process 7 童心に帰る

 不安入り混じりながら季節は移り過ぎ、年を越した世界。各国は地球外生命体『ブリーチャー』に関わる情報入手に躍起だった。

 日本も情報入手に力を入れており、一般に公開されていない情報すら特別ルートで入手し、共有していた。

 得られた情報の正誤も考慮しながら対応していたが、限界はある。まだ全容の分からない生態と脅威に対抗するべく尽力しているが、既存の銃器では効果は微々たるものだった。


 哨戒機や戦闘機、戦車などの強力な武器は一定の効果があった。だがブリーチャーたちの類まれなる能力と多様な種類、群れを成して組織的な侵攻を行う行動規律など、人々を驚かせる能力により負傷者も出ている。

 現場を任される隊員の命も十二分に配慮しなければならない。状況を見極めた結果、深追いを断念するケースも多かった。

 数々の対応例と照らし、長期的になるとの見通しを示す政府の見解が多くを占めていた。


 主に水の中の移動を得意とするブリーチャーたちに悪戦苦闘しながらも、このまま指をくわえているわけにもいかない。既存の武器と高性能スーツを評価し、作戦を工夫・整備し、国民が恒常的かつ正常的に活動できるようなるべく努めようとしていた。

 この機に応じて、各専門機関・企業が武器開発を進めており、政府への提案が続々となされている。


 一方、鎧機待かいきたい開発チームの拠点となるメカトロニクス化学総合研究所は、急を要する事案に対して開発に時間がかかること、また開発に成功できるかどうか懐疑的な意見もあり、未だ政府の支持を充分に得られていなかった。


 追加予算も他の計画と雲泥の差があり、足りない部分は資金提供を募ったり、関係者のポケットマネーでなんとか開発を継続していた。

 一部にしか期待されていない開発プロジェクトではあるが、浜浦所長を筆頭に明るい未来を築くと信じている者たちはせわしない日々を送っている。


 少々お疲れな面持おももちを携える関原は自由時間となり、ほぼ毎日使うようになった第五会議室に向かっていた。

 関原がお疲れなのは忙しさが大いに関係しているが、今日に限っては別だった。鎧機待かいきたいの仕様は放電体質者の生体機能に依存しているため、脳生理学ラボと生化学ラボが収集したデータを必要とする。


 しかし生化学ラボの主導する実験データの受け渡しがうまくいっていない事象が起きていた。データがなければ次の工程にいけないこともあり、コンピュータサイエンスラボから急ぎの要請を何度か出していた。


 関原を含めた研究員たちは呆れ混じりの古木屋の愚痴を聞かされ、終始苦笑するしかなかった。

 愚痴ばかり垂れ流していても始まらないので、防衛省のブリーチャー対策防衛配備計画審査会に向けて製作している、スーツの試作機に搭載できる武器の種類を増やす作業を進めることにしたようだ。


 内部の淀んだ人間関係を垣間見た気分になり、こういうことに関して苦手意識のある関原はミーティングが終わって早々に部屋を出て、解放された安堵感に身を浸していた。

 地下4階のトイレで用を足した後、こうして第五会議室に向かう地下4階の廊下で、何気なく視線を向けた時だ。関原の目に留まったのは光マテリアル生成室。光と物質の相互作用を極限まで高め、光の転写による光物質生成を行う部屋だ。


 作業を行う際は部屋を暗くしなければならないのだが、部屋に明かりがついている。当然、光物質生成作業時以外では明かりをつける。ただ関原の記憶では光マテリアル生成室で今日行われる作業はなかったはずだった。


 予定を再度確認しようにも手元にタブレットはない。自由時間ということもあり、気になったついでに生成室のドアを開けてみた。


 実験室らしい光景と言われればそうなのかもしれない。様々な機材とモニター、真空管、超電導光学顕微鏡などなど、色とりどりのメカニカルな品が視界に広がっている。

 雑然と置かれた機材の様子を一見して抱いた感想が、『まるで汚い倉庫だ』と言いたくなる。

 だがドアを開けて最初に思ったのは、妙な匂いだった。

 甘ったるいハッカのような匂い。その匂いの元だろうか。視界がほんのりかすんでいる気がする。気のせいかもしれないと、周囲を見渡しながら空間に目を凝らしたが、やはり白いもやがかかっていると思うしかなさそうだ。


 靄が漂う部屋の奥へ進むと、わずかな衣擦きぬずれの音が聞こえた。

 そのあと、上部に背板のない木棚の間から覗く不気味な双眸そうぼうが、関原の瞳と交わった。


「あらら、バレちゃった」


 門谷は悪びれもせず、おどけた口調で関原の前に躍り出る。

 関原はこの煙と匂いの正体に納得がいった。門谷の手には培養皿と煙管きせるスマートがあった。門谷は煙管きせるスマートをくわえたまま、手に持った培養皿を空いた机のスペースに置く。


 丸椅子を引き寄せた門谷は、机を背に腰を下ろす。筒型の煙管きせるスマートの先を一回し。煙管きせるスマートは口紅のように2つに分かれた。煙管きせるスマートの蓋に溜まった灰を培養皿に落とす。

 門谷は茶系の長ズボンから平たい長方の小さな物体を取り出した。小さな物体の端をスライドさせると、中には錠剤のような白い物が見えた。それを蓋の中に入れ、煙管きせるスマートの蓋を閉め、煙管きせるスマートを口にくわえる。


