process 11 クリスマスの魔法

 同日、木城と先石室長、古木屋は地下街にオープンしたイタリアンレストランにいた。ドレスコードはなく、気軽な服装でも入れるお店とあって、様々な面々が見受けられた。

 黒い丸テーブルにアクアパッツァ、たっぷりトマトとローストビーフのトンナートソース、オニオンスープ、メロンサラダなど、鮮やかな料理が並んでいる。各手元には白ワインが添えられていた。


 こうなったのは3時間前のことだ。ちょうど葉賀と関原が攻電殻即撃機保管室にて、修繕作業を始めた頃。木城と先石だけが残っていた生化学ラボに、古木屋がたずねてきた。


 隊員は音速を超えた走行が可能であり、ブリーチャーたちとの戦闘では武器となっている。武器であり、生命線である速さが安定しないのでは、実用的とは言えない。特に入り組んだ街中では小回りの利く機動性が求められた。


 異常な速さで走ることを想定しているのであれば、それに対応した感覚器官が必要となる。

 ウォーリア遺伝子を持った者は、持っていない者に比べ、動体視力や空間認識能力に優れた力を発揮するが、残念ながら音速を超える速さに対応してるとは言い難い。

 ARヘルメットに視聴覚連動プログラムで補い、どうにか実用化までこぎつけた。各隊員の戦闘データと意見を聞き、今も性能向上に尽力している。


 プログラムの起動テストはパソコン上で行えるが、実際に機体スーツに搭載してみなければ、全機体スーツにインストールできない決まりとなっている。

 日本の機体スーツは、生体との接続に依存しているため、実際にテストして安全性を確認する過程は外せなかった。


 しかし古木屋は人体のことに関して詳しいわけではない。事あるごとに生化学ラボと脳生理学ラボに伺うことは日常的に行っていた。

 見解を伺う時は電子メールで行えばいいが、せっかちな古木屋は自ら足を運ぶことが多かった。特に先石の場合、各隊員や候補生の諸々の検査を任されている立場であることから、ラボを留守にすることもしばしばあった。


 以前は自覚が足りないんじゃないかとうたぐっていた古木屋も、理解を示してくれるようになった。とがめることをせず、一番話ができる先石を捕まえ、話を聞きにくる姿が増えた。

 そして、本日も夜遅くに少しお疲れ気味の古木屋が来た。業務連絡と相談が終わると、古木屋は残っていた木城と先石に、「あなたたち、この後予定あるの?」と尋ねてきた。


 2人は戸惑いながら首を横に振った。

 すると、古木屋は、「クリスマスイブを過ごすのもいいと思うんだけど、どうかしら?」と大人の笑みを投げた。

 断る理由がなかった2人は、なんとなく古木屋の誘いに乗って今に至る。


 木城と古木屋、木城と先石、このコンビならまだ談笑も自然にできる印象があった。

 穏やかな雰囲気が演出する高尚な品とカジュアルな親しみやすさが融合し、うまく調和されている。セッティングは充分整っていた。

 だとしても、2人が顔を突き合わせて仕事以外の話をしている姿を、木城は見たことがなかった。この2人が和気あいあいと話をするとは思えなかった木城は、妙な緊張を覚えて喉を通らない。


 また、古木屋が誘ったこと、自分がこの場に呼ばれた理由とは? と古木屋の意図を推測するばかりだった。


 木城の読み通り、和やかな食事会とはならなかった。

 口数は少なく、「どれにする?」とか、古木屋がお代を持つと言い出し、さすがにそれは恐れ多いという押し問答が2回ほど繰り返されたくらいで、いざ食べ始めて10分ほど、無言が続いていた。


