で湯気を立てるマグカップとロールケーキが誘惑していた。
「いいんですか!?」
「余り物で申し訳ないけどね」
「では、お言葉に甘えさせていただきます!」
浅間は目をキラキラさせて苺のロールケーキを取る。
古和覇田はほぼ毎日ラボに特選の甘いお菓子を差し入れている。甘い物目当てで脳生理学ラボに来る者もいるほど、古和覇田の甘い物好きは筋金入りだ。
「あ、そうだ。関原君、木城君に持って行ってくれるか?」
「は?」
「昨日木城君に実験を手伝ってもらったんだ。無理を言ったから礼をしたいと思ってね」
古和覇田が戸棚の裏にかけてある短いマジックハンドを取る。その動きに応じてアームロボットが動き、棚にぶら下がるパック詰め機の蓋を開ける。
「そうだったんですか」
古和覇田の首筋に取りつけられた黒い小さな四方板の隅が青く光っており、何度も点滅している。
「でも、今日木城に会う予定ないですよ?」
古和覇田は含み笑いをすると、マジックハンドで掴んだ2つのロールケーキをパック詰め機の食物口に入れる。
「君たちは付き合ってるんだろ?」
「室長もですか……」
アームロボットが蓋を閉め、パック詰め機の横にあるボタンを押す。
「あれ、違うの?」
関原はため息交じりに語る。
「僕たちはただの同僚でしかありません。同じ大学の同期のね」
「なぁんだ。違うんですか」
浅間は残念そうに唇をゆがめる。
「あらぬ疑いをかけてすまないね。仲がいいからてっきり」
ポンという乾いた音が鳴り、数秒後パック詰め機の下から台座が押し出された。台座に乗るビニール包装されたロールケーキを取り、関原に渡す。
「面倒かもしれないが、よろしく頼むよ」
「分かりました」
関原は苦笑しながら受け取る。浅間は抹茶ラテを急いで飲んだ。
「じゃ、これから制御コードの研修がありますんで。ご馳走様です」
浅間は足早に出口に向かったが、突然振り返る。ウェーブのかかったブラウンの髪がサラリと揺れた。
「あ、関原さん。今度パランドュスグラフィック系サーフェスモデルのデモンストレーション、手伝ってくださいね」
浅間は悪戯な笑みを浮かべてラボを出ていった。
抹茶ラテをすする古和覇田は、和やかな空気の
「君もこの後
「いえ、今日シフトは入ってませんので、ゆっくり研究をしようと思います」
「そうか」
古和覇田と関原は、
「室長はこの後ご予定があるんじゃないんですか?」
「ああ、手術が入ってる」
「手術……ですか」
関原の表情が曇っていく。この地下には病院が1つだけある。地下3階と4階。この2フロアが1つの病院となり、また政府の管轄にある。
軍関係者はもちろん、一般市民も利用できる。
放電体質遺伝子を持つ人々の体について詳しい古和覇田は貴重な人材だった。基地の病院だけでなく、地上の病院からも講師の依頼が来るほど。放電体質者と他の者では病気によって治療方法を見極めていく必要もあるため、慎重を期さねばならない。
「ところで、正式にマテリアルサイエンスラボの専属研究員となったようだね」
「はい」
歳を重ねた顔に
「昇進おめでとう」
「ありがとうございます」
「浜浦さんから聞いていたが、想像以上だったよ。もっと早く昇進してもおかしくなかった」
「恐れ入ります」
「もう3年になるか。あっという間だな」
「そうですね」
古和覇田はしみじみと語る。
「色々と大変なこともあったが、ここまで規模が大きくなったことを思うと、感慨深いものがあるね」
脳生理学第一ラボに並ぶ棚には当初
更にラボの中央を陣取る大きなテーブルには、これまで撮影されたブリーチャーたちの解剖記録と所見が表示されている。
積み上げられたデータと、失敗を繰り返してやっと完成した部品。本来2年でできるものではなかったが、急を要する案件だったために、みんな寝る間を惜しんでやってきた。
これも人の役に立てる物を作りたいという想いや、自身の研究に情熱を注ぐ意志が
「こうしていると、浜浦さんたちと研究していた大学時代を思い出すよ」
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