process 7 顔合わせ 

 こめかみに筋立つ血管が脈を打った。棘が刺さったみたいな頭痛。大脳が読み取った文は、予想以上の情報を関原にもたらした。


 関原崇平13歳。この時、関原は何もかもを捨てようとした。

 関原は地元の進学校に入学して早々、理工学研究部に入部届を出した。

 当時の関原は、新入生らしからぬ堂々とした発言と、他の生徒を唸らせる技巧で脚光を浴びていた。

 関原の知識と技術は理工学研究部のまい進に寄与し、目標レベルも上方修正されるようになった。


 間違いなく、関原は理工学研究部の大きな歯車を担っていた。だが部員の中でも学年の低い関原は、先輩の使い走りをさせられることが多かった。それが部の中の慣例だった。

 下級生は先輩の意向に沿った研究を手伝い、顧問の先生に研究発表を行う。つまり、上級生と下級生が協力して研究をすること。多くのアイディアや論文の内容、ほとんどが関原の出したものばかりだった。

 当時の関原は納得がいなかった。論文に、自分の名前が表記されないことを。食ってかかったが、普通のことだと先輩だけでなく、先生からもなだめられ、何も言えなくなってしまった。


 その一件以来、関原は部内で浮く存在になった。果ては幽霊部員の如く、誰も見向きもしなくなった。

 顧問の先生は体裁を整えないといけない立場もあるからか、関原の研究にも目を配り、声をかけていた。が、一言二言差しさわりのない話を振ってくるだけで、何かアドバイスをするなどはなく、気づけば他の生徒のところへ逃げるように行ってしまう。


 こんなことの繰り返しだ。関原は楽しかったロボット工学の勉強もしなくなり、部活にも顔を出さなくなった。


 それから、あのメールにつながったのだ。何もかもうまくいかなくなって、自棄やけになった中学生の関原は、すべて諦めたことを彼女に伝えてしまった。

 これまで積み重ねてきたものが崩れていくのを目の当たりにして、嘆くこともせず口を閉ざした。彼女の気持ちも考えないで。


 関原はぶり返す嫌悪感を胸に抱き、息を吐いた。

 つながった。残された記録が導いた罪を。逃れたいがために、罪状に変化した大切だったものをてようとした。だが、増え過ぎた思い出が後悔を垂れ流し、てることにも疲れた。


 何もできなくなって、ただ消化する日々。無味乾燥に変わり果てた世界に散らばる、記号の集合を読み解くだけ。まるで機械そのものになったみたいだった。

 そうして、やっと不純物は取り除かれ、真っ白な世界に最後まで残ったものは、約束を取り戻すことだった。

 またつなぎ合わせられるとは思っていない。二度と会うことはないと、継続する電子音が応えた。たとえ取り戻せない現実を突きつけられたとしても、たった1つの思いくらい、むくわれたっていいはずだ。


 彼女に届かなくてもいい。大切な記憶だったと証明するデータさえあれば、彼女の傷を補償できるかもしれない。ただの仮説だ。根拠なんてない。でも、何もしないという選択肢はなかった。


 かつての親友に償うために、関原はまた夢を追った。空いた穴を埋めるように。今まで以上にがむしゃらになって……。


 勉強のし過ぎで過労まで至り、病院に搬送されたこともあった。まだ不安定だった関原は、白いベッドの上でようやく冷静になれた。


 一時両親の監督責任まで疑われ、迷惑をかけた自身を戒め、堅調な歩みに修正していく。時間の最大効率を図り、かつ無理のない進め方をして、大学院生までやってきたのだ。


 今の今まで覚えてなかった。たぶん、勉強に没頭していたのは、このことを忘れるためでもあったのかもしれない。どんな理由であれ自責の念は絶えない。だが安心した。一歩手前で、大事にしまっていたものを掴み直せて。

 何かが綺麗にはまった音を聞き、関原の全身に穏やかな水の調べが巡る。

 迷いは失せた。関原の右手がポインタを動かし、画面がログアウトした。



 7月15日——ある施設の一室で、様々な顔ぶれが一堂に会していた。あたかも学者肌を主張する雰囲気を漂わせているが、年齢は下から上まで幅広い。中には何度か交流を持つ面々もいるらしく、ぽつぽつと会話が繰り広げられている。