 あまりに気まずい食事会に居合わせることになった木城は、やっぱり断っておけばよかったと後悔に沈んでいた。


「ここ、知り合いのお店なの」


 急に古木屋が話し始め、はたと木城と先石が視線を上げる。


「彼女ね、イタリアで3年修行した後、日本でイタリアンレストランを始めたの。必死に店を切り盛りして、少しずつものになってきた時に、ウォーリアだって分かった」


 明かりは店内の柱ごとに設置された燭台とテーブルの真ん中に置かれた電気キャンドルだけだった。だがホールの奥、腰窓こしまどの向こうは爛々らんらんと電気が灯っている。

 キッチンでシェフがせっせと料理を作る姿がうかがえた。古木屋は、キッチンで腕を振るう女性に哀愁を纏う瞳を注いでいる。


「崖から落とされた気分だった。このまま店を続けていいのか。悩んでいたわ。隠してやっていればいい。そう考えたこともあった。でも、自分が開いた、自分が始めたお店なのに、いつわってまでやり続けて、胸を張れるのか? もしブリーチャーたちに襲われたのが、お店の近くで、自分がウォーリアだから襲ってきたんじゃないかって……。そうなった時、耐えられないかもしれない。働いてくれている従業員だって、被害に遭ってほしくなかった」


 突拍子もなく始まった話に最初は困惑した木城と先石だったが、古木屋の話に聞き入っていた。


「彼女は選択を迫られた。お店を閉めるか、続けるか。でもね。彼女が頑張ってることは、みんな知ってた。従業員、常連さん、取引業者。続けてほしいと、言ってくれた。その時、分かったのよ。たった1人で悩んで解決する話じゃなかったんだって。彼女はみんなにウォーリアであることを告白して、この地下街で、2号店をオープンしたの」


「また、いちから始めたんですね」


 木城はしんみりと呟いた。

 古木屋は渇いた舌を潤すように白ワインを流した。


「私はただ自分の得意分野だったから、コンピュータサイエンスを習得しただけだった。食いぶちをつないだり、欲しいものを買うための手段でしかなかった。最初、この仕事を引き受けた時は、ウォーリアにも興味なかったし、ブリーチャーにも興味なかった」


 古木屋は椅子にもたれ、くたびれた息を落とす。


「私にとって、科学は人生の暇つぶし。けど、もし助けたい人がいて、この手で助けになるなら、私は全力を尽くすつもりよ」


 木城は手を止めて聞いていたが、先石は完食し、テーブルナプキンで口を拭っていた。


「要は時間がある時に寄ってほしいってこと?」


 いい話系だったのに、先石は水を差すように指摘する。

 古木屋はフッと微笑む。


「それはついでよ。本題は別」


 古木屋は手を挙げ、黒いベストのウェイターに視線を送る。

 ウェイターは手に持ったボトルをグラスに注いでいく。


「今、基地内の環境システムの開発を任されてるの」


「空調の管理ってこと?」


 先石は白ワインを口に運ぼうとする手前で止めて尋ねる。


「それもあるけど、訓練室の補助、基地内のセキュリティ、各階層のライフラインの正常化、基地内全般の利便性を向上させるシステムを作るよう言われてるの。今、3つのAIに分けて運用するまで考えてるんだけど、名前が決まんないのよ」


