process 3 走り抜けてきた実感

 ようやく食事にありつける。

 遅めの夕食となってしまった。

 自動ドアが開き、大きな部屋に並ぶ長机が視界に広がる。

 この時間でも食べている人はいるようだ。

 食堂に入った関原は、奥のカウンターに向かう。


「こんばんは」


 関原は調理場に声をかける。


「ああ、関原さん。こんばんは。今日も遅い食事なんだねえ」


 調理場の女性は嬉しそうに頬をほころばせる。


「ええ。やることがたくさんありまして」


「はははっ!! 張り切り過ぎて体壊さないようにね。はい、サンマ定食ね」


 女性は食事を載せた銀のトレーを置く。


「ありがとうございます」


 女性はカウンターを背にして調理場へ足を向ける。関原はカウンターの右端にあるレジに移り、犬の模型と向かい合う。

 犬は下を向いており、長いしっぽを前に出している。犬にしては長過ぎるしっぽだ。変な犬という話がたちまち出回り、今じゃ人気の番犬になっている。


 関原は犬の前に料理を移す。料理を見つめる犬の姿が出来上がるわけだが、もちろん茶番ではない。


 犬はレジ機能を持った機械だ。料理をカメラが捉え、記憶したメモリーから料理名を判断。並びやこまごまとした具材が変わろうと誤ることはない。

 特徴を捉え、料理名から引き出された値段を犬の隣の電子表示板が提示する。そしてしっぽの先端が支払いを行う読み取り機になる。

 関原はポケットから円形の装置を取り出す。

 掌サイズに少々重みがある。携帯には手間取る軽さと大きさ。表側がふっくらとしており、小さな丸の中心部は白い靄の耐熱アクリルに覆われている。


 ドーナツに見えなくもない。ドーナツの身となる部分は隙間をつけ、6つに分けられている。3つはマウスのクリック部の幅と同じ大きさ。他はチューンナップのための接続端子やハードウェアを保護するものであり、硬くできている。

 隊員及び候補生が基地内で過ごすのに必要なマストアイテム……になる予定だ。

 まだ試験段階の代物。隊員となるということは、防衛省職員であり、公務員でもある。そして命がけの任務に就くことになる。


 未知の化け物と戦う覚悟のある者が早々にいるわけもない。ただ使いっ走りにさせられるだけじゃ、さすがに不憫ふびんだろう。入隊したあかつきには、居住費、光熱費などの生活費を面倒する。

 それらを一元的に管理するための照会アイテムがその装置、名をコネクターと呼ぶ。


 これがあれば、個々の隊員を全面的にサポートしやすくなる。コンピュータサイエンスラボの基地システム設計班が開発した物品。今はしっかり運用できるか見極めているところだ。


 今回は一部研究員と隊員に配布し、不具合の洗い出しを行っている。

 とりあえず食堂での支払いはできた。電子表示板の『ありがとうございました』の文字から視線を逸らし、銀トレーを持ってきびすを返す。

 食堂を歩きながら適当な席につこうと思った矢先、久しぶりの顔に出くわした。


「やあ、関原君」


 白い口髭と白い髪。目尻に皺を刻んで微笑む浜浦は、関原に手を上げて声をかける。関原は親しい人に向ける優しい笑みを表す。


「お疲れ様です。所長もこれから夕食ですか?」


「ああ、業務も多岐に渡ってきたからな。基地の円滑な運用ができるようシステムを組み上げる作業を手伝って、関係機関との会議もしなければならないとなると、食事の時間も遅くなってしまうというわけさ」


 関原は脱力した笑みを零す。


「大変ですね」


「はははは! 所長も汗水流さないと、私についてきてくれる者たちに示しがつかんよ。さてさて、さすがに腹が減った。同じ大学で研究してきた者同士、一緒に食事を取ろうか」


「はい」



 関原は温かい食事を楽しみながら食堂を見渡す。


「増えましたね」


「ああ、移住者も技術者もこっちにたくさん移ってきた。放電体質遺伝子を持つ人の住民生活も、とどこおりなく運用できているようだ。まあ、その分軍関係者外の軍専用階層棟への侵入とか、電撃バトルをするやんちゃ者も増えてしまったようだがな」


 そう話す浜浦の声は深刻そうに感じられない。


「治安の整備も考えなくてはいけませんかね」


「うーん、それもいいが、規制よりも限定がいいだろう」


「どういうことですか?」


「例えば、一般市民でも電撃を放てる場所を作るとかね」


「それが、治安につながるのですか?」


「本当にそうなるかは分からないが、その能力を使って何かしてみたいと思うのは自然なことだろう」


 関原も基地に住む者。この基地内の話は巡り巡ってやってくる。


「自然の光から遠ざけられた者たちだって、時にはガス抜きをしたくなるさ」


 関原はすまし汁を一口含み、静かに喉を鳴らす。


「実験ですか」


「ま、性質たちの悪い実験だがな。安全性が担保された場所なら問題ないさ」


 浜浦はカレイの煮つけを口にし、微笑む。関原も食堂で働く人たちが作ってくれた料理を味わう。


 放電体質者が嫌われる原因は、遺伝子のせいなんかじゃない。ブリーチャーたちが目の敵にし始めたせいだ。それによる貰い事故を懸念している。

 放電体質者によるブリーチャーの駆除が全世界で行われている以上、ブリーチャーたちに気づかれても仕方がないのかもしれない。だがブリーチャーたちは人類よりいち早くウォーリアの力を根絶やしにしようとしていた。