 横で堂々と煙草を吸おうとする門谷に、関原は呆気に取られた。

 精密機器もある場所で煙草を吸うなど言語道断。しかも培養皿を灰皿代わりにする科学者など見たことがない。不快感が気道を上り、ぞんざいな言葉が出てしまいそうだった。


 手前で思い留めたのは、予想以上の非行的な行いをしていたことに絶句していたからである。そして、いち科学者として学ぶ側であることが関原を閉口させていた。

 門谷は関原を無視して、煙を吐いている。突っ立っている関原にようやく意識を向け直した門谷は、横目で関原を捉えると、くわえていた煙管きせるスマートを手に取り、口先を関原に向ける。


「君も吸うか?」


 関原は眉をひそめ、顔を背ける。


「吸いませんよ」


「フ、冗談だよ」


 門谷は笑みをはらんで煙草を吹かす。濃い煙が流れ、関原の顔にかかる。関原は鼻と口を覆い、距離を取った。


「何か取りに来たんじゃないのか?」


「休憩です」


「煙草じゃないとしたら、ドラッグか?」


「あなたと一緒にしないでください」


「フフフ、さすがにドラッグまで手にしてないって」


 関原は視界の不明瞭な生成室をぼうっと眺める。くすぶる疑念。浜浦所長はなぜこんな人を選んだのか。実績と研究内容からしても申し分ない実力があることは理解できる。


 だとしても、浜浦所長が心血を注ぐ研究に水を差すようなことがあったらと思うと、不安で仕方がなかった。このプロジェクトチームに彼がいるのは不適切。他にそう思っている人がいても、何も不思議じゃない。

 浜浦所長の意向が深く関わっていることは容易に推測できる。もやのかかった晴れない気持ちが、頭の中に巣食っていく。


「君は実直だな」


「え?」


「それでいて隠すのが下手だ。パブロフの犬ってとこだな」


「何をおっしゃりたいのか、いまいち要領を得ないのですが」


「科学者の端くれなら噂くらい聞いたことがあるだろ? 今まで俺が何をしてきたのか」


 笑みが語りかける。言葉でなく、不気味な笑みで。

 門谷に対して嫌悪を抱いている関原の心を察したうえで投げかけられたもの。そう推測するのが妥当だった。


 木城のように他人に関してあまりに無関心な者は珍しい。だいたいの研究職であれば、門谷龍己かどたにたつきの名を一度は聞いていてもおかしくない。栄誉ある研究の実績と、自分で泥をつけた不祥事。今や後者が強く彼を印象づけている。


「ええ、もちろん知ってます」


「俺をよく思っていない人がいることは知っている。だがそれと研究は別だろう。それに、俺がここでまた武器を秘密裡ひみつりに売ったら、一番に疑われるのは俺だ。そんなリスクをしょってまで、武器商人をしようなんて思わない。あれ以来、研究場所を失ったせいでまともに研究もできなかったしな」


 門谷の笑みがほのかに悲哀に滲む。


「金は充分過ぎるくらい手に入れた。五つ星ホテルから見える夜景を横目にフランス産のルダーの赤ワインを飲んで、女との駆け引きを楽しむ。豪遊できるだけしたよ。でも、物足りなかった。セレブや無駄に高そうなスーツに着せられてるヤツらが楽しんでるものをどれだけやっても、俺はワクワクできなかった」


 門谷はまた新しい白い錠剤型の煙草を穴に入れ、吸い始める。煙管きせるスマートをくわえ、空気を含んだ煙が丸みを帯びて吐き出された。


「独立して研究するにしても、国の許可がいる研究もある。一度目をつけられた俺は、科学を捨てるしかなかったんだ」


 その時、優しい笑みが門谷の顔をいろどった。


「だけどあの人は、俺に手を差し伸べた。白々しく偶然を装って来やがったんだ。治安の悪いきったねえ酒屋で、酔っ払いのオヤジが2人してマニアな話をしてんだぜ? バカらしいだろ」


 門谷の声は弾んでいた。関原も楽しそうな様子で話す門谷に少し意外だといった目で見つめる。


「でもよ、すげえ楽しかったんだ。あの日、あの人は俺のしでかしたことを一切話にしなかった……。ただ、科学の話を延々してた」


 門谷は手に持っていた煙管スマートをまた口にくわえる。口の隙間から煙が漏れ出ている。門谷の口から煙が漏れ出ている時、煙管きせるスマートの上部の小さなボタンを押していた。


「たいして交流もなかったんだけどな。あの日から、俺は浜浦と一緒に飲むようになった。そっからだいぶ経ってからだ。浜浦から誘われたのは。フフ、あのおっさん、顔も広いからよ。よせばいいのにいろんなとこ回って頭下げてたらしい」


 そこまでする必要があったのか。関原は浜浦所長のことを知っていたようで知らなかったんだと、自身に失望する。


「ま、浜浦の頼みでも拒否るとこばっかで、苦労したそうだけどな。足腰使ってどうにか俺を入れてくれるところが見つかって、一緒の研究チームに入れてもらった。それで、俺は研究者として帰還ってわけだ」


 門谷は話を終えたかのように煙草を培養皿に押しつけて火を消した。


「納得……いってはなさそうだな」


「当たり前です」


「フ、別に受け入れてもらおうなんて気はねえさ。ただ、あの人が可愛がってる教え子が欲しがる顔するもんで、ちょっと語ってみたくなっただけだ」


 煙草の吸い殻が溜まった培養皿を持って立ち上がると、培養皿ごとゴミ箱に放った。門谷はそのまま生成室を出て行った。

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