「は?」


 先石は顔をしかめる。


「あの、本題って……それですか?」


 木城は顔を引きつらせて問いかける。


「2人とも馬鹿にしてるけど、意外と重要なんだから」


 2人の反応に心外だと言わんばかりに不満そうだ。


「ハンドフリーで操作できる方がいいと思うのよ。そうなると、対象の名称は便宜上べんぎじょう必要でしょ?」


「それでしたら、やはり音声入力ですよね」


 木城は推測を述べる。


「ええ、だから名前が必要なの。いろんな人が出入りする基地だから、できるだけカブらなくて、覚えやすくて、難しくない名前にした方がいいと思うのよ」


 古木屋は腕組みをした指でトントンと叩いている。


「私たちに考えろって?」


 古木屋は組んでいた腕から抜いた右手を返して指を鳴らした。得意げな顔で鳴らした古木屋の指は、先石に向けられた。


「そういうこと。ちょうど3つを製作する予定だから、1人1つ考えてほしいわけ」


 結局、仕事のことだった。

 木城はすんなり納得いったような、拍子抜けしたような微妙な気分になる。


 デザートのドルチェに手をつけている先石は、腑に落ちない様子だった。


「それってラボでもできたんじゃない? わざわざお店に来てまで話すことだったの?」


 テーブルに両肘をつき、絡めた手の上に顎を乗せる古木屋は、不敵な笑みを見せて先石を見据える。


「先石さんって、案外真面目なのね」


「な、なんでそうなんのよ……」


 先石は目を細め、険しい顔をする。


「いえ、てっきりズボラな性格だと思ってたから」


 古木屋は手を解き、かたわらのグラスをルージュを引いた唇につけて、金色の美酒を運ぶ。

 芳香な美酒は喉を通り、古木屋の舌を軽やかにする。


「気楽に仕事の話ができる場所ってのも、悪くないでしょ?」


 古木屋はグラスを掲げ、柔らかに微笑む。


「技術面でも相談に乗ってもらうかもしれないけど、ひとまず名前の方は頼んだわ」


「は、はい……」


「さ、仕事の話はここまで。ここからは女の話でもしましょうか」


 古木屋は片肘をついてほんのりと頬紅をつけた顔を木城に向ける。


「木城さん、あなた全然食べてないじゃない」


「あ、すみません」


「お腹空いてないの?」


「いえ、そういうわけでは……」


「お決まりのダイエットでもしてるんでしょ」


 先石はドルチェを食べ終え、嘲笑ちょうしょうする。


「ち、違います……」


 木城は苦い顔をして否定する。


「ふふ、不規則な生活だと余計気になるよね」


 古木屋は木城の反応に肩を揺らして笑う。


「そうそう。いつの間にか体重増えてるし」


「先石さんの場合、ラボでパクパク食べてるからでしょ」


「なっ!? 見てきたかのように言ってくれやがるわね」


甘楽かんらさんがくれるのよ。差し入れですって」


「甘楽のヤツ、余計なこと言ってるな……」


 先石はくぐもった声で恨み節をブツブツと言い、2つ目のドルチェに手をつけていた。


「でも、いい子じゃない。他部署とのつなぎ役をうまくこなしてくれてる。手元に置いて損はないわ」


「感謝してるわ、あの子には……」


 先石はしんみりと小さく呟く。


「今更だけど、誘ってよかったかしら?」


「はい?」


 木城は疑問を浮かべる。


「だって、今日はイブでしょ? 賑わう日なら、どこか予定を入れててもおかしくないでしょ?」


「入れたくてもいられなかったのよ。こなクソ、あのヒゲ!」


 先石は突如憤慨ふんがいする。周りの客は驚いた様子で木城たちのテーブルに視線を弾く。

 木城はご乱心の先石のせいで周りから珍獣扱いをされるんじゃないかとヒヤヒヤし出す。だが古木屋はまったく気にしていないみたいだった。


「あの人、おとなしそうな顔して熱血漢ねっけつかんだから」


「こっちまで飛び火してるんじゃ世話無いわよ」


「あなたは体調大丈夫?」


 古木屋は木城に話を振る。


「はい、全然」


「そう。無理はしちゃダメよ?」


「はい」


 木城は妙な感覚に陥っていた。お酒の力もあるだろうが、古木屋の印象が少し違って見えたのだ。

 基本優しい人だが、ちゃんと指摘するところはする。その指摘が強めに入ることもあり、コンピュータサイエンスラボの研究員の中じゃ、戦々恐々としている人もいた。


 陰口を聞くこともよくあったが、それも上の立場にいる人の宿命みたいなものだろう。木城自身、古木屋の指摘内容はもっともだと思っていたし、特に申し入れる必要もないと思っていた。

 だが今の古木屋は世話焼きな人として、木城の目に映っていた。

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