process 10 君だけ

 祝勝に沸いたパーティーの熱も冷めない深夜。

 研究所にはパーティーに参加できず泣く泣く仕事をする者や今日の分を終えて会議室に寝込む研究員が残っている。

 どちらでもない者はパーティー終了後、シックなグリーンのワイドパンツドレスから白衣に着替え、第五会議室で1人画面と向き合っていた。


 元々静かな研究所ではあるが、22時以降暗さが増す廊下とスタンドライトしか灯らない会議室の空間にいると、静寂が純としている。

 一面透明な壁に囲まれた地下2階の室内では、静かな深夜帯となると足音もよく響く。おかしな歩き方をしている人がいれば、集中していた木城の目線も奪ってしまう。

 正体が分かれば特に興味もない。事情もだいたい推測できる。この研究所でスーツを着ている人は珍しくないが、ふらつきながら歩いてくるスーツを着た人はいない。


 ドアに体をぶつけながら第五会議室に入ってくる男は、「うぅ……」とくぐもった唸り声を零し、おぼつかない足取りで木城の前に座る。


「弱過ぎでしょ」


「……は?」


 関原はワンショルダーのバッグを肩から外し、半目になった瞳で木城を向ける。


「どんだけ飲んでんのよ」


「パーティーでたくさん飲むわけないだろ……。仮にも、正式な社交場だ。僕だって……身をわき……える」


 頭を抱える関原は相当しんどそうだった。机に肘をついて、両手で前髪をゆっくり上げて突っ伏してしまう。


 眠そうな顔が上がり、ぼうっとした瞳が木城の手元に向かう。


「君も急ぎの仕事があったのか?」


「これは個人的な作業よ。ずっとはたから見るだけで実践できないんじゃ、得られるものも限られてくるでしょ」


 木城のそばにはPCディスプレイ化しているタブレットの他に、もう1つのタブレットが机に寝かされている。


「それ……」


「持ち込み禁止だろとかいう説教なら受けつけないわよ。ちゃんとコンピュータサイエンスラボを通した代物だから」


「ずっとそうしてきたのか?」


「当たり前でしょ。末端の作業しかできない現在地にいつまでも居住するつもりはないわ」


 関原は思わず小さく笑みを零した。

 浜浦所長といち研究員として関わっているとはいえ、科学の現場で働いて1年ほど。任される実務は増えているが、室長たちの近くでサポートする研究員たちの考え方や知識量を垣間見ていると、まだまだ自分は足りないものばかりだと感じる。


 自分の実力に自信がある木城だが、過信しているわけじゃない。待遇に不満を持っても客観的に足下を見つめることができる感覚を持ち合わせている。

 ここで吸収した知識と技術を知り、現場が直面している課題を自分で考えていこうとする。腐らず進んでいける向上心があるからこそ、頭がいいと勝ち誇る木城満穂であったのだと、改めて思い知らされた。


 関原は伸びをして鈍い声を鳴らし、席を立った。


「安静にしてなさいよ酔っ払い」


「問題ない……。飲み物を買うくらい、自分でやれる」


 木城の忠告を無視して関原は出ていった。

 酩酊状態の関原に世話を焼かされるのは御免だ。さっさと眠りこけてくれたらいっそのこと楽だったのに。

 そんな自己都合を盛大に含んだ思いやり精神を関原の背中に視線で投げた後、モデリングを使って新たな鎧機待かいきたいシステム、一新して名称『機体スーツ』システムを構成する作業に戻った。


 20分くらいがたった頃、さっきより安定した足取りを見せて第五会議室に帰ってきた関原は、持ってきた手さげ鞄を机に置く。

 鞄を開けてタブレットスタンドとタブレットを出し、椅子に腰を据える。


「まさか、酔いが残ったままやる気?」


「悪夢から醒める頃にはちょうどいい時間だろ」


「……まだ醒めてない気がするんだけど?」


 木城は腐の香りを思わせる関原の言動に顔をゆがめて指摘する。


「それに、目の前で距離を空けられていくのを、何もせずのうのうとやってられるわけがないだろ」


「なにそれ、私に対抗心むき出しってこと? 相変わらず考えることがみみっちいのね」


「ああ、そうかもな。だけど、僕が対抗心を持つのは君だけだ」


「え?」


 関原は優しく笑って、木城を真っすぐ見つめて言った。


「僕は、木城満穂にしか対抗心を抱かないよ」


 不意に投げられた言葉は木城の絶句を誘った。

 常時肩肘を張り合うことが自然な流れだった。最初は互いに無意識にやっていただけだったが、少しずつそれとなく関係を理解し合っていただけに、関原の対応は拍子抜けであったし、何より言動の端々に引っかかりを覚える。

 無自覚に言ったのかは分からないが、キャラにない言葉を吐く関原の様子がだんだんおかしく思え、木城は口を結んで笑いをこらえられなかった。


「な、なんだよ?」


 関原はボケたつもりも、面白い冗談を言ったつもりもないのに、木城が顔を伏せて笑いをこらえようとする様子に戸惑いを見せる。


「ぜったい、まだ醒めてないでしょ? あなた……」


「何かおかしなこと言ったか?」


 木城は腹がよじれる気分を静めるように、一度深呼吸をした。


「さあね。自分で振り返った後に、顔の熱にやられて床を転げ回って震えればいいんじゃない?」


 関原は考えてみるが、何が言いたいのか分からない。また関原がそれについて真剣に考えている様子を見せつけられ、笑いを誘われそうになるが、木城は息を整えて思考を逸らす。


「あなたのせいで全然進まないわよ。借りは返して貰うから」


「勝手に僕が借りたことにしないでくれ」


「時間を貸してあげたでしょ? 酔っ払いの話し相手、5分で2000円ね」


「……ぼったくりに遭った気分って、こんな気持ちになるんだな」


 関原の酔いはすっかり醒めてしまった。

 葉賀と先石に連れていかれた大衆居酒屋でしゃべり込んだ後、3人で先石の行きつけだったホストクラブで終始困惑しながらも新鮮で楽しかった経験とか、そういうものすらどっかに行ってしまいそうだった。


「あら、良心的な価格設定だと思うけど? 私が話を聞いてあげてるのよ?」


「いい商売だな」


「でしょ?」


 関原はどうでもよくなり、自分も作業に移ろうと机のタブレットスタンドを手に取り、位置調整を始める。

 2人は静かな夜の中で、自分たちの目指す景色を描くように、今ある軌跡のデータを見つめて進み出した。

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