process 2 脳博士

 脳生理学ラボでは、主に発電細胞へ変容させた特異遺伝子がもたらす、特徴的な脳機能のメカニズムと各生体機能との関わりを研究している。


 できるだけとどこおりなく研究を進めるため、放電体質者を研究所に住まわせていた。年齢に応じた基本的な生活ができるよう部屋を用意し、生活に必要な物品も揃えている。生活を補償する代わりに、研究所の外に出ることを禁じていた。

 2時間ごとに脳活動計測デバイスを装着してもらい、データ収集を行っている。1ヶ月の地道な測定の甲斐もあって、順調に次の研究段階へ事が運んでいた。


 また関原と木城に連絡が入り、脳生理学ラボに来ていた。ラボの中央にある机を囲む人が複数。机の表面は白く光り、机の上に浮かんでいるものを見つめている。

 前後に膨らんだ球状の物体。多くの皺が刻まれ、中身が透けている。細かい糸状のものが幾多にも伸びていた。

 青い糸状の線維には小さな発光体が移動している様子がうかがえる。三次元モデルの脳内を一心に見つめる研究員たちは、古和覇田秋也こわはだしゅうや室長を中心にして、これまで分かってきたことを整理していた。


 古和覇田は長い年月を重ねた顔をいかめしくしかめながら、悩ましい思いを述べる。


「放電体質者の脳には通常見られない神経回路が形成されている」


 古和覇田が三次元脳モデルに触れると、神経細胞の一部が拡大し、脳モデル映像の上に重なって表示された。


「特に前頭葉。おそらく突然変異した遺伝子がニューロン新生を促したのだろう」


 研究員の男性は腕組みをしながら噛みしめるように話す。


「その遺伝子情報をもとに作られた、神経細胞のシナプス小胞にある神経伝達物質が放電のスイッチをつかさどっている」


「NBM追跡装置では神経伝達物質がシナプス間隙かんげき内で突然消えて、回路外のはずの神経細胞に侵入しています。まるで、瞬間移動したみたいに……」


 別の若い男性研究員は理解に苦しむといった様子で戸惑いを見せた。


「まだ分からないことは山積しているが、一般的な人体と生体機能は共通している部分もある。機械との親和性の調整は可能だろう」


 古和覇田は研究員たちに視線を移す。


「放電のメカニズムの立証についてはひとまず置いておこう。生体ロボティクスラボから送られてきた設計書だが、伝達回路自体に問題はなさそうだ。しかし地球外生命体に対抗できるほど高めるには、高度な処理機構を製作する必要がありそうだ」


「問題は、正常に機能する脳に機械をつなぐことで脳にダメージがあるか、ですね」


 女性研究員は厳しい表情で懸念を示す。


「センサまたは機体触覚部で知覚した情報を正常に脳が判断してくれるかどうかだな。神経伝達物質はもとより、知覚したことで通常働くはずの各関連器官の観測も充分に把握しなければならない」


 古和覇田と研究員たちは、なおも鎧機侍かいきたいの製作に関わる課題や設計について話し続けている。


 関原と木城も研究員として鎧機体の製作に加わってはいるが、他の研究員のようにどこかのラボに所属しているわけではない。各ラボがやろうとしていることを大まかに掴めたとしても、正確な詳細事項まで把握できないでいた。


 そうなってしまったのは、ひとえに各ラボから応援要請を受けたら駆けつける雑務要員に配置されていたからでもある。

 実験の準備に片付け、データ整理、更に研究所内の掃除まで。慣れない体力仕事もついてきて、毎日が目まぐるしく流れて終わる日々だった。


 それでも秀才の評価に事欠かない関原は、懸命に把握しようと集中していた。関原が全意識を古和覇田たちの話に向けている中、木城は別のことを考えられる余裕があった。

 数日前に関原から偉そうに解説された、各ラボの室長の経歴を思い起こしていた。


 古和覇田秋也。日本の脳生理学者の中でも重鎮と呼ばれるほど有名な名前だ。脳神経の全ネットワーク構築のメカニズムを解明し、あらゆる神経細胞を再生することに世界で初めて成功している。

 関原は興奮を抑えられず、ちゃっかりサインを貰っていた。専門としているジャンルは違えど、科学の一端に触れている者なら絶対知っていると思っていた関原の常識は、呆気なく崩壊してしまった。


「君たち」


 古和覇田は離れて聞いていた関原と木城に向かって声をかける。


「「はい」」


「これから放電体質者の神経幹細胞を使ったニューロン形成を実施しようと思う。私たちの仮説が正しいかどうか検証するんだ。時間があるなら一緒にどうかな?」


 古和覇田は、先ほどの真剣な表情とは見違えた優しい雰囲気を持って誘った。一瞬で懐に入っていかれたみたいな、警戒感を削いでくる笑顔に、2人は遠慮なく甘えた。

 2人は微笑み、「よろしくお願いします」と自然と揃った会釈で返した。

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