 関原は生物方面に詳しいわけじゃないが、少々疑問を持つ行動だ。


 動物ならわざわざ強い敵と戦わない。もし戦わなければならない事情がある場合、それは限られてくる。仲間が襲われた時、または子供が狙われた時。しかしブリーチャーたちに関してはいずれでもない。


 強い敵と認識せず、餌の捕食としか考えていないのか。いくらでも簡単に狩ることのできる動物はいる。魚は当然、陸を活動範囲とする動物すら、ブリーチャーたちは捕食する。

 海に住む生物をすべて食い尽くしたということはないだろうが、身を肥やした魚などは少なくなる。だからこそ陸にも活動範囲を広げていると思われていた。

 また、これは飛躍した仮説になるが、ウォーリアを狙うのは、人類を食い尽くすための布石あると……。障害を取り除けば、この地球を手中に収めることができる。

 今じゃそういう見解を持つ者が多く、主流となっている。そこまで考えることのできる知的生物なのかと、当初は疑問視されたが、行動を分析していくたびにその可能性は強まった。


 彼らは地球を支配しようとしている。

 ウォーリアに対する異常な執着。最近はわざと狩れる獲物を見過ごす例も報告されている。人類を狩るにはウォーリアを先に仕留めるしかないと考え、判断し、全個体に命令する主がいる組織化された生物だと、様々なケースを参照するに、そう挑発されているような気がしてならなかった。


「ところで、スーツファンクションマウントの出来はどうだ?」


 不意に浜浦所長が尋ねてきた。

 考えごとをしていた関原は我に返り、わずかに聞き取れた『マウントの出来』という言葉から推測し、返答した。


「ええ……順調ですよ」


「そうか。すまないな。人材がまだ充分に集まらなくてね。作業を遅らせていいものがあるならそうしたいところだが、なにぶん状況的にそうも言ってられないんだ」


「再三の要請でも?」


「いや、政府からじゃなく、ブリーチャーたちの方だな。動きが不穏だ」


 浜浦所長は真剣な表情から砕けた笑みを映す。


「だが光物質生成カプセル機着子宮器きちゃくしきゅうきの製作も、葉賀君と門谷君が中心となって進めてくれているおかげで、機体スーツの整備面で目標を達成できそうだ。ふふ、まったく、私は部下に恵まれた」


「そうですね。本当に、あの人たちはすご過ぎる」


 関原の口元は笑っていたが、ぎこちなさがわずかに感じ取れる。

 始めから分かっていたことだ。准研究員から研究員に昇格したのは朗報だが、ここで働いてみて実感した。自分はまだまだ浅いと。

 知れば知るほど遠くなっていくのだ。実力の差を。技術にしても、思考力にしても、先輩の研究員の方がひとつ抜きんでている。室長クラスになればもう歴然の差だった。


 あの木城がテンパりながら古木屋や先石、古和覇田のラボで四苦八苦していた。大学じゃ天才と呼ばれ、もてはやされていたのに。この基地じゃその才もかすんでいた。


 関原が顔を上げると、浜浦所長と目が合う。目が合ったにもかかわらず、浜浦は微動だにしなかった。

 白い髭に囲まれた微笑みと細められた優しさあふれる目。浜浦はどこかぼんやりとしている様子だった。


「浜浦所長?」


 幾多の物を見てきた皺を纏う瞼がまばたきをする。


「ああ、すまない。何かな?」


「あ、いえ……ぼーっとしてらしたので」


「ふふ、気にせんでくれ。少し考えごとをしていただけだ」


「……そうですか」


 浜浦と共に食事している。考えてみれば、こうして顔を突き合わせて一緒に食べるのは久しぶりだった。

 最後に共に食事をしたのは……そう、木城がニュージェネレーション・ワールドロボティクスコンテストで、3年連続の優勝グランプリを飾ったあの日だ。


 宿を取っていたホテルのレストランで、ゼミ仲間全員と木城の優勝グランプリを祝う食事会をした。まだそんなに経ってないはずなのに、すごく昔のことのように思える。


 ここまで走ってきた自分。院生になりたての自分が、この状況を聞いたらどんな顔をするだろうか。出過ぎた真似をしたなと呆れるだろうか。

 関原は過去の自分と今の自分を比較し、これまで辿ってきた道のりに思い馳せる。

 無難に生きることしかできなかった自分の背中を押してくれた恩師と、ずいぶん顔を合わさなくなった友人に感謝しながら、温かい大根のみそ汁をすすった。

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