 壁の端で眺めていたスーツ姿の男は、腕時計を一瞥いちべつする。


 今日が顔合わせということもあり、木城も会話に参入していた。まだ学生という身分から一歩を踏み出しただけではあるが、木城もそれなりに名の知れた人物だ。一度話をしてみたいと思う者がいても不思議ではない。


 会議室のドアが開くと、待っていた者たちの視線が集中した。淡い水色を基調とするチェック柄のワイシャツを着る浜浦教授と、坊主頭のスーツ姿の男など数人が会議室に入ってきた。


「ご無沙汰しております。浜浦教授」


 1人の老齢の男性が気軽に挨拶を交わす。会議室がそれほど広くないこともあり、前の席にいる者とディスプレイとの距離が近い。どことなく心的距離の近さを表しているようで、気軽に声をかけてしまうアットホームな感覚が引き出された。

 浜浦教授も顔なじみの男性に軽く手を上げて応答し、笑顔を零す。


「このたびは招集に応じてくださりありがとうございます。古和覇田こわはだ先生。先生のお力があれば、必ず平穏の獲得が達成される」


「全力で取り組ませていただきますよ」


 力強い握手を交わした後、浜浦教授はみんなの顔が見えるよう前に立つ。


 そして、浜浦教授は引き締まった表情で語り出した。


「改めまして、今回のプロジェクトリーダーを務めさせていただく浜浦零豪です。各分野で人々の幸福の実現に寄与してきた者、これからの未来を幸福に至らせる若き才能を持つ者。今回プロジェクトを発足するに辺り、私たちは準備を進めてきました」


 部屋に集う者たちは浜浦の話を一様に聞き入っている。


「政府の方々と入念な話し合いを重ね、お声をかけさせていただきました。ですがお声をかけさせていただいた方々には、すでに取り組まれている研究があったかと存じます。差し迫った緊急性を伴うプロジェクトに入るとなれば、現状見通せていたものを棒に振る必要が出てくることは、予想されたことでしょう。それを踏まえ、みなさんが集まっていただいた。本当に感謝します」


 浜浦教授は深々と頭を下げた。


「今日は私の打診に応じてくださったみなさまに、プロジェクトの目的と方向性、近々の具体的な取り組みなどを話していきたいと思いますが……」


 浜浦教授は言葉を止め、目の前で縦に長い机につく会議室を眺める。


「まだ全員揃っていないみたいですね」


 すると、会議室の後方のドアが開いた。


 遅刻したにもかかわらず、彼に焦る素振りはなかった。悠々とした動作でドアを閉めると、普段と変わらないラフな身なりで現れた彼は、口を開いた。


「遅れて申し訳ございません。プロジェクトに関わるにあたって引っ越しをしていたんですが、思ったよりも時間がかかってしまいました」


 浜浦教授は少し肩の力が入っている関原に微笑を浮かべた。


「構わないよ。今から本題に入るところだ。座ってくれ」


「失礼します」


 関原は軽く礼をし、近くの席に歩み寄っていく。関原が座ろうとする席の隣では、木城が薄く笑みを灯していた。


「では、技術戦略部の草柳くさなぎさんから、プロジェクトの具体的な話をお願いしようと思います」


 浜浦教授は一度視線を投げると、会議室の端に寄った。アイコンタクトを受けた草柳は、綺麗な坊主頭を軽く下げ、薄いサングラスをかける小さな顔を前に向けて話す。


「技術戦略部技術計画官の草柳裕哉くさなぎひろやです。僭越ながら、このプロジェクトを立案させていただきました。これに差し当たり、プロジェクト管理部と調整を行い、浜浦教授に助言をうけたまわりましてチーム発足に至りました」


 草柳は足下を確認すると、少し前に出る。


「今回招聘しょうへいした皆様に開発してもらいたいのは、高性能スーツです